
だんだん、不可能と思われたことが、現実になっていく。

作業員たちの意識も変わった。Yes,we can.Nothing Impossible が合言葉になる。
主催:(社)アジア協会アジア友の会(JAFS)松原
アジアの人々に井戸を贈って30年
第48回 JAFS松原ぞうすいの会 その1
~食卓からの国際協力~
パナイ島の水道物語 フィリピン/日本の架け橋
ゲスト;岩田芳晴氏
7月26日(日)松原総合福祉会館 12:00~14:00
今回のゲストは神奈川県在住の岩田さん。写真のとおり柔和な笑顔が魅力的な紳士です。自己紹介では、「50歳を過ぎた頃に商社マンとして、アフリカのガーナ共和国に勤務しました。そこで飲料水のために苦しんで生きている人たちの存在を知ったのです。ある村に幸いODAで井戸を掘ることができ、村の人たちに喜ばれました。このときの経験が、水で困っている人々を応援するようになった第二の人生をスタートさせるきっかけです」と語られました。
彼が関わったJAFSによるフィリピン・パナイ島パンダンの水道建設プロジェクト(要請から完成まで1990~1999年、9年間の歳月。6000万円の資金)。しかし、完成までには、さまざまな困難が。第二次世界大戦の激戦地で、日本軍による傷跡の深い地域で、住民感情が良くないこと、選挙で町長が変わり、水道プロジェクトが途中で宙に浮いたこと、村人たちの無力感など、さまざまな困難がありました。 この工事関連で岩田さんは、4年間で26回も現地を訪ね、滞在期間は1週間から1カ月というから延べにすると大変な日数でした。
「イドヲホッテホシイノデス」パンダン出身の留学生(慶応大学大学院のアマンテ君)からの、JAFS(アジア協会アジア友の会)の村上公彦さんへの一本の電話。ここから始まって水道パイプラインが完成するまでの物語は、胸を熱くするお話でした。映画化の話も出たくらい(何と、市役所出身のあの有名な俳優さんが岩田氏の役で!!)
★とくに、印象的だったお話★
1)相手が日本人といえばフィリピンの政治家からは「あなた方はどん な利益を得ようとしてここに来たのか」と最初に言われたこと。日本人への不信の感情。
2)机をたたきながら、「残酷な日本人、私は日本人を憎む!」と普段穏やかだった町長の母ローザさんが、心の傷、押さえきれない感情を岩田氏に吐露したくだり。
3)そのローザさんが、最後には「あなたを私の息子と呼ばせてほしい」というまでの信頼関係で結ばれた劇的変化。
4)日本とフィリピンの若者たちがワークキャンプでともに汗を流し、ニーナ(16歳)の日記でわかるように、ここで芽生えた友情が、まず若者から日本人への印象を変え、それが年配のフィリピン人たちにも伝わっていったこと。若い人たちの持つ力、可能性を岩田氏は強調された。
5)非協力的だった最古参の町会議員バロア氏の夫人が政治的対立、しがらみを乗り越えて、「とにかく住民は清潔な水が必要なのよ。」と立ち上がったこと。建前やしがらみにとらわれない女性たち。
6)75%の区間のの日本側工事を見る冷淡な人々の目が、実際に完成が近づくと、どんどん変化して行き、25%のフィリピンの工事にはどんどん人が増え、最後にはココナツのひしゃくを持って老婦人までが3日間もパイプライン掘りに参加していた劇的変化。これは写真を見れば実感できました。
7)「Yes,we can. Nothing Impossible!」できない理由ばかり数えていた現場作業者たちが作った合言葉。意識と行動の変化。あれれ、この言葉は、オバマ米大統領登場のずっと以前に、パンダンでは流行していたのですね。
8)日本人兵士の20人ほどの眠る場所があり、「かつては憎んでいた日本兵だが、同じ人間として日本兵の記念碑を作ろう」と、退役軍人会会長エバンゲリオ氏が自ら行動し始めたこと。
水道完成で、関わった日本人だけでなく、無力感のあったパンダンの人々にも自らの力を信じる喜びと自信が生まれた。これは大きな産物。JAFSの活動は、その「呼び水、迎え水」だと岩田氏は言います。
私は彼の話を聞いて、人間の眠っている内なるパワーは、人とのかかわりの中で、引き出されていく、「エンパワーメントの思想」だと感じました。
蛇口から出る水には、おそらく延べにすれば1万人を超えてプロジェクトに貢献した日本とフィリピンの人々の、熱い思いがこもっています。多くの人々の力が結集して凝縮した素晴らしい光景に、私の胸に熱いものが次から次と込み上げてきたものです。 仮にこの水道プロジェクトに最初から資金が充分あり、掘削機械で溝を掘ってパイプを埋設したら1カ月で完成したことでしょう。でもそうすれば、私たちが体験したように、多数の人が共に汗を流して喜び、学び成長することはなかったことでしょうと岩田氏は語られます。
完成の5年後にパンダンを訪問した岩田氏は、パンダンが清潔な水によって下痢(途上国では子どもには命とり)が激減していること、故郷にのパンダンに海外からの帰国者が増えたり、明らかな変化を目の当たりにされました。JAFSの活動は、できる限りたくさんの人の力を結集していくことに意義があり、実感として、一人の力は小さくてもたくさん集まると大きな力になるのです。岩田さん、素敵なお話、ありがとうございました.
