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アジア協会アジア友の会の地域グループ *****JAFS松原ぞうすい(雑炊・贈水)の会*****

JAFS「松原ぞうすいの会」は、地域で活動するNGOグループです。アジアの村に衛生的な水(井戸)を贈る活動をしています。

お米でつくる手作りクッキーはペルシャのおばあちゃんの味 第60回JAFS松原ぞうすいの会レポ④

2012年06月14日 | 世界のぞうすい・料理 レシピ あれこれ

左 プーリー・アナビアンさん(サントゥール奏者)
右 ダリア・アナビアンさん(ペルシャ文化伝道士

お二人について詳しく知りたい方は
アナビアンHPを見てください。  

お米でつくる手作りクッキーはペルシャのおばあちゃんの味 
第60回JAFS松原ぞうすいの会レポ④  

松原ぞうすいの会(2012年5月27日)でのワンショットです。
なんとも魅力的な母娘です。お話と演奏の終了後には、まわりは人だかりになりました。


今回はダリアさんのお話から、最新のニューヨーク訪問(今春)レポートの一部です。

故郷を離れていても、忘れずにペルシャの伝統文化を大切にしていく。
ニューヨークのイラン人コミュニティの横顔を何回かに分けてレポートします。
まずはマルカおばあちゃんのお宅訪問から。

今回、祖母に会いにニューヨークのQueensに一か月ほど滞在しました。
ここが祖母の家です。

これからアメリカで一番人気のあるレストランへいくところです。
さて、それはどんなレストランでしょう。
寿司屋です。ニューヨークのイスラエル人経営の寿司屋。
これはニューヨークらしいね。

 

 カラフルで楽しいお寿司ですね。クリエーティブでしょう。


これはスーパーで売ってるお寿司。お寿司は本当に人気あります。

いつも祖母からいろいろなペルシャ料理を教えてもらっているんですが

こちらは、米粉を使ったクッキーです。

 

最近日本でも米粉でパンを作って、ゴパンと言ったり、米粉でお菓子をつくることが流行っています。
小麦粉アレルギーの人にも向いているということで米粉が売れるようになりました。

でも実は、イランでは昔から伝統的に米粉でパンを作ってきました。
なぜならイランの北は、稲作文化だからです。

 

イラン北部の風景を見ると
日本かイランか分からないでしょう。 
このイランの風景写真に懐かしさを感じるのは、同じく稲作文化の日本人です。(管理人)
 

ペルシャでは、昔から伝統的に米粉を使って、いろんなお菓子を作ります。
薔薇、カルダモン、米粉、砂糖、卵、それだけのシンプルなクッキー
祖母は、このクッキーを70年間作っています。
15歳のときから、計算すると年が分かるでしょう。
イランでは、1キロ単位でこのクッキーを作って、3日でなくなります。

 

ペルシャ料理ではこの二種類のお米を使い別けています。
シシキャバブに添えるのは、香りの良い細長いお米、インディカ米。
スープや団子にはでん粉が多い丸いお米、ジャポニカ米。

 ペルシャ語では、団子(クフテ)のご飯(べレンジ)と呼び、
ひき肉とハーブで混ぜたご飯の中にプルーンを入れて握り、スープのなかに蒸す。
これはなんと名付けましょうか。「ペルシャのおにぎり」でいかがでしょう。

来客が通されるリビングルームには、巨大なクリスタル・ボウルにフルーツが盛られています。
桜桃、柘榴、桃、林檎、オレンジなど、そして、胡瓜なのです。
形が小さく、イボがなく、果物の仲間なので一緒に飾られます。
むしろ、果物のスターなので、おもてなしは胡瓜から始まります。

家の主人が胡瓜の皮をむき、縦にスライスし、塩を振って、来客一人一人を回って小皿にのせて手渡していきます。
紅茶を飲みながら、ザクザクと音をたてて味わいます。
イランの胡瓜は、過酷な太陽のなかで育つのでみずみずしく、爽やかで、甘みがあり、フルーティーな味わいなのです。
農業の歴史が70000年あるので。

 

パーティーでは、伝統楽器を聴くのが習慣です。そして音楽が演奏されると、踊りです。


親子でニューヨークの旅をすると、毎晩ペルシャのパーティーでした。
今日のような日も、たまにあるからいいんです。毎日あるとうに大変ですよ。
お客様がボンレスハムになったころに「王様のような高貴な貴方に、ささやかかなお料理でお許しください!」と恐縮がられます。

