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アイ!サラマッポ in フィリピン & ジャパン!

‐Ay! Salamat sa Pilipinas at sa Japan!‐
 フィリピン、そして日本にありがとう!

『LET IT BE』(Paul McCartney)の「mother Mary」

2010年09月14日 | 音楽

 ビートルズ(The Beatles)のアルバム『LET IT BE』(レット・イット・ビー)は、1970年5月8日に発売された、ビートルズ最後のアルバム(13枚目)です。(実際には『Abbey Road』(アビー・ロード)より先に録音されています。)
 


 
ポール・マッカートニーによって作られ歌われている『LET IT BE』…。その曲を初めて耳にしたのは、多分中1か中2の時でした。冒頭のピアノから引きつけられ、「♪Let it be. Let it be…」と繰り返しポールが歌うこの曲には、40年経った今でも、深い響きが感じられます。↓

The Beatles "Let it be"

この映像には、シングル版・アルバム版にない歌詞
"There will be no sorrow"
悲しみは消え去るだろう)という一節が含まれています。映画用の別テイク…、貴重です。

When I find myself in times of trouble,
mother Mary comes to me
speaking words of wisdom
Let it be…
落ち込んで、もうどうしようもなく沈んでいた時に
mother Mary」が僕のもとにやって来て
賢明なお言葉をかけてくださった
Let it be…

 
この歌詞に登場する「mother Mary」(マザー・メアリー)…。
 
私自身は、少し前までずっと「聖母マリア・Mother Mary」だと思っていました。
 
でも、この『LET IT BE』のアルバム制作に当たっていた時期は、メンバーの4人はもうバラバラで、ビートルズ解散が決定的となりました。ポールが、悩みに悩んでどうしようもなく沈んでいた時に、彼が14歳の時に病気で亡くなった実母メアリー・Mary McCartneyが夢の中にやって来て、かけてくれた言葉が「Let it be.」だったということを知った時は、本当に驚いたものです。
 
しかし、一般的には「mother Mary」は、「聖母マリア・Mother Mary」ともとらえられる向きもあり、日本語訳でそう訳されているものも少なくないようです。
 
事実、実母メアリーさんはカトリック教徒で、ポールもそうでした(父のジェームズさんはイギリス正教会)。カトリック教徒にとって、聖母マリアは、神へのとりなしをしてくださる「崇敬」の対象として特別な存在のようです。カトリック教徒が8割以上を占めるフィリピンでは、いたる所で聖母マリア像を目にします。
 
ポールが、夢に現れた亡き母メアリーさんに、聖母マリアを重ねてこの詞を書いた、という想像も容易にできます…。
 
聖書の中にも、受胎告知のお告げが下った時に聖母マリアがそのことを受諾する箇所に次のような記述があるそうです。

"let it be to me according to your word." (RSV; Luke. 1:38)
「(主の)お言葉とおり、この身になりますように」
(新約聖書ルカによる福音書1章38節)

Let it be」の意味は、正直言って深くてよく分かりません。「あるがままに」「なすがままに」というような意味だと思っていましたが…。苦境に立たされていたポールの心の中には、「神様にお任せします(委ねます)。」といった気持ちも強かったように思えてきます。

 
ちなみに、私自身は、フィリピンの人に「宗教は?」と聞かれたら(よく聞かれる…)、「Buddhist」(仏教徒)だと答えます。ちなみに、浄土真宗です。が、フィリピンの人の厚い信仰心に触れ、カトリックやプロテスタントに代表されるキリスト教には、教えられることが少なくありません。

「ピラール・ビレッジには、割と大きなカトリックの教会がある。私は浄土真宗の仏教徒だが、たまにカトリック教徒のフィリピン人介護者と一緒に教会のミサにも出かけていた。日本では、宗教が普段の生活の中で見えにくい面もあるが、フィリピンのカトリック教会へ行くと、老若男女を問わず、その真摯に祈る姿に教えられることが少なくない。
 
フィリピンは、九割以上の人がキリスト教徒で、カトリック信者がその大多数を占める。それは、フィリピン各地の歴史を感じさせる古い教会と共に、スペインが植民地時代に残した一つの財産だと思う。日常生活の中にも宗教はしっかり息づいており、特に人々の精神的な支柱となっているのが分かる。初対面の人に「日本人ですか?」と聞かれ、名前の後に「宗教は何ですか?」と聞かれることがよくある。フィリピンで宗教が大事にされていることの証だ。若者にデートの場所を尋ねると、もちろん映画館だったりレストランだったりもするが、週末のデートコースには必ず教会のミサが加わるようだ。
(拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』下巻より)