いよいよ夏が来ましたね。フィリピンの海をイメージして、テンプレートを変えてみました。パナイ島の北端には、ダイビングで有名な美しいボラカイ島もありますよ。
3月25日から始めた「松原ぞうすいの会」のHP(ブログ)ですが、3ヶ月たって、今のところ総アクセス数は6000を超えました。有難うございます。少しずつですが、世界の広さと深さを共に感じていけたらありがたいです。これからもよろしくお願いします。
主催:(社)アジア協会アジア友の会(JAFS)松原
アジアの人々に井戸を贈って30年
第48回 JAFS松原ぞうすいの会
~食卓からの国際協力~
パナイ島の水道物語
フィリピン/日本の架け橋
日 時:2009年7月26日(日)
12:00~14:00
(雑炊準備を11:00から始めます。雑炊つくりからの参加も大歓迎です!!)
ゲスト:岩田 芳晴 氏
<(社)アジア協会アジア友の会 関東会員>
お話し:ボランティア活動で育まれた友情
もちろん、
フィリピンのぞうすい食べましょう!
会 場:松原市立総合福祉会館2階
近鉄南大阪線「河内松原駅」南西方向309号線へ徒歩5分
参加費:700円(JAFS会員500円)
協 力: 松原ボランティア連絡会
岩田芳晴さんは、フィリピン、パナイ島にあるパンダンという町に水道を建設する、通称「パンダン水道建設プロジェクト」でコーディネーターをされた方です。丸9年をかけて完成した水道は、現地の方の健康維持や生活改善に貢献しています。
しかし、現地では戦中の出来事から日本人に対する憎しみの感情が強く、完成までには多くの困難が。その困難を乗り越え、双方が友情で結ばれ、感動的な水道完成までの道のりをお話していただきます。
その内容は「マロンパティの精水」という本になりました。
本の紹介 「マロンパティの精水」 価格(税込み) 1,785円 送料は一冊290円です。
入金方法:郵便振込み 口 座 00960-6-10835
加入者名 アジア協会アジア友の会 |
写真は、カビで痛んだ病院の部屋。修復が必要なのがわかります。アジア協会アジア友の会のHPの昨年の冬季募金のよびかけの記事から。
説明文は「ネパールの山間の村、チョータラ。32万人を抱えるシンドゥバルチョーク郡の唯一の病院がそこにあります。昨年まで内戦により傷ついた建物はなんとか修復されましたが、雨期の雨で建物すでに蝕まれていました。カビがはびこり、とても村人たちの病気を治せる環境ではありません。病にかかった村人が命を落とすことがないよう支えとなる病院へ戻すことが急がれます。」
ネパール・チョータラ村母子保険衛生プロジェクト②
<チョータラ国立病院>
シンドパルチョーク郡はカトマンズの北東にあり、チョータラ村は首都カトマンズから約80㎞、人口約5万人で、商業、教育、医療、サービスの中心地でもあります。この病院はシンドパルチョーク郡唯一の国立病院で1960年代半ば頃、日本のODA-JICAによって建てられました。国から3人の医師が任命されていますが、交通の便が悪いため実際に赴任している医師は1人だけ。産婦人科は院内でも狭くたとえ病院で出産できても十分な産前、産後のケアができない状態でした。そこで、HARDに産院建設の協力要請が出され、JAFSにチョータラ国立病院産婦人科病棟建設の協力要請が寄せられました。
<産婦人科病棟建設>
これを実現するために1997年に郵政省国際ボランティア貯金の協力も得て、10月より建設に取りかかり、98年夏にはほぼ完成しました。医療機関の不備による乳児・妊産婦死亡が多い状態であり、それを解決するために母子医療を充実させました。またその有効利用とアフターケアを計る為に98年11月には日本のベテラン助産婦を講師として派遣し、*TBAの研修会を行いました。 *TBA(Traditional Birth Attendant)-出産介助ボランティア 正式な助産婦の訓練を受けているわけではないが、国が村でお産を扱っている人達に10日~2週間くらいの講習をします。いわゆる出産の世話経験をもつ“取り上げ婆さん” 発展途上国では、農村部の95%、都市部の70%の出産がTBAの介助によるものと言われています。
<TBAセミナーの実施>
