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フィリピンの顔

フィリピンの日常や、旅行記、人、観光地、ビジネス、
出来事等を記録します。

カタリン・コー(CATHERINE CO) -テレビ局のお手伝い- 2

2010年04月19日 | 日記

先週、
日本のテレビ局からの「ビッグ ビジネスマン」の取材のお手伝いで、
ヘレラ(ROSENDO C. HERRERA)さんと言う、私たち夫婦の
【ニノン】
であり、娘の【ニノン】でもある人をご紹介しました。

フィリピンの制作会社の社長(知人)から、「他にも取材をしたい。」と再度の依頼があり、それでは、と、今度はやはり娘の【ニナン】であり、私の【コンパレ】に当たる女性をご紹介することにしました。

カタリン・コー(CATHERINE CO)さんです。
KALIWA BANANA PLANTERS ASSOSIATION INC.
KAUNLARAN PARA SA KABATANG PILIPINO FOUNDATION INC.
GT CATERING INC. の社長です。



★  ★  ★  ★  ★



カタリンさんは、去年の10月にうちの娘の洗礼式で始めてお会いしました。

詳しく(省略やまとめが下手だから)説明しますと、
実は、去年生後1年を越えても洗礼【ビニャグ】が出来ない私達の娘の為に、
ラジオ放送局や新聞社を営んでいる、ジュビーさんとドゥラナさんが、『カティさんがあなた達の娘のために、スポンサー【ニナン】になってくれるって。1年過ぎても洗礼式をしないというのは駄目よ。』

確かにいろんな人から【ニノン】なると言われ、また私も【ニノン】になって下さいとお願いしています。

マカリンタル弁護士さんからは、去年の3月から、娘の洗礼式には家族を連れてくるからと言われ、私が、「費用が無く、まだ出来ません、日にちを延ばします。」と言うと、「洗礼は、たくさん人が来れば良いと言うものじゃない。大事なことは、子供が神の子になるという事だから、私とあなた達夫婦と赤ちゃんだけで教会に行けば良いこと。お金は必要ない。」と言われたことを、一生忘れないと思うほど、嬉しく、また切ない思いをしていました。

ただ、あまりにもたくさんの出席者を予定しているので、断るわけにも行かず、せめて皆さんで食事をするくらいの費用が出来るまでと、延ばし延ばしにしていました。

実際のところ、洗礼式どころかミルク代も無い状態でした。

それをジュビーさん達がやってくれると言うのを、ずっと断り続けてきました。


カティ(カタリンさんのニックネーム)さんの事を知らないし、130人ほど【ニノン】【ニナン】がいるのを、とてもじゃないけど教会から食事までお世話出来るものじゃない。
こられた人に迷惑を掛けるか、カティさんと言う知らない人に迷惑を掛けるかどちらかだと思っていました。

ジュビーさんはくどく、「カティさんの誕生日も、日にちをずらして一緒にやるから大丈夫。」

何だ、そういう事...尚更人数が増えるということで、娘の為に来てくれる人たちが肩身の狭い思いをするのか...

本当に信じられるものではありませんでした。


マカティ市近辺で教会を探せという事で、教会だけを探して当日を迎えました。

たくさんの招待状を自分達で作って配ってますので、恥を掻く日が刻一刻と迫ってました。

だって、全部ジュビーさんとカティさん任せで、図々しく注文なんて出来ないんですよ。

★  ★  ★  ★  ★



ところが、
教会から食事会の会場まで、私達のお客が200人を越え、カティさんのお客さんまで入れて400人を超える食事を、全部、初めてお会いしたカティさんがやってくれました。

夜は11時ごろになって、やっとケソン市でのショウを終えて駆けつけて来てくれた最後のお客さん、バイオリニストのジョン・レサカさんが、「美味しいな。この料理。」って。

まだ十分料理が余っていました。

カティさんの【CATERINNG】(ディナー・サービス)と、ジュビーさんの経営するバンドによる演奏。
ジュビーさんはプロのシンガーでもあります。
来られたお客さんには満足して頂き。
私が紹介したお偉いさん達との記念写真撮影で、
カティさんにも満足して頂きました。

カティさんが言われた、『【コンパレ】のために食事を用意する。』
の、本当の意味が解かりました。

私が【コンパレ】という事だけじゃなく、カティさんと同じ、来られた娘の【ニノン】【ニナン】は、カティさんからすれば、みんな【コンパレ】なんです。

この洗礼式の様子は、去年の事で遅くなりましたけど、次回に回します。

★  ★  ★  ★  ★



※ 【ニノン】【ニナン】【コンパレ】の意味はこちら
※ ヘレラさんに関する記事はこちら
※ ジュビーさんに関する記事はこちらこちら
※ マカリンタル弁護士の記事はこちら
※ ジョン・レサカさんの記事はこちら

★  ★  ★  ★  ★




取材班の人たちには、カティさんはジュビーさんの紹介なので、
まずオルティガス市にあるジュビーさんの放送局に行き、そこで放送が終わるお昼にカティさんが食事の用意をして待っているマカティ市のオフィスに撮影に行く。
という順序で予定を組みました。

あわよくば、日本のテレビ取材班という事で、ラジオ番組に出演して頂こうとしたジュビーさんの目論見ですが、放送局に着き放送が始まるころ突然、撮影会社より連絡があり、「そう遠くないところで取材の差込があるので少し出かけます。ラジオ放送が終わるころには戻って来ます。」と私を置いて出かけられました。

やば!! ラジオ放送が始まり、待合室の小さなスピーカーからジュビーさん達の声が流れています。

私の名前が放送されています。 中国台湾にまで流れる番組です。

また先週のように突然引っ張り出されるかもしれないと思い隠れていました。


★  ★  ★  ★  ★




ラジオ放送が終わり、下に降りて待ってると、テレビ取材班に人たちが戻って来られたので、一路マカティに向かいました。

カティさんの事務所に着くと、いろんな企業の社長さん達が集まっていました。

さすがにカテイさん、【CATERINNG】(ディナー・サービス)の社長ですね。

並べられたご馳走でお持て成しを受けました。








カメラマンは女性です。でも実はディレクターなんです。
インタビューをしてる人も日本人ですが、英語もタガログも凄く堪能な人です。


ディレクターとカティさん。
このときのカメラマンは私です。すみません。
本当はすごく綺麗なお二人ですけど...
カメラが悪い。いやライティングが悪い。ブツブツ。


私は写真用のカメラで皆さんを撮ってたので、私の写真が無いでしょうと
ディレクターが私とカテイさんを撮ってくれました。
ほら、やっぱり私のカメラが悪いでしょ。



机の上に飾られていたのは、マルンガイの木です。
英語名で、モリンガですね。
私がカティさんと一緒に計画しているプロジェクトです。
※ マルンガイに関する私のの記事はこちら



ちょっと驚きました。


撮影器具の片付け方が普通じゃない。
三脚の縮め方など、立てたままで
グル~グル~とリズミカルに回すだけ。
カメラから器具まであっという間に
バッグになってしまった。
What a Pro!!

★  ★  ★  ★  ★




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久しぶりに家族水入らずで食事をしました。 MOAで。

2010年04月17日 | 日記

一家4人で食事をするのは久しぶりです。

おてんば娘は1歳半になりますが、友人知人と一緒に外食は3度、
家族だけでの外食は初めてです。(義兄一家と一緒ですけど)

7歳になるヤンチャ坊主の幼年時代にはよく外食していましたけど
最近は懐が厳しくなって、出かける事が少なくなりました。

3月26日に終業式があり長期休校になった途端に、カビテ市の
叔母さんが、坊主を水泳に連れて行くから何日か預かると言って
学校から帰るなり、そのままカビテに連れて行ってました。

久しぶりに家族で食事をしてデパート内にある遊び場に行こうか
と言う事になったのですが、家内がヤンチャ坊主を迎えに行って
戻って来て、モール(MOA)に着いたのは夜の8時でした。



モール内のカーペットショップです。










写真がぼけてます。


うちのかみさんと娘です。




ヤンチャ坊主です。



最近流行ってますね。このスケートボード。



カミさんの兄嫁さんと、うちの娘です。



食事はここに決めました。
東京カフェです。
ここは以前、“甘党の会”の集会所でした。






突然、娘がいなくなりました。

遠くで娘の叫び声。
アァタァ.タァ.タァ.タァ!!
黄色い声で、北斗(北斗の拳)の叫び!

どこに居ても分かるおてんば娘の雄叫びです。

息子と家内の兄の娘が近寄りました。
私は恥ずかしくて他人の振りをして写真だけ撮りました。

私がそ知らぬ顔をしてるので、この後娘は、突然、
その場にひっくり返ってギャーギャー泣き叫びました。

恥ずかしいので、抱き抱えてテーブルに連れて戻りました。
すると、ま~たいなくなった!


......






パン屋さんの前で。



このエスカレーター

何度上がったり降りたりさせられた事か...




モール内は殆ど閉まりかけています。

外に出て、記念撮影。



ヤンチャ坊主と、おてんば娘と、ヤンキー母ちゃん。
買い物は、45ペソ(90円)のこの風船だけ。


最後にモール・オフ・エイシア前の、
イルミネーション地球儀。



今日の記事は、日記です。


家族写真ばかりで面白くないと思いますので、
な~んだぁ。 
と思われる方はスルーして頂けたらと思います。

......

... 全部見て頂けたんですか?

有り難うございました。
また来て下さいねェ。


家族FAMILY
Father And Mother, I Love You.



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ラジオ局に遊びに行きました。 DZXQ 1350KHZ

2010年04月16日 | 日記
4月10日土曜日のお話です。
毎週土曜日の11時から午後1時まで、友人、ジュビーさんとキャプテン・ドゥラナさんの声がラジオから流れます。

「ディー・ズィー・エックス・キュー」
「ジュビー・デ・グズマーーーン...」
(DZXQ Juvy De Guzman) ですけど。


で、前日、そのジュビーさんから放送局に遊びにおいでと電話があり、知り合いの若い日本人とフィリピンの女性を連れて遊びに行きました。

お二人には前以って、「多分ジュビーさんから放送室に入れられてインタビューなんかされて、ラジオで放送されるよ。マイクを前にして喋れる?」と聞いていました。

もちろん、二人とも「大丈夫ですよ。」と答えてました。
放送されるよ~。 あはは。

オルティガスのオフィス街です。
午前10時の予定でしたから、睡眠不足のまま9時にタクシーに乗って到着までぐっすり寝ていました。

3度ほど来たことはあるんですけど、場所を忘れていて少し通り過ぎた頃に目が覚めました。
(最近、よくタクシーの中で寝てるんですよ。)



ここここ、ここの17階です。 (鶏かオマエハ!?)




時間や日にちをずらして、二つの放送局が一緒になっています。

ジュビーさんの局は、DZXQ です。

案の定、二人は放送室に入る事を勧められて名前を紹介されました。
放送されてます。

私の名前まで紹介され、何か喋れと言ってる。
放送中ですよ。

連れのヤングマンは挨拶をしたけど、女性は「嫌だ。恥ずかしい。」

私もガラス窓越しのジュビーさんに、嫌だ嫌だと手で合図をするけど、
「ピノイさんは嫌だって言ってるけど、後でちゃんと喋りますよ。」
「え?そんなことラジオで言わないでよ!」
放送中だってばぁ!

