goo blog サービス終了のお知らせ 

アイ!サラマッポ in フィリピン & ジャパン!

‐Ay! Salamat sa Pilipinas at sa Japan!‐
 フィリピン、そして日本にありがとう!

マニラ交響楽団・MSOの『マーラー 交響曲第5番』 - Gustav Mahler 100th Memorial Year

2011年06月01日 | 音楽

 6月4日(土)午後8時、パサイ市のフィリピン文化センター(Cultural Center of The PhilippinesCCP)で、Manila Symphony OrchestraMSO・マニラ交響楽団)により、グスタフ・マーラーの『交響曲第5番』が演奏されます。

 アジアでは最も歴史のあるオーケストラの一つ、Manila Symphony Orchestra(1926年創設)の、設立85周年を記念する「2011年コンサートシーズン」(11月まで)の最初のステージです。↓

 

Manila Symphony Orchestra | MSO | Philippines

Manila Symphony Orchestraのホームページ)

  

交響曲や歌曲において偉大な作品を多数作曲、指揮者としても素晴らしい功績を残した、ウィーン19世紀末の偉大な作曲家、グスタフ・マーラー・Gustav Mahlerの、没後100周年(1911年5月18日逝去)に当たって選ばれた曲目です。

 この『交響曲第5番』は、未完成の第10番を含めて11曲あるマーラーの交響曲の中でも、最もよく知られている楽曲かもしれません。特にハープと弦楽器のみで演奏される第4楽章の「アダージェット・Adagietto」は、ルキノ・ヴィスコンティ監督による映画『ベニスに死す』(トーマス・マン原作)で使われてから、より親しまれるようになりました。運命の人「アルマ」と出会い、彼女への想いを込めて作られたことから「愛の楽章」とも呼ばれます。

 

 この交響曲第5番の第1楽章は、『葬送行進曲』という表題がつけられているように、暗く重苦しくて、何ともいえない挫折、絶望感といったものが伝わってきます。ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』を思わせる冒頭のトランペットソロによる「♪パパパパー、パパパパー…」という最初の3連音に示される運命の動機…。そのトランペットのファンファーレからトゥッティ・tutti(全合奏)へと入り、そこから続いていくメロディが、心を突き上げるくらいに悲しみに満ちているのです。その悲壮さは第2楽章で、さらに激しく強く響いてきます。そこまでが第1部。↓

 

Mahler: Symphony No. 5: Part I: Mov. 1Part1

(第1楽章の前半-バーンスタイン指揮ウィーン・フィル Leonard BernsteinVienna Philharmonic

バーンスタイン(1918-1990)、若い!1972年のライブ映像。 Part23…と追っていくと全曲見られます。

 

Gustav Mahler plays his symphony no.5

(マーラー自身による第1楽章のピアノ演奏!貴重…。)

 

 さて、ホルンが活躍する第2部の第3楽章「スケルツォ」では、一瞬明るく感じますが、いろいろな感情が錯綜しているかのような、動と静が交錯する激しく壮大な楽章となっています。深い悲しみに沈んでいるかと思えば、次の瞬間には舞踏風の明るい曲調になったり、静かなピアニッシモが突如打ち破られたりと…。やはりメランコリックで不安な雰囲気が基調となっています。この楽章だけで演奏時間は約18分。

 

 第3部である第4楽章と第5楽章では、それまでの重苦しい空気が一転します。「暗」から「明」への劇的な転換が表現されていきます。甘美でゆったりとした第4楽章では、陶酔的な、極めて美しいメロディの中に、どことなく切なさといったものも感じられます。

続く第5楽章では、熱狂的に人生の勝利を宣言するかのようなクライマックスを迎えます。それまでの4つの楽章は、この荘重で力強いクライマックスを迎えるために周到に準備されたものであるかのようです。

 

Mahler: Symphony No. 5: Part III: Mov. 5Part2

(最終第5楽章後半-バーンスタイン指揮ウィーン・フィル) 

 

  第2部のスケルツォ(第3楽章)をはさんだ第1部と第3部は、それぞれ「緩」(第1・第4楽章)と、「急」(第2・第5楽章)の楽章で構成されてもいます。マーラー41歳の時の交響曲…、名曲中の名曲だと思います。

 

Gustav Mahler Symphony No 5 mvt 4 Adagietto

(ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルの第4楽章「アダージェット」 in チリ。
 
Zubin Mehta conducts Israel Philharmonic Orchestra in 2001

 

