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アジア協会アジア友の会の地域グループ *****JAFS松原ぞうすい(雑炊・贈水)の会*****

JAFS「松原ぞうすいの会」は、地域で活動するNGOグループです。アジアの村に衛生的な水(井戸)を贈る活動をしています。

予告!フィリピン・パナイ島 村人との感動物語 第48回松原ぞうすいの会

2009年06月27日 | ぞうすいの会・ゲスト

いよいよ夏が来ましたね。フィリピンの海をイメージして、テンプレートを変えてみました。パナイ島の北端には、ダイビングで有名な美しいボラカイ島もありますよ。
3月25日から始めた「松原ぞうすいの会」のHP(ブログ)ですが、3ヶ月たって、今のところ総アクセス数は6000を超えました。有難うございます。少しずつですが、世界の広さと深さを共に感じていけたらありがたいです。これからもよろしくお願いします。

主催:(社)アジア協会アジア友の会(JAFS)松原
     アジアの人々に井戸を贈って30年
        第48回 JAFS松原ぞうすいの会
     ~食卓からの国際協力
     パナイ島の水道物語
    フィリピン/日本の架け橋
 日 時2009年7月26()
       12:00~14:00
(雑炊準備を1100から始めます。雑炊つくりからの参加も大歓迎です!!)

 ゲスト:岩田 芳晴 氏
     <()アジア協会アジア友の会 関東会員>
 お話し:ボランティア活動で育まれた友情
                      もちろん、
  
フィリピンのぞうすい食べましょう!
 会 場:松原市立総合福祉会館2階
        近鉄南大阪線「河内松原駅」南西方向309号線へ徒歩5
 参加費:700円(JAFS会員500円)
  協 力: 松原ボランティア連絡会

 岩田芳晴さんは、フィリピン、パナイ島にあるパンダンという町に水道を建設する、通称「パンダン水道建設プロジェクト」でコーディネーターをされた方です。丸9年をかけて完成した水道は、現地の方の健康維持や生活改善に貢献しています。
 しかし、現地では戦中の出来事から日本人に対する憎しみの感情が強く、完成までには多くの困難が。その困難を乗り越え、双方が友情で結ばれ、感動的な水道完成までの道のりをお話していただきます。
 その内容は「マロンパティの精水」という本になりました。

 

本の紹介

「マロンパティの精水」
小嶋忠良[著]
ルポライター・(社)アジア協会アジア友の会 会員
NHK大阪文化センター講師。旅行ペンクラブ会員

●発行所:PHPエディターズ・グループ
●発売元:PHP研究所
●四六判 332ページ
価格:1,785円(税込) 
本体:1,700円+消費税(送料別途)

■内容紹介文:
1990~99年の丸9年の歳月を費やして完成したフィリピン・パンダンの水道建設工事は、日本とフィリピン両国のボランティアたちの献身により、戦争の遺恨を乗り越え、双方が深い心の絆で結ばれる物語を生み出して完成した。
本書は、国家の壁を超えた人間のあり方を考えさせる最高の教材である。

■推薦の言葉:
(社)アジア協会アジア友の会理事長
田中久雄氏推薦の言葉
元・パンダンプロジェクト 実行委員長
(株)かんぽう会長
「過去28年間に及ぶJAFSの活動の中でも最大・最長のプロジェクトであったこの物語には、人と人との絆を大切にするNGO活動の基本理念が凝縮されており、一人でも多くの方に読んでほしいと思う。」

■お問い合わせ:
お問い合わせ・お申し込みは
〒550-0002
大阪市西区江戸堀1-2-16 山下ビル4F
社団法人 アジア協会アジア友の会
TEL:06-6444-0587 FAX:06-6444-0581
e-meil:asia@jafs.or.jp   URL:http://www.jafs.or.jp

 価格(税込み) 1,785円 送料は一冊290円です。 
 入金方法:郵便振込み 口  座   00960-6-10835
               加入者名   アジア協会アジア友の会


がんばれ、ビマラさん!ネパール帰国の送別会

2009年06月21日 | 小さなパーティー
ビマラさんのネパール帰国にさいして、アジア協会で6月20日土曜日送別会がありました。橋本さんが参加されたので、簡単なレポートがメールできました。紹介しておきます。