※ ピノイはハンドルネームです。

ジュビーさんは、ガラス越しに笑って「何か言え」と合図する。



ドゥラナさんは私の方にマイクを向けてまた紹介。
なによ! その笑顔!?



二人ともなんか喋ってよ~

結局放送中に掛かって来た電話の向こうのドクターと
やり取りをする羽目になってしまった。
下手なタガログで、放送されてんですよぉ。



いつもだったら、ドクターみたいに私が日本に居る時でもジュビーさんと
電話を通してラジオ放送するんですけど、
この日はまんまとジュビーさん達に仕掛けられてしまった。




選挙運動中は、ラジオもちゃんとした「マスコミ」ですからね。
今回の放送内容は、マカティ市長のことや、次期大統領の話や出馬している人の名前まで出ていたから迂闊なことは喋れないし、気を使いました。

放送が終わるころ、腎臓がズキン、ズキン。

腰が痛かった~。

これ、腰が抜けるって言うんですよね。


腰抜けピノイでした。



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4月8日 花祭り

2010年04月08日 | 日記
今日は、4月8日で、お釈迦さんが生れた日です。

フィリピンに居ても、毎年この日はお釈迦さんを思い出します。
お祝いをしてあげられる道具は無く、甘茶もありませんけど、
「Happy Birthday!!」



4月8日で、4と8から、四苦八苦...

違う、ちがう。  『シ・ワ』だった。

お手手のしわとしわを合わせて『しあわせ』。 南~無~。南~無~。


南無と言えば、仏教の開祖 『南無釈迦牟尼仏』

釈迦牟尼仏(釈迦如来)は、瞿曇悉達多(ゴータマ・シッダルタ)が本名。
釈迦は、インドの釈迦(しゃか)族の生まれで、その部族の王子だったことから付けられたニックネームです。

悟りを開かれた(覚醒)後から『仏陀』と呼ばれるようになりました。
『仏陀』(ブツダ、ブッダ、buddha)とは、『成就した者』『目覚めた者』『悟った者』の意味です。
私は子供の頃、この『仏陀』を、『超能力者』(アデプト)として考えていました。

余談ですが、

『お釈迦さんの智慧は四方八方を遍く(あまねく)照らす。』

やっぱり、四月八日。  でしょ。

もひとつ余談です。

『四苦八苦』とは、『生老病死』の四苦に、『愛別離苦(あいべつりく)』 『怨憎会苦(おんぞうえく)』『求不得苦(ぐふとくく) 』『五陰盛苦(ごおんじょうく) 』 の四苦を加えたものです。

意味は、順に、「生れる苦」「老いる苦」「病める苦」「死ぬ苦」「愛する者との別れ」「怨み憎む人と出会い」「求めても得られない」「色・受・想・行・識(肉体や物質、感受、想念、行動、分別や認識)が盛んな苦悩」


うわ~!  今日はすごく勉強になったね~♪


ついでにもう一つ。

『四苦八苦』の煩悩を打ち払うために、大晦日の除夜の鐘は108つ撞きます。

これは、『四苦八苦』で、4 X 9 + 8 X 9=108 です。

え~~っっ!?  知ってたのぉ~!? な~んだぁ...


でもね~  私だけじゃないでしょ~。 こんな駄洒落が仏教界にい~っぱい。



さて、ここまでは私が何とか覚えていた事を忘備で書いただけですが、
花祭りの灌仏会を、ウィキから拝借してきました。


WIKI
灌仏会(かんぶつえ)は、釈迦の誕生を祝う仏教行事である。日本では原則として毎年4月 8日に行われる。

釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が旧暦の4月8日に生まれたという伝承に基づく。
降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)、花祭(はなまつり)の別名もある。

日本では、様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たす。誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝う。甘茶をかけるのは、釈迦の誕生時、産湯を使わせるために9つの竜が天から清浄の水を注いだとの伝説に由来する。

宗派に関係なくどの寺院でも行う。甘茶は参拝者にもふるまわれ、甘茶で習字をすれば上達すると言われたり、害虫よけのまじないを作ったりもする。

なお、「花まつり」の名称は明治時代にグレゴリオ暦が導入され、灌仏会の日付の読み替えが行われた後の4月8日が、関東地方以西で丁度桜が満開になる頃である事から浄土宗で採用された呼称で、それ以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられている。お寺が経営している幼稚園や保育園では、こちらの名称の方がよく知られている。子どもたちにとっては、甘茶をいただく日。又、稚児行列を出す寺も多い。仏教系の学校でも行う場合が多い。

失敗して物をダメにする事を「おしゃかになる」と表現するが、これは灌仏会に因むものである。江戸の鍛冶職人の隠語として、あぶり過ぎて鈍ってダメにしてしまった金物に対して、江戸っ子訛りで「しがつよかった(火が強かった)」→「四月八日だ」→釈迦の誕生日、というつながりで成立したとされる。


何じゃそりゃ~!  しがつよかった(火が強かった)~~!?

→「四月八日だ」→釈迦の誕生日だぁぁ~っっ!?

駄洒落ばっかし!


んでもって、明日は4月9日、『四苦』の始まりじゃ~ん。

えっ? 『死苦』じゃぁ無いよ。

****************

すみません。

ちょっと朝から出かけていました。
明日にまわすと意味が無いから(駄洒落の)、一休みする前に、ここまでを書き留めて置きます。

後で記事を追加させて下さい。

私とお釈迦さんの出会いを記録して置きたいものですから...

読んで下さってる方に申し訳ありません。

そして、有り難うございます。


それじゃあ、失礼して、

一休み。一休み。。。


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突然の来客

2010年04月06日 | 日記
4月5日が死後の世界って?
のんきにブログを更新してるって?

4の5の言わないの!
あたしゃぁまだ生きてます!


突然の来客  ― PSJ名古屋 ―



先日3日の昼下がりの事です。、
ドン!ドン!ドン!っと、蹴り飛ばすように大きな音を立てて誰かが玄関の戸をを叩いてる。

出かけていたカミさんが帰って来たのかなと思って開けると見覚えのある女性がスーツケースを引きながら立っている。

「だれ?」

「クゥヤァ! 久しぶり~!」     ※クーヤ=KUYA=お兄さん

「え… 誰だっけ?」

「アコー! アコよ~! ジュリー!!」   ※アコ=AKO=私

「ああ~! ジュリーかぁ!?」


8年ぶりに逢ったタレントでした。
10年くらい前からのタレントで、2度日本に行き、その後名古屋の男性と結婚してクラブを開いた事までは知っていましたけど、まさか何度も引っ越しをした私を訪ねて来るなんて思いもよりませんでした。

どうしてここが判ったのかって聞くと、2年前に居たビルから転々としてきた私を順を追って訪ね歩いて来たようです。

先月ダバオに居たお母さんが亡くなったのでフィリピンに帰って来たようで、今日日本に戻るまでの2日間、私の家に泊まると言うので積もる話をしてました。

少しヤンキーなタレントだったので、よく私から叱られてました。
一度は近くの警察署の檻に一晩入れさせた事もあります。


結構信頼はしてた娘ですが、うちのカミさんと初めて会ったのに、私の遍歴をあれやこれやと告げ口して大笑いしていました。
久しぶりに昔話を肴にビールを飲んで酔いました。


昨夜、インターネットをやってる私を見て、自分の名前を検索してくれと言う。

「JULIE SASAKI」...

あった。 
ここ、http://psj-nagoyachapter.com/photos_3


「なに、これ? PSJ名古屋?」

「そう、フィリピン・ソサエティ・ジャパン。」

「それはね、フィリピンのスモーキー・マウンテンとか、貧乏な子供たちの学校を作ったの。
 それでね、私が2007年、2008年の一番になって勝ったの。」

「学校? イカオが作ったん?」  ※イカオ(イカウ)=IKAW=あなた

「そう、PSJのみんなで作った。」

「そうか。いくらか寄付した?」

「うん。100万円。」

「はぁ?100万円? そんなにイカオ、お金持ちね?」

「それ程でもないけど。」



PSJ名古屋のこの彼女の写真は痩せてるけど、1年でこれほどまで太るとは、チョット…
(今はこの写真の1.5倍くらい。)


そんな会話はともかく、【PSJ】の活動には驚きました。
ウェブを見て頂けますか?

彼女の日本のクラブで練習をしたそうですけど、フィリピンの舞台衣装まで運んで日本でショウをやってます。
バラエティからネイティブな民族舞踊まで、私まで嬉しくなります。

何よりも、教え子がこんな素敵なボランティアをやっていたとは…


冥利に尽きます。


生きてて良かった...

(4月1日は、もう終わった?)


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落ち込んでしまった...

2010年04月04日 | 日記
先日、【コンパレ】セサール・モンタノさんの息子が拳銃自殺で亡くなった。
と記事を書いた日が奇しくも、3月30日でした。

奇しくもとは、ここでは不思議にもと言う意味じゃなく、奇遇の意味で偶然ですが、

投稿し終わった後に気が付いたのが、「フランシーヌの場合」でした。

3月30日の日曜日、パリの朝に燃えた命一つ...



フランシーヌ・ルコント(Francine Lecomte)と言う女学生が、1969年3月30日の朝、パリの広場でベトナム戦争とビアフラの飢餓問題に抗議して焼身自殺をしたショッキングな出来事を、反戦歌手の新谷のりこが歌った歌で、

当時高校生だった私もこの歌を毎年この日になると何となく口ずさんで来てもう40年にもなります。

余談ですが、
当時は学生運動、安保闘争、三無主義、フォークソング、デモ等、大変な時代でした。

私も高校を卒業して会社員になった時に、知人の関係で「赤」だとレッテルを貼られる騒動が起こりました。
「赤」とは、革命を象徴する旗で、共産主義や社会主義派が団旗にしていた旗です。
私は赤ではありませんと主張して5年間その会社にいて、知人の紹介で入社した印刷所が「赤旗新聞」を作っている会社だったのには笑っちゃいましたけど...

旗と言えば「フランシーヌの場合」の歌の中に、フランス語の文句があり、
「友愛の旗印に我が身をゆだねた」とあります。

友愛の旗ってこれですか? 国旗と一緒に燃えたのかな?

白に赤と青の長方形ですね。

今、私は赤い丸の国から赤と青の台形の国に来ています。
黄色い太陽が赤い太陽(日の丸)の様に私の未来を明るく照らしてくれたら良いのに...

で、政治の事も国旗のことも機会があればその内にお話します。



そんな説明をしてるほど余裕が無く、
(よ~ゆうよ。十分余裕があるみたい...)

本題に入ります。

私は本とに感受性が強く、
自分の事で拳銃自殺をしたアンジェロ君も、
他人の為に焼身自殺をしたフランシーヌも、

あまりにもおばかさん。

そして、羨ましい...