GINTE2 『ちいさき者(ひと)がゆえに・・・ 微笑みを』 (3rd Album)

2010年09月01日 | 音楽

 数年前にダバオ市で「日本フィリピンボランティア協会・JPVAを通じて知り合って以来、ずっと親しくさせていただいている、ダバオ在住「ダバシューさん」こと本田修二さん…。
 
ロサンジェルス在住のヨシオ・J・マキさんこと牧良夫さんとのデュオユニット「GINTE2」(ギンテツー銀河鉄道2)の3枚目のアルバム『ちいさき者(ひと)がゆえに・・・ 微笑みを』が9月15日に発売されます。↓

    


 そして、今年の日本でのライブ「
GINTE2 里帰りライブ 2010は9月17日(金)から19日(日)の3日間、東京で…。詳しくはこちらで…。

銀河鉄道 - GINTE2
(GINTE2・オフィシャルサイト)

GINTE2の曲は、こちらから視聴できます。↓
GINTE2 on MySpace Music - Free Streaming MP3s, Pictures & Music ...

1st Album 『いつの日か』 ↓(クリック)

  いつの日か
 
ミディ

2nd Album 『遥かな風~アカシアの木の下で』 ↓(クリック)

遥かな風~アカシアの木の下で
 
MIDI Creative

3rd Album 『ちいさき者(ひと)がゆえに・・・ 微笑みを』 ↓(クリック)

ちいさき者(ひと)がゆえに...微笑みを
 
ミディ


 遠く離れたロサンジェルス在住のヨシオ・J・マキさんと、どうしたらあんなにバッチリと曲作り(音源録り)、CD制作ができるのか、素人には想像できない世界です。私がダバオにロング・ステイ中(
2003~2007)、ダバシューさんのアコースティックギターの生演奏を何度か聴かせていただけたのは、とてもラッキーでした。

   
(2004年8月のカダヤワン・フェスティバルで偶然…。)

 ダバシューさんのハッピー・ライフ in ダバオの様子はこちらです。↓
南の島でポン!


…そのDUDFの管理を任されているダバシュー氏は、私のダバオでの大切な親友の一人である。かつてフォークの全盛期に、伝説の高校生バンド『銀河鉄道』で活躍されていたミュージシャンだ。現在は、ダバオ市内で夫人と幸せな家庭を育まれ、二〇〇六年一一月には、『GINTE2』というユニットで『いつの日か』というアルバムを発表されるなど、ダバオに腰をすえて音楽活動を続けられている。そして、フィリピン人の学生や子供たちへの音楽教育等を通して、地域に根づいた支援活動をもされている。そのような方ともダバオで知り合えたことは、フォーク世代の私にとって、何とも不思議で幸運なことだった。時々耳にできる、ダバシューさんの生ギターの響きにはゾクッとするものがある。一度、私の誕生日に「何か歌いたい曲ある?」と言われるままに、拓郎の『結婚しようよ』をリクエストしたことがあった。ダバシューさんのアコースティックギターで、「♪ボクの髪ーがー肩まで伸びてー」・・・恐縮しながらも、夢心地で全身がしびれた。「何かあったら、いつでも呼んでよ!」といつも気にかけて下さる氏は、ずっと以前からの親しい友人のような感覚でお付き合いさせていただいている。
DUDF:ダート内田・デベロップメント・ファンデーション(Datu Uchida Development Foundation)
(拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』下巻より) ↓

 
アイ サラマッポ 下

  寺本一伸 著

 
ブイツーソリューション

戦時中のベートーヴェン『第九』

2010年08月11日 | 音楽

 毎年、年末になると、日本各地で演奏されるベートーヴェンの『交響曲第九番』(第九・合唱付き)ですが、何とその由来は「太平洋戦争」と関わりがあったようです。
 太平洋戦争最中の1943年の学徒出陣の際、東京音楽学校(現在の東京学芸大学☓)→(○現在の東京芸術大学・めっちぇさん、ご指摘サラマッポ!)で、出陣する学生のための壮行の音楽として『第九』が演奏されたということです。やがて終戦後の1947年12月30日、生きて帰れなかった学生たちのために、再び『第九』が東京音楽学校の学生たちによって演奏されました。これが毎年開かれるようになり、全国へ波及していったのが「年末の第九」ということのようです。
 つまり「年末の第九」の原点は、戦場で命を落とした若い音楽学徒への「鎮魂歌・レクイエム」だったのです。
 その第4楽章『歓喜の歌』では、シラーの『歓喜に寄す』という人類愛や平和への希望、喜びを表現した詩が使われています。それが、日本でこういう形で広がっていったとは、何とも皮肉な話です。
♪ Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium
  