皆様
昨夜のビマラ送別会に行ってきました。
残念ながら前半の「ネパールを知る会」には参加できませんでしたが、その後の食事会に参加しました。

「ネパールに橋を架ける会」のメンバーを中心に集まられていて、皆さんのネパールへの熱い思いと、太い絆が感じられた会でした。

松原からビマラ基金として下記が渡されています。
・ぞうすいの会収益金10,000円(9,636円+)
・ぞうすいの会講師料(ビマラさん)5,000円
・ぞうすいの会の時の募金20,045円
・松原東小学校から20,000円    など
今後もビマラさんの活躍を期待したいです。

松原ブログ
会場で愛子さん作の松原ブログを紹介しました。ビマラさん他、関係者はすでに見ておられて好評でした。よかった!

以上、報告です。

橋本末子

たくさんの人々との心の交流を残して、ビマラさん、帰国です。ビマラさんが日本に来る事はとても困難なので、皆さん、来てください、とのことです。どうぞ、お元気で!!

ネパールぞうすい「ザウロ」レシピ・・・ネパール料理

2009年06月16日 | 世界のぞうすい・料理 レシピ あれこれ
「第47回ぞうすいの会」で、ビマラさんと作って食べたネパールのぞうすい、JAULO「ザウロ」の作り方です。

これは、体に優しいので病気のときなどに良くつくられます。私たちは25人分つくるので、炊飯器でまずターメリック・ライスを炊いておいて、肉や野菜を煮たスープに炊き上がった米を入れ、調理時間を短縮できました。分量は適当です。すりおろしたショウガとニンニクが味に深みを加えていました。

><ネパールぞうすい「ザウロ」レシピ>

★材料 (25人分)
1.米 5合
2.鶏肉1K  
3.グリーンピース適量
4.タマネギ 大3個 
5.ジャガイモ 4個
6.にんじん 2本
7.大根 1本
★調味料
1.ガラスープ
  もしくはブイヨン
2.ターメリック
3.油
4.塩コショウ
5.にんにく
6.ショウガ
★作り方
1.米はターメリックを入れて炊いておく
2.野菜を刻んで、ガラスープで煮てスープをつくる
3.2に1を入れて、煮込み、
  塩コショウニンニクショウガで味付けする
  いつもながら、アバウトでごめんなさい。
  自分の舌で、適当に味付けしてね。
チャイ(ネパールのお茶)


ネパールのチャイもいただきました。インドと同じく、シナモンやカルダモンの香辛料とミルクと煮ます。甘いのが美味しいです。写真はビマラさんが持ってきた、便利なミックスされたティーマサラ100円と紅茶50g200円。お試しサイズでお値打ちでした。ぞうすいの会ではしばしば、アジア雑貨や物産が並べられて販売されることがあります。

チャイ(ネパール茶)
★材料 (1人分)
1.牛乳2/3カップ
2.砂糖小さじ1~2杯  
3.水1/3カップ
4.茶葉小さじ1~1.5杯 
5.ショウガ
6.カルダモン
7.シナモン
★作り方
1.鍋に牛乳と水をを入れて人肌に温める
2.紅茶葉、砂糖を加えて煮立てる
3.スパイスを入れる
4.茶漉しでこして、できあがり。

安全なお産の普及めざして。がんばれ!ネパールのビマラさん!その4

2009年06月14日 | ぞうすいの会・ゲスト

 写真は、カビで痛んだ病院の部屋。修復が必要なのがわかります。アジア協会アジア友の会のHPの昨年の冬季募金のよびかけの記事から。

説明文は「ネパールの山間の村、チョータラ。32万人を抱えるシンドゥバルチョーク郡の唯一の病院がそこにあります。昨年まで内戦により傷ついた建物はなんとか修復されましたが、雨期の雨で建物すでに蝕まれていました。カビがはびこり、とても村人たちの病気を治せる環境ではありません。病にかかった村人が命を落とすことがないよう支えとなる病院へ戻すことが急がれます。」

 ネパール・チョータラ村母子保険衛生プロジェクト②

<チョータラ国立病院>

 シンドパルチョーク郡はカトマンズの北東にあり、チョータラ村は首都カトマンズから約80㎞、人口約5万人で、商業、教育、医療、サービスの中心地でもあります。この病院はシンドパルチョーク郡唯一の国立病院で1960年代半ば頃、日本のODA-JICAによって建てられました。国から3人の医師が任命されていますが、交通の便が悪いため実際に赴任している医師は1人だけ。産婦人科は院内でも狭くたとえ病院で出産できても十分な産前、産後のケアができない状態でした。そこで、HARDに産院建設の協力要請が出され、JAFSにチョータラ国立病院産婦人科病棟建設の協力要請が寄せられました。