お喋りと歓待の名人を誇るペルシャ人。
家庭に招待されると、次に歓待を受けた人が、その家の人を招待します。
お礼にはまたお返しをし、千夜一夜のおもてなしが続きます。

それでなくても、元々イラン人にとって人生はパティーなのに新年になると一晩に二つのパーティを巡ることがあります。

 

 ちょうど、パレードが行われた通りにある私の祖父の古美術ギャラリーです。
70年代までは、世界中で多くの考古学者による西アジアの研究が出版物にされ、ちょっとしたペルシャブームになった時期があります。
でもそれは、束の間で1979年にイランの革命がおこると祖父は美術品とともにマンハッタンに引っ越し、この店を開きました。

※次回はニューヨークで参加した、イランの新年のパレードの紹介です。
多彩で鮮やかなイラン文化の多様性を見てもらいますので、ご期待ください。



プーリー・アナビアンさんのサントゥール・静謐なペルシャの響き~ 第60回記念松原ぞうすいの会レポ③  

2012年06月03日 | ぞうすいの会・ゲスト

第60回記念 松原ぞうすいの会 レポート③
お話と伝統音楽の美しき調べ  ペルシャと日本の絆 再び
日 時;2012年5月27日(日)
場 所;松原市総合福祉会館

ゲスト;ダリア・アナビアンさん(ペルシャ文化伝道士)
     プーリー・アナビアンさん(サントゥール奏者)
     河村真衣さん(サプライズゲスト・サントゥール奏者)

プーリー・アナビアンさんのプロフィール

 イランの首都テヘラン生まれ。5歳からペルシャ伝統楽器サントゥール奏者として、

放送やコンサートに出演。イラン国立テヘラン大学音楽学部ピアノ科卒業。1978

年に日本初、ペルシャ語会話辞典「みんなのペルシャ語」を出版。1983年に放送

されたNHKドラマ「壬生の恋歌」の主題歌をはじめ、みんなのうたの「イランの

子守唄」やFM番組に放送出演。NHK文化センターの公開講座「シルクロードの

音楽」のレクチャーコンサートなど、各地で800回以上演奏を行う。

☆☆☆ サントゥール奏者、プーリー・アナビアンさんからのメッセージ ☆☆☆

「音楽を通じてペルシャと日本の文化交流を進めることが私の願いです。」

河村真衣さん(左)は、プーリーさんの大阪音大の元生徒。
耳が本当に良くて、作曲に、楽器演奏に類まれな才能を持っておられます。
今ではプーリーさんの良きパートナーに。
二人の息のぴったり合った幻想的でスリリングな演奏に、会場はシーンとなりました。
エキゾチックなペルシャ楽曲のあと、アンコールの拍手が。
そして「五木の子守唄」の演奏。意外にも日本の曲のプレゼントがあり、会場もサントゥールの地平の広さを堪能しました。
プーリーさんいわく、チューニングが若干日本の音楽とは違うそうですが、素人耳には分かりませんでした。

演奏後に二人はすぐに立ち上がって、深く手を握り合いました。
見ている私たちにも感激的な瞬間でした。

サントゥールやペルシャ、お二人の魅力をもっと知りたければ、アナビアンHPを見てください。

サントゥール――ピアノの祖先

台形の箱は、音色と強度に関して最も適している胡桃(くるみ)材で作られている。72本の弦は、4本ずつに分けられた束が18あり、ぜんぶで72本になる。同じ音に調弦された4本の絃が、“小ろば”という柱に持ちあげられている。4本の弦の束は、

同じ音に調弦され、真ちゅう弦と鋼絃が交互に並んでいる。しんちゅう絃は2オクターブ、鋼絃は1オクターブ。1オクターブが9のトーンに分かれていて、全部で27の音が出せる。

サントゥールは、曲によって音階を変えなければならないが、その調弦に時間がかかる。そのために、一回の演奏会に数台のサントゥールを持っていくことも稀ではない。

直接、撥で絃を叩くので、ピアノの祖先だということが理解できる。撥は、非常に細く、長さ25センチで重さ1.5グラムしかなく、フェルトを付けた先で叩く。

サントゥールの歴史

 すでに紀元前3000年のアッシリアでこの楽器の原型が見られる。古代においては、絃は、羊の腸で作られていた。13世紀、シルクロードの交易が盛んになると、絃は絹で作られた。現代では神秘的な音を出す真鍮と鋼へと変化した。のちヨーロッパに渡ったこの楽器は、鍵盤や足や蓋がついてピアノに発展した。

