goo blog サービス終了のお知らせ 

アジア協会アジア友の会の地域グループ *****JAFS松原ぞうすい(雑炊・贈水)の会*****

JAFS「松原ぞうすいの会」は、地域で活動するNGOグループです。アジアの村に衛生的な水(井戸)を贈る活動をしています。

第57回松原ぞうすいの会レポート②シャフウィナさん報告 インドネシア・アチェ&東北へ 復興への願い

2011年07月28日 | ぞうすいの会・ゲスト

心をひとつに~がんばろうNIPPON~
収益金の半分は、JAFSの南三陸町被災地支援に、
半分は従来どうりアジアの井戸建設資金になります。

第57回JAFS松原ぞうすいの会
インドネシア・アチェから東北へ
復興への願い 虹のように


■日 時:2011年7月23日(日)12:00~14:00 
■ゲスト:シャフウィナ さん (インドネシア アチェ)
■お話し:アチェと東北、津波災害のその後と私のボランティア活動
■料 理:チキンカレー
     ガドガド(サラダ)
     スウィーツ(ココナツミルクとかぼちゃ、バナナ入り)   
     ケーキ(ブルーベリー入り)
■会 場:松原市立総合福祉会館2F
■協 賛:松原ボランティア連絡会

★★★★シャフウィナさんのお話内容★★★★ 

 
写真は南三陸町にて
★アチェについて

インドネシアにはスマトラ、ジャワ、スラウェシ、バリ、ロンボク、コモド、など多くの島に300の民族がいます。インドネシアは20世紀になってできた新しい国です。以前から、島ごと、地域ごとに多様な文化があります。
スマトラ島のアチェには10の民族がいます。アチェ族は海岸にいます。衣装は金糸をよく使ってピカピカにします。たとえば他のガヨ族は中部にいて、同じアチェでも言語はまったく違います。

ACEHのAとはアラビア、Cとは中国、Eとはヨーロッパ、Hとはインドを表すと言われています。交通の要地にあるので、いろいろな民族が混ざっていて、顔がインドネシアの他の地域の人とは違う印象です。

アチェの人々の宗教はほとんどがイスラム教です。女性は頭からこうやってスカーフをかぶっています。
インドネシアではイスラム教、キリスト教、仏教など個人が何の宗教を信じているかをはっきりさせています。日本人の感覚では分かりにくいかもしれませんが、無宗教というのはインドネシアではダメなのです。日本人がよく行くバリ島はヒンズー教です。

 15世紀にはアチェ王国というのがあって、女性の王も5人いました。1873~1904年の対オランダ戦争がありました。オランダに他の島は占領されても、アチェのみ自由を守りました。軍隊長には女性もいました。

 アチェのコーヒーはおいしくて1杯35円くらいで飲めます。作り方はとても濃くいれます。砂糖をいっぱい入れてとても甘いです。昔は男だけの飲み物で、女性はお茶を飲んでいましたが、今では女性もコーヒーを飲みます。

  ★インド洋大地震 津波の日のアチェ(2004年12月24日7:58AM)

津波の日は日曜日でした。普段の日曜日の朝を紹介しましょう。

皆、朝早くは祈りの時間です。祈りの後、コーヒーおお店で飲んで6時くらいに家に帰ります。水牛に子どもたちは草を食べさせます。農家の人たちは町に出て、朝5時から10時くらいまで市場で野菜を売ります。そんなのんびりした朝でした。

20万人近くの人が亡くなりました。40mの津波が来たのです。私のおじいさん、いとこも亡くなりました。大学の先生も亡くなりました。モスクだけが残って、皆で祈りました。被災者はテント生活が始まりました。

私の父の家は海岸から5㎞のところにあり、津波の最後の到達から1㎞のところで助かりました。
なかにはこんな話もあります。津波で夫が流されて助かった妻は再婚したのですが、なんと夫はスリランカまで流されていて3年後に戻って来たというのです!その後どうなったのか、私は知りませんが。
バスケットボールにしがみついて浮かんでいて助かった、いとこの男の子もいます。流されたときには、激しく動くのではなく、何もしないで流されるほうが体力を失わずにいいと言います。そのいとこは助かり、3日後に父も見つかりました。しかしその子の母も、妹も亡くなりました。