 私は、マーラーの『交響曲第5番』の演奏を聴きに(見に)行ったことが一度だけあります。もう十数年も前ですが、このズービン・メータ指揮イスラエル・フィルの来日公演…。この演奏はユダヤの人たちにしかできない…、と思えるほど凄まじい演奏でした。車椅子利用者になって数年後のこと…、第5楽章が終わった後、涙があふれ出てきました。

 先日、このメータさんが、日本で東日本大震災復興支援のための演奏会を開いている、という話題もテレビで目にしました。

 

 マーラーについて、私の大学時代の一つ先輩の大柴譲治牧師(日本福音ルーテル むさしの教会・JELC)が書かれた文章を紹介します。↓ 

「ブルックナーは神を見たが、マーラーは神を見ようとした」。これはマーラーの弟子でもあった指揮者ブルーノ・ワルターの言葉である。アントン・ブルックナー〔1824~1896〕とグスタフ・マーラー〔1860~1911〕という対照的な作風を持った二人の偉大なオーストリア人作曲家の特質をよく言い表した言葉であると思う。

二人は師弟の関係にあった。ブルックナーは幼い頃からの敬虔なカトリック信徒であり、教会のオルガン奏者だった。作品はミサ曲などのほかに9曲の交響曲があり、いずれもオルガン的な響きを持ち規模壮大で重厚。それは彼自身の信仰をよく表していて、その音楽には揺れがない。それに対してマーラーは、ユダヤ教からカトリックに改宗した作曲家であり、生前は優れた指揮者としてヨーロッパ中に名をなした人物である。歌曲や9曲の交響曲、そして「大地の歌」など、その音楽は華麗なオーケストレーションと、美しい天上の響きがあるかと思うと次の瞬間には苦悩に充ちた不協和音があるというようにダイナミックな揺れ動きでよく知られている。先の「ブルックナーは神を見たが、マーラーは神を見ようとした」というワルターの言葉は、二人の音楽に対する深い共感に充ちた言葉であるが、言い得て妙である。マーラーは作曲家としては不遇な生涯を送ったが、「やがて必ず私の時代が来る」という預言的な言葉を残した。

北陸の古都・金沢で過ごした学生時代、数は多くはなかったが、私の周囲はブルックナー派とマーラー派とに二分されていた。圧倒的な神の栄光の存在感を示して動じることのないブルックナーの壮大な音楽と、信仰と疑いの間をダイナミックに揺れ動くアンビバレントな人間の現実に立ちつつ最後まで永遠なるものを求め続けたマーラーの音楽。私はなぜか後者に強く魅かれるのである。苦しみや悲しみという嵐の中で水に浮かんだ木の葉のように揺れ動く小さな人間存在。神殿から遠く離れた所に立ち、ただうつむいて、心痛む胸を打つ以外にはできない自分がいる。「キリエ、エレイソン」。これしか言葉にならない。(以上、抜粋させていただきました。)

レント断想~ブルックナーとマーラー2005 2 大柴譲治牧師)

 

 

 私自身、大柴先輩からは、音楽や哲学だけでなく多くのことを教わりました。私が受傷(頸髄損傷)してからも、ずっと精神的なサポートをいただいています。

 ちなみに、当時の私は、圧倒的に「ブルックナー派」でした…。マーラーがしっくりと心の奥に響いてきたのは、受傷してからです。
 

 

 さて、「The Viennese Symphonic Tradition」(ウィーンの交響曲の伝統)と題されたマニラ交響楽団の今シーズン最初のステージは、マーラーの交響曲第5番と、交響曲の父と称されるハイドン(Franz Joseph Haydn・1732~1809)のチェロ協奏曲第2番とのコンビネーション。ハイドンの時代は、マーラーの生きた「19世紀末ウィーン」より百年以上も前です。ウィーンの交響曲の歴史の幕開けと終焉前の輝きを伺うことのできる2曲です。

 

M.Rostropovich - Haydn Concerto No.2 in D, 1st mov.

(ハイドン『チェロ協奏曲第2番ニ長調』 ロストロポーヴィチ指揮・ソロ Mstislav Rostropovich 1927-2007

 

こちらは、そのロストロポーヴィチさんソロのハイドンのチェロ協奏曲ハ長調。指揮をされているのは、30年前の小澤征爾さんです!↓

Haydn Cello Concerto Rostropovich 1981

 


 伝統あるマニラ交響楽団がどんな演奏をしてくれるでしょうか…。3日後、6月4日夜8時です。

 

MANILA SYMPHONY ORCHESTRA CELEBRATES 85 YEARS OF MUSIC

(フィリピン文化センターのホームページ)

 

Manila Symphony Orchestra presents Mahler tribute

(5月31日・Philippine Star紙)

 