Wir betreten feuertrunken. Himmlische, dein Heiligtum!
  Deine Zauber binden wieder, Was die Mode streng geteilt,
  
Alle Menschen werden Brüder, Wo dein sanfter Flügel weilt!

 そしてまた『第九』は、終戦間際の昭和20年6月まで定期的に開かれていたという記録も残っているそうです。場所は日比谷公会堂、オーケストラはNHK交響楽団の前身「日本交響楽団」。国民の戦意高揚という意味合いが強かったのでしょうが、傷ついた人々の心をも癒やしたであろうと信じたい思いです。
『第九』は、同盟国ドイツの音楽だったこともあって演奏されたとのことですが、空襲で焼け野原になった東京で、人々はどんな思いでその『第九』を聴いたのでしょう?
 7月2日、その日比谷公会堂開設80周年記念行事の一環として、その「戦時中の第九」を振り返ろうという演奏会が開かれました。指揮をされた井上道義さんは次のように書かれています。
「ふつうはこのサイトのコメントは頭を冷やして日にちを置いてから書いている。が、今日は本番の後の今書く。素直にいろんな意味で成功したと思う。開催時期、企画、プログラム、宣伝、1945年の戦時のコンサートを見据えての世代は離れているが歴史的に深く関係している大学の合同合唱団、また何よりも最近若い世代にバトンタッチされ、斜に構えないで音楽を表現出来るよい人間関係の環境にあると感じられるNHK交響楽団との幸福な数日間が何よりうれしかった。
 
ただし、いままで私とのオペラなどでことごとく成功してきた若いソリストたちはこの日の第九の持つ緊張感?またはオーケストラのひたむきな熱気に影響されたか音程に乱れがあったのは若気の至り・・・未来への課題としておこう。
 
この日のコンサートは終戦記念日815日の夜9時からNHKテレビで放映されます。
 
戦争と音楽、日本とクラシック音楽、社会と音楽、伝えて渡すもの、多くの繋がりを思う一日の終わりに、僕の小学校の成城学園同窓会の集まりがあった。終わった!明日っから作曲だ。書くぞ!!」(7月2日・井上道義)

井上道義オフィシャルサイト - Michiyoshi Inoue Official Site

井上道義さんは、2007年から「オーケストラ・アンサンブル金沢」の音楽監督を務められています。↓
Orchestra Ensemble Kanazawa(オーケストラ・アンサンブル金沢・OEK

ベートーヴェンの『第九』について。
交響曲第9 (ベートーヴェン) - Wikipedia

以前、このブログでもちらっと書きましたが、ドイツでもちょうど同じ時期に、ナチス政権下で、あのフルトヴェングラーが『第九』を演奏している貴重な映像が残っています。
Furtwaengler conducts Beethoven 9th Sym finale 1942

「ホセ・リサール博士」の日-Dr. Jose P. Rizal’s Day


下の映像は、ベルリンの壁の崩壊を見た1989年の年末に、バーンスタインが、東西ドイツとベルリンを分割した連合国(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連)のメンバーによる混成オーケストラを指揮した時の『第九』です。ベルリンで、第4楽章の"Freude"(喜び)を、あえて"Freiheit"(自由)に替えて歌われました。↓
Leonard Bernstein performs Beethoven's Ode to Joy


「音楽が助けてくれる!」(小澤征爾)

2010年08月05日 | 音楽

 今年初めから、食道がんの治療に専念されていた「世界のマエストロ」小澤征爾さんが、先日(8月1日)、長野県の奥志賀高原で行われたクラシック音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル(SKF)松本」の公開リハーサルに参加されたそうです。
「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」の総監督を務められる小澤さんは、チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」など2曲を約30分間にわたって指揮、その後の会見では「指揮できるのが夢みたい。今日は第二の人生の1日目」と述べられました。また、1月に食道の全摘出手術を受けられたことを公表、苦しかった闘病生活、家族の支え…について触れられ涙を。NHKのニュースでその時の映像を見た時、胸が熱くなりました。
 小澤さんは、この9月1日で75歳になられますが、その直後の「復活」コンサートとなります。↓
サイトウキネン・フェスティバル松本