不謹慎だと解かっていますけど、ついて行(逝)きたい。

この世の中は、楽しい事もたくさんあり、笑って過ごせば未来も開ける。

解かっているけど、生き地獄も見て来てた~いへん。

ただ、死後の世界もわかっているから躊躇する。

自分のためでも他人のためでも、自殺をすると苦しいよ。

無間地獄に入ってからは、
もう自分で自分を消す事が出来なくなって、永遠に苦しい目に遭うよ。

両親と先祖と産土神と、
たくさんの神から頂いた身体を自分で絶つことは永遠の罪になるよ。

人にも迷惑を掛けて、この世に思い残す事は無かったの?

それでもその全てと縁を切って自分の命を絶てる?

羨ましいのが今の心境です。

いや、感受性が強いから感化されたのじゃなく、最近疲れました。

将来もし自分がパニックに陥った時の事を考え、2年前に銃を手放しました。

いまさら質受けは出来ないな。

そんな事を考えてる矢先の事件で、余計落ち込んでしまいました。


いぃえぇ~。 ご心配には及びません。

このブログは笑ってもらえるのが本望ですから。

心配されるともっと滅入ってしまいます。


笑って生きようと頑張ってますけど、ちょっと面倒な事が多過ぎます。

自分が一番悪いけど、神さんも少し意地悪ですね。



前記事に、めぐみさんからコメントを頂きました。

『死ぬ気で追いかけても良かったに?』

そうですよね。 死ぬ気になったら何でも出来そうですよね。

でも、『出来るかも』って分かってても、『死ぬ気』を選んだんですね。これが。

『出来るかも』にチャレンジ出来ない時もあるんですよね。

疲れたんですよね~。 と~っても。


真剣に深刻なんですからね。 笑っちゃぁだめ!

ちがった。笑ってよ!


フィリピンに居ると、いろいろあるんだからぁ。

嫌んなっちゃうことも沢山あるの。

悩めるおじさんなんだからぁ!

叩いても蹴っ飛ばしても言う事を聞かない年頃なの!

箸が転んでも(あたまが)おかしくなる年頃なの!


でも良かった。今の時代はインターネットがあるから。
ブロともさんのブログからいろんな元気がもらえるから。



せめて今日は4月4日で、幸せ(4合わせ)な気持ちに成れるといいのに...

死合わせじゃないの! しあわせなの! 


じゃあ、明日4月5日は?

あしたは、死後の世界なの!


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日本へ帰国していました。④ ネット

2010年02月23日 | 日記


「ネットカフェ」はフィリピンでも2度行きました。
まあ、自宅のコンピュータよりは早かったんですけど、何せキーボードで日本語が打てなくて、閲覧するのもタブに表示されるタイトルは、□□□ □□□□と、こんな風になってしまうのでやり難かった。

さて、期待していた日本の「ネットカフェ」は?

そうでしたね。 
今日はカフェインを抜いて、「ネット」のお話です。

私は普段使っているブラウザは「Firefox」です。
私のブログは、「gooブロ」ですので、以前は、「goo RSS リーダー」でした。

「goo RSS リーダー」は、RSSに登録しているブログが新たに更新をされると自動的に〔New〕と表示され、使い易く、好きですが、どうやっても「置き手紙ユーザー」のブログで不具合を生じ、いろいろなブラウザをインストールして試して、「Firefox」が、いろんなブログの「応援」をし易い事がわかりました。

特に、「置き手紙」ユーザーのブログの訪問者リストの、「5つを一度に開く」ことや、ランキングが沢山あるブログには、それぞれのブログ毎に小さい「新規ウィンドウ」が開くので一つずつ閉じて行くことが出来、便利です。


ということで、「リクライニングの足を投げ出せる座敷のテレビ有りPC有りのもちろん喫煙室」が毎日別の部屋(ボックス)になるので、入室するとまずIEから「Firefox」をダウンロードしてブログ巡りに取り掛かりました。


★感じた事。

「速い!」

私がフィリピンでやってる事の3倍から20倍くらい速い!

5つのウィンドウが開き終わるまでは3倍くらい。
一つ一つのタグが開くのは瞬間だから多分10倍。
「おきてがみ」が開くのは同じく10倍くらい。
その「ことづて」が開くのは20倍くらい違う。

これはフィリピンの「ネット」だけの問題じゃなく、私がフィリピンで使っていた3台のコンピュータと、ここのコンピュータの違いもあると思います。
例えば、ここのは無駄なデータが入っていないし、私のように“何でもインストール”はされていないし、もちろん容量スペックの差もありますが、

それにしても、これは速い!!

あのね…
私が使用した部屋全室に「Firefox」をインストールした事は内緒ですよ^^。


フィリピンで殆ど毎日10時間程やっているブログ巡りが、ここでは2、3時間で終わります。

「これは楽だ。」じゃなくて、
「これはフィリピンに帰って元の環境に戻ると、ネットに何時間も掛けて寝不足する事が、馬鹿らしくなるんじゃないか?」と言うことが頭の中を過ぎりました。

「フィレッツ」ですか? 「光」ですか?

フィリピンにはまだ光通信はありません。

貧困者が急に豪邸に住んだようなものです。
アナログ人間がデジタルを知った。
過ぎたるは、なお及ばざるが如し。
分不相応。
井の中の蛙、大海を知る。(知らず。が本当の諺)

ここで言ってるのは私の事です。

日本に滞在できる短い期間なので、光を使って短時間で済むことは、お金も時間も浪費しなくて助かりましたけど、フィリピンに帰って、また元の環境に戻り、マウスをポチポチ、キリキリ、凸凹、やることは、嫌になるんじゃないかな?

そう思えるほど、ここのネットは速かった。


先へ進みます。

★気が付いたこと。

◎ブラウザに依って見えないバナーがある。

私のブログに来て下さり、足跡を残してくれてる人のブログを回っている時に、あるブログに「置き手紙は下に移動しました」と、右サイドバー上部に書かれていました。
キリキリとスクロールして下を見るけど無い。
何度リロードしても「置き手紙」は見えない。

普通なら、「置き手紙は外しました」などの記事があるはずなんです。
ランキングをやめた方も、「ランキングはやめたよ」など掲示してくれてます。

そうじゃなきゃ私のブログに来られて「置き手紙」に足跡を残されていると、
お返しにその人のブログを尋ねて、「置き手紙」をクリックしようとしても、探すのに相当な時間がかかります。
「置き手紙」無しのブロガーさんが、「置き手紙」に足跡を残されるときは、
「ことづて」に、「私は置き手紙は無いよ。」と入れて下さると、時間を掛けて探さなくて済むと思います。
宝物の様な「置き手紙」でも、おそ~~いネットでの宝探しは辛いでしょ。


ところがこの方は、「置き手紙は下に移動しました」と親切。
だけど日本のネットでやっても見つからない。
たまたま、そのブログには、エディタのパーツが置かれていたので、
エディタメンバー用のメッセージを入れました。
「すみません、あなたの置き手紙バナーが見つからないんです。」
ご返事を頂きました。
「そうですか? 下の応援バナー群のところに置いてますが...」
「毎日ちゃんと何十人もの方がクリックしてくれてますけど...」
「見当たらないんです...」「もっと良く探してみます。」
「お手数掛けます。」

この方のブログを、他のブラウザで開いてみる事にしました。

『はら? あった。』

「IE」や、「goo リーダー」で開くと、あるんです。

もう一度「Firefox」に戻って開くと、そこにある筈のバナーが見えない。

『こんな事があるんだぁ。』

・原因は分かりませんが、どういう結果が予測できるか考えてみました。

※「置き手紙」や「ランキングバナー」をクリックしようと探している人がいる。

※あなたは足跡を残したのに、相手は、あなたの「バナー」が見えない。

※「置き手紙」ユーザーを、「置き手紙なし」のグループにしているかも。

※もしかすると、あなたのランキングポイントが、本来より少ないかも。


いずれも同じような意味ですが、へたな例え話を一つ聞いて下さい。

近所に10人の子供達が居ると聞き、Aさんがその子らを集めてお菓子を配る。
「1、2、3、4... あれ?9人しか居ない?」
10番目の子供 Bが、「僕はここです...」「僕はここに居ます。」
Aさんには見えないし聞こえない。

へたくそな例え話ですみません。
なんか子供 Bが幽霊みたいになっちゃいましたね。

んで、Aがあなたかも。 または、Bがあなたかも。
AはをあげたいけどBが見えず。Bはを受け取れない。

今一度、訪問者一覧から“「置き手紙」無し”のグループにしている訪問者の、ブログを他のいろんなブラウザで開けてみよう。
もしかすると無かった筈のバナーや画像、動画が見えてくるかも知れない。
反対に、あなたのブログのバナー等が相手に見えていないかも知れない。

遊びに来て下さったあなたを、私が見えていないなんて失礼ですよね。

そうそう、今日ね。
ちひろさんという人のブログで、似たような事が書かれていました。

☆こつこつおこづかい☆ を見てください。
http://kotukotuganbaru.blog86.fc2.com/blog-entry-298.html

Firefox や Sleipnir のダウンロードの事も掲載されています。


◎ブラウザに依ってログイン状態が違う。

次に、「goo」のコミュニティの方達の事ですが。

「置き手紙」や「エディタ」メンバーのブログは、「Firefox」が使い易いのですが、どうも、「goo」の“ログアウト”がひど過ぎます。
私のブログにも、左のサイドバーに「goo」の訪問者パーツを置いています。
そこに、来てくれた「goo」の友達のアイコン等が記録されます。
そこをクリックしてブログに行くのですが、ブログに自分のアイコンが無く、
幽霊の足跡のような大きな足の形がその小さな窓いっぱいに入っていて、
『ゲスト(あなたも登録しませんか?)』と書いてある事が多々あります。

これは、「gooID」のログインが、頻繁に切れる(ログアウト)という事です。
もちろんこれは「gooID」を持ってない人には、無意味であるか、そこから登録して入会することも出来ますが、
「gooID」を持っている人は、始終「gooID」とパスワードを入力してログインしなければなりません。
尤も、相手に自分の訪問を知らせたくない場合は別でしょうけど...

結局、『もちは餅屋』
「goo」の友達のブログを訪問するときは、「goo」のブラウザが一番。


◎日本のネットでは「置き手紙」は、同じタグ内で開く。

先の二つは、日本のネットでもフィリピンのネットで使っても速さ以外はあまり変わりません。

そして、この項目のお話は、半分くらい私の愚痴です。

まず、これはブラウザの設定によって違うと思いますが、
「Firefox」を開くと、メインのウィンドウが画面に広がります。

そこに「置き手紙」の「訪問者一覧」を開けて、次に「5つまとめて開く」をクリック。

すると、メイン・ウィンドウの前面に、小さなサブ・ウィンドウが5つ現れます。

問題はここからです。

サブ・ウィンドウのブログで、【Ctrl】キーを押したまま、バナーをクリック。
すると、いずれのバナーのリンク先も、新しいタブで右に並びます。

最後に「置き手紙」をクリックして、自分が尋ねて来たことを知らせます。
ここで、普通はブログ上に置き手紙が広がるでしょう?

ところがフィリピンでの私のネット環境では、

最背面にある「メイン・ウィンドウ」で「置き手紙」が開く事が多いんです。

「メイン・ウィンドウ」が前面に出てくる場合と背面に残ったままの場合とありますが、前面に出て来て「サブ・ウィンドウ」の邪魔になったり、後方にあれば閉じる時に「メイン・ウィンドウ」をクリックして一旦前面に引き出して「置き手紙」のあるタグを閉じ、次に背面に引っ込んだ「サブ・ウィンドウ」をクリックして前面に出し、ランキングサイトが全て開き終わっているか確認をして、一つのブログを閉じる。

この行為の繰り返しです。

しかも日本のネットの何倍もの遅いネット環境で... ブチ、ブチ...

思うに、フィリピン在住の他のブロガーさんのネット環境はどんなだろう?

カガヤンボーイさんって言うブロガーさんが居ますけど、
この人のブログは、「置き手紙」「エディタ」「goo」「ランキングバナー」と
揃っていて、まめに更新し、まめに訪問しています。(豆の話じゃないの)

それでも愚痴一つこぼさず? (o_ _)ノ彡☆バンバン ギャハハハ なんて
豪快な笑い。

覗いてみますか?   ここです。
              ↓↓↓
Philippine Dream ■■■フィリピン ドリーム■■■

http://blog.livedoor.jp/kagayan_boy/

その内ゆっくりネットの話をお聞きしたいな。


★思った事。

「ネット」のことを書くと、ややこしくて読み辛かったと思いますが、私はアナログ人間で、ネットやブラウザその他の構造やシステム、プログラムは全く解かりません。

ここでは状況を書き綴ったのですが、解かり易く伝える文章力が無く、
「ネット」の説明をしているような感じになったと思いますが、ほとんどが、
田舎者の私がフィリピンと日本のネットの違いに驚いた事が主です。

その中で、「置き手紙」や「エディタ」や「goo」のブロガーさんのことを
取り上げていますが、「バナー」「アフィリ」「動画」等の、リンクも含めて
「ブラウザ」「プラグイン」の違いで、存在するものが見えない事がある
事は殆どの方のブログであり得る事かなと思ったので書いてみました。

あり得る筈です。 携帯電話で見れないとか、顔文字は文字化けし、
絵文字がテキスト文字に変わるなど、普通にありますよね?
ただその程度ならまだ許せますけど、もっと大事な物が見えなかったら?
と思いました。

これは、読んで下さってる方へのアドバイスなどではありません。
何か気付かれた事があれば、是非教えて下さい。

最後に、日本でネットをやって、「ネット」について思った事ですが、

「間違いなく、日本のネットは、フィリピンより数倍速い!」

「どなたか、フィリピンに光を与えて欲しい。」 「光を!」


話が横道に反れますが、

去年、私のところに「光通信」の部品製作の仕事の話が来ました。
と言っても、製造する機械があるので、家内工業のように同じ部品を
毎日ガチャコンガチャコンと大量生産をするだけの事なんですけど、
出来た部品はフィリピンでも販売する。って、チョッと待って。ここには
まだ「光」が無いよ~。

フィリピンでは、ビデオテープの時代から「カラオケ」があります。
「カラオケ」とは、「空っぽのオーケストラ」の意味ですが、日本から伝わったもので、そのまま「カラオケ」と言います。

十数年前に、フィリピンにも「ゼンリンの地図」の様な、住宅街や所帯主の
名前が入った地図を作りたかった。 フィリピン全土を歩いて調査をして、
地図を作り、その後に人工衛星をレンタルして、CDを作り、ナビを作る...
ところが最近、もうちゃんと日本語の、しかも超小型のナビが出来ています。

フィリピンに信号機を設置、電話回線、等、数え上げたらキリが無いほど、
日本の技術がフィリピンに入り込んでいます。

「ネット」はまだこれから発展していく事でしょう。


で、話を元に戻します。


どなたか、フィリピンに「光」をつないで下さいな。



★フィリピンに戻って「ネット」

一度、日本の「ネット」の味を知ると、フィリピンに戻って「ネット」をやると、
イライラするんじゃないかと思っていましたが、それ程でもないようです。

日本で、良い経験をしたな。と、温泉旅行に行って帰って来たように、また普通の生活に戻るだけです。

まあ、3時間で出来る事を8~10時間かかってやる事は大変ですけど、
早く終わって、もう一度そのブログを開いて読み直しや「ことづて」するのと
クリックし終わり、全タグが開き終わるのを待ってる時間に読み直しをして、
日付けが変わった真夜中にゆっくりコメントや「ことづて」を入れても、あまり
イライラする必要は無いですね。日本でのネットは、夢を見てただけかも...

またブログ友達のところへ行くのに、グズグズ愚痴を言ってたら失礼ですし、

楽しくブログ訪問したいですしね。


ただ、せめて一日に費やす時間は5時間くらいにして、ちゃんと良い更新が出来ればストレス無く済むのですが...



やっぱり誰か「光」をフィリピンに持ち込んで~~~!!!




次回の更新は、『 「日本」について考えた事。 』 です。

久しぶりに帰って「日本」を感じた事を綴ってみたいと思います。


また来て下さいね。



この下のバナーが見えますか?

もし、見えてたら、素通りしないでポッチンやってよ^^
もし、見えなかったら、早くブラウザを換えましょうね~~
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日本へ帰国していました。③ ネットカフェ

2010年02月20日 | 日記
日本のネットカフェのお話をしても、日本の人は当たり前のことで面白くもなんとも無いと分かっていますが、田舎から突然大都会に出て来たような“Pinoy”の日記ですので、スルーされるか、しばし我慢の上、付き合ってやって下さいまし。

私はお酒を飲めない分、ひどいコーヒー党ですし、せっかく日本に帰ったのでお茶を飲みたいですよね。

コーヒーもお茶も通です。 と言うのは冗談ですけど、
日本に帰ってきた時くらいは日本のものを飲みたいですよ。

健康に良いですよ。
茶道のお茶も、静岡等の地方のお茶、抹茶、玄米茶、緑茶、玉露、杜仲茶、ほうじ茶、番茶、紅茶、かぶせ茶、それからカテキン茶、烏龍茶、お~いお茶...

若い頃は雲南省から取り寄せて、プーアル茶、ジャスミン茶、鉄観音茶...

もっと沢山ありますけど、昔からいろいろ試してみました。
それぞれ身体に良い健康に良いと飲んでいました。

味? は、判りません。 ほとんど苦い。
一番好きなのは、麦茶です。


あら?どこから「ネットカフェ」がコーヒーやお茶に換わったんでしょうか?

そうだ。カフェからコーヒーに換わったんでした。 カフェはコーヒーの事だし、
ネットカフェからネスカフェを連想してました。

ついでですので、フィリピンの誇るコーヒーとお茶をご紹介します。

★世界一美味しいと言われる、フィリピンのコーヒー 「アラミド・コーヒー」

美味しいだけじゃなく値段も高価!  100gで、4千円から1万円くらい。

これはフィリピンの森林深くに住む「ジャコウネコ」(麝香猫)が食べたコーヒー豆が、
消化されずに糞と一緒に排泄されたものです。  きったね~~っっ!!

猫のお腹の中の消化液や何やらで変化して、出て来た豆は非常に香ばしい。

ジャコウネコやジャコウジカの性器から分泌された液から香料が出来ます。

そもそも、フェロモンの様に男性が女性を惹きつけるほどの香水に、「ムスク」と言うのがありますが、この「ムスク」が「麝香」=「ジャコウ」です。

私はこの「ムスク」を二十歳くらいの時から愛用しています。
(だからこの中年になるまで女の子から軟派されてたのかなぁ?)
えっ? ブ男の秘密!? マジック、マジック。

だからぁ、彼女が2人や3人、と鉢合せになって困る時はぁ、
「エスケープ」っていう香水に替えたの!
「エスケープ」=「脱出」=「逃避行」 よかよぉ。 マジック、マジック。

「コーヒー」の話が「コースイ」になっちゃった。 ん?

冗談は顔だけにして、次に参ります。


★フィリピンが世界に誇るお茶 「バナバ茶」

これは薬局でも健康食品店にも売っていますね。

血糖値の高い人にお勧めです。ゴーヤと共にお試しあれ。

私は、バナバの葉を一度乾燥させて、圧力釜で煮込んだエキスを愛用していました。

それが何でいま血糖値が高いかって? 金欠病なの! バナバは高いの!


★もう一つ、私が世界に誇るフィリピンのお茶 「マルンガイ茶」

「マルンガイ」はフィリピン語で、英語で「モリンガ」と言います。

カタカナで結構ですから、どちらの言葉もネットで検索してみて下さい。

この「フィリピンの顔」ブログに、以前の記事の22枚目と23枚目の写真に新日系人の子が食べている「マルンガイの木の葉っぱ」の写真があります。

昔からごく普通に庭先に植わっている木の葉が、安いし栄養があると言う事でどこの家庭でも食されている「マルンガイ」。

「ミラクルツリー」「生命の木」「母の友達」「さみしがりやの木」「わさびの木」の別名あり。

この木が最近になって細かく分析され、驚くほどの凄い成分表が発表されました。

は、乾燥させてお茶に。粉末にして、クッキーやケーキに、またローションや石鹸。
そして薬にも。
それに水を浄化させる力があるし、普通の植物の10倍から20倍のCO2(二酸化炭素)の吸収力があり、これぞ今世紀最大の課題、『京都議定書』(こちらでは、キョウト・プロトコルと言います。)の、『二酸化炭素削減』『温暖化対策』に絶大な効果を発揮する事が見込まれています。

(豆)から絞って取れる油は、食用オイルとしては、はるかにオリーブオイルを上回るもの。
また、ディーゼルオイルやエタノールに代わるもの。
いや、純正オイルとしても用途は多々。

は、カレーなどの香辛料、ローション、皮膚炎や水泡や解毒剤、リュウマチや関節炎の薬としても利用されます。

は、白い小さな花で、勃起力増強。
これが、「母の友達」「さみしがりやの木」の別名の由縁でしょう。

「さみしがりやの木」のもう一つの意味は、ぽつんと民家から離れたところでは育ち難く、人が手をつける庭などで育つ木ですから。

葉が出来るのは2~3ヶ月ですが、種(鞘豆の長いもの)が採れるのは1年半ほどで、幹を30センチくらい切って挿し木をしても育ちます。

3~5メートルほどの木で、日本では沖縄までしか育てる事が出来ない様です。


...


「ネットカフェ」でしたっけ?


脱線しました...

本題に入ります。


んで、その「寝るとカフェ」で眠れなくなった私はテレビを見たり本を読んだりして、夜更かしをしてしまいます。

そんな時は朝風呂が一番。

「ああ~~^^ しあわせ~~^^」と、ひとりで感謝の声。

まずかったのは、風呂上りで寒い中をバス停まで歩いて、1時間に1本しかないバスに30分乗って母の病院に行き、帰りは20分ほど歩いてネットカフェへ。

湯冷めして風邪をひいてしまった。


さあ、初めてのネットカフェです。

3時間で900円くらい。1日に30食までカレーが100円。

100円割引チケットが5枚サービス。 モチロン、毎日昼食はカレー。

「どのボックスにされますか?」

ホテルの部屋を選ぶように、(どんなホテルじゃい!?)いろんな部屋の写真があり、
テレビありPCありの部屋、PC無しの部屋、リラックス・リクライニングの部屋、それに
禁煙、喫煙の部屋。一人部屋、二人部屋。
部屋じゃあないですね。BOX(ボックス)ですね。

見渡すと中央に何千冊もの本棚があり、左側の50ボックス、右側に喫煙用の5~60ボックスと並んでいる、かなり広いワンフロワー。

受付横には、サービス用の6種のお茶、コーヒーにコーラにジュース等。


「リクライニングの足を投げ出せる座敷のテレビ有りPC有りのモチロン、」

「喫煙室。」



テレビのリモコンとヘッドホンとゲームのリモコンが入ったかごを受け取って、

やっとPCの前に座れた...



思えば長い道のりでした...



明日は、「ネット」のお話です。


「ネットカフェ」はここまで。

明日は、「カフェ」のはなしはなし。


だから  「ネット」だけ。


面白くネット。



最後まで読んで頂いて有り難うございます。

本当に有り難きことです。
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お時間を取らせました。







質問。

コーヒーとお茶、どちらが眠れなくなると思いますか?

答え。

僕わかんない。コーヒーもお茶も種類によってカフェインの量が違うから...


ノン・カフェイン・コーヒーにしまショ。

       夜更かしは身体に良くないですよ。


あ。 もう朝の5時だ。

       おやすみなさい...
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日本へ帰国していました。②

2010年02月18日 | 日記
 帰国した夜は誰もいない自宅で暖かくして早めに寝ようとしたんですけど、
まず神棚や親父の位牌や仏壇に、「ただ今帰りました。」と報告をしていると、
な~んかムズムズして来て、いつもの悪い癖が出て夜更かししてしまいました。

真夜中と言うのにゴソゴソと神棚を開けて御神鏡を眺めたり、仏壇を観音開きにしたまま台座の引き出しを開けてお経本やろうそくを取り出したり、自分の部屋の中を物色して回りました。

何種類ものライターやキーホルダーや腕時計を机に並べたり、買ったまま使っていない小型のナビゲータや無線ランが使えるロケーションテレビのスイッチを入れてテストしたり、座敷の真ん中に置いたままのフィリピンに送ろうとして詰め込んだ中身を引っ張り出したり入れ替えたり。

トイレに入るとウォシュレットの蓋や便座の自動で開く無線スイッチを、入れては切っての開け閉めのテスト。

便座の温度や水温の調整。親父が使っていた部屋に入っては、十数本ある書道筆をまとめたり、いくつもある硯(すずり)や墨をフィリピンに持って帰ろうと箱に詰め込んだりと大忙し。

わはは! 楽しい! 

亡くなった親父も入院中の母も私も、似たもの親子で趣味やコレクションが多い。

書道や大工道具、絵の具にペンキ。洋裁和裁の編み物にリボンフラワーや紙粘土。
陶磁器も有る。輪島漆器も。記念切手に記念コイン。オカリナやハーモニカも色々。
私の楽器もある。香港やシンガポールで揃えた未使用の大小のバック類や時計類。
親父の硯は龍の彫り物がかっこいい。掛け軸や書籍もさまざまで面白い。

決して高価なものじゃないんですけど、チョッと変わった珍しいものが多いんです。

もちろん、神具や仏具、ろうそくや線香まで珍品です。

それらが詰まっている3つの部屋は、まるでタイム・カプセルの様で子供に返ったみたいに無心になれて楽しいし癒されます。


こまごまと、たった一晩の様子を書きましたけど、
これが私が日本に帰って一番楽しめた探検記です。(宝探しかな?)

何せ2年前に帰った時は高熱を出して何も出来なかったし、
母は親父や私の部屋に手をつけないし、
真夏から入院してるので、カレンダーやクーラーも夏のまま。

我が家だけ時間が止まっている空間なのです。


他に楽しかった事と言えば、久しぶりにゆっくり入ったお風呂と、
殆ど一週間、コンビニのパン三昧でした。
しかし色んな菓子パンがあるものですねェ。
また血糖値が上がってしまいました☆


9日に、仕事関係の会談があるまで、毎日母の病院と近くのネットカフェ通いばかりでした。

そのネットのお話を次回させて下さい。


最後まで読んで頂けました。

本当に有り難きことです。
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日本へ帰国していました。 ①

2010年02月17日 | 日記
すみません。 久しぶりの更新です。

時間はたっぷりあったのですが、考える事や感じることが多過ぎて、更新に手が付けられない状態でした。

まず、ご報告します。
実は1週間だけですが、久しぶりに日本へ帰っていました。

去年からこのブログに来て下さってる方達には、私が日本に帰ることが出来たなんて信じがたい事でしょう。

母が倒れても帰れず、子供のミルク代にも困って、正月も何もまともじゃなかった。
それでも何とか帰れました。むふふ。マジック、マジック。



帰国2日前に仕事の送金があり、去年から日本大使館に延長更新をして預けていた旅券を受け取り、飛行機を予約して、次に何年も更新していなかった永住ビザの罰金を払いました。

いい加減な者で、大使館には旅券が切れる1日前に更新申請。
1万5千円の支払いは、新旅券受領期限の6ヶ月以内に支払えば良し。
入国管理局は知り合いがいて、「永住カードの更新をしなきゃあ」って見せると、「ああ、新規カードに換えたほうがいいね。」と言われてても放って置き、出国時の空港の入管で「このカードは期限が切れてますよ。」と言われても、「はい。でも新カードの製造が間に合わなくて、暫らくこれを使ってて良いんだって。」でまかり通っていまして、結局今になって新カードをお願いしたら、5年間更新していなかったんだって。
凄い罰金! いい加減な私です。はい。

その新カードを受け取ったのは、出発前日の夜中でした。

一週間分の生活費をかみさんに渡して、以前住んでいたアパートの電気代を支払うと、手元には4千円ほどしか残っていない。

さて、一番大事な飛行機代はどうしよう? 

なんと、去年母が倒れて帰りたくてもどうしようもなかったのに、
それも何とか出来ました。 いいの!マジック、マジック。

で、チケットを受け取ったのも夜中でした。


前置きはこのくらいにして、



日本に着いたときには2つの別々の仕事のパートナーが迎えに来てくれてました。

お一人は、新しく日本で設立した国際日本語学院のオーナー。

台湾や中国、韓国、ミャンマー等から日本語や日本文化を学べるように留学生を募集しています。

私には、フィリピンから留学生が来れる様になる手配とシステム作りをやるように。


もう一人は、日本で最後にお友達になってフィリピンにも来てくれた、優しい私の鬼さん。

私にフィリピンで観光旅行をする団体さんを送るので、エスコートや案内をと。


うわ~。困った。
どちらも忙しいと言われていたのに二人とも迎えに来られた。 どうしよう...

先のオーナーは、
「え~? 別に迎えがあったのぉ? 学校を案内しようと思ってたのにぃ。」

私は、「友達を紹介しようと思って来て貰ったんですよ。」
「以前言ってた、留学生を募集するのに台湾や大連に顔が広い友達です。」

マジック、マジック。


結局、鬼さんも一緒に2台の車でオーナーの学校に向かいました。

今度ご紹介しますけど、新築3階建ての3百人ほどの学生が留学できる校舎は、それはそれは見事な造りでした。

視聴覚室の映写機から音響システム、トイレは全て新型ウォシュレット。

オーナーが他に経営している居酒屋でご馳走になった「鬼瓦焼き」という鳥の半身は美味しかった~。

巷では節分の豆まきで鬼を追い払っているのに、私は良い鬼づくしです。

そう言えば、「豆」のお話もこれからちょくちょく出て来ます。



今日はこの辺で筆を置きます。

日本での出来事をいくつかに分けてまたお話いたします。



すっかり意気投合されたお二人は、9日に台湾で居酒屋を営まれている

鬼さんの友達と会う約束をされました。



ご訪問、ありがとうございます。

拙いブログですが、投票ボタンをクリックして
一発 活を入れてやって下さいまし。
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よろしくお願いします。また来てくださいね。





★追記

上記に書いている、入国管理局との私のやり取りは、絶対にまねをしないで下さい。
私が入管に言った「カードの製造が間に合わない。」とは、4、5年前だったか本当の話で、新しいスタイルに変わって順調に切り替えが出来ています。
尚、現在のカードは、中央に正面向きの顔写真が入った物で、カードの切り替えを毎年しなければいけない事であって、決してオーバーステイ(不法滞在)などをしないで下さい。
逮捕されますよ。

毎年ちゃんと切り替えていれば、千円程度で済むことです。
レポートを怠ると、1年に4千円くらいの罰金を払って切り替えられるのです。

私がカードを夜中に受け取ったと言うのは、入管の友人に何ヶ月も前からカードを渡していたもので、「入管が忙しい場合は、後回しで良いよ。」と言ってたので、友人は他の申請者が済まれた後の夕方頃私の分をやって、家族との食事などの後に私に渡してくれたものです。

空港の入管も顔見知りなだけであり、「入管のカード製造が間に合わないの。」と笑って言えば、「うっそつきね~。」と冗談で受け取ってくれてるだけでして、「後で日本から戻る時に日本側にはちゃんと説明しなさいよ。」と言う意味を含んでいます。

私は、自分の事となると面倒で疎か(おろそか)にしているだけで、日本人の方の査証申請や、滞在延長許可のお手伝い、入国時のお迎えやエスコートの仕事をしているので、馴れ合いの知り合いがいるだけです。

だから、決して真似をしないで下さい。冗談で済まなくなります。
面倒でも、年頭にはイミグラント・カードを持参してレポートして下さい。
代理でされている人も結構居ますが、入管の人に私のように何ヶ月もカードを預けっ放しと言うのも、よほど信頼の置ける人以外にはしないで下さい。

※旅券(パスポート)
それから日本大使館で旅券(パスポート)の更新(切替発給)をされる場合は、5年間有効物と10年間有効物で手数料が違いますが、期限が切れる前に確かめて申請をしてください。
入国される国によっては、6ヶ月の有効期限が残っていないと出国出来ないところもあります。

更新をする時には費用は要りません。
受取書に書いてありますが、受け取り時に支払えば良く、また6ヶ月以内に受け取れば大丈夫です。


長い追記ですみません。後から気が付いたものですから...

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人は「導き」が必要な時には、「師」が現れる。②

2010年02月01日 | 日記
世は2月になったのに、Pinoy は未だ去年の話をしている。

来年の話をすれば鬼が笑う。と言いますが、去年の話をしても鬼が笑うのかな?

♪「鬼さんこちら。」なんて鬼を呼んでたら、
とんでもない(優しい)鬼を呼び込んでしまいました。

ここに掲載している鬼さんですけど、
『日本に帰って来い。仕事の話がある。』 だって。


ほんの3、4日ですけど、2年ぶりで、母の見舞いにも行けそうです。

★  ★  ★  ★  ★  ★


ところで、先日の、「その① ~手紙~ 」の記事のことなんですけど、
たくさんの方からメッセージを頂きました。

「Pinoy さん、ご家族の問題、大変ですね。」とか、

「Pinoy さんも妹さんも今とても辛いと思いますが、お母様の快復を祈って頑張って下さいね!」  や、

Issei さんからは、「美しい兄妹愛ですね。」  など...


励ましのお言葉を、た~~くさん頂きました。
本当に、ありがとうございます。

でも、な~んか違うんだなぁ...

私は、看病で苦しんでらっしゃる方々を励ましたかったんですけど、
私の方が励まされちゃった。

やっぱ自分のこの「貧困ブログ」で、私が人を励ますなんてお門違いですかねえ?

私個人の、た~いへんな問題は、
他人事だと思って、笑ってやって下さいな。
結構丈夫に出来てますから...
母も、妹も、弟も、フィリピンの家族も...

それより心配なのは、日本に帰ったら寒いかな? なんて。

2月は如月ですね。
如月は着更着で、衣更着です。
もっと寒くなるから衣を更に着てください。ですね。
うっ!  さぶっ!


ところで、こういうメッセージを“のあ” さんから頂きました。

「お母様大丈夫です!!
ご家族皆さんがお母様を信じて祈り続けていれば少しずつ快復します!!
奇跡って起こるんですよ☆」

これも私たちを励まして頂いたのですが、

この、「奇跡って起こるんですよ☆」の言葉。

この言葉が、私の一番言いたい言葉です。


本題に入ります。

人は誰しも「導き」が必要な時には、その「師」と逢える。② 


★  ★  ★  ★  ★  ★



Tamaraw さんのブログから、偶然(本当は偶然なんてない)“手紙”を見つけ、
看病で疲れている妹にTamaraw さんのブログを見る様に伝えました。

妹との、ネットでの会話を続けます。
(留守中に、妹がくれていたメールです。)


『この詩はどこかで読んだことがあるような、もしかして似たような詩をよんだのかもしれない。
この詩はお母さんの気持ちを表していると思うし、私にも凄く分かるよ。
だっていつもお母さんと接して、お母さんの姿を通して私自身の将来を見ているから。
私の老後に子供達に伝えたい想いと同じだから。


お母さんを毎回トイレに連れて行き、着替えさせたり、足に薬を塗ったり、背中に髪の毛が入ってないか(いつも入っているので痒い)背中をゴシゴシかいてあげるのも毎日の日課でね。いつも2時間位同じことを話したりしてるけど、お母さん喜んで私が来るのを毎日楽しみに待ってるんよ。
昨日も、「あんたのお陰で生きていられる」って言ってくれるから、「お母さんが生きてくれてるだけでありがたいんよ。」って話しました。
「生んで育ててくれて感謝してるから、こんなことするのはほんの少しだけのお返しをしているんだからね。何も心配せんで良いんよ。お母さんは私がずっとそばにいるから安心して」っていつも話してます。
お母さんをこうして私だけが独り占めして兄ちゃんにはちょっと悪いなぁとは思ってるよ。
お母さんが完全に認知症になっても、お母さんの魂はちゃんと私のことが分かっていると信じているよ。
いつもトイレでお母さんのリハビリパンツを上げ下ろししてるけど、何か私には世話が出来ると言うのが楽しいと思えてね。
我が子にしていたことと同じことだから、何も苦にならないよ。
ただ、先日70.4キロだったそうで、重いかなって違いです。


やがて自分も年老いていくことを考えれば、本当にお母さんの気持ちや寝たきりの老人の気持ちが分かるようになって、私には凄い勉強になったよ。
だから、お母さんは苦しくて辛いけど、凄い勉強させてもらってありがとう!って言った事あるよ。』



『fujichan さんのメールはとっても良いねぇ。
凄くありがたいね。
この人、魂がピュアなんよ。
だから兄ちゃんの魂と合ったんよ。


この人の考えたタイトルやサブタイトルは良いよ!
でも、兄ちゃん覚えてる?
私が以前、兄ちゃんは人に出来ない色々な体験を沢山してるから、いつか兄ちゃんは自叙伝を書いたら良いって言ったでしょ?


タイトルはまさに、fujichanさんの言うとおり、これで良いと思うよ。
この人との出会いは生まれる前から決まっていたかも知れないね。
いろんな意味で、運命の人かもよ。


「荒城の月」でお母さんが泣いていた話だけど、それは以前のことでね。今は悲しくないし辛くもないみたいよ。
全ては「時」が解決してくれたよ。
お母さんの場合は特にね。


どんなに裏切られてもいつも時が経てば許してあげてたしね。
あんなにお父さんが大嫌いだったのに、死んだ後は「今度生まれ変わってもお父さんと結婚したい」なんて言ったりね。
そこがお母さんの良い所よ。』

☆ fujichan さんとは、ブログで知り合った友達で、お顔を拝見した事は無いのですが、彼の製作したドキュメンタリーのDVD を送って頂いたり、私に本を書くように勧めてくれています。

☆ 「荒城の月」は、親父が好きだった曲で、病院の同室の女性と、「は~る~こ~お~ろ~お~の~」と死んだ日の朝歌った曲で、
私が帰国した時にいつもこの曲をバイオリンで弾くと、母は泣いていました。
この同室の女性は、偶然にも(偶然なんて無い)今母が入院している同室の女性です。


次の日の朝。

おはよう。
今ね、「ドキュメンタリー」って番組で、樋口了一さんの再放送があったよ。(6時半~7時)
外から帰って来たばかりで、「樋口了一さんの手紙」とか言ってるのでびっくりしたよ。
今年2月からライブで全国40ヶ所以上を介護施設など中心に回ってるそうです。
出演料はないそうで、「手紙の配達人」だって。
歌詞で、「悲しいことではないんだ」と言うところだけが、この樋口さんが付け加えた唯一の歌詞だって。
昨日兄ちゃんから教えてもらい、昨夜涙した歌を今朝、なんと偶然(偶然なんてないと思ってる)に、たまたまつけてたフジテレビで、再放送で始まったばかりなんてね。凄いことよね。
この歌は一生忘れないよ。
この人の声、〇〇さんを思い出したよ。
たぶん性格も似てるのかもしれない。
とにかく今、全国回って忙しくなると思うよ。
では、またね。

☆ 〇〇さんの名前は私が伏せましたけど、30年ほど昔、妹と組んでフォークを歌っていた私の友達です。

そして昨日このブログを見た妹から、


『おはよう。
今、ブログ見たよ。


お母さんと私の話がちょっとオーバーで、
何かおかしくてね。


まずは、「暴れるので両手両足をベッドに縛りつけたまま…」の件だけど、暴れたんじゃなくて、点滴が目障りとか、気になるようで、
無意識の時にただ外そうとするので、両手をベルトで固定されてただけで、両足はしてないよ~。


それから、フィリピンから兄ちゃんが帰って来てるとかで、私がそれを否定して喧嘩したように書いてるけど、喧嘩とかしてないよ~。
私はいつも、「それは、兄ちゃんの魂がお母さんの所に帰って来てるんよ」って優しく話して、お母さんはいつも「そうね、帰って来てないとねぇ」って納得してたとよ~。


それと、お母さんの異常さで私が毎日辛い思いをしてひどく泣いたとか、身も心もぼろぼろだったと思う…とか、
何か私それほどじゃないのに、そんなこと書かれて良いのかな?って恐縮したよ。


何か私、読んでると凄い頑張って、看病や介護してるみたいに聞こえるけど、良いのかな?って思ったよ。


私のしてることはたいしたことじゃないんだけどね。
ただ、寝たきりになるのかと思った時は本当に看護師さんや先生に泣いてリハビリをお願いしたよ。


それと、時々ボケた時は兎に角、毎日足し算や時刻や色々と教えてね。
これは介護士さん達が感心して、「お母さんは幸せ」って言われてた。

時々頑固で恥ずかしいことあるけど、これも私自身凄い勉強になってるし、私の修行なんよ。
私自身の成長にもなるから、まだまだお母さんには色々と教えてもらってるって感じです。
でもこれからの介護とかが、私にとってお母さんから教えてもらう最後の教育だと思っているよ。


まだまだこの先、泣いたり兄ちゃんに愚痴をこぼすと思うし、
迷惑や心配かけるかもしれないけど、
これからも宜しくお願いします。


でも、あんまり大げさに人に言わないでよ。
恥ずかしい~
では、またね。 』


 さて、本題に入ります。

今からが本題なの! いいの! 短いから。エヘン!

 『人は誰しも「導き」が必要な時には、その「師」と逢える。』


これは、子供の頃から頭の中でずっと思って来た言葉で文章にしたことが無いから、どう言い表せば良いのか分かりません。


『誰しも』は、「誰でも」。『導き』は、「道しるべ」「問題の答え」 かな?
『師』は、「導師」「先生」「解決策」等々です。


もっと言い方を変えてお話をします。



人は人生において、


必要に応じて必要なものに出会える。



このブログの、この章で言えば、「Tamaraw さんのブログを見た」「手紙のお話」「fujichan さん」「Issei さん他」「インターネット」

私はずっと、この感覚を大事にしてきました。

私は、本屋さんに本を買いにいくのが趣味ですが、若い時から本屋さんに行くと、棚にたくさん並べてある本を、人差し指で触れながら1~2周歩いて回ります。
その時に指先に妙な感覚がする本を、1冊、2冊、と引き抜いて買って帰ります。
電気が走るような感覚ですが、その本がその時その時代の、自分にとって必要な本だと思って買うわけです。

ある時期は趣味の本、ある時期は占い、ある時期はヨガ、医学、歴史、宗教本など。

人との出会いも同じです。
生まれてこの方ずっと、必要な時に必要な人に出会っています。

だから、どんな人でも自分の導師だと思います。

たとえ相手が子供でも動物でも...

ついでに私の人生観。

無駄なものは一つも無い。

偶然なんて一つも無い。

自分の能力以上の問題は来ない。

 

「無い」という言葉は、マイナス思考の言霊になりますから、
全て良し。
必然。
解決。
などと言葉を換えて考えた方が良いんでしょうね。


宗教で言う「無」、「無欲無心」は凄く大切だと思いますけど、
お釈迦さんが言ったのは、「欲」です。
それも「究極の執着」です。 これは「タンハー」と言います。


“のあ”さんの言われる、「奇跡って起こるんですよ」は本当なんです。


たとえ癌でも治ると思っています。


「究極の執着」で望めば、薬にも医者にも出会えます。



で、なんでPinoy はいつまで経っても貧困状態かって?


神様が私に「もういいよ」って言わないから...


まだ私に大金は必要じゃないって...


だからこの期間、私はたくさんの友達と出会えました。



袖すり合うも多生の縁。


一期一会。  です。


 


「何を馬鹿なことを言ってるのか?」って?


そんなこと言わないでよ。


人と自分を励ましてるつもりなんだから!



 

必要な時にはあなたがいます。

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人は「導き」が必要な時には、「師」が現れる。① ~手紙~

2010年01月30日 | 日記

人は誰しも

「導き」が必要な時には、「師」が現れる。

~手紙~



♪「鬼さんこちら。手のなるほうへ。」
Pinoyがまた去年の話しを始めたぞ~ 笑っていいぞ~

遅れた更新を笑って誤魔化して...
さて、何からどうお話ししましょうか...

少し長文になり、何が主題となるかは解かり難くなると思いますが、
まずは今日一番お話したい事はサブタイトルの『 ~手紙~ 』だと思いますので(書いてる自分が解かっていない)、順序が逆になりますが、お暇なときに読んで下さい。


★  ★  ★  ★  ★  ★




師走に入った頃、私が読ませて頂いているブログの中で、年老いた母親の看病で苦しんでおられるブロガーさんのお話で心を痛めていました。


私も日本に、脳梗塞で倒れて入院している母と、毎日大変な看病をしている妹がいます。

お盆の8月15日に胆嚢の手術をする等で、体質や他の持病のせいで脳梗塞の治療は進まず、暴れるので両手両足をベッドに縛りつけたままの闘病を強いられ、少し呆け出した状態で最近リハビリを始めた様です。

呂律が回らない状態で神様のような人が訳のわからない言葉を口走ったり、私達子供の名前を忘れ孫を自分の子だと言い張ったり、ひどく妹を悩ませ辱しめていたそうです。

私の事は時々思い出すようで、私の魂が母の居る病院に飛んでいたような時には、私がフィリピンから帰って来てると言い、それを否定する妹と喧嘩をする始末。

母が七月に倒れても、私は一度も日本に帰っていません。

理由は帰る余裕が無い事と、妹から、もし私が帰れば、もう思い残すことは無いと、さっさと天国に行っちゃうから帰って来ない方が良いと言われていたからです。

妹とは、スカイプのチャットでやり取りをしていました。

私は妹に言いました。
「お母さんが天国に行った方がお前は楽になるんじゃないか?」

妹は、「そんなこと考えてないよ! それにお母さんが死んだら、兄ちゃんは世界中を壊してしまうくらい全てを怨むでしょ。」

これは私が後悔すると言う意味です。
そりゃあそうでしょう。
悲しい思いばかりさせたまま死なれちゃ、後悔しますよ。

「すまんね。俺が立ち直れるまでお母さんを生かしててね。」

「まかせといて!」 

「ありがとうね。頼んだよ。」

「お礼はいらないの。私のお母さんでもあるんだからね。」


それでも妹は、母の異常に毎日つらい思いをしていました。
時にはひどく泣いていました...

私は母のボケに逆らわないことを勧めました。
普通の人には理解出来ない事だと思いますが、ボケた言葉に従う様にと。

それは、母がただボケただけじゃなく、精神の一部が心霊の世界に繋がった
と直感したからです。

それからの母は、「〇〇が今、下のエレベーターに乗った。」とか
「今、ナースセンターを横切った。」
「ほら、そこのドアが開くよ。」  ギイーーー……

母は、時々本当に透視をしていた。 

不思議ですけど良くあることですよ。
脳梗塞って脳が変化したんでしょ?
現に私が子供の頃事故で頭をコンクリートに叩き付けられてから、おかしな事を言うようになったんですから...

んな訳で、おかしくなった母の看病をする妹は、身も心もぼろぼろだったと思います。
病院通いも、毎日何キロと言う道のりを歩いて...



ブログの友達は、ご主人のお母さんなので、
我が儘なお義母さんの看病はもっと辛いでしょう...

★  ★  ★  ★  ★  ★



私が尊敬するブロガーの一人に、Tamaraw さんと言う人が居ます。

勿論ハンドルネームで、Tamaraw とは絶滅危惧種タマラオのことです。
世界でフィリピンのミンドロ島に数百頭しかいないと言われる野生の水牛です。
と、本人がそう説明されています。

この人とは、偶然(本当は偶然じゃない)Mixi コミュニティで知り合ったんですが、
ほぼ毎日、日記にびっしりとフィリピンのあれこれを書き綴っていました。

そのMixi のコメント欄で、私たちは意見を交換し合っていました。

ある日、Tamaraw さんの書き込みようや考え方に驚嘆した私は、
「Mixi だけじゃなく、ブログで世界中の人たちに伝えたらどうですか?」
と勧めました。

「はい、やってます。『ラグナベイの風に吹かれて』と言うタイトルです。」
驚きました...  立派なブログがちゃんとありました。
とても私が太刀打ちできる様なブログじゃありません。
一つの物事を細かく分析されていました。


暫らくご無沙汰していましたけど、「介護疲れ」の問題を抱えているこの時期に

偶然(本当は偶然なんてありません)にもTamaraw さんのブログに寄りました。

そこに書かれていた『手紙』の記事に深く心を打たれました。


日本に居られる方々は既にご存知と思いますが、是非ここでもご紹介させて下さい。

作者不明の言語はポルトガル語のようですが、日本語と英語で書かれてあります。


本当は、私が訳せないような英文をここに載せて、日本語をTamaraw さんのブログで見て頂きたかったのですが、ここで英語じゃどなたもTamaraw さんのブログまで遊びに行ってはくれないだろうなと思い、あえてTamaraw さんの所から日本語を盗んできました。

もし、感銘されたり、少しでも気になられた方は、是非、Tamaraw さんのブログを訪れて頂きたいと思います。

ただし、

私が日本語の詩を泥棒したことは内緒にしていて下さいね。


Tamaraw さんのブログの入り口は、詩の下にリンクして置きます。



オトン、オカンの看病に身も心も疲れたあなた...

是非ご自分の心を癒してください。

死にたいなんて思わないで...

お願いだから...


★  ★  ★  ★  ★  ★




手紙  ~親愛なる子供たちへ~

年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい
私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい
あなたにせかまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた
悲しいことではないんだ 消えて去って行くように 見える私の心へと
励ましの まなざしを 向けてほしい

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを いやがるときには 思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたと お風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら
あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい

私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと 思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力が ないのを知るのは つらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを 持っていて欲しい

きっとそれだけで それだけで 私には勇気が わいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を 持って笑顔で答えたい

私の子供たちへ
愛する子供たちへ


★  ★  ★  ★  ★  ★




『ラグナベイの風に吹かれて』
http://tamaraw.sblo.jp/article/34055426.html



眠くなりました。

その②に続きます。

『人は「導き」が必要な時には、「師」が現れる。』

の本文です。

是非見てくださいね。






海豚と書いてイルカと呼びます。

決して「うみぶた」と呼ばないで下さい。
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とんでもない事故に巻き込まれて。

2009年12月15日 | 日記
すみません。
『とんでもない事故に巻き込まれて』なんてタイトルで予告しておりましたから、前記事を見て頂いたブロともの方々にご心配をお掛けしました。
大丈夫です。 私は怪我も何もしていませんから。

昔ある人が私の前で、ぽつりと零した言葉があります。

『人間、どん底が長く続いたら、慣れて来て楽しむようになるからね。』

私はまだどん底状態ではなかったから、私に対して言った言葉じゃありません。

だけど、本当にどん底状態になった時に、毎日毎日この言葉が頭の中に響いてきました。

そしてこの言葉の意味をずっと考えてきました。

おそらく、私に言った人が人だけに、
「苦しんでいる人間は放って置いた方が良いよ。」
「その内に慣れて来て貧困状態から抜け出そうなんて考えなくなるよ。」
「それはそれで楽しくなってしまうからね。」  ...ですね。

確かに慣れるまでは、た~いへんでした。

この人を馬鹿にしたような言葉がずっと私を支えて来てくれました。

食べるものどころか電気も水も止められることも何十回とあり、子供の登校費も出せず1時間半かけて歩いて送り迎えをしたり、学校が変る前の3ヶ月間は週に一度しか登校させなかったり。
オムツやテイッシュが買えなくて大便も手で洗ってやりました。

何よりもミルクが買えない状態なので、生後1ヶ月から米をおかゆにして食べさせたりもしました。
子供が可哀相で、苦しくって苦しくって毎晩泣いていました。

だからこの言葉を逆手にとって、早く慣れるように努力しました。

事業が落ち込んだ(急激でしたから)4年前は、1年間ほどあちらこちらから10万円や20万円が数箇所から出てきました。

私はカバンやバッグを買うのが趣味でしたから、外国に旅に出たときに買って置いた物が未だに使用していない20個ほどを含めて、およそ100個ほどあります。
そのいくつかに札束を隠していたり、妻にも判らない所に隠して置いたりしていました。

これは私が毎月10日間ほど日本に帰っていたので、妻や事務所に急な支払いができた時に電話で「どこの棚のどこどこにお金がある」と教える様にしていました。

別に隠し財産という事じゃありません。タレントが2~300人住んでいたので、何事かあった時のために分けておいたお金です。
5人や10人が急に日本行きが決まる事もよくありましたし、いくつか別に事業もありましたから。


そしてお金が無くなってしまった次の1年間は、持ち物を売りました。
十何台かエアーコンも有りましたし事務机やコンピュータも。

仕事が無くなっていて従業員を解雇したのですが、去年末まで13人の大所帯でした。

私は従業員を一番大切にしていたので、私のところから別の仕事に就くことが困難になっていましたから可哀相でした。
まあ、他の考え方もあるんですけど、私もお陰でまだ残っている私自身の家財道具や趣味の物を従業員が少しずつ売ってきてくれました。

そしてビルから2度目に引越しをして来たここで、最後に従業員は、私の残されたわずかな物を売って来るからと持ち出してそのまま戻って来なくなりました。

罪作りな事をしました。(笑)

私はジャンバル・ジャンに神父さんが取った行動の様に、追い銭を打ってあげられないのが辛いんですけど、他人にはこう言います。

『事業が傾き始めたら、まず従業員から整理しなさい』と。
余計可哀相な目に合わせますから、十分な事をしてあげられる内に他の職に就かせてあげないと...

ただね、私の夢は従業員みんなの笑顔ですから。それも大笑いの...


『貧すれば鈍する』。

従業員だけじゃなく、私も同じですから...

ぜんぶ許して笑って待ちませう...


さて、もうひとつ。
ある人から私に言われた言葉があります。

『どんなに貧しい生活をしてても、一度でも大金をつかんだ事がある人間は、 必ずまた金持ちに成れる。』

先の言葉とこの言葉、『慣れる』『成れる』

ゴキブリのように生きようと思いました。

どこにでも頭を突っ込んで、しぶとく生き残る。



半世紀を越える人生を、他人と自分の生き様を見て来た私ですから、

なんとなく感覚的に運命が判るようになりました。

他人は誰でも10年チョットの間に3年ほど落ち込む時期がある。

一生に1~2度、大殺界のような、何をやっても駄目な時が来る。

新築のマイホームを建てると、3年以内に不幸事が起こりやすい。

厄年は、人生の節目の意味だから、悪い事だけじゃあない。


これは多分『人間死ぬ時はチャラ』の途中勘定じゃあ無いでしょうか?


と、言うわけで、最近はどん底に慣れました。
突発的な難問にも動じなく、図々しく成りました。
まだお金持ちには成れませんけど...

幸いにも、お米やミルクを抱えて来てくれる親友も何人かいて生きていけます。

至らぬ事が沢山有って、神さんが、
『まだお前に幸運はやれぬ。』と言います。

ただ、『事を起こせば必ず裏目になる。』と言う時期は過ぎた様な兆しがあります。


何度死んだ方がましだと思った事でしょう。
自殺をする事など考えた事はありませんが、気が狂うほどパニックになると自分で自分に引き金を引く事に成りかねないとも限りませんので、銃は先に手放しました。

今では酷く苦しいときには『た~いへん!』と笑い飛ばします。

早くみんなにお返しをしなくっちゃ。

ブログに来てくれてる人たちにもお世話になりっぱなしですし、

皆さんの悲しいブログに感動して毎日泣かされていますし、

その内に、

『金持ち爺さんになる秘訣』というブログでも書いてお返ししましょうか?

無理でしょうけど『幸せ爺さんになる秘訣』くらいはできるかも...


そんな訳で、私のブログの前で心を痛めないで下さい。♪

日記は続かないし失くしてしまいますから、記録しているだけです。

時には気をつけて欲しい情報もありますけど、大半は記録誌です。

私の不幸は笑って見てやって下さい。


そうでないと、将来幸せに成る(成れると勝手に思っている)、
私たちの苦しかった時の記録が綴れません。


★ 本題に入ります。

これからのお話は、少しは参考になれると思います。


先日、大火事や、すれ違う消防車を気にしながらタクシーに乗っていました。

タクシーの運ちゃんは歳を取った運転が荒いおじさん風でした。


キリノ通りを通ってサンタ・アナ付近でメーターは60ペソ(約120円)を指して、
ちょうど曲がり角を越えようとしていたところに、突然タクシーの右側から

『バァ~ン!』

私は一人で後部座席左寄りに座っていました。

瞬間右窓を見ると自転車の車輪がひっくり返って窓越しに見えました。

運転手のおっちゃんも気づいたようですがブレーキを踏み込めず、そのまま5、6メートル進んで止まりました。

『ガシャッ』『グギャ!』『ガガガッ!!』『ドォン』『ボコッ』『ゴギャ!』

その間、窓から見えたのは、自転車と人の頭とまた自転車と人の足。

「シィット!...」 おっちゃんの声。

瞬間的な事故ですが、私の目には自転車に乗った人がタクシーの右前後のタイヤに巻き込まれて二回転ほどする様子が、スローモーションのように焼きつきました。

「うわっ、どうしよう!?」

私は怖くて一瞬身体が固まり、「タクシーから降りなきゃ」と思いました。

右のドアーを開けるのは躊躇い(とまどい)ました。
もしドアーを開けた時、そこに血まみれの人が死んでいたなんて嫌ですから。

私は左窓寄りに座っていたので、左ドアーを開けようとして窓を見ると、
ジープニーの助手席側が立ち塞がっていました。(左ハンドルですから)

窓を下ろして手を伸ばし、止まっているジープニーに前に進めと指示をしました。

タクシーを降りて後ろに回り、人だかりになってる中を恐る恐る覗いてみると、

30前くらいの男の人が倒れていて腰や足をさすっている。

血が出ている様子は見えないが、ひどい打撲を受けた事は分かりました。

「タクシーに乗れ!」

絶対に病院に運んだ方が良いことは、周りの人達も思った事でしょう。

何人かの人が抱えて私が乗ってきたタクシーに入れ込みました。

「待てよ? もし病院に運んで行く途中でこの男性が死んだら、辺りはもう薄暗くなっている事だしきっと運ちゃんは男性を車から放り出して逃げるんじゃないかな?」

思いましたよ。 思いますよ。だって私が逃げたかったんですから...

「誰か付き添いは無いか?」

知り合いでしょうか、若い女の子がうなずきました。

「携帯は持ってるか? よし! 乗って乗って!!」

女性を後部座席に座らせて、自転車を担いでトランクに入れ込み、

タクシーの運ちゃんに、

「はやく! 速く病院へ!」

我に返った運ちゃんは、

「ボスッ、タクシー代!!」

「シィット!...」  ...Pinoy



おっちゃん、しっかり忘れてなかった。 タクシー代...

ポケットから100ペソ(200円)を取り出して渡すと、

初めておっちゃんは逃げる様に走り去ってしまいました。

「お~い、お釣り! おつり~~!!」


家までまだ遠いぃじゃん。。。


仕方が無いのでトライシカル(サイドカーが付いたバイク)を拾いました。

40ペソ(80円)...  痛い出費。お釣りも取りそこね...



とんでもない事故に巻き込まれたのは、若い男性と自転車です。


私は、

とんでもない事故で、巻き上げられて痛かっただけです~。


ごめんなさい。

下手な駄洒落の為にご心配をお掛けしました。


Pinoyはいつも元気ですぅ。


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息子で~す。 仮装大会です。

2009年12月11日 | 日記

小学校一年生です。






マカティ市の学校で、学費も制服も全部無料ですけど、よくこんな催しごとがあるので急な出費をする事があります。


私は勉強よりも、マナーを教えて欲しいと思います。



息子が話せる日本語は、
おはようございます~。
いってきま~す。
ただいま~。
おかえりなさ~い。
いただきま~す。
おやすみなさい。

それだけです...

私はさじを投げました。


お忙しいところをすみません。
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待ち合わせ?

2009年11月24日 | 日記
記録して置きたい日記です。

先週土曜日、と言っても二日前のことですが、
【NBI】フィリピン国家捜査局の《D》さんから電話がありました。

「パレ! キタ タヨ ブカス」 
日曜日に、いつ電話をするか分からないので、1日時間を取っておく様に。
一緒に行く所があるから。と言われました。

私は、「何時ごろ? どこに行く? どこで待ち合わせ?」

《D》さんは、「とにかく明日電話するから。何も聞かなくて良い。」

で、日曜日は夕方まで待っていたけど電話がかかって来ないので、こちらから電話をしました。

すると《D》さん、「急に仕事が入ったから、明日の朝10時にしよう。」


さあ、一体どこに連れて行かれるのだろう?
テレビ局かな? 最近《D》さんはよくテレビのニュースに出ていますからね。
「XXX」や 「TV. Patrol」などで、犯罪者の逮捕劇の中に顔を出しているし、
ニュース・キャスターのジュリウス・ババオ(Julius Babao)と親しくて、来月は一緒に日本に取材に行く予定だし、もしかするとジュリウス・ババオに会わせてくれるのかな?

夜のクラブ巡りは、私が嫌いなのを知ってるし、
朝からの待ち合わせだと、【NBI】のおとり捜査でもなさそうだし、
まさか私が【NBI】に逮捕されるなんて事は考えられないし、
以前《D》さんとホスピシオ教会に慰問に行った時のようにボランティアにでも行くのかな?


《D》さんとホスピシオ教会の事を書いた前の記事はここです。



次の日の今日、10時過ぎに《D》さんから電話がありました。

「悪いけど、朝の4時まで仕事をやっててまだ眠いから、お昼過ぎにしよう。」

結局、夕方4時にマビニのロビンソン・モールでの待ち合わせになりました。

モールの中のUCC珈琲店に行くと、《D》さんの友達で、私の【コンパレ】にあたる、マニラ市の代議士のラクソンさんが居ました。

ラクソンさんから「ここに座って珈琲でも飲みなさいよ。」そして、「今日は誰かと待ち合わせ?」って言われましたけど、あれ? 《D》さんはラクソンさんと待ち合わせの予定は無くて私だけを呼んでるんだ?

一体《D》さんは私をどこに連れて行くのかな?

4時半に《D》さんから携帯に掛かってきました。

「ごめんごめん、急にディレクトーが来たから遅くなった。今から出るけど、そこまで迎えに行くと遅くなるから、マビニの香港ティーハウスの前のプレスティージっていう床屋があるから、そこに行って、着いたら電話して。」

モールからタクシーに乗って、その指定された床屋を探しました。
およそ15分位の所でしたので、これならトライシカル(サイドカー自転車)で良かったのにとタクシー代の高さに後悔しました。

床屋に着いて《D》さんに電話をかけると、中に入って白髪のおじいさんを尋ねるようにと指示されました。

おじいさんは私の顔を見るなり「はい、ここに座って。」

え?この椅子、散髪用の椅子でしょう?

おじいさんは、何も言わず私の首にタオルを掛けました。

私の髪を切るの? 今? ここで? 《D》さんが予約してるの?

「ちょっと待って、待ち合わせしてるけど、持ち合わせは無いよ。」(駄洒落)

ものの5分ほど髪を切ると、「薬を塗る。」と言われた。

なにやら薬を塗られた後にタオルで鉢巻されてビニールのキャップを被せられた。

あっ、判る。これ。パーマ用の第一液を塗られたんだ。

「あの~、パーマかけるの?10分くらいタバコを吸っていい?」

店員が灰皿を探しているのをよそに、私はタバコを出しながら外に出ました。

外は車も人通りも多く、私のことをじろじろ見てる。振り返ると店員たちも...

そりゃあそうでしょう。
何せ大きな身体の日本人が、ターバンの様に頭にパーマ・キャップを被ってるんですから...

長いこと日本人難民をやってると、恥も外聞も無くなっちゃうんだから...

マナーの無い日本人の代表かな? 中でタバコを吸わないんだから大目に見て下さいな。


そこへ《D》さんがやってきました。

「パレ! オ~ケ~ カナ?」(大丈夫か?)

「待ち合わせって私の散髪をすることだったの?」

「そうだよ。ここは古い床屋だけど、アイパーなどここしかない技術があるから、大統領のだんなさんもここで散髪をするんだよ。」


《D》さん、自分の散髪に付き合わせた訳じゃなく、私がアイロンパーマをかけるのを見計らって、お金を払い、帰ってしまいました。

おそらく《D》さんは、私にお金を渡しても、絶対に散髪をしないことを知ってるからこういう待ち合わせをしたのでしょうね。



フィリピンで床屋に行ったのは、もう20年以上も前のことです。

昔から日本に帰ると日本で散髪をしてましたけど、帰れない時は、いつも自分で髪を切っていました。

それがここのところ2年間、一度も帰っていないので、たまに自分で切るしかなく、それも貧乏人は貧乏らしく(私のことだけ)と思っているから、結構白髪も放って髪は伸び放題にしていましたから、《D》さんが計画したのでしょうね。

確かに【NBI】の《D》さんがアイパーを掛けてくれたとなると、私が自分で贅沢をした事にはなりませんよね。

貧乏してると尚更「お!髪を切ったね。お金持ちね。」「いい物食べてるね。」「飲み屋がよいですか? いい生活してるね。」などと言われるのがだいっ嫌いです。

だからたまにお金があっても質素倹約です。

そんな心中を知っている《D》さん。
《D》さんは私に恩があると言いますけど、本当の親友ですね。



持ち合わせの無い待ち合わせ。
パーマを掛けて2年ぶりにいい男になりました。(いいの!)


粋な計らいをしてくれた《D》さんとの待ち合わせ、

一生忘れられない思い出になります。



長い日記にお付き合いくださり感謝致します。
ありがとうございました。


あなたとここで待ち合わせ

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