フィリピン・フィルハーモニック・オーケストラ(Philippine Philharmonic OrchestraPPO)第29期のシーズン(2011年9月~2012年4月)の演奏会の日程も、もう紹介されています。↓

Cultural Center of the Philippines - PPO 29th Season

(フィリピン文化センターのホームページ)

 

 

(以前のブログ記事)

マーラー没後100周年に。 - Gustav Mahler 100th Memorial Year

 

長崎の鐘が。(小澤征爾さんのマーラー『復活』コンサートの思い出-浦上天主堂)


フィリピン・フィル演奏会 「ほのぼのとした雰囲気の中、素晴らしい演奏でした。」

2011年02月14日 | 音楽

 2月11日、パサイ市のフィリピン文化センター(Cultural Center of The PhilippinesCCP)で、フィリピン・フィルハーモニック・オーケストラ(Philippine Philharmonic OrchestraPPO・1982~)の演奏会に行ってきました。
フィリピンフィルの『運命』(211日) in CCP - アイ ...


 
 まず、今回予定されていた中国人の女性バイオリニストの予定が変更され、急きょステージに立つことになった、それもラストでヴァイオリン協奏曲(チャイコフスキー)を演奏した若きフィリピンのバイオリニスト、
Diomedes B. Saraza Jr.さん。その緊張感が客席まで伝わってくるような冒頭…。そして第1楽章終了間際、「シーン」と静まり返った中での独奏カデンツァ・Cadenza…。その情感あふれる見事な演奏に、第1楽章が終わるといきなり拍手喝采が…。
 
曲(第3楽章)が終わると、今度はスタンディング・オベーションで場内ほぼ総立ちに…。エルガーの『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ・Sonata for piano and violin in E minor, Ор.82.』から第3楽章、そして『愛の挨拶・Salut d' Amour
』と2曲もアンコールに応えて披露したのでした。会場の先生(?)とお母さんを、感謝を込めて紹介し…。演奏後のほのぼのとしたムードの中、その日の幕は下りたのでした。
Paganini - Violin Concerto no. 1 in D. Major, Op.6

(2009年8月の、マニラ交響楽団とのパガニーニの『ヴァイオリン協奏曲』)

 
 そして、指揮者のOlivier Ochanineさん、生地パリで音楽を学んだ後、ドイツでフルート、アメリカではコントラ・バスを…。そして指揮者へと進まれたそうですが、去年から3年契約でフィリピン・フィルの音楽監督・正指揮者に就任され迎えた今回のシーズン。まだ30歳という若さですが、ステージでの落ち着いた、堂々とした指揮ぶりはさすがでした。
 
開演後に、まずフィリピン国歌が演奏されたのは、やはりお国柄でしょう。その後、今回のプログラム(ソリストと曲目)の変更について説明、お詫びされた後でベートーヴェンの交響曲第5番『運命』が「ダダダダーン…」と。このCCPの大ホール(Main theater)、残響もなかなかのものだと思いました。個人的なことですが、88年に最後にコントラ・バスで演奏したのがこの『運命』…、さすがに涙が出そうになりました。7本のコントラ・バスの方にどうしても目が…。幸い、自分に似た奏者がいなくて、こらえることができましたが…?(^^
;)
 
第1楽章が終わって場内から拍手が…。でも指揮者のオリヴィエさんは落ち着いたものでした。
 
ずっと前に、こんなことが起きた記憶が…。ああ、思い出しました。あのカラヤン・H. V. Karajanとベルリン・フィルのチャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』の第3楽章の後の拍手…。多分、88年最後の来日ライブ?NHKFM
でのライブをカセットテープに録音中の思わぬハプニングに「ドキッ」としたことを…。そして、何とカラヤンは会場に向けて「シーッ」と、声で拍手を制止させて第4楽章に入ったのでした。「ドキドキ…。」
 
さて、フィリピン・フィルに戻りますが、チェロとコントラ・バスの印象的な主旋律の3楽章の後、圧倒的な迫力で勝利を宣言するかのような終楽章…。ピタっと決まって、とても感動的でした。
 
そしてガーシュウィンの『シンフォニック・ピクチャーズ(交響的絵画)』(オペラ『ポ-ギーとベス』より)…、初めて聴く曲。いかにもアメリカ的な感じの曲で、管とパーカッションがとてもがんばっていました。
 
15分間の休憩後、指揮者のオリヴィエさんが、「コントラ・バス奏者の一人が今日で31歳だ…」と紹介し、会場から拍手。これもお国柄?ほのぼの…。
 
その後、チャイコフスキーのオペラ『エフゲニ・オネーギン-Eugene Onegin
』から第2楽章のポロネーズを…。最後のヴァイオリン協奏曲と合計4曲ものサービスぶりでした。
 
