左 プーリー・アナビアンさん(サントゥール奏者)
右 ダリア・アナビアンさん(ペルシャ文化伝道士
お二人について詳しく知りたい方はアナビアンHPを見てください。
お米でつくる手作りクッキーはペルシャのおばあちゃんの味
第60回JAFS松原ぞうすいの会レポ④
松原ぞうすいの会(2012年5月27日)でのワンショットです。
なんとも魅力的な母娘です。お話と演奏の終了後には、まわりは人だかりになりました。
今回はダリアさんのお話から、最新のニューヨーク訪問(今春)レポートの一部です。
故郷を離れていても、忘れずにペルシャの伝統文化を大切にしていく。
ニューヨークのイラン人コミュニティの横顔を何回かに分けてレポートします。
まずはマルカおばあちゃんのお宅訪問から。
今回、祖母に会いにニューヨークのQueensに一か月ほど滞在しました。
ここが祖母の家です。
これからアメリカで一番人気のあるレストランへいくところです。
さて、それはどんなレストランでしょう。
寿司屋です。ニューヨークのイスラエル人経営の寿司屋。
これはニューヨークらしいね。
カラフルで楽しいお寿司ですね。クリエーティブでしょう。
これはスーパーで売ってるお寿司。お寿司は本当に人気あります。
いつも祖母からいろいろなペルシャ料理を教えてもらっているんですが
こちらは、米粉を使ったクッキーです。
最近日本でも米粉でパンを作って、ゴパンと言ったり、米粉でお菓子をつくることが流行っています。
小麦粉アレルギーの人にも向いているということで米粉が売れるようになりました。
でも実は、イランでは昔から伝統的に米粉でパンを作ってきました。
なぜならイランの北は、稲作文化だからです。
イラン北部の風景を見ると
日本かイランか分からないでしょう。
このイランの風景写真に懐かしさを感じるのは、同じく稲作文化の日本人です。(管理人)
ペルシャでは、昔から伝統的に米粉を使って、いろんなお菓子を作ります。
薔薇、カルダモン、米粉、砂糖、卵、それだけのシンプルなクッキー
祖母は、このクッキーを70年間作っています。
15歳のときから、計算すると年が分かるでしょう。
イランでは、1キロ単位でこのクッキーを作って、3日でなくなります。
ペルシャ料理ではこの二種類のお米を使い別けています。
シシキャバブに添えるのは、香りの良い細長いお米、インディカ米。
スープや団子にはでん粉が多い丸いお米、ジャポニカ米。
ペルシャ語では、団子(クフテ)のご飯(べレンジ)と呼び、
ひき肉とハーブで混ぜたご飯の中にプルーンを入れて握り、スープのなかに蒸す。
これはなんと名付けましょうか。「ペルシャのおにぎり」でいかがでしょう。
来客が通されるリビングルームには、巨大なクリスタル・ボウルにフルーツが盛られています。
桜桃、柘榴、桃、林檎、オレンジなど、そして、胡瓜なのです。
形が小さく、イボがなく、果物の仲間なので一緒に飾られます。
むしろ、果物のスターなので、おもてなしは胡瓜から始まります。
家の主人が胡瓜の皮をむき、縦にスライスし、塩を振って、来客一人一人を回って小皿にのせて手渡していきます。
紅茶を飲みながら、ザクザクと音をたてて味わいます。
イランの胡瓜は、過酷な太陽のなかで育つのでみずみずしく、爽やかで、甘みがあり、フルーティーな味わいなのです。
農業の歴史が70000年あるので。
パーティーでは、伝統楽器を聴くのが習慣です。そして音楽が演奏されると、踊りです。
親子でニューヨークの旅をすると、毎晩ペルシャのパーティーでした。
今日のような日も、たまにあるからいいんです。毎日あるとうに大変ですよ。
お客様がボンレスハムになったころに「王様のような高貴な貴方に、ささやかかなお料理でお許しください!」と恐縮がられます。
お喋りと歓待の名人を誇るペルシャ人。
家庭に招待されると、次に歓待を受けた人が、その家の人を招待します。
お礼にはまたお返しをし、千夜一夜のおもてなしが続きます。
それでなくても、元々イラン人にとって人生はパティーなのに新年になると一晩に二つのパーティを巡ることがあります。
ちょうど、パレードが行われた通りにある私の祖父の古美術ギャラリーです。
70年代までは、世界中で多くの考古学者による西アジアの研究が出版物にされ、ちょっとしたペルシャブームになった時期があります。
でもそれは、束の間で1979年にイランの革命がおこると祖父は美術品とともにマンハッタンに引っ越し、この店を開きました。
※次回はニューヨークで参加した、イランの新年のパレードの紹介です。
多彩で鮮やかなイラン文化の多様性を見てもらいますので、ご期待ください。