 イランでは、サントゥールという名称で呼ばれているが、世界各地で異なった名称で愛用されている。中国では、楊琴(ヤンチン)、アメリカではダルシマと呼ばれている。日本は江戸時代に サントゥールは洋琴(ヨウキン)又は夜雨琴(ヤウキン)という名前で紹介されるが、その後長い間忘れ去られた。

 昭和58年にNHKの大河ドラマ「新選組」の中でのサントゥールがプーリー・アナビアンの演奏によって、新たにその音を響かせた。以後日本各地の演奏会でペルシャ音楽を伝え、この楽器が知られ、注目されるようになった。

 現在、プーリー・アナビアンは、大阪音楽大学や青少年センターの若者達にこの楽器を指導している。

 長年日本で活躍しているサントゥール奏者、プーリー・アナビアンのメッセージ―

 「音楽を通じてペルシャと日本の文化交流を進めることが私の願です。」

 ペルシャ音楽について

 ペルシャ音楽は5000年の歴史があり、鳥の声を模倣したのが始まりと伝えられている。天高く舞い上がる鳥は、精神を高揚させる音楽に発展していった。鳥の歌う調子を元に、その抑揚とリズムから影響を受け、幅広くたくさんの旋法が生まれてきた。ペルシャ音楽には12の旋法がある。ヨーロッパ音楽には短調と長調の2種類の旋法があるだけである。音程は、ヨーロッパ音楽では1オクターブを12の半音に分割するが、ペルシャ音楽では24の四分音に分ける。さらに微妙な音程を必要とするので音程は無限分割されていく。リズムも自由自在に変化し、これらを組み合わせた即興演奏がよくなされる。

レポートは、まだまだ続きますよ!


ダリアさんのペルシャのお話の前に、3人の橋本さんからのスピーチが。第60回松原ぞうすいの会レポ②

2012年06月02日 | since 1997 ・・今までの歩み

ところで、今回は第60回という節目です。
数々のゲストをお招きして15年目にも入ります。
この間、カンボジア、ミャンマー、ラオス、バングラデシュの4箇所に井戸を送ることが出来ました。
また、カンボジアの村には井戸を訪ねて、村の人々、子どもたちと出会う旅も経験してきました。
アジア協会アジア友の会JAFS松原の代表世話人の橋本さんからご挨拶と感謝の言葉がありました。



アジア協会アジア友の会の橋本理事からははなむけの言葉をいただきました。
NGO活動の大先輩は、昔から私たちを温かく見守ってくださいました。
大きなイベントなど、ときどき駆けつけてくださっては、お手伝いもしてくださいます。
今日はなんと奥様と仲むつまじく来て下さいました。

長いお付き合いのある松原市教育委員会の橋本功一さんからは
ユーモアまじえたお祝いの言葉と、校長会からの花束をいただきました。
思わぬプレゼントに、JAFS松原のスタッフ皆で嬉しかったです。
松原市での国際理解教育でこれからもお役に立てればと思います。

 


JAFS松原の 素敵なゲストたち(敬称略)

2012年06月02日 | since 1997 ・・今までの歩み
   なんと 60回

 JAFS松原の素敵なゲストたち ありがとう、皆さん!!(敬称略)


       ひとりひとりに感謝の気持ちでいっぱいです  
       おかげさまで、井戸も4基贈れました。  
       じゃらんじゃらんアジア  
月日 ゲスト 国・地域など
0 1999 ・1・30 村上公彦 JAFS車座
1 1999 ・2.21 ニャン・リン・アウン ミヤンマー
2 1999 ・5.15 紅 王玲  中国・西安
3 1999 ・12.4 ヴィナイ・チャンタミット  ラオス
      ワンペン・クンボーライ ラオス
4 2000 ・5.21 ネルソン・タン  マレーシア
5 2000 ・11.26 サチナナンド・クンパール インド
         