 その模様は、NHKBSハイビジョンでも放映予定です。↓
「世界の小澤征爾 復活!  ~2010サイトウ・キネン・フェスティバル松本~」
9月11日(土)午後8時~11時 

TCHAIKOVSKY: Serenade for Strings in C major, Op. 48
(チャイコフスキー『弦楽セレナーデ』)

長崎の鐘が…。(小澤征爾さんの『復活』コンサートの思い出-浦上天主堂)

 
そして、その会見中、7月末に同じ食道がんを患っていることが発表されたサザンオールスターズの桑田佳祐さんを気遣い、「桑田さんのことは聞いていました。僕と同じく人間ドックで(初期のがんが)見つかったとか。彼は僕より20歳も若い。今の医学は進歩している。絶対大丈夫!音楽が助けてくれる!!」と…。

 
その桑田佳祐さんですが、その後食道がんの手術を受け、順調に回復に向かっていることが4日、所属事務所から発表されました。
 
術後の経過は良好で、「麻酔から覚めてすぐに声が出せ、翌日には少し歩いた」ということで、担当の医師も驚くほど順調な回復ぶりだです。
 桑田佳祐さんは、こんな歌も作っています!

平和の琉歌(PV) (桑田佳祐作詞/作曲・1997)

♪この国が平和だと 誰が決めたの?
 人の涙も渇かぬうちに 
 アメリカの傘の下 夢も見ました
 民を見捨てた戦争の果てに

 蒼いお月様が泣いております
 忘れられないこともあります
 愛を植えましょう この島へ
 傷の癒えない 人々へ
 語り継がれてゆくために

 この国が平和だと 誰が決めたの?
 汚れ我が身の罪ほろぼしに
 人として生きるのを 何故に拒むの?
 隣り合わせの軍人さんよ

 蒼いお月様が泣いております
 未だ終わらぬ過去があります
 愛を植えましょう この島へ
 歌を忘れぬ 人々へ
 いつか花咲くその日まで


「ドゥチュイムニイ」(佐渡山豊)on 沖縄慰霊の日

2010年06月23日 | 音楽

佐渡山豊 『ドウチュイムニイ』(最近の映像)

佐渡山豊 『ドゥチュイムニイ』
 (73年に発表された当時の音声)

佐渡山 豊 - 『ドゥチュイムニイ』(独り言)
(沖縄語で歌われている部分だけを抜き出してみました。↓)

♪オイラの生まれは 沖縄のゴザという町です。
 中の町という所に 家を借りている 
 箸にも棒にもかからない ガキでございます。

 みなさん ちょいと聞いてくださいな
 そんなオイラの ドゥチュイムニイ(独り言)
 調子っぱずれの所は 我慢して
 詩の意味だけは 分かってくださいよ

 沖縄語は とってもいいもんだよ
 ちょっと英語に 似ているけれど
 どこの国にも ない言葉
 皆で大事に 残していこうよな

 そうみんチャンプルーに 足手引ち(アシテビチ)
 豆腐チャンプルーに ソーキ骨(ブニ)
 沖縄料理は とても美味しいよ
 長生きしたけりゃ これを食べなよ

 中国の世から 日本の世
 日本の世から アメリカの世
 アメリカの世から また日本の世
 どうしてこんなに変わるのかよ!この沖縄よ

 落ちかけた私の魂よ 戻って来ておくれ!
 お焦げご飯で くっつけましょう
 たとえ魂は落ちても 生命(いのち)は落とすなよ
 しっかり生きていこうよ! 皆様方

 ゴザの夜は 明るくてまぶしいくらいだよ
 白粉や口紅べたべた塗ってる おばさんたちが
 毎日一生懸命 働いているけど
 いったいいつになったら 休息の時が来るのだろうか

 富んで繁盛しても 人情は忘れるなよ
 己の芯は 己にあるんだよ
 偽者と本物の違いは いずれ分かるだろう
 共にきばろうよ! 皆様方!

 
これぞフォーク魂!ビビビーッときました!日本語で歌われている部分の歌詞にもゾクッとするものがあります。時代に翻弄され続けてきた沖縄の、癒えることのない怒りと、沖縄への深い愛が伝わってきます。
 
今日6月23日は、