 アチェの人は銀行にお金を預けません。そのかわりに「金」を買います。本当に全財産が失われたのです。

海岸から2㎞以内は家を建ててはだめだと言われているのですが、次の津波が100年後だったら構わないと言って、また同じ場所に家を建てて住む人もいました。

 動物にはわかるのでしょうか。1日前に鳥たちはどこかへ行ってしまったという話も聞きます。

【ウィナさん提供資料】
被害状況    インド洋大地震   アチェ   東北関東大震災  東北
現地時間    2004年12月24日(日)  2011年3月11日(金)
        午前7:58          
午後2:46
マグニチュード 9.1-9.3           
 9.0
地表からの深さ 30km           
   32km
震源地     インド洋            太平洋
中心からの距離 バンダ アチェ市から250km   仙台市から
125km
津波の高さ   5-42m           3-38m
津波到達時間  地震から24-25分後       地震から10-45
分後
被害領域    8地域             6県
死者数     20万人            
死者15327人+
                        行方不明者8343人6月1日
人口      バンダアチェ 264,618人 南三陸  19,170人
地震の後           219,
070人        9,750人
        45,548人(人口の17%) 9420人(人口の49%)
元の領域の広さ 64,8k㎡          163.74k㎡

★アチェでの支援活動・日本との違い

 

水はオーストラリアの軍隊が浄水器の車で来て、海水から水を作りました。アメリカは船の中で医療活動を行っていました。

 アチェでは半数の人が親戚や友人の家に避難しました。あとはテント生活でした。日本は避難所の建物の中でいる人が多かったです。日本は寒かったこともあります。日本では片付ける時もごみを分別していました。レスキューは、日本は30分後に来ました。アチェでは紛争地区なので12時間後になって来ました。外国のレスキューは3日後でした。

 アチェでは津波以前に紛争がありました。1976年から独立運動があり、98年からの激しい戦いで1万人が亡くなりました。ですから外国人はアチェに入れなくなっていました。BRRという復興のための会社が作られ、窓口はそこに一本化されました。家や道も作られ、日本やアメリカは一番大きく復興支援事業に貢献しました。アジア協会はマングローブの植林を行いました。現地では日本と違い、パワーショベルなどの大きな重機も入れないところは、象が活躍しました。仮設住宅は半年後から作られました。それまではテントでした。日本ではもっと早く、3か月後から仮設住宅が作られています。日本では学校で防災教育が普段からありますが、アチェでは津波のあと、ようやく防災教育がはじまりました。

 私はJAFSの田中さん、永井さんと一緒にJAFSの支援活動に参加しました。ダヤバルという場所がJAFS支援活動場所でした。折り紙を私は持って行きました。子どもたちが喜んでくれました。そして、破壊された海岸沿いに、マングローブの植栽を行いました。

★東日本大震災の被災地支援に参加・留意したこと

インドネシア大使館は地震後東北在住のインドネシア人を調べました。気仙沼に研修生がたくさんいました。大使館はバスで彼らを迎えに行きました。

私は自身がアチェで日本の支援を受けたので、私もお返ししたいと思いました。

南三陸町は金曜日の午後2:46分で皆さん仕事中の地震でした。
私はJAFSの第3次隊に参加して、歌津で炊き出しの世話をしました。

 JAFSの東北支援に参加したときに留意したことがあります。
子どもたちの心のケアが大切です。アチェでもそうでした。
私は友だちと遊んだり、絵を書いたりする心の癒しに気をつけました。
また、津波で疲れた心を、おいしい料理でなごませたいとも思いました。
そこでココナツミルクなどの材料を持って行って、向こうでインドネシアのカレーを作りました。炊き出しメニューはもう決まっていたので、JAFSの青木さんが特別企画をしました。喜んでもらえました。

(余談)
アチェのときもトルコの人たちがケバブを作っていました。
外国人向けに外国レストランもたくさんありました。
けれども、コーヒーだけはアチェのコーヒーにはかないませんでしたので、新しくできたコーヒー店はお店を閉めました。

 ★ウィナさんの考える復興のありかた

支援の形は、可哀そう、だからあげる、特にお金のことばかりになります。が、お金を貰うだけではなく、一緒に復興に参加することが大切と思います。自分の村を立て直すことは、ただ貰うだけではなく、一緒に行うことが大切と考えます。

2006年のジョグジャカルタの地震の時は、ジョグジャカルタの王様は村人が一緒に家を建てることを勧めました。2004年のアチェの津波の時は村人は仮設住宅は、作ったものを貰うだけでした。故郷、ローカルコミュニティは大事です。復興でつくりあげる町の姿は、政府が決めるのではなく、復興後の村の形をどんなものにするか、その地域の人が一緒に考え、下からの動きとすることが大切です。時間はかかるのですが。

 

 美味しいインドネシアカレーとお話で、大満足の昼下がりでした。
 ウィナさんの笑顔が素敵ですね。 民俗衣装も美しかったです。
 


第57回松原ぞうすいの会レポート①また食べたいウィナさんのおかわり続出インドネシアカレー!ガドガド!