夜8時の開演時間ピッタリに始まった今回の演奏会、終了したのは10時20分頃。その余韻に浸りながら、家に戻ったのがちょうど11時でした。

 
 
このCCPの大ホールは、約1820席ありますが、今回初めてということで、友人と相談し、とりあえず最上階のバルコニー席(200ペソ・約400円)を4席分TicketWorld (National Bookstore)で購入してあったのですが、電動車椅子で行けるのは、その大ホール「オーケストラ・センター」の最後部、左右に2ヶ所ある出入り口の扉の前だけだったのです。ちょうど、車椅子の人が二人入るともうスペースが無くなる、ということでした。でも、そこは「1,000パソ」の席…。友人を待ちながらスタッフの方に「ではその2ヶ所で聴きます。」と言って追加料金を支払おうとすると、何とそのJPという名前の親切な男性が「今回は、初めてということで追加料金は要りません。」というのです。こういう時です…。思わず「Ay! Salamat po!」もちろん、次回からは通常料金で、ということでしたが、ありがたかったです。
 


第36回『国際バンブーオルガン・フェスティバル』 2011 in ラス・ピニャス

2011年02月10日 | 音楽

 今年も、第36回目となる『国際バンブーオルガン・フェスティバル』が、ラス・ピニャス市セント・ジョセフ教会(St. Joseph Church・通称バンブーオルガン教会)で、2月17日から23日まで開催されます。↓
The 36th International Bamboo Organ Festival 2011
St. Joseph Church of the Parish, Las Piñas City
February 17 to 23, 2011 8:00PM
P. Diego Cera Avenue, Poblacion, Las Piñas City, Philippines

バンブーオルガン基金のオフィシャル・サイト。↓
Official Website of Bamboo Organ Foundation Inc


バンブーオルガン
Home Page。↓
Home - Bamboo Organ


今年のフェスティバルのプロモーション・ビデオです。↓
36th International Bamboo Organ Festival

 
(クリスマスで賑わうバンブーオルガン教会)

 この、主にレンガと竹で建てられた教会と、共鳴管が竹で作られたバンブー・オルガン。
”P. Diego Cera Avenue”と、その教会に面した通りの名前にある、スペイン人の修道士「ディエゴ・セラ」により、1816年から8年間かけて作られたということです。全部で1031本あるパイプのうち、902本が竹製ですが、この竹は、製作前にビーチの砂に8年間も埋められたことで、吸収した塩分が虫よけとなり、二百年の歳月に耐えてきたといわれています。
 
また、実はこのバンブーオルガン、太平洋戦争中には、当時フィリピンを占領していた旧日本軍の手で守られ、戦禍を免れた、という事実があるそうです。
 
当時、朽ち果てそうになっているオルガンを見た、徳川家末裔で音楽家の徳川頼貞氏によって1942年から解体修理が行われた、と…。その修復にかかった費用は、徳川氏個人の寄付と旧日本軍、マニラ大司教や信徒たちによって賄われたそうです。戦時中の厳しい状況下にあっても、音楽、美を求め続けた人々、日本人の逸話です。
 その後、1970年代に、バンブーオルガンは修復のためにドイツに運ばれました。修復を申し出たクライス・オルガン工房は、竹の乾燥を防ぐために気温や湿度をフィリピンと同様に保つ、専用の部屋を用意したそうです。また、将来の自国での修理に備えて、フィリピン人の修理技術者を養成しながら作業を進めたとのこと…。ドイツ職人の気質とこのオルガンに寄せる思いが伺える話です。その本格的な修復が終わり、ラス・ピニャスの教会に戻ってきたのが1975年2月。その修復完了を祝って開かれたのが、この『国際バンブーオルガン・フェスティバル』なのです。
 
(昨年の第35回国際バンブーオルガン・フェスティバル。右上2階にバンブーオルガンがあります。)

 
私は、以前2年以上ラス・ピニャス市内に住んでいて、何度かこのバンブーオルガン教会を訪ねています。世界最古で、現存する唯一の竹製のパイプオルガンは、オルガニストがいれば、普段の日曜日のミサでも演奏されています。重厚で柔らかなその音色は、心の奥底まで響いてくるようで、とても愛着を覚えます。
 
そして、毎年2月に開催されている『国際バンブーオルガン・フェスティバル』は、海外からも指揮者やソリストを招待しての、文字通りインターナショナルな音楽祭です。通常よく演奏されるJ.S.Bach(バッハ)などバロック音楽の他、地元の少年・少女合唱団が参加するプログラムもあります。私も、2001年のこの音楽祭の確か最終日に聴きに行ったことがありますが、間近にチケットがあるか問い合わせたら、一番安い遠くの席しか残っていませんでした。
それでも、その美しいバンブーオルガンの響き、フィリピンで初めてのクラッシックの演奏会を堪能できました。もう10年も前…、です。