 <産婦人科病棟建設>

これを実現するために1997年に郵政省国際ボランティア貯金の協力も得て、10月より建設に取りかかり、98年夏にはほぼ完成しました。医療機関の不備による乳児・妊産婦死亡が多い状態であり、それを解決するために母子医療を充実させました。またその有効利用とアフターケアを計る為に98年11月には日本のベテラン助産婦を講師として派遣し、*TBAの研修会を行いました。    *TBA(Traditional Birth Attendant)-出産介助ボランティア 正式な助産婦の訓練を受けているわけではないが、国が村でお産を扱っている人達に10日~2週間くらいの講習をします。いわゆる出産の世話経験をもつ“取り上げ婆さん” 発展途上国では、農村部の95%、都市部の70%の出産がTBAの介助によるものと言われています。

<TBAセミナーの実施>

 病院スタッフのみを研修し、地域に巡回させる方法は徒歩以外の交通手段しかもたないこの地域には、あまりにも効率が悪く、時間と経費がかかりすぎます。そこで農村部に広く活躍するTBAに保健衛生意識の向上と安心して出産が出来る環境をつくらせるために、TBAの制度に着目しました。彼らに研修の機会を与えることが最も有効であるとの結論から“TBAセミナー”を実施する計画をたてました。これまで2回のTBAセミナーを行ってきたことにより、参加者に大きな励みと感銘を与え、栄養、衛生、家族計画への理解を深めることができました。また派遣された助産婦は大きなカルチャーショックを受けると共に、今後のセミナー継続の必要性を訴えていました。

 <助産婦のビマラさんの話>

 チョータラ病院産婦人科病棟建設ワークキャンプに地元から参加したビマラ・ナピット(当時16歳)さんは1998年カレッジを卒業。チョータラ病院の助産婦として働く母親と同じ道を志し、準看護婦・助産婦の資格を取るために、同年9月からカトマンズの専門学校で18ヶ月間の訓練を受け、授業料・寮費はネパールの若者の職業訓練を目的としたJAFSの「岩佐昭フレンドシップ基金」から奨学金を提供しています。2000年8月11日見事に第1ランクで準看護婦、助産婦の資格を取得、カトマンズの産婦人科病院でトレーニングも受けました。その後2001年度大阪府技術研修生として来日し、約7ヶ月間大谷助産院にてトレーニングを受け、帰国後はチョータラ国立病院の専任看護婦となり、産婦人科病棟のスタッフとして地域の母子保健衛生向上のために働いている。 今回は、その働きがしっかりと地に足の着いた活動となっていき、自然分娩のさらなるスキルアップの為に再度の研修を日本で受ける為に2009年4月に再来日した。

<今後の動き>

 ・目的の推進していくための普及活動と維持・TBAの継続支援。あわせて知識、技術のレベルアップをはかり、自然かつ安全なお産をするための研修セミナーの継続(“治療より予防”の意識)を行う。=ビマラさんが実施していく。

多産をなくす(=妊婦・乳児の死亡率を減少させ、平均寿命を向上させる)ため家族計画、農業生産活動の計画をどのように女性に教育していくかということを考えていく。=ビマラさんが村周りを計画・チョータラ病院産婦人科病棟の地域母子保健センターとしての機能させていく

<チョータラ基金(支援会)>

この基金は、山間地であっても生命の誕生であるお産が少しでも安全な中で迎えられるよう、母子保健の向上のために支援をする会とします。そして、チョータラ病院産婦人科病棟の地域母子保健センターとしての機能強化を支援します。ビマラさんのような地元の若者を看護婦として育成することを始め、助産婦の人材育成、TBA研修の開催、その他環境設備や設備補助などの支援を実施します。

支援方法 ① 年間一口1 2,000円(1,000円×12ヶ月)     ② その他、随時ご希望金額の支援 皆様の支えにより、ネパールのお母さんが豊かで人間らしい、そして安全なお産ができ、元気な赤ちゃんが育つことができます。~ご協力お願いいたします~ 社団法人 アジア協会アジア友の会大阪市西区江戸堀1-2-16 山下ビル4F TEL:06-6444-0587/ FAX:06-6444-05681 ホームページ  http://www.jafs.or.jp 2009/4改訂