       JAFS松原ぞうすいの会   
月日 ゲスト 国・地域など
1 2001 ・1・13 ル・クアン・ロ  ベトナム
2 2001 ・3・10 チュキ・オム・ドロジ  ブータン
3 2001 ・5・12 スカセム・アノンティセン ラオス
4 2001 ・7・ 8 イスラム・モハメット バングラデシュ
5 2002 ・1・19 村上公彦    JAFS創始者・事務局長
      ビマラ・ナピットゥ ネパール・チョータラ村
6 2002 ・3・17 リジャール・ビーナ ネパール
7 2002 ・5・12  劉 茉香  中国 江西省
8 2002 ・7・14 チャンナマ・クンパール  インド
9 2002 ・9.7 李 俊衡 韓国
10 2002 ・11・9  ドー・ソンポア  カンボジア
11 2003 1・25 ドー・ソンポア  カンボジア
12 2003 ・3・ 5  ボランティア連絡会総会ぞうすい販売 大阪府松原市
13 2003 4・5 リジャール・ビーナ ネパール
14 2003 ・5・11 金銅教子クリスティ-ナ ブラジル
15 2003 ・7・12     三阪パニダ  タイ
16 2003 ・9・ 7 バニア・アラウジ サンバパーティ ブラジル
17 2003 ・11・1  村上公彦 JAFS事務局長
      井戸1基目寄贈 カンボジア   
18 2004 ・1・24 タン・トライ カンボジア
19 2004 ・3・13 ネリ-ザ 斎藤 フィリピン
20 2004 ・5・ 8  特木熱(テムレ)  中国・内モンゴル自治区
21 2004 ・7・4  モイズミ・エリカ   カナダ
22 2004 ・10・2 松井聡子  JAFSスタッフ
23 2004 ・11・27 リコ・テソロ フィリピン
24 2005 ・1・22 ナレンドラ・カルティポラ  スリランカ
25 2005 ・3・13 マリオ・カセレス ホンジュラス
26 2005 ・5・14  イアン・トゥエドゥル カナダ
27 2005 ・7・9 ジャミラ・ウライム 中国・新疆ウイグル自治区
28 2005 ・9・20  岸本 隆   沖縄石垣島
29 2005 ・11・13 クリスティ・ウエスト  ニュージーランド
30 2006 ・1・14  ナゾカット・カマロヴァ ウズベキスタン
31 2006 ・3・11 ハイメ・ロペス チリ
32 2006  ・5・13 レン・ファンディ   カンボジア
33 2006 7・・ 8 マチェック・デビンスキー    ポーランド
34 2006 ・9・ 7 カンボジアスタディツアー報告会 カンボジア
35 2006 ・11・11 松原第三中学校ヒューマンタウンフェスタ   
      &JAFS松原共催 レン・ファンディ カンボジア
36 2007 ・1・27 村上公彦  JAFS事務局長
37 2007 ・3・11   ソルギ・アターラ  イラン
      井戸2基目寄贈 ミャンマー  
38 2007 ・5・20  西さゆり  南アフリカ報告
39 2007 ・7・15 アレクサンダー・パック   オランダ
40 2007 ・9・9 テテティン ミャンマー
  2007 ・11・10   松原第三中学校ヒューマンタウンフェスタ   
      &JAFS松原共催 テテティン   ミャンマー
41 2007 ・12・2   ケレン・アグィア    ホンジュラス
42 2008 ・2・10  高 長紅   ホンジュラス
特別 2008 ・3・9 JAFS松原10周年記念パーティー  
      井戸3基目寄贈 ラオス  
43 2008 ・6・8 新田幸夫   ラオス報告
44 2008 ・7・5  花光智香子  シンガポール報告
45 2008 ・8・30 永井博記  ミャンマー災害支援報告
46 2009 ・3・1   ジャミラ・ウライム 中国・新疆ウイグル自治区
47 2009 ・6.7 ビマラ・ナビット ネパール
48 2009 ・7・26 岩田芳晴 JAFS関東
49 2009 ・9.26 坂田繫数・和子 荷車の会(スリランカ)報告
50 2010 ・1・.3 村上公彦  JAFS
51 2010 ・3.13 トエエ・モン・ラカイン バングラデシュ
52 2010 ・5・30 ふご野サンディア スリランカ
53 2010 ・8.28 ペーター・モラー スウェーデン
54 2011 ・1.23 春蘭&劉偉 内モンゴル自治区
55 2011 ・3.12 松井聡子  JAFS
56 2011 ・5.22 オスカル・ピネタ コロンビア
57 2011 ・7.27 シャフウィナ インドネシア・アチェ
58 2011 ・1.22 津村佳彦 大阪府松原市
59 2012 ・3.25 オーツ・アチャンポン ガーナ
60 2012 ・5.27 ダリア・アナビアン&プーリー・アナビアン イラン
      AFS松原ぞうすいの会 第60回記念