当初から炊き出しと物資配布、様々なプログラムで子どもたちや女性のケアをしていることから、港親義会館には明るさが見られるようになりました。子どもたちは、朝から表に出て、私たちの炊き出し準備を喜んで手伝ってくれています。そうして子どもから親、年配の方まで笑顔が広がってきています。避難所で過ごしている年配の方が、立ち残った家の庭から花の枝を切っては、皆が集うところに提供してくださり、今は、山茶花、コブシ、桜までが飾られて、和ませてくれています。こういったことから、1度きりではなく連続して炊き出しを行うことは、この港親義会館を中心として周辺約400名の方々の精神的な安定にも繋げることができていることを、しみじみと感じています。

今日は、調査をかねて避難所の一つである馬場中山生活センター周辺を訪れました。そこでは炊き出しも単発で入っているところが多いらしく、3日間くらいのあてはあるけれども、その後は炊き出しはなくなるのではと考えています。避難所におられる方の表情や雰囲気などにも完全に疲労が見えてきているのを感じました。
特に、避難所として認定されていない地区(例えば、公民館自体が津波で流されてしまったなどの理由で)に関しては、各家庭に避難された近所の方の受け入れをしています。そういったところは、避難所がないために注目されることなく、物資が行き届いていないことが分かりました。震災から1ヶ月を過ぎた現在においても、災害対策本部で受け取ってくるのは、賞味期限のきれたおにぎり、乾パン、毎回同じジャムの入ったパン、缶詰などすぐに提供できる食料品が中心となっているようです。
第4次隊では、まだ行き届いていない箇所で、今現在必要とされている人、1人でも多く手が伸ばせるようにと、さらなる食事支援の形を考えています。
【4月19日】
物資配布の中で、本会会員の東代さんからいただいたタオル(本会ロゴ入り)はとても喜ばれました。とくに今日は雨降りだったので、(後に雪まで降りました・・)なおさらでした。雨と暴風注意報が出るほどの強い風で、体感温度は5度くらいでした。港親義会館とその周辺の約400名だけでなく、今は歌津の中で、避難所と認定されずに、被災された方を受け入れている場所にも行っています。
タオルに印刷されたアジア協会アジア友の会の文字とロゴを見て、被災された方々は、どうやってお返しすれば良いのかしら・・と言ってくださっています。そんな時は、「いつか一緒にアジアの国々を応援していきましょうね」と答えています。

【4月23日】
今日は一日中の雨で寒さもまだまだ、といった感でした。相変わらず、セーターに、薄手のダウンジャケットにウインドブレーカーを重ねてきてもまだカイロが必要です。
4月22日が志津川高校の始業式でした。港地区の学生の茜ちゃんが高校のバレー部キャプテンということから、繋がりができ、4次隊の山竹さん、ビンセンテさん、そして港地区の及川さんの3名での出席となりました。いまだ被災者を抱えた高校は、学習の場としての機能が戻るには時間がかかるために、これから別の場所にある2つの高校に分かれて通うことになるようです。

今日は、たこ焼きパーティーを開きました。雨にも関わらず、約20名が参加して、とっても楽しそうでした。たこ焼きの歌付きで、関西文化を伝えました。

今日の炊き出しメニューは、ここ宮城県の名物、はっと汁(ほうとう/すいとん)。はっと汁作るためには、避難所におられる方に教えていただきながら、みんなで鍋囲んでわいわい美味しいはっと汁を作りました。

3次隊がいる間に子どもたちが塗ったベンチ。皆の名前が刻まれていること、子どもたちが、「がんばろう」の文字を自分たちで決めて書いていました。後ろにあるのが、お庭から切ってきてくださった桜。

伊里前小学校の時計。針は2時47分を指して止まっています。泥が中に入ったこと、遺体安置所であったことから、まだ学校は再開していません。