 


美しいサリーの着付け体験!安全なお産の普及めざして。がんばれ!ネパールのビマラさん!その3

2009年06月13日 | ぞうすいの会・ゲスト

写真は、ビマラさんによるサリー着付け実演です。一枚の布がみるみる美しいサリー姿に変身していく様子に、一同うっとりでした。

ここでビマラさんに関連した
JAFSアジア協会アジア友の会の活動を紹介します。

   ネパール・チョータラ村母子保険衛生プロジェクト①


<背景>
 JAFS(社団法人アジア協会アジア友の会)はHARD(Himalayan sociation for Rural
Development ネパール提携団体)共同でカトマンズの東に位置するシンドパルチョーク郡において1986年より飲料水パイプラインや学校建設など様々な生活改善事業を行ってきました。

ネパールは世界でも珍しく、男性より女性の方が寿命が短い国です。その陰にはネパールの出産状況が大きく反映していることは過言ではない。
なぜなら、ネパールでは出産に対する意識が男性のみならず女性の間でも低く、健康な赤ちゃんを産むための準備である母親の過重労働の調整、栄養のバランスを考えた食事の摂取、体力維持が母親である妊婦自身も行うことなく、又家族の助言、助けを得る事のないまま出産を迎えてしまうケースが多々ある。そのため妊婦死亡率は千人に対して8人と高く、カトマンズやその他の都市部の病院利用率が高い地域を除くと農村部の妊婦死亡率は更に高くなることは確実である。

育児に対しても衛生観念の欠如、知識不足の為病気の罹患率が高く、1才未満の乳児死亡率は千人に対して百人。死因の多くは下痢や赤痢、結核などが上げられる。成長したとしても低栄養、栄養失調の為成長不全の子供を多く見うける事が出来る。

このような事態を改善する為の手段として日本から医療ボランティアを派遣して保健衛生意識の向上を図り、安心して出産が出来るようにと考えたが、病院スタッフのみ研修し地域農村部を巡回させる方式は、徒歩以外の交通手段を持たないこの地域には、あまりにも効率が悪く、時間と費用がかかり過ぎる。
 
 そこで、本会では農村部に広く活躍する出産介助ボランティア・TBA(Traditional Birth Attendant )[正式な助産婦の訓練を受けているわけではないが、出産の世話の経験は持ついわゆるとりあげおばさん]の制度がある事に着目し、このTBAの方々に研修の機会を作ることが今後のケアーとして最も有効であるという結論に達し、日本から2名の助産婦を派遣して出産介助ボランティア(TBA)のセミナーを計画した。
 
 第1回目を1998年11月12日~22日、第2回目を1999年11月14日~24日、第3回目2000年11月22日~12月3日に実施。参加者に大きな励みと感銘を与え、栄養、衛生、家族計画への理解を深めることができた、と同時に派遣された日本人助産婦からは大きなカルチャーショックの中に今後更に多くの医療従事者への啓蒙、研修活動が必要であることの認識が報告され、本会に継続していくことの大切さが訴えられている。(続く)


安全なお産の普及めざして。がんばれ!ネパールのビマラさん!その2

2009年06月08日 | ぞうすいの会・ゲスト

ビマラさんのお話を、いくつかのテーマにしぼって、まとめてみました。

★なぜ、ネパールでは、出産で命を落とす女性が多いのでしょうか? 

出産した女性は、不潔なワラを積んだ床に寝かされる習慣があります。せっかく 赤ちゃんが健康に生まれても、そのあと感染症で命を落とす女性が多い。女性の体を大切にする意識がなく、過重な労働を産前産後強いられている。栄養状態も 良くないまま出産を迎える。出産で1000人中8人の女性が命を落とします。ネパールでは女性は家事も畑仕事も、一日中働いている。産後の過重労働で子宮脱という病気になる女性が多い。自分の体重よりも重いものを背負って運ぶから。子ど もの死亡率も低く、何人も子どもを産むのも、何人も死んでしまう可能性がある からです。

★最近のネパールの女性の出産は?