 
チケット購入、詳しい日程は、こちらからチェックできます。↓
The 36th International Bamboo Organ Festival - 021811
オレンジ席(ゾーン)が600ペソ、イェロー席が400ペソ、グリーン席が200ペソ(座席指定なし)となっています(^^)。


(参考)以前のブログ記事より。↓
ラス・ピニャス市のバンブーオルガン - アイ!サラマッポ in バギオ


マニラ湾のサンセットとバンブーオルガン半年ぶりのマニラで。 - アイ ...


戦時中のベートーヴェン『第九 - アイ!サラマッポ in マニラ


マーラー没後100周年に。 - Gustav Mahler 100th Memorial Year

2011年02月07日 | 音楽

 2011年は、交響曲や歌曲において偉大な作品を多数作曲、指揮者としても素晴らしい功績を残した、ウィーン19世紀末の偉大な作曲家、グスタフ・マーラー・Gustav Mahlerの、没後100周年の年です(1911年5月18日逝去)。
 昨年2010年は、マーラー生誕150周年(1860年7月7日生まれ)でした。

 そして、“BOLD STROKES, NEW GROWTH: THE PPO 28TH SEASON CONCERT 2010-2011”と題された、今回のフィリピン・フィルハーモニック・オーケストラ(Philippine Philharmonic Orchestra P.P.O.)の、シーズンの最後のプログラムに、そのマーラーの交響曲第1番『巨人』が組まれています!(4月15日・金)↓
 

CONCERT VIII POOM AND MAHLER I
April 15, 2011
Poom Prommachart, piano

HOHVANESS, Alan – Symphony no. 2 “Mysterious Mountain”
RACHMANINOV, Sergei - Piano Concerto No. 3
MAHLER, Gustav - Symphony No. 1 "Titan" 

フィリピン文化センター(Cultural Center of The PhilippinesCCP
Cultural Center of the Philippines

このマーラーの交響曲第1番『巨人』は、フィリピンでは初めて演奏される楽曲かもしれません。

 私
は、このマーラーの『巨人』には、忘れなれない思い出があります。もう30年以上も前ですが、自分の20歳の誕生日の翌日に(大学2年)、小澤征爾さんが、音楽監督に就任されたボストン交響楽団を引き連れて金沢で演奏会を…。ラヴェルの『ラ・ヴァルス』とブラームスの『交響曲第3番』…、当時結構バイトをしていた私は、思い切ってステージ真ん前のA席を1万円で購入(間近の席は逆にちょっと安い)したのでした。
 小澤征爾さんのエネルギッシュなコンダクトとオケの響きの素晴らしかったこと!感動、至福のひとときでした。小澤征爾さんの鼻息も直に伝わってきて…(^^;)。その日、ロビーで売られていて、思わず買ったレコードがこれ。↓

 
 

 演奏終了後、楽屋で気軽に握手とサイン等に応じられた小澤征爾さん。「Seiji Ozawa」というサインを、そのレコード・ジャケットの裏にしていただきました。20歳の、とてもよい記念となりました。
 家に帰って、早速そのレコードに針を…。「ブチッ…。」
 
この小澤征爾さん・ボストン響のマーラー『巨人』のインパクトが、あまりにも強烈なものでした。「こんな音楽があっていいのか…。」それが、マーラーとの出会いでした。

こちらから、少し視聴できます。↓

マーラー:交響曲第1番(花の章付き)
ボストン交響楽団 小澤征爾
ユニバーサル ミュージック クラシック




(参考)以前の記事より。↓
長崎の鐘が。(小澤征爾さんの『復活』コンサートの思い出-浦上天主堂)
2009-08-09 16:38:19 | 音楽

音楽が助けてくれる!」(小澤征爾 - アイ!サラマッポ in マニラ


※ 当ブログのアクセス数が昨日2月6日で「50,033」と、5万回を突破しました。「サラマッポォ!」


フィリピン・フィルの『運命』(2月11日) in CCP

2011年02月05日 | 音楽

(ライト・アップされた、夜のフィリピン文化センター・CCP

 来週の金曜日(2月11日)、夜8時から、パサイ市のフィリピン文化センター(
Cultural Center of The PhilippinesCCP)で、フィリピン・フィルハーモニック・オーケストラ(Philippine Philharmonic Orchestra PPO)の演奏会があります。