病院スタッフのみを研修し、地域に巡回させる方法は徒歩以外の交通手段しかもたないこの地域には、あまりにも効率が悪く、時間と経費がかかりすぎます。そこで農村部に広く活躍するTBAに保健衛生意識の向上と安心して出産が出来る環境をつくらせるために、TBAの制度に着目しました。彼らに研修の機会を与えることが最も有効であるとの結論から“TBAセミナー”を実施する計画をたてました。これまで2回のTBAセミナーを行ってきたことにより、参加者に大きな励みと感銘を与え、栄養、衛生、家族計画への理解を深めることができました。また派遣された助産婦は大きなカルチャーショックを受けると共に、今後のセミナー継続の必要性を訴えていました。
<助産婦のビマラさんの話>
チョータラ病院産婦人科病棟建設ワークキャンプに地元から参加したビマラ・ナピット(当時16歳)さんは1998年カレッジを卒業。チョータラ病院の助産婦として働く母親と同じ道を志し、準看護婦・助産婦の資格を取るために、同年9月からカトマンズの専門学校で18ヶ月間の訓練を受け、授業料・寮費はネパールの若者の職業訓練を目的としたJAFSの「岩佐昭フレンドシップ基金」から奨学金を提供しています。2000年8月11日見事に第1ランクで準看護婦、助産婦の資格を取得、カトマンズの産婦人科病院でトレーニングも受けました。その後2001年度大阪府技術研修生として来日し、約7ヶ月間大谷助産院にてトレーニングを受け、帰国後はチョータラ国立病院の専任看護婦となり、産婦人科病棟のスタッフとして地域の母子保健衛生向上のために働いている。 今回は、その働きがしっかりと地に足の着いた活動となっていき、自然分娩のさらなるスキルアップの為に再度の研修を日本で受ける為に2009年4月に再来日した。
<今後の動き>
・目的の推進していくための普及活動と維持・TBAの継続支援。あわせて知識、技術のレベルアップをはかり、自然かつ安全なお産をするための研修セミナーの継続(“治療より予防”の意識)を行う。=ビマラさんが実施していく。
・多産をなくす(=妊婦・乳児の死亡率を減少させ、平均寿命を向上させる)ため家族計画、農業生産活動の計画をどのように女性に教育していくかということを考えていく。=ビマラさんが村周りを計画・チョータラ病院産婦人科病棟の地域母子保健センターとしての機能させていく
<チョータラ基金(支援会)>
この基金は、山間地であっても生命の誕生であるお産が少しでも安全な中で迎えられるよう、母子保健の向上のために支援をする会とします。そして、チョータラ病院産婦人科病棟の地域母子保健センターとしての機能強化を支援します。ビマラさんのような地元の若者を看護婦として育成することを始め、助産婦の人材育成、TBA研修の開催、その他環境設備や設備補助などの支援を実施します。
支援方法 ① 年間一口1 2,000円(1,000円×12ヶ月) ② その他、随時ご希望金額の支援 皆様の支えにより、ネパールのお母さんが豊かで人間らしい、そして安全なお産ができ、元気な赤ちゃんが育つことができます。~ご協力お願いいたします~ 社団法人 アジア協会アジア友の会大阪市西区江戸堀1-2-16 山下ビル4F TEL:06-6444-0587/ FAX:06-6444-05681 ホームページ http://www.jafs.or.jp 2009/4改訂
ビマラさんのお話を、いくつかのテーマにしぼって、まとめてみました。
★なぜ、ネパールでは、出産で命を落とす女性が多いのでしょうか?
出産した女性は、不潔なワラを積んだ床に寝かされる習慣があります。せっかく 赤ちゃんが健康に生まれても、そのあと感染症で命を落とす女性が多い。女性の体を大切にする意識がなく、過重な労働を産前産後強いられている。栄養状態も 良くないまま出産を迎える。出産で1000人中8人の女性が命を落とします。ネパールでは女性は家事も畑仕事も、一日中働いている。産後の過重労働で子宮脱という病気になる女性が多い。自分の体重よりも重いものを背負って運ぶから。子ど もの死亡率も低く、何人も子どもを産むのも、何人も死んでしまう可能性がある からです。
★最近のネパールの女性の出産は?