2011年07月25日 | 世界のぞうすい・料理 レシピ あれこれ

第57回松原ぞうすいの会レポート①料理編

これが、本日のインドネシア料理メニューです。

ウィナさんと一緒に作りました。

美味しかった!皆さんもぜひ作ってみてください。


①手前にインドネシアのチキンカレー
 ココナツミルクが入っていてマイルドです。
②右奥がガドガドサラダ。ピーナツソースが甘いです。

③左奥が突然の提案で作られたデザート。

 カボチャとバナナをココナツミルクの甘い液で煮たもの。

  

大好評のホームメイドのブルーベリーケーキもスタンバイ。

 

インドネシアの料理レシピ

 

チキンカレー

25人分

材料

 ・鶏肉   1.5~2㎏       生姜      1片

 ・じゃがいも  10個        にんにく    5片

 ・玉ねぎ     5個        コリアンダー   シナモン  ナツメグ 

 ・人参      4本        ターメリック   クローブ

 ・ココナツミルク 7缶        チリパウダー

 ・米       14合        チキンブイヨン  塩 胡椒 サラダ油

 作り方

 ・玉ねぎとにんにくと人参をみじん切りにする。じゃがいもとチキンは一口大に切っておく。

 ・生姜はすりおろし、スパイス類も準備しておく。

 ・サラダ油ににんにくを入れ、香りがたったら玉ねぎを加え、さらに人参も加え、よく炒める。

 ・スパイスを加えて焦がさないように炒め、さらに、チキンを加え炒める。

 ・ココナツミルク、水を入れて2,3分煮る。

 ・じゃがいもを入れて煮る。やわらかくなったらできあがり。ご飯と一緒に食べる。

  

 

ショウガ、ニンニク、チリ、コリアンダー、ターメリック、シナモン、クローブ、ナツメグ
それ以外にも日本語でなんと言うかわからない白い丸いスパイスもウィナさんは持ってきました。
先にチリやナツメグを肉にまぶして揉みこんでました

ココナツミルクは東南アジアの定番食材。最近は日本のスーパーで簡単に手に入りますね。

 美味しそう・・・・・

 

ガドガド(インドネシアサラダ)

25人分

材料

 ・きゅうり    5本       皮むきピーナツ   300g

 ・レタス     2個       黒砂糖        適量

 ・にんじん    3本       ケチャップマニス   適量

 ・厚揚げ     6枚

 ・キャベツ    1個

作り方

 ・厚揚げは軽く湯通しして食べやすい大きさに切る。三角のものなら4分の1カット位。

 ・レタスは一口大、にんじん、きゅうりは輪切りにする。キャベツはスライスする。

 ・ピーナツは細かく刻み、黒砂糖、ケチャップマニスでソースを作る。

ピーナツは細かくしてね。
包丁で刻んでも。
お湯で黒砂糖溶いて、ケッチャプマニスでコク出してね。

 

 

・野菜にかけて出来上がり。
・写真では野菜とあえました。

 

 

こうやって、手で食べると尚、美味しい!
皆さんもぜひ試してみてください。

皆さん、のきなみ完食。お代わり自由で満足。
休日の昼は海外ゲストとのランチとトークで楽しんでね。

また、来てね~。松原ぞうすいの会でした。 


もうすぐウィナさんに会える!インドネシア・アチェと東北でのボランティア活動レポート!

