第52回松原ぞうすいの会レポートその1・・・スリランカ・カレー
作って食べて国際協力
~食卓からの国際協力~
~ ひかり輝く島・スリランカ料理編 ~
日時:2010年5月30日(日)10:30~14:00
場所:松原総合福祉会館

手作り、絶品のカレーでしたよ!!!
チキンカレーにレンズ豆のカレー、パセリのサラダの取り合わせもスタイリッシュです。
★畚野(ふごの)サンディアさんの横顔
世界遺産で有名な古都アヌラダブラ出身のサンディアさんは1995年 4月に来日されました。
現在は、関西スリランカ友好協会代表の他、FMCoCoLoスリランカ番組DJ、日本語シンハラ語の通訳、翻訳、小中学校国際理解教育授業など、スリランカと日本の架け橋として多彩にご活躍です。
趣味は読書、好きな食べ物はお寿司、10歳の息子さんのお母さんです。
★いつもの記念写真 今日は少し民族衣装で華やかです。
食べ物など、レポートは、まだまだ後日も、続きます。また見てくださいね。
参加できなかった皆さんに、はーい、笑顔をお届けします。

★地理・歴史・文化のお話
スリランカの位置はインドの右下の島。
首都の名はスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ。
スリランカ・スタディ・ツアーから帰ってきた高校生は、さすが!!
この長い名前をすらりと言えました!
かつての大統領の名前ジャヤワルダナさんの出身の町、コッテにキレイに整備して造った首都です。
古い年代の人には、スリランカよりもセイロン、首都もコロンボのほうが耳になじんでいたかも知れませんね。
民族はシンハラ人 主に(仏教徒70.0%)
タミル人 主に(ヒンドゥー教徒10.0%)
ムーア人 主に(イスラム教徒8.5%)
他に、マレー人、バーガ人などです。
カトリック教徒も11.3%います。
なぜ、インドのタミル人の人たちがいるかというと歴史的な理由があります。
もともとコーヒー栽培中心だったスリランカに、イギリスは植民地として紅茶の木を植えました。
それと同時に、その紅茶農園で働く労働力として、南インドからタミル人たちを連れてきました。
彼らとともにヒンドゥー教、民族衣装のサリーもやってきました。
公用語はシンハラ語、タミル語、連結語として英語
(街で英語で質問してたウィッキーさんもスリランカ人ですよ。でも、この話題はわかる世代が限定されますね。)
歴史はポルトガル、オランダ、イギリスの植民地支配を受け、戦後イギリスから独立し、
1972年にスリランカ共和国に改称しました。
1983年からはLTTE(反政府勢力タミールイーラム解放の虎)との内戦が激しくなりました。
2004年12月のスマトラ沖地震およびインド洋津波で3万人以上が犠牲になりました。
2009年には内戦が終結。
今は平和になりました。私も安心して里帰りできます。
小さな島に世界遺産が5つもある素敵な国です。
安全になったのでぜひ来てください。とのお話でした。
一人で活躍されてきたサンディアさんですが、2009年に大阪に領事館が復活したのを機に、
関西スリランカ友好協会を立ち上げました。
これからは領事館とも協力しながら、お互いの交流を行ったり、
貧しい人たちのための活動を皆で協力して行いたいと抱負を語られました。
★参加者(この件、研究中の六車さん)からサルボダヤ運動についての質問がありました。
「サルボダヤ」はスリランカで行われている生活改善のためのボランティア活動。
農村の奥深くまで行き渡っています。
非暴力であり、民族も関係なく行われています。
本当に貧しい村で幼稚園を作って勉強を教えたり、バランスよい食事を朝昼、給食を実施しています。
両親が働いている子どもの面倒を見たり、
遠距離通学の生徒には、自転車も与えていたり、多岐にわたる活動をしています。
洪水の被害の時にも救援活動を行って、本当に助かったなど、サンディアさんからの回答がありました。
内戦で苦しんでいたスリランカだからこそ、非暴力でより良い社会を作ろうという理念が輝きつづけてきたのだと
管理人にはあらためて感じられました。
松原高校の生徒さんたちがスリランカのスタディツアーで訪問したなかに、
サルボダヤが運営する老人施設もあったと同行した坂田さん(荷車の会)からコメントがありました。

今日の参加者は皆さん、熱い熱い。それぞれの思いが感じられました。
人数も30人近かったので、自己紹介だけで40分も!!あっという間に経ってしまいました。
あとの自由歓談もわいわい。賑やか。