病院に来て産めば、政府から1500ルピーもらる。でも、その制度は現実に合っていない。病院まで2日も歩いてきたりするので、途中で生まれてしまう。それ は危険な事。また、町の病院は すぐに帝王切開手術をするのも、ビマラさんが疑問に思うところ。安全な自然分娩を普及に努めたい。 

★なぜ、国立病院といっても、山の病院には医者や看護師のいない病院があるのでしょうか?  

国からの給料が低いので、皆アルバイトをしたいのだが、カトマンズの都会ならアルバイトの仕事、例えば私立の病院で働いたりできる。しかし、山には現金収入となる仕事が何もない。だから赴任が決まっても、来たことになってはいても、実は医者や看護師はそこにはいないという現実があります。   
管理人;これはカンボジアの現地で聞いた、小学校の先生の給料が低く、アルバイトをせざるを得ない状況と同じ。警察官や兵士の給料が低かったり、きちんと払われていないある国では、不正を行ったりワイロを要求したり・・・となってしまう。公務員の給料がある程度保障され、副業せず職務に専念できることは、国家の安定、公正に必要なことなのです。

★ビマラさんの夢は?  

山、山、山とパワーポイントでビマラさんが解説したネパールの風景。バスを降 りた地点から、5時間もかかって山を登っていき、やっとたどり着ける村。ビマ ラさんは徒歩でそんな村を訪問し、活動しているのです。いきむタイミングを誤って、ただやみくもに体力を消耗したり、体を傷つけてしまったり。大谷タカ子さんの元でかつて学んだビマラさん。彼女の夢は、安全な自然分娩を普及すること。ネパールの女性が命を落とすことなく、安全に安心して出産し、赤ちゃんが健康に育つ、そんな日を夢見ているのです。 単に医療の問題だけではなく、女性の社会的地位や社会の貧困、政治の安定など、立ちはだかる壁は幾十にもある大きなテーマです。長い道ではありますが、地道に、できることを目の前でやっていく。そんな助産婦ビマラさんには凛とした決意、情熱を感じます。

JAFSアジア協会アジア友の会がかかわってきた、「チョータラ村国立病院産婦人科病棟建設プロジェクト」や「TBA(農村部の伝統的出産介助ボランティア、いわゆる、とりあげばあさん)セミナー」については、後日紹介できたらと思います。


安全なお産の普及めざして。がんばれ!ネパールのビマラさん!

2009年06月07日 | ぞうすいの会・ゲスト


≪ 第47回 ぞうすいの会 ≫

ゲスト;  ビマラ・ナビットさん(ネパール)
日  時; 2009年6月7日(日) 12:00~14:00
場  所; 松原市総合福祉会館
内  容; ネパール山間地の助産婦日記;ビマラの夢 
     母子保健の向上をめざして

        内容は、また次回の記事で。勇気付けられるお話です。
      ・サリーの着付けショー
        後日の記事をみてくださいね。    
      ・一緒に踊りましょう
ぞうすい; ネパールのぞうすい「ザウロ」
        レシピは後日の記事で見てくださいね。



(ネパール語)

*レッサムフィリリ レッサムフィリリ
  ウデラ ジャウンキ ダラマ バンジャン
  レッサムフィリリ (くり返し)

  エクナレ バンドゥック
  ドゥイナレ バンドゥック
  ミーリガライ タケコ
  ミリガライ マイレ タケコ ホイナ
  マーヤライ ダケコ (くり返し)

*1回くり返し

日本語訳詞

 絹ひらひらと風に舞い 
  絹ひらひらと風に舞い
   飛んで行ってしまおうか 
  それとも丘に留まろうか
 絹ひらひらと風に舞い

  一口銃で 鹿をねらった
 二口銃で 鹿をねらった
だけど私の的は鹿ではない
 射止めたいのは愛しいあの人
 
ネパールに
いった事のある人なら、良く知っている山に住む人の歌のCDにあわせて
踊ります。子どもも、香港からの留学生のロウ君も、みんな一緒に。ビマ
ラさんは初めての踊り披露でしたが、素敵でした。



参加者の皆さん、ありがとうございました!
今日は子どもさん連れの参加が何組もあり、アットホームな雰囲気でした。
小さい子どもをつれて外出できる集まりは、なかなか機会がありませんが、
ぞうすいの会なら参加OK、ウェルカムですよ。「ぞうすい」なので、小さい
お子さんでも食べられるので、お昼ご飯がわりにいかがですか?今日は内
容がネパールの母と子どもをめぐる、出産や健康にかんするお話だったの
で、ちょうど自分たちの事と重なって、切実に感じられましたね。



