父のお世話になっている老人ホームは
さいたま市岩槻区にある「ひなの杜」です。
岩槻にあり、名前の基にもなっている雛なので
今でも雛壇が飾ってあります。
岩槻が雛人形で有名になった経緯は
『約370年前の寛永年間(1634年~1647年)三代将軍徳川家光公が
日光東照宮の造営にあたって全国から優れた工匠を集めました。
当時岩槻は、日光御成街道の江戸から最初の宿場町であったため、
東照宮の造営や修築に携わった工匠たちの中にこの土地に住み着いた者も多く、
その人々が付近に数多く植えられている桐を使って箪笥などの製品を作るようになったと言われています。
その中には人形づくりをする者もいて、その技術を広めたといわれます。』
と説明されています。
全国から有数の職人が集められ、そこから技術を伝えられた人々が作った人形です。
娘は
「可愛いね!すごいね!」と言いますが
親は
「何十万円するんだろう!すごいね!」語尾は一緒ですが
娘に、薄汚れ世俗の垢にまみれてしまった事を思い知らされます。