この「男山ケーブル」に乗り、 たった3分で山頂へ。
男山は「木津川」「宇治川」「桂川」が合流して「淀川」となります。山頂からこれを見下ろし、西に大山崎の天王山と対峙して山間を狭める場所に有る為、古くから、交通・軍事の要衛として重要視されていました。
南北朝争乱では京都攻略の陣取り合戦の要所となり、蛤御門の変http://itodoya.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/12/89_97c0.html#commentsでは長州藩が陣を構えました。
その名が付く前は「雄徳山」や「壮山」「丈夫山」などと呼ばれていました。貞観元年(859年)に南都七大寺の一つ「大安寺」の僧「行教」が宇佐八幡にひと夏参籠し、最後の夜に、八幡神社より、「我が都近くに移座して国家鎮護にあたらせよ」との神託を受けて、それを奏上したことにより第56代「清和天皇」は木工寮に命じ、六宇の宝殿を建立したと、寺伝にあります。
とりあえず、御手洗で清めて参拝です。
社名は男山中腹に霊泉「石清水」が湧き、そこにかかつて「行基」が創建した「石清水寺」があったことによります。このお寺は「雄徳山・護国寺」と改まり、明治初期の「神仏分離令」までこの神社が管理していました。
八幡市八幡高坊30
(たわごと)
今日もたわごとでないです。昨日の「宝蔵寺」で「伊藤若冲」(じゃくちゅう)の特別公開http://itodoya.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/10/393_fc1f.html#commentsの続きです。昨日は、「毎日新聞」にも掲載されていました。ご住職が想像されていたよりも二倍もの参拝者・拝観者です。つくづく京都の画家「伊藤若冲」の有名な事が分かりました。
「伊藤若冲」の絵画の展示室のお部屋の警備・案内・説明・ご質問等、全て私の受け持ち。参拝者の皆さまの詳しい事。当たり前です、拝観料を払ってわざわざお越しです。詳しいは当たり前、それを、ど素人の私がご案内・・・・?。反対にこちらが勉強になります。昨日は超勉強、何処からでもこい、では無いですが今日・明日の連休で昨日よりもおこしの方は多いでしょう。何なりとご質問を・・・・です。
この展示品(掛け軸・屏風)はほとんが個人の所蔵品で、これを見逃すと二度と見られないかもしれません。今日・明日もお待ちしています。(合掌)