川ちゃん農園だより 樹齢700年といわれる黄大銀杏と坂東十番札所岩殿観音本堂

農家の遊休土地をお借りしてはじめたものです。カメラも趣味ですので四季の移り変わりを記録して行きたいと思います。
  

東京ぶらりカメラの旅・石川啄木終焉の地を訪ねる。

2019-06-19 15:12:43 | 東京ぶらりカメラの旅

今回は朝日新聞連載の文豪・文人ゆかりの地 石川啄木終焉の地を訪ねました。池袋よりメトロ丸の内線二つ目茗荷谷で下車、この駅は地上に露出していて、駅のホームから入道雲がみえる。

 ①<11:13>

偶々50数年前私ども夫婦が結婚式を挙げた”茗渓会館”の傍を通るので懐かしい思いがします。

②1965年<昭和40年>10月3日、結婚式を挙げた茗渓会館、今は建て替えられています。<11:15>

③茗渓会館の通りを右に折れて教育の森、文京区スポーツセンターに入ります。隣には筑波大学があり、そこはどこですか?親子連れの可愛いお子さんづれがおりたずねる。一枚のスナップを撮りカメラ画面をのぞいてもらった。<11:37>

④教育の森の中には大学ありで緑がいっぱいです、<11:46>

⑤次に旧磯野住宅です、ここは国指定重要文化財となっており、実業家磯野敬氏<1868-1925>の住宅で「銅(あかね)御殿」と呼ばれる、しかし参観日ではなく見られませんでした。外観のみ、<11:52>

⑥最終目的地、石川啄木終焉の地を、親切なご婦人に案内されて到着、病を得て明治44年<1911>小石川区久堅町<現在文京区小石川五丁目>この場所に転居、いまは建て替えられビルになっている、その隣に碑があり草稿原稿が印字されている。

「呼吸すれば、胸の中にて鳴き音あり、凩よりもさがしきその音」碑文

<12:23>

 

⁂石川啄木は、若い命・26歳にして結核にて亡くした。正岡子規・樋口一葉ら才人は若くして失くす誠に残念であります。長生きしていたらどんなに栄光に輝いたろうか・・・

 追伸、ぶらり旅のあとOB会社OB会写真定例会に出席、"架け桶の雨蛙”互選により2位に入りました。 

 <いわどの山荘主人>

 

 


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1 コメント

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文学散歩 (tadaox)
2019-06-20 23:19:48
石川啄木の歌は、こうしてみると切実ですね。
若い時は感傷的と思っていましたが、とんでもないことを知りました。
体をむしばむ音を詠むことで、いいようのない切なさを表現してますね。

啄木が夭折した年頃、ぼくは茗荷谷の印刷会社で働いていました。
なつかしい。
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