2011年07月15日 | 心をひとつに がんばろうNIPPON

 心をひとつに~がんばろうNIPPON~ 

収益金の半分は、JAFSの南三陸町被災地支援に、

半分は従来どうりアジアの井戸建設資金のなります。
第57回松原ぞうすいの会 2011年7月23日

 インドネシア・アチェと東北、津波後の復興
地震・津波の故郷インドネシア、その後は?
そして東北の被災地は?
宮城県にボランティアに行かれたシャフウィナさんの貴重な体験談。

今回(7月23日)の講師である京都大学大学院のウィナさんからメールが、6月末に松原ぞうすいの会のスタッフに届きました。内容は以下のとうりです。おいしいインドネシアのカレーも食べられますので、ぜひ来てくださいね。

 1.About the title: Aceh and Tohoku, post tsunami disaster action and voluntary works

Contain:How was Aceh people before and after the tsunami disaster? how the responses for the disaster impact in Aceh?
And how is in Tohoku? And What did I do in both Areas? I will answer these question through my presentation. About situation, cultures and action in Aceh (especially in Banda Aceh, the capital city) and Tohoku (especially in Minami Sanriku). Also about my voluntary activities with JAFS in both area.

2.and for Photo, please choose from my attachment.

yoroshiku onegaiitashimasu
thank you

salam
--
Syafwina (Wina SW1)


北アルプス小谷村の古民家に泊まり、自然の中ですごすでワークキャンプはいかがですか?参加者募集中!!

2011年07月09日 | 心をひとつに がんばろうNIPPON

心をひとつに~がんばろうNIPPON~

横浜チャリティウォークに続いて、

(社)アジア協会アジア友の会 JAFS関東さんの素敵な企画を見つけました。

紹介されている写真が本当に美しくて、
木や草や土の香りのする、しっとりした爽やかな空気がこちらまで伝わってきます。
普段、乾燥したオフィスで一日中PC作業してるドライアイの方も、
ゆっくり人とお話できたり、自然のなかで普段できない作業したり、
ここでは身も心もリフレッシュできそうです。

以下はJAFS関東のブログから転載です。

ワークキャンプって楽しい !!
   ~北アルプスのふもとで、
            新しい自分を発見しよう!!~

  ◇◆◇ 第4回小谷村ワークキャンプ ◇◆◇
    ・開催地: 長野県北安曇郡小谷村 立屋共働学舎
    ・期間: 2011年 8月25日(木)~28日(日)


     自給自足に興味がある   農業、畜産に興味がある
     古民家で生活してみたい  NGO,NPOに興味がある
     身体、精神に不自由な方のお手伝いをしてみたい

     そんな方にお薦めのワークキャンプです。
     ご興味がありましたら、是非ご参加ください!

小谷村の風景
(小谷村の風景)

 ワークキャンプで、大自然の中で五感を解放し、泥にまみれての自給自足を体験。
 夜は古民家で有機野菜をふんだんに使った創作料理に挑戦しましょう。
 自然と人間とのつながりを感じ、現代社会の問題について考えるワークです。 

 「共働学舎」は、いろいろなハンディーを持った人が共に働き、
生活するコミュニティーです。
 北アルプスの山里で、泥と汗にまみれ、自然と人間とのつながりを
感じながら、共働学舎のメンバー達と、早朝から家畜の世話、農作業
のお手伝いをします。
 寝食をともにし、生活を共有。
 夕食後は参加者、共働学舎のメンバーとの交流。

   *その他、ウォーカソン、ぞうすいの会など、
    どなたでも参加できる楽しいイベントも企画中です。

□■ 昨年度のフォトアルバムから ■□
共働学舎の中心的な家屋「おもや」
(共働学舎の中心的な家屋「おもや」)
もろこしの刈り取り
(もろこしの刈り取り)
塩の道ウォーカソン
(塩の道ウォーカソン)
小谷村の風景2
(小谷村の風景)

■募集内容

 ・費用:   学生 14,000円
   一般 15,000円(会員)/16,000円(非会員)
   (滞在費、食費含む)
 *お飲物(アルコール含む)代は別途現地にて徴収させて頂きます。
 ・募集対象:  健康な方(小学生3年生以下は、保護者同伴の場合可)
 ・募集定員:  20名
 ・締め切り:  8月19日 *締切後も受付可能な場合があります。ご連絡下さい。
 ・主催:  (社)アジア協会アジア友の会 JAFS関東

     (詳細はこちらの募集要項[PDF]をご覧ください)

申し込みボタン  お申込みはこちらのフォームからもどうぞ。

■アクセス
   白馬駅(JR大糸線)改札出口集合。
   12時30分以降随時お迎えに参りますので、到着予定時刻をご連絡ください。
    *白馬駅までは京王高速バス(新宿~白馬線)、電車(JR大糸線)のご利用が可能です。
    *自家用車のご利用はご相談ください。
    *バス、電車のチケットはお早めに購入してください。万が一購入できない場合はご連絡ください。
■どんなことするの?
   昨年度のようすをこちらで紹介しています。

