樋野先生からのおたよりです。(2014.6.24配信)
第64回「がん哲学学校」
「軽井沢がん哲学学校」~妥協のない純粋な自由 ~
「がん哲学外来市民学会ニュースレター」第4号が送られて来た。第3回「がん哲学外来市民学会」大会(会長:福井県済生会病院長 田中延善:福井県県民ホール、2014年7月13日) の紹介をはじめ、内容的に大変、充実し、品性と格調があり、大いに感動した。筆者は、「がん哲学外来市民学会」代表として、巻頭言「次世代のがんチーム医 療~オアシスを求めて~」を書く機会が与えられた。編集人:星野昭江の胆力と速効性と英断には、ただただ感心するばかりである。
佐久市立国保浅間総合病院開院55周年 吉沢國雄記念特別講演会(佐久勤労者福祉センター ホール)に赴いた。中釜斉 国立がん研究センター所長の真摯な講演「がん研究の最前線」には感激した。続いて、筆者は、「がん哲学外来~医師の2つの使命~」のタイトルで、講演する機 会が与えられた。多数の市民の参加があり、講演を熱心に聴講され、時々、涙される市民・患者の姿に接し、臨場感溢れる、想い出に残る講演会であった。主催 者の企画力には、脱帽である。
翌朝、筆者は、wifeと軽井沢に向かい、「石の教会 内村鑑三記念堂」を訪問した。地下の資料館で、内村鑑三(1861-1930)直筆の「成功の秘訣」(1926年)を拝読した。まさに、「預言者的使命感」を持つ内村鑑三が掲げる「妥協のない純粋な自由」である。札幌農学校の同級生である新渡戸稲造 (1862-1933)ともに、筆者にとって、この2人の傑物は、若き日からの人生の大いなる基軸である。
週末の午後は、「軽井沢がん哲学学校」が開講された。「いのちのバトン~紡かれる夢と希望~」(荻原菜穂 佐久総合病院地域ケア科医師)の講演に続いて、筆者は、「いのちのバトン~奥ゆかしい立ち居振る舞い~」のタイトルで講演する機会が与えられた。絵本「葉っぱのフレデイ」の朗読、ギター演奏、カフェも企画され、長野県内以外の、大坂、東京からの参加もあり、笑いあり、涙ありで、部屋は大盛況であった。筆者は、別室で、「がん哲学外来」の個人面談を行っ た。充実した一時であった。「軽井沢がん哲学学校」は、時代の要請として、「20世紀の内村鑑三・新渡戸稲造の軽井沢学校」の21世紀版として定期的に開講される予感がする。終了後、筆者は、wife と万座温泉に向かった。
第64回「がん哲学学校」
「軽井沢がん哲学学校」~妥協のない純粋な自由 ~
「がん哲学外来市民学会ニュースレター」第4号が送られて来た。第3回「がん哲学外来市民学会」大会(会長:福井県済生会病院長 田中延善:福井県県民ホール、2014年7月13日) の紹介をはじめ、内容的に大変、充実し、品性と格調があり、大いに感動した。筆者は、「がん哲学外来市民学会」代表として、巻頭言「次世代のがんチーム医 療~オアシスを求めて~」を書く機会が与えられた。編集人:星野昭江の胆力と速効性と英断には、ただただ感心するばかりである。
佐久市立国保浅間総合病院開院55周年 吉沢國雄記念特別講演会(佐久勤労者福祉センター ホール)に赴いた。中釜斉 国立がん研究センター所長の真摯な講演「がん研究の最前線」には感激した。続いて、筆者は、「がん哲学外来~医師の2つの使命~」のタイトルで、講演する機 会が与えられた。多数の市民の参加があり、講演を熱心に聴講され、時々、涙される市民・患者の姿に接し、臨場感溢れる、想い出に残る講演会であった。主催 者の企画力には、脱帽である。
翌朝、筆者は、wifeと軽井沢に向かい、「石の教会 内村鑑三記念堂」を訪問した。地下の資料館で、内村鑑三(1861-1930)直筆の「成功の秘訣」(1926年)を拝読した。まさに、「預言者的使命感」を持つ内村鑑三が掲げる「妥協のない純粋な自由」である。札幌農学校の同級生である新渡戸稲造 (1862-1933)ともに、筆者にとって、この2人の傑物は、若き日からの人生の大いなる基軸である。
週末の午後は、「軽井沢がん哲学学校」が開講された。「いのちのバトン~紡かれる夢と希望~」(荻原菜穂 佐久総合病院地域ケア科医師)の講演に続いて、筆者は、「いのちのバトン~奥ゆかしい立ち居振る舞い~」のタイトルで講演する機会が与えられた。絵本「葉っぱのフレデイ」の朗読、ギター演奏、カフェも企画され、長野県内以外の、大坂、東京からの参加もあり、笑いあり、涙ありで、部屋は大盛況であった。筆者は、別室で、「がん哲学外来」の個人面談を行っ た。充実した一時であった。「軽井沢がん哲学学校」は、時代の要請として、「20世紀の内村鑑三・新渡戸稲造の軽井沢学校」の21世紀版として定期的に開講される予感がする。終了後、筆者は、wife と万座温泉に向かった。