JAFSアジア協会の事務局からスタッフの青木さんが初参加。しっかり、
ラオスの井戸レポートなどアピール。これからも、「松原ぞうすいの会」
をよろしくお願いしますね。理事の渕本さん、差し入れのお菓子、ありが
とうございました。

この日のぞうすいの会参加費からの利益9636円、ネパール雑貨の売り
上げ4800円からの利益は、すべてビマラさんの活動資金になる予定です。
また、ビマラ募金はこの日20045円も集まりました。皆さんに心からお礼
を申し上げます。ビマラさんにエールを贈りたい気持ちで胸いっぱいです。
同じ気持ちを参加者の皆さんが共有できた、素晴らしい集まりでした。

ラオスのワンペンさん・はじめのころはアジア料理の会

2009年06月03日 | since 1997 ・・今までの歩み
ラオスの井戸の写真は、私たちメンバーには良いサプライズでした。橋本さんから、「ラオスの井戸の写真に写っているワンペンさん、随分貫禄がでましたね。」と電話で聞いて、私はまったく気付けていないことがわかりました。10年前のワンペンさんの写真、ここに紹介しますね。

ラオスのワンペン・クンボーライさん(女性)とヴィナイ・チャンタミットさん(男性)は、農村を指導してまわるラオス青年同盟のお仕事をしていました。10年前に日本に外務省の招聘で研修でこられ、JAFSアジア協会・アジア友の会でも国際交流の研修されていたので、私たちの「じゃらんじゃらんアジア」のゲストになってもらいました。ラオス料理とラオス紹介をしてもらいました。

 これは、そのときの写真です。

《1999年12月4日「第3回じゃらんじゃらんアジア・ラオス編」》
                 クッキング&トーク

ワンペン・クンボーライさんは若い25才の女性でした。あのとき、まだ小さい子どもがいるのに、国に残して日本に長期研修でやってきてたので、偉いなあと思ったのを覚えています。そのとき一緒に来てくれた、モンゴルの放送局で日本語放送の担当をしているゲリルさんも、小さい子どもを置いて日本に政府から研修で派遣されていました。
国の将来をになう優秀な女性たちは、子育てで仕事を断念はするわけにはいかないのです。いや、政府がそんなもったいないこと、させないのです。そのためには、彼女たちを支える家族や社会の支援があるのでしょう。
さて、あれから10年、ワンペンさんはラオスの農村の生活向上のために、日々仕事に励まれたことでしょう。いつか、再会したいものです。横山さんからのラオスレポートの写真にワンペンさんを見つけました。探してみてくださいね。10年の時を経て、仕事に自信を持つ頼もしさが感じられました。


「ぞうすいの会」の前身は、「料理教室&お話」で国際交流する「じゃらんじゃらんアジア」という企画の試みでしたしかし料理づくりに時間がとられて、せっかくのゲストのお話を聞く時間が少ない。おまけに毎回ほぼ赤字?!この集まりの継続に頭をひねった私たち。地域のイベントに参加する以外に、何か始めようと思って始めた試みでしたが。最初は活動内容も手さぐりだったのです。
「持続可能な」しかも、私たちにふさわしい方法はないだろうか。食事をシンプルな「ぞうすいの会」にすることで、参加費と材料費の差額をアジアの井戸資金に貯金できるようになり、さらに、毎回の集まりに国際協力 としての性格が加わりました。各国の水事情や環境問題も話題に加わりました。つまり、未来に向けての広い視野をもって、パワーアップできたのです。
 

ここに、「ぞうすいの会」以前の、「じゃらんじゃらんアジア」時代の、懐かしいゲストも記録に残しておきましょう。

     JAFS松原「じゃらんじゃらんアジア」ゲスト 敬称略

0 1999・1・30  村上公彦      JAFS松原車座トーク
1 1999・2・21  ニャン・リン・アウン     (ミヤンマー)
2 1999・5・15   紅 王玲          (中国・西安)
3 1999・12・4  ヴィナイ・チャンタミット    (ラオス)
            ワンペン・クンボーライ
4 2000・5・21  ネルソン・タン       (マレーシア)
5 2000・11・26  サチナナンド・クンパール    (インド)