   ワークキャンプでは、共働学舎の皆さんと汗を流すワークや共同生活の他、
  アジアの貧しい地域での飲料水確保・環境保全と東日本大震災被災地支援に役立てる
  ため、「ぞうすいの会」「チャリティウォーク(ウォーカソン)」などを
  併せて実施する予定です。

   多くの皆様にご参加いただけましたらうれしいです。


宮城県南三陸町JAFSの被災地支援レポート⑰「味噌で元気プロジェクト」聞くだけでもホント元気づけられそう

2011年07月07日 | 心をひとつに がんばろうNIPPON
心をひとつに~がんばろうNIPPON~
「味噌で元気プロジェクト」・・・・ネーミング、聞くだけでもホント元気づけられそう
アジア協会アジア友の会(JAFS)の被災地支援は、現地の基本的なニーズに応えるだけでなく、その土地の人たちならではの文化、生活を大切にすることによって自立への誇りをもてるサポートを行っているのが感じられます。「味噌で元気プロジェクト」は本当に面白い企画です。私たちには特別な企画に思えても、現地の女性たちにとっては、自分たちが家族のために心をこめて毎年仕込んでいた、あたり前の、震災前の普通の生活の1シーンを取り戻すことなのですね。津波で味噌樽ごと流されたのがショックだと言う女性たちを思うと、皆さんの楽しそうな顔が目に浮かびます。

世界でアジアでさまざまな地域をサポートし、文化の多様性を大切にしてきたJAFSならではの柔らかな発想と行動力。宮城県南三陸町の歌津地区の人たちが3食味噌汁を食べ、自宅で自家製味噌を仕込む習慣があるというのをブログで読んで、少し感激しました。子供の頃、遊びに行った四国の田舎のお祖母ちゃんの家のことを思い出したからです。味噌は自家製でかまどもあったお祖母ちゃんの家を思い出したからです。大切にしたい日本の原風景の残されている地域なのですね。この「味噌で元気プロジェクト」だけでなく、スマトラのアチェ出身のウィナさんとインドネシア料理教室を現地で急遽開いたり、たこ焼焼いたり、被災地支援にも文化交流がしっかり入ってて、食文化を大切にするJAFSらしい支援です。

以下はJAFSブログからの転載です。
左の「ブックマーク」からときどき、JAFSブログも見てくださいね。

6月29日南三陸町から
一昨日は、梅雨寒(つゆざむ)といって、長そで2枚にレインコートを着て過ごしていました。
かと思うと、今日は、半そで1枚。明日からはまた暑くなるそうです。

味噌で元気プロジェクト(米や大豆などの原材料を支援物資として提供し、女性たちが味噌を作る工程までできるように応援するプロジェクト)は、現地で非常に人気高く、反応が良いです。
普通の家庭では毎年、味噌を50㎏作り、消費していたそうです。今回の津波で味噌が樽ごと流されたことにショックを受けておられた方が多いので、自分たちで作れるというのは非常に女性陣の活気を取り戻すことになりそうです。
その際に、本会(JAFS)のハルハログループのメンバー中心に多くの方が心込めて縫っていただいたお手製のエプロンを活用させていただこうと考えています。

新たな地区として、石浜という集落にも話をしに行きました。
半壊家屋に住む在宅被災者に対しては、物資が入ってきていない状態が続いたとのことで、JAFSの活動に対してとてもありがたいという話でした。 また現在、細かな状況を把握するために、住宅地図を基に各集落に入って調査を進めています。それによって、これまで把握していた状況よりも、高齢者や病人、幼児などの住む家庭などより詳細に状況が分かってきています。

時間はかかりますが、地道に細やかに必要な活動をするためにも、これを重ねていきたいと思っています。どこも梅雨時期になり、虫が大量に発生しています。そのため、殺虫スプレーや虫除けが喜ばれています。JAFS登米事務所は毎日3000匹は超えるであろう虫と格闘(自炊してるご飯の中に入らないように・・)しています。
細かい虫だけでなく、ハエなどもおり、衛生環境の悪化を懸念しています。

毎日事務所に戻り、ミーティング、状況把握の共有、整理、フォーム作成など、事務作業もかなりのものになりますが、前進しています。
どうぞ応援ください。

〒987-0601 
宮城県登米市中田町石森字小人町71-2
JAFS登米事務所
TEL 06-6444-0587(JAFS事務局)