Cultural Center of the Philippines


曲目は…、
   ベートーヴェン『交響曲第5番・運命』
   ガーシュウィン『シンフォニック・ピクチャーズ』(オペラ『ポ-ギーとベス』より)
   チャイコフスキー『ヴァイオリン協奏曲』

 当初予定されていた中国人のソリスト(ヴァイオリン)が変更されて、急きょフィリピンの19歳の若手ソリスト
Diomedes B. Saraza Jr.さんが…。演目も、当初のブラームスのヴァイオリン協奏曲から、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲へと変更になりました。

CONCERT VI  (February 11, 2011)
BEETHOVEN, Ludwig van - Symphony No. 5 in C minor, Op. 67
GERSHWIN, George – “Symphonic Pictures” from Porgy & Bess (arr. Bennett)
TCHAIKOVSKY, Peter I. - Violin Concerto in D major

 ベートーヴェンの『交響曲第5番・運命』は、私が健常者として、金沢のアマチュア・オケで最後にコントラ・バスを演奏した曲です。輪島市文化会館での、石川県芸術祭「市民ふれあいコンサート」でした…。

 体調も戻ってきたことだし、フィリピン・フィルがどんな響きを奏でてくれるのか、聴きに行ってこようと思います。

 
(変更前のチラシです。)


Happy Christmas ! 「ハッピー クリスマス!」

2010年12月25日 | 音楽

Merry Christmas & Happy New Year!
Maligayang Pasko at Manigong Bagong Taon sa inyong lahat!

May the holidays and the coming year hold many joys for you...good health, good friends and happiness!
May Peace be your gift at Christmas and your blessing all year through!
One of the real joys of the festive season is the opportunity to express thanks for your support in the past year and to wish you the best for the New Year.
“Thank you very much!"
"Maraming salamat po!”

 
(12月1日に撮影したメトロ・マニラの夜明け…。)

 
(12月5日に撮影したマニラ湾の「東洋の真珠」…。今年は、ラ・ニーニャの影響からか、乾季に入っても美しい夕日が見られる日が少ないようです。)

Happy Christmas (War Is Over) witch lyrics

(John Lennon & Yoko Ono in 1971)

曲の冒頭、「Happy Christmas, Kyoko…」とヨーコが呼びかけている「キョウコ」は、前の夫との間に生まれたヨーコの娘で、「Happy Christmas, Julian…」とジョンが呼びかけている「ジュリアン」は、前の妻との間に生まれたジョンの息子です。

(歌詞より)
Let's stop all the fight(争い合うことなど、もう止めようじゃないか。)
War is over if you want it.(あなたたちがそう望めば、戦争は終わるはず。)
反ベトナム戦争、平和へのメッセージとして世界に発信された曲です。

Happy Xmas (War Is Over) - John Lennon

(同じ曲ですが、戦争の犠牲者の悲惨な映像あり。小さなお子さんには、保護者の方の配慮が必要です。)
この映像の最後にある言葉は…。
“An eye for an eye will make us all blind” (Mahatma Gandhi)
「目には目を」は、私たちを盲目にする。(マハトマ・ガンジー)

今年は、朝鮮半島の緊迫した状態の中で迎えたクリスマスと年末・年始…。
人々の思い、願いとはほど遠いところにある、ごく一部の権力者の思惑や利権争いによって、一般の人々が犠牲になるなどいったことは、もう二度とあってはならないことです。


末尾ながら、皆様のご健康とご多幸を心からお祈りいたします。
そして、今年一年、多くの方々に支えられて、無事に過ごされたことに感謝します。
「アイ!サラマッポ」

-         Isshin
(ブログ開設1周年)


「うたぽすと」の初アルバム『それきりソング』 リリース・発売!

2010年10月10日 | 音楽

男女のデュオ「うたぽすと」の初アルバム『それきりソング』リリース・発売開始!
11曲入りCD 1,500円です(消費税込み)。↓

 

「うたぽすと」は、男女二人の作曲コンビ。
2007年6月から、東京都内を中心に活動しています。

うたぽすと (ホームページ)

うたぽすとブログ
 (ブログ)

曲の一部は、こちらから視聴できます。↓
うたぽすと on MySpace Music - Free Streaming MP3s, Pictures ...

