アジア協会アジア友の会の地域グループ *****JAFS松原ぞうすい(雑炊・贈水)の会*****

JAFS「松原ぞうすいの会」は、地域で活動するNGOグループです。アジアの村に衛生的な水(井戸)を贈る活動をしています。

これは美味しい!大ヒットの揚げバナナ「トゥルン」・フィリピン・パナイ島の友好水道プロジェクトその3

2009年07月30日 | 世界のぞうすい・料理 レシピ あれこれ
第48回ぞうすいの会  その3
   

第48回のぞうすいの会はフィリピンのお話なので、フィリピンのおやつも登場し
ました。安くて、手軽にできて、美味しい揚げバナナ!揚げたてのとろーーり感は
最高です。パーティー料理にピッタリの一品です。
春巻きの皮で縦に切ったバナナを巻いて、油で揚げるだけ。東南アジアで揚げバ
ナナを食べたことのある人には、懐かしい味です。
この笑顔を見れば、その美味しいこと、わかるでしょう?!



左は、どんどん腕をあげている、わかちゃんの手作りケーキ。かぼちゃのしっと
りケーキも美味でした。アットホームな和やかな雰囲気で、本日も、記念撮影です。


フィリピン風おかゆ「アロス カルロ」レシピ・・・フィリピン・パナイ島の友好水道プロジェクトその2

2009年07月29日 | 世界のぞうすい・料理 レシピ あれこれ


第48回 JAFS松原ぞうすいの会 その2

一緒に作ったフィリピンのぞうすいです。
いつもの大鍋がぞうすい作りで活躍です。

いつもながら思うのですが、アジアのぞうすいレシピって、量はアバウトでも、
それなりの味に仕上がります。今回も、最後にそれぞれのお好みで、パティス
(ナンプラーのこと。日本の魚醤)で味の濃い薄いは個々人が調整です。向こ
うの味は、ベースの塩味が薄めです。

ちなみに、横のお漬物は坂田夫人の手作り。このきゅうりの醤油漬けも、とて
も美味しく、残ったものを皆で少しづついただいて帰ったのですが、ウチの夫
が夕食のときに絶賛していました

フィリピン風おかゆ「アロス カルロ」レシピ

★材料 (5人分)
1.米 2カップ
2.鶏肉200g  
3.タマネギ 1個
4.にんにく 五片
5.ショウガ 親指大
6.にんじん 2本
7.水 10~15カップ
8.青ネギ  飾り用に散らす

★調味料
1.ガラスープ
  もしくはブイヨン2カケ
2.油大さじ3
3.パティス(ナンプラー)大さじ5
4.塩・コショウ 適当に味を見て
5.お好みで、カラマンシー(ライム、すだちなど)

★作り方
1.フライパンを熱して、ニンニクをキツネ色に炒める。
2.みじん切りした玉ねぎを炒め、細かく切った鶏肉を入れてさらに炒める。
3.ショウガも加えて、チキンブイヨン、パティス、水を入れる。
4.洗った米を加えて、充分煮込む。
5.塩コショウで味を調える。
6.盛り付けて、ネギとゆで卵をのせる。
お好みで、パティス(ナンプラー)を加えたり、スダチをしぼったり。


フィリピン・パナイ島の友好水道プロジェクトその1 村人との感動物語

2009年07月28日 | ぞうすいの会・ゲスト

主催:(社)アジア協会アジア友の会(JAFS)松原
     アジアの人々に井戸を贈って30年
        第48回 JAFS松原ぞうすいの会 その1
       ~食卓からの国際協力
  パナイ島の水道物語 フィリピン/日本の架け橋
 
       ゲスト;岩田芳晴氏

7月26日(日)松原総合福祉会館 12:00~14:00

今回のゲストは神奈川県在住の岩田さん。写真のとおり柔和な笑顔が魅力的な紳士です。自己紹介では、「50歳を過ぎた頃に商社マンとして、アフリカのガーナ共和国に勤務しました。そこで飲料水のために苦しんで生きている人たちの存在を知ったのです。ある村に幸いODAで井戸を掘ることができ、村の人たちに喜ばれました。このときの経験が、水で困っている人々を応援するようになった第二の人生をスタートさせるきっかけです」と語られました。

