わたしの家には娘が残して行ったピアノがある。このピアノは新潟・仙台など転勤のつど引越し荷物として持ち運ばれた。あの重いピアノがピアノ運搬人によって重くも軽々しく現在の安住の地に居座るまでは何回となく流転を彷徨ったわけである。ほろ酔いおやじの酔狂につき合わされ、鼻歌を唄いながらメロデイを右手で弾いて左手ではいい加減なコードであの懐かしい女系図の「湯島の白梅」や村田英雄の「王将」などハ長調で弾いて楽しんでおったものです。ところが老人大学に入学をキッカケに同好の志を募りクラブ活動をはじめたのはよろしいのですが何せ年寄りの手習いと云うのは進歩が遅いのです。理屈が多く技術がついていきません。それでも指導の先生が優しくて下手でも褒めていただけるので4年にもなるのですがいまだに続いております。発表会でもしたらとの話がでますが観客がいると緊張してトチッテしまうのであります。とどのつまりほろ酔いでピアノに接するが一番のようです。きのうはピアノ練習日であり、先生と生徒3人和やかのうちにお開きになりました。<岩殿山荘主人>
<あか牡丹 4/28 13:03>