ライブの様子はこちらから…『ぽーりんぷっぺん』(動画)↓
ていぱーく #13 うたぽすと_ぽーりんぷっぺん


 

できたてホヤホヤのCDは、こちらからお買い求めいただけます。↓

うたぽすと『それきりソング』 | mona records online cd & goods shop


※ 追加情報(10月18日)↓
うたぽすと1st Album 「それきりソング」 販売方法

商品 - うたぽすと


ビートルズ・The Beatlesの悪夢 in フィリピン(1966)

2010年10月06日 | 音楽

「ジョンの魂」ジョン・レノン・ミュージアムはどこへ?続き)

 
1966年7月3日、日本公演を終えたビートルズは、香港経由で次の公演地フィリピン・マニラへ。そこでも熱烈な歓迎を受けました。↓
 
 

 翌4日、マニラのリサール・メモリアル・スタジアム(野外)で公演。観客数は、これまでで最大の約10万人を動員したと言われます。↓

The Beatles Live in Manila July 4 1966

 その時のコンサートの、ポスターやチケットです。↓
 

 

 

 

 現在のリサール・メモリアル・スタジアム(今年1月撮影・写真やや右下)。↓
 

 さて、44年前のここマニラで、ビートルズに一体何が起きたのか…。

 その7月4日という日は、1946年に、それまでアメリカ統治下にあったフィリピンの、「独立記念日」として、アメリカが自国と同じ独立記念日に設定した日でした。このビートルズのコンサートの2年前に、独立記念日は、現在の6月12日(1898年)に変更されました。
 
この日のコンサートの後、実は、当時の大統領夫人イメルダ・マルコス主催のパーティーに招待されていました。ビートルズのマネージャーのエプスタインは、事前に丁重に断ってあったのですが、現地のプロモーターがメンツのために、イメルダ夫人サイドに伝えていませんでした。大統領夫人の招待を断る事は許されないと、プロモーターは断られた後も何度も執拗に依頼を続けました。ビートルズサイドが正式な断りを入れていたのにも関わらず、イメルダ夫人サイドにはパーティーの直前まで伝えられず、実際には時間寸前までパーティー出席の交渉があったといいます。
 
が、結局、ビートルズは、そのパーティーに出席できませんでした。
 
自分の招待を断った、と思い込んだイメルダ夫人は激怒し、新聞やテレビなどのマスコミを総動員して「ビートルズが勝手に約束を破った。会えるのを楽しみにしていた子供たちが可哀想だ。」などとネガティブ・キャンペーンを展開したのです。
 
テレビには「裏切られた!」などと絶叫するイメルダ夫人が映し出され、翌5日のフィリピン各紙には「ビートルズ、大統領一家を侮辱!」などといった記事が大々的に掲載されました。真相は、ビートルズがすっぼかしたのではなく、招待状が彼らの手にちゃんと届いていなかった事にあったのですが…。
 国民感情、民族意識の強いフィリピン…。たちまち、国内に、ビートルズに対する激しい怒り、反感が広まりました。何が起こったのか分からないビートルズサイド、一行はすぐに帰途に就こうとしましたが、国際空港で、ビートルズは、怒りに満ちた民衆に取り囲まれ、こづき回され、もみくちゃにされたのでした。私の友人の母親は、民衆が(ビートルズに)トマトを投げていた、とも聞いた、と言っていました。
 
空港では、到着時と打って変わって、特別な扱いをされることなく、一般乗客と同じようにチェック・インしたのです。が、搭乗後も、飛行機の離陸許可がなかなか下りず、結局「コンサートの収入をすべて当局に渡す」という条件と引き換えにようやく許可が下り、フィリピンを離れることができた、という事件でした。かわいそうだったのは、ビートルズの来比を持ち望んでいたファンたちも同じだったでしょう…。


 
(The Manila Times -July 6, 1966)

 
この、ビートルズにとって、まさに降って湧いた悪夢のようなフィリピンでの災難が、その後のビートルズのライブ活動を停止する一因になったと言われています。
 
この件に関してポール・マッカートニーは、マルコス大統領失脚後に、「隠された真相が明らかになった…。」(自分達の無実を証明できた)、「ビートルズは、マルコス大統領に反抗した唯一のロックグループさ…。」とコメントしています。リンゴ・スターも「フィリピンは大っきらいだ…。」と、当時を振り返っています。↓
Beatles in Phillipines (1966)
(4分30秒あたりで、イギリスに戻った直後のインタビューも…。ジョンが「こんなふうだったんだ…。」と興奮気味に話しているのが印象的です。)


 21年間に及ぶ、長いマルコス政権が発足して2年目の出来事でした。

イメルダ・マルコス - Wikipedia(現フィリピン下院議員)


「ジョンの魂」…ジョン・レノン・ミュージアムはどこへ?

