「東寺」の西へ150mほど行った所にこの「六孫王神社」(ろくそんのうじんしゃ)が鎮座します。
「清和源氏」祖「源経基」(つねもと)を祭神とする神社で、「経基」の「八条邸」の跡地と伝えられています。第56代「清和天皇」の第六皇子「貞純親王」の子ということで、「六孫王」と名ずけられました。
この神社の創建は「経基」の遺言に従い、応和3年(963年)この地に墓所を建立して、社殿を造営した事に始まるといわれています。
摂津の「多田神社」と河内の「壷井八幡宮」とともに「源氏三神社」の一つとして栄えましたが、戦乱で焼失し、「清和源氏・新田氏」の末裔を称した「徳川家康」など「徳川家」が復興に努め、元禄14年(1701年)正一位の神階と権現号を授かりました。
例祭は「宝永祭」とよばれ10月に行われます。
境内には「神龍池」(しんりゅうち)とよぶ池が有ります。
かたわらにはの祠は「誕生水弁財天社」とよばれ、「源経基」の子「満仲」誕生のおりに、琵琶湖に浮かぶ「竹生島」の弁財天を井戸の上に勧請して安産祈願を行い、その産湯に使ったと伝えられています。
南区八条町
(たわごと)
昨日の、「伊藤若冲」の特別展示、またまた予想よりの参拝・拝観者で、私一人で、説明・案内・警備・皆様からのご質問のお答え。なんと、全部、どんと来いてなもんで、住職のお母さん、初めは、私の事、笑六さんから、二日目からは、私の事、先生ての呼び方。私が、このお寺の先生やて。
昔から、「先生、と呼ばれるほどの、馬鹿でなし」と言います。今の、バカ国会議員は皆、先生と呼ばれていますので。こんな、バカ議員の先生にはなりたくないです。今の、先生は、京都では、「先生、ちょっと下駄取って」てな表現が有ります。やはり、先生より、”笑六さん”て呼んでもらった方が良いかも。日本国では先生は無尽蔵、”笑六さん”は私一人です。ここだけの話ですよ。ここだけの話です・・・・・・・・!!!!!(本当の先生は、医者?学者?教授?何なんでしょう)