  彼が関わったJAFSによるフィリピン・パナイ島パンダンの水道建設プロジェクト(要請から完成まで1990~1999年、9年間の歳月。6000万円の資金)。しかし、完成までには、さまざまな困難が。第二次世界大戦の激戦地で、日本軍による傷跡の深い地域で、住民感情が良くないこと、選挙で町長が変わり、水道プロジェクトが途中で宙に浮いたこと、村人たちの無力感など、さまざまな困難がありました。 この工事関連で岩田さんは、4年間で26回も現地を訪ね、滞在期間は1週間から1カ月というから延べにすると大変な日数でした。 

 「イドヲホッテホシイノデス」パンダン出身の留学生(慶応大学大学院のアマンテ君)からの、JAFS(アジア協会アジア友の会)の村上公彦さんへの一本の電話。ここから始まって水道パイプラインが完成するまでの物語は、胸を熱くするお話でした。映画化の話も出たくらい(何と、市役所出身のあの有名な俳優さんが岩田氏の役で!!)
 
 ★とくに、印象的だったお話★

1)相手が日本人といえばフィリピンの政治家からは「あなた方はどん な利益を得ようとしてここに来たのか」と最初に言われたこと。日本人への不信の感情。

2)机をたたきながら、「残酷な日本人、私は日本人を憎む!」と普段穏やかだった町長の母ローザさんが、心の傷、押さえきれない感情を岩田氏に吐露したくだり。

3)そのローザさんが、最後には「あなたを私の息子と呼ばせてほしい」というまでの信頼関係で結ばれた劇的変化。

4)日本とフィリピンの若者たちがワークキャンプでともに汗を流し、ニーナ(16歳)の日記でわかるように、ここで芽生えた友情が、まず若者から日本人への印象を変え、それが年配のフィリピン人たちにも伝わっていったこと。若い人たちの持つ力、可能性を岩田氏は強調された。

5)非協力的だった最古参の町会議員バロア氏の夫人が政治的対立、しがらみを乗り越えて、「とにかく住民は清潔な水が必要なのよ。」と立ち上がったこと。建前やしがらみにとらわれない女性たち。

6)75%の区間のの日本側工事を見る冷淡な人々の目が、実際に完成が近づくと、どんどん変化して行き、25%のフィリピンの工事にはどんどん人が増え、最後にはココナツのひしゃくを持って老婦人までが3日間もパイプライン掘りに参加していた劇的変化。これは写真を見れば実感できました。

7)「Yes,we can. Nothing Impossible!」できない理由ばかり数えていた現場作業者たちが作った合言葉。意識と行動の変化。あれれ、この言葉は、オバマ米大統領登場のずっと以前に、パンダンでは流行していたのですね。

8)日本人兵士の20人ほどの眠る場所があり、「かつては憎んでいた日本兵だが、同じ人間として日本兵の記念碑を作ろう」と、退役軍人会会長エバンゲリオ氏が自ら行動し始めたこと。

水道完成で、関わった日本人だけでなく、無力感のあったパンダンの人々にも自らの力を信じる喜びと自信が生まれた。これは大きな産物。JAFSの活動は、その「呼び水、迎え水」だと岩田氏は言います。

私は彼の話を聞いて、人間の眠っている内なるパワーは、人とのかかわりの中で、引き出されていく、「エンパワーメントの思想」だと感じました。

蛇口から出る水には、おそらく延べにすれば1万人を超えてプロジェクトに貢献した日本とフィリピンの人々の、熱い思いがこもっています。多くの人々の力が結集して凝縮した素晴らしい光景に、私の胸に熱いものが次から次と込み上げてきたものです。 仮にこの水道プロジェクトに最初から資金が充分あり、掘削機械で溝を掘ってパイプを埋設したら1カ月で完成したことでしょう。でもそうすれば、私たちが体験したように、多数の人が共に汗を流して喜び、学び成長することはなかったことでしょうと岩田氏は語られます。

完成の5年後にパンダンを訪問した岩田氏は、パンダンが清潔な水によって下痢(途上国では子どもには命とり)が激減していること、故郷にのパンダンに海外からの帰国者が増えたり、明らかな変化を目の当たりにされました。JAFSの活動は、できる限りたくさんの人の力を結集していくことに意義があり、実感として、一人の力は小さくてもたくさん集まると大きな力になるのです。岩田さん、素敵なお話、ありがとうございました.