2010年10月01日 | 音楽

 昨日9月30日をもって、さいたまの「ジョン・レノン・ミュージアム」が閉館しました。ジョンの生誕60周年の2000年10月9日に開館、これまで約61万人が来場したそうです。ミュージアムは、「ジョンの魂」とともに旅立ち、新たな地で再び公開されることが計画されているようです。
 

 
最終日の昨日、オノ・ヨーコさんからのメッセージが、Twitterで公開されました。
「ジョン・レノン・ミュージアムを愛してくださった方々に。」
 
ジョン・レノンは世界中をめぐる運命を持っていました。彼の魂は動くことによって継続していたのです。動かないと死んでしまう。ジョンの精神が宿るミュージアムも動かないとミュージアムではなく、お墓になってしまう。ジョンにはお墓はないのです。彼が息を引き取ったとき、私は「ジョンの葬儀は行ないません」と世界に向けて言いました。それは、ジョンの魂が永遠に生き続けることを知っていたからです。(中略)
 
このジョン・レノン・ミュージアムを愛してくださったみなさん、深く感謝しています。あなたがた一人ひとりの中にジョンのスピリットが受け継がれ、そのみなさんのスピリットが、世界の平和が実現していくための愛の力になることを信じています。みなさん、ありがとう!
愛をこめて
 オノ・ヨーコ

John & Yoko - an exclusive interview in Japan 1971 ...
(ジョンとヨーコへのインタビュー
in 1971年1月25日@東京)
「俳句は、自分が目にした詩の中でもっとも美しい形態の詩だ。しぶい…!今度のアルバムはしぶい。俳句的だし、禅のスピリットも…。」John Lennon
「音楽がどんどん装飾的になっている時代に、今回のようなタイプのアルバム制作は、勇気のあるものだと思う。」Yoko Ono
オノ・ヨーコさんは、日本の社会・環境(40年前の)をも憂いています。

このインタビューで語られているアルバム『ジョンの魂』↓
 
ジョンの魂 - Wikipedia

そして、このインタビューの後、その年に発表された代表曲『
Imagine・イマジン』↓

John Lennon - Imagine HD 720p

 ジョンは、オノ・ヨーコさんと何度も来日、親日派でした。が、ビートルズのメンバーとしての来日は、1966年の日本公演(6月30日~7月2日・日本武道館)の、一度きりでした。↓
 

The Beatles - Live In Japan 1966 2_4
(武道館ライブ・パート1-司会は
E.H.エリックさん)

The Beatles - Live In Japan 1966 1_4
(羽田に到着~東京ヒルトン~日本武道館)

 
日本公演の終了後、次に控えていたのは、フィリピン・マニラでの公演でした。7月3日、ビートルズは、香港経由でフィリピンのマニラに到着。そこでも熱烈な歓迎を受けたのですが、翌日思ってもみない悪夢のようなハプニングに見舞われることになるのでした。
(続く…。)

ジョン-John Lennonの命日に(以前のブログより)


秋分の日に「陽水」…!

2010年09月23日 | 音楽

 今日は秋分の日。昨夜は十五夜、日本でも、残念ながら「中秋の名月」は、秋雨前線の影響で見られなかったところがほとんどのようですね。実際には、今日が満月のようですが…。
 
もっとも、江戸時代の書物に「中秋の名月、十年に九年は見えず」という記述もあるほどだそうで、この時期のお月様は見えることの方が少ないのでしょう。去年の秋は日本にいましたが、夜9時頃、雲の切れ間から満月が浮かび上がっているのを目にし、ほのぼのとした気分になりました。

 
さて、つい最近たまたま撮れた写真を2枚…。
 
 9月10日午後1時頃 東の方角にくっきりと雲の境目が…。

 
 9月21日午後6時頃 久しぶりに顔を見せてくれたマニラ湾の夕日。

 
この時期、雨季の真っ只中のマニラも、天気は変わりやすく、午後から夕方にかけては、スコールが来たり雷雨になったりすることが多いのです。女心とマニラの空…?

 
今日も午後は危うい空模様…。NHKワールドプレミアム「SONGSプレミアム」で、久しぶりに井上陽水さんの歌声を聴けてほのぼの…。

能古島の片想い / 井上陽水 歌詩付き
(高校時代、大好きだった曲。よみがえってきます、当時が…。)

帰れない二人 井上陽水&忌野清志郎

(故忌野清志郎さんとの合作曲。)

井上陽水最後のニュース@Flash

(故筑紫哲也さんの依頼で作られた曲。凶弾に倒れたジョン・レノンや、現アキノ比大統領の父親ニノイ・アキノ氏の画像もあります。)

 
と、陽水さんの「SONGS」が終わるや否や、突然稲妻が空を走って、バリバリーッと。そしてザアーッと雨が…。さっきまで陽が差していたのに…。
 その雨も30分ほどで上がり、また薄日が…。さて、今のうちにアップ、アップ…。
 おっと、また雷が…。(^^;)