病院に来て産めば、政府から1500ルピーもらる。でも、その制度は現実に合っていない。病院まで2日も歩いてきたりするので、途中で生まれてしまう。それ は危険な事。また、町の病院は すぐに帝王切開手術をするのも、ビマラさんが疑問に思うところ。安全な自然分娩を普及に努めたい。
★なぜ、国立病院といっても、山の病院には医者や看護師のいない病院があるのでしょうか?
国からの給料が低いので、皆アルバイトをしたいのだが、カトマンズの都会ならアルバイトの仕事、例えば私立の病院で働いたりできる。しかし、山には現金収入となる仕事が何もない。だから赴任が決まっても、来たことになってはいても、実は医者や看護師はそこにはいないという現実があります。
管理人;これはカンボジアの現地で聞いた、小学校の先生の給料が低く、アルバイトをせざるを得ない状況と同じ。警察官や兵士の給料が低かったり、きちんと払われていないある国では、不正を行ったりワイロを要求したり・・・となってしまう。公務員の給料がある程度保障され、副業せず職務に専念できることは、国家の安定、公正に必要なことなのです。
★ビマラさんの夢は?
山、山、山とパワーポイントでビマラさんが解説したネパールの風景。バスを降 りた地点から、5時間もかかって山を登っていき、やっとたどり着ける村。ビマ ラさんは徒歩でそんな村を訪問し、活動しているのです。いきむタイミングを誤って、ただやみくもに体力を消耗したり、体を傷つけてしまったり。大谷タカ子さんの元でかつて学んだビマラさん。彼女の夢は、安全な自然分娩を普及すること。ネパールの女性が命を落とすことなく、安全に安心して出産し、赤ちゃんが健康に育つ、そんな日を夢見ているのです。 単に医療の問題だけではなく、女性の社会的地位や社会の貧困、政治の安定など、立ちはだかる壁は幾十にもある大きなテーマです。長い道ではありますが、地道に、できることを目の前でやっていく。そんな助産婦ビマラさんには凛とした決意、情熱を感じます。
JAFSアジア協会アジア友の会がかかわってきた、「チョータラ村国立病院産婦人科病棟建設プロジェクト」や「TBA(農村部の伝統的出産介助ボランティア、いわゆる、とりあげばあさん)セミナー」については、後日紹介できたらと思います。
第47回JAFS松原ぞうすいの会
雑炊を食べて楽しく国際交流を始めませんか?
食卓からの国際協力~ネパール山間地の助産婦日記~
日 時:2009年6月7日(日)12:00~14:00
ゲスト:ビマラ・ ナピット・ マハラジャンさん
お 話:ビマラの夢
会 場:松原市立総合福祉会館2F
近鉄南大阪線「河内松原駅」
南西方向309号線へ徒歩5分
参加費 :700円(JAFS会員500円)
今回のゲスト、ビマラさんは8年前に大阪府技術研修生として初来日。約7か月間寝屋川市の大谷助産院でトレーニングを受けネパールへ帰国。ネパールの山間地にあるチョータラ村で助産師兼看護師として地域医療に活躍している。今回、ネパールの母子保健の向上をめざし、自然分娩で安全なお産ができ、元気な赤ちゃんが育つよう、知識、技術のレベルアップをするため、再び恩師の大谷タカコさんの下で研修したいと来日、4月より3ヶ月間滞在中です。
写真はウイグルのジャミラさんです。何度見ても素敵です。
今までの JAFS松原ぞうすいの会 ゲスト一覧(敬称略)
回数 日時 ゲスト
第46回 JAFS松原ぞうすいの会
(社)アジア協会アジア友の会(JAFS)松原
JAFS 30周年記念パーティー in 松原
2009年3月1日(日) 12:00~14:00
場所 松原市立総合福祉会館2F
参加費 一般700円 JAFS会員500円
ジャミラ ウライム さん (中国・新疆ウイグル自治区)
文明の交差点 シルクロードオアシスとの出会い
※ 音楽と舞踊
※ ウイグル紹介
※ 雑炊 ショグルシュ 羊肉入り (ウイグル風雑炊)
茶菓子 手作りケーキ
3月1日(日)の「ぞうすいの会」はお疲れ様でした。盛会な感じのパーティーでした。参加者総数26人でしたが、会場の広さと人数が合っていたのでしょう。ジャミラさんのウイグル紹介も、前回よりパワーポイントでパワーアップしてました。 ジャミラさんの華のある会で、ウイグル紹介、ダンス、歌、みんなで踊ろう、おまけにNHKのど自慢で鐘が鳴った「異邦人」の歌も歌ってくれました。みんなで踊ろうウイグルダンス♪はなかなか難しい!まるで盆踊りのようになって…??? ジャミラさんからも楽しかった、また会いましょうとメールが来ました。カンボジアのピアラク君との出会いもあった、楽しいひと時でした。