日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

日本ユーラシア協会広島支部ニュース2021年5月31日

2021-06-14 15:21:47 | 日記
日本ユーラシア協会広島支部ニュース2021年5月31日

【2021年度ロシア語能力検定試験】
5月30日(日)4、3級終了しました。
次回は10月30日31日に実施されます。

【2021年チェルノブイリデー企画】
 チェルノブイリ35周年、フクシマ10周年 教訓は受け継がれたか?日時:2021年4月26日(月) 19:00~21:00
◎第一部『チェルノブイリ35年、福島10年:事故プロセスと放射能汚染を比較しながら』講師 今中哲二 (京都大学複合原子力科学研究所 研究員)
◎第二部『チェルノブイリ惨事後35年経った汚染地ベラルーシの現状は?』
講師 タッチャナ・ツァゲールニック (北海道大学大学院生)
[企画に参加された浅野真理さんのメール]
ご参加の皆様へ
 426チェルノブイリデー企画にご参加下さり、改めて御礼申し上げます。講師のお二人とも中身の濃い素晴らしい内容で、一回聞いただけでは消化しきれなかったところもあるのではないかと思います。
そこで、今中さんがご自身の講演録画と当日資料を以下のサイトにアップして下さいました。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/
日本ユーラシア協会広島支部ニュース2021年5月31日 日本語でこれだけ詳しく語れる人が少なくなってきたと言われています。
もしよろしければ、ご関心のある方に広めていただければと思います。
また、ベラルーシ原発の地元で闘っている活動家ニコライさんの手紙も添付いたします。(以下省略)
[② ベラルーシ研究家 服部倫卓氏 解説]
http://www.hattorimichitaka.net/archives/55780748.html?fbclid=IwAR0iy_COl-CLFL2VcG-IxQ5PxjHpP43u2rFU0hcLBsGv1gJnWsiKfW4HDCk
[ベラルーシ原発の地元で反原発運動をしているニコライ・ウラセーヴィチさんからのメッセージ]
 あなた達と同じく、グロドノ州のオストロヴェツ地区に建設されているベラルーシ原発に、私は、断固反対します。しかも、その原発は私の家からわずか5kmのところにあるのですよ。この忌まわしい建造物に関して、噂を含めて、私たちが定期的に受け取る最新の状況は、ひどく心配なものです。公式情報によると、現在、原発では操業開始前の準備段階が終了しています。
 しかし、原発は今のところ動いていません。原発は、稼働しないのではないかとか、稼働の時期はいつだなどと言った諸々のうわさが流れています。
 例えば、非常に多くの人が言っていますが、原発稼働前試験の際に、数多くの問題や機能不全が明らかになったので、そのような状態で原発を稼働すべきではないと。
それと同時に、原発稼働を急いでいる人々もいます。誰の意見が勝つかは時が示してくれるでしょう。
 ベラルーシ市民や社会一般はと言えば、以前同様、沈黙を選びます。
 それは理解できることです。ベラルーシは、すでに4半世紀以上の長きにわたり、ベラルーシ市民がルカシェンコという名の一人の人物に捕われてきた強権国家だからです。
このような状態では市民は何もできません。
さらに、今、(昨年の)大統領選後、多かれ少なかれ意識の高い、無関心ではいられない市民に対して、大規模な弾圧が始まりました。
その中には、逮捕される人、多額の罰金を請求される人、はたまた刑事訴追される人までいます。
ですから、毎年恒例のデモ行進「チェルノブイリの道」は、当局はおそらく許可しないでしょうから、本日実施の可能性は絶無に近いと思います。
ミンスク在住の私たちの活動仲間がこの大規模なイベントの開催許可を求めて、ミンスク市当局にしかるべく申請をしたことは知っていますが、現在の政府にとって、いかなる大規模イベントも死と同じほど怖いもののため、当局が人々の要求に応えることは期待できません。要するに、すべてが始まりでしかないということです。敬具
2021年4月26日 ニコライ・ウラセーヴィチ
【書籍の紹介】「秘密の町の少女アセリ 私が生まれ育った中央アジアのソ連の記憶」
 アセーリ アザルマンベトワ著 市川亜矢子 訳 2020年8月20日 パブフル発行)
目次は以下の通りです。
1. はじめに2. 私が生まれ育ったアク・チューズという町と学校に入るまでの記憶(1974〜1982)3. 学校へ入学、優等生の証「ピオーネル」に憧れて(1982〜1986)4. 民族のお祭りの日と美味しい思い出と無宗教(1986〜1988)5. 15歳の私、レニングラードへ行く(1989.10月)6. 日常と非常事態の狭間で(1989〜1991)7. 運命の分かれ道(1992)8. あとがき

【学習会の報告】5月3日(日)広島弁護士会館会館で開かれた二つの講演会の内容は次回以降掲載します。
①2021平和といのちと人権を!5・3ヒロシマ・オンライン憲法集会 コロナ禍と憲法 秋葉忠利さん 10:30~オンライン集会。
②2021マイライフマイ憲法 木村草太さん講演 「憲法を学問的に考える」14:00~。

【「映画『氷雪の門』への考察(13回目)】(1)1945年8月前後の動き(承前)(2)日露・日ソ間の条約(その12)
  1941年12月8日の太平洋戦争開始(英領マレーシア・コタバル侵攻、タイ侵攻、ハワイ真珠湾奇襲攻撃)に関わる対外関係をとりあげます。vi)カイロ宣言(前回まで)。
今回は1941年8月14日大西洋憲章、1942年1月1日連合国共同宣言、1942年2月23日米英武器貸与協定後の連合国の動きとして、vii)米ソ武器貸与協定をとりあげます。この協定はルーズベルト大統領、スターリン書記長の合意のもと、1942年6月11日米国国務長官ハルCordell Hullとソ連大使リトヴィノフMaxim Litvinovとの間でワシントンで調印された。第1条から第8条からなる。「侵略に対する戦争の遂行上相互援助に適用される原則に関するソヴェエト社会主義共和国連邦及びアメリカ合衆国間の協定」が正式名称。
第一条 アメリカはソ連邦に対し、大統領が譲渡、提供を許可した防衛資材、援助及び防衛に関する情報の提供を継続する。
第二条 ソ連邦は、自国のなしうる程度で、アメリカの防衛、その強化に役立つ援助、資材、施設、利益及び情報の提供を継続する。
第三条 ソ連邦は、1941年3月11日のアメリカ武器貸与法を援用して、入手した防衛資材及び防衛に関する情報は譲渡せず、ソ連邦の官職員以外の者には利用を許可しない。(第㈣条以下は次号に。)
第四条 供与資材や情報関するアメリカ国民の特許権についてはソヴェト政府は、大統領の申出により、支払その他必要な措置をとる。
第五条 供与資材で、利用し得るものは、非常事態の終了後アメリカに返還する。(第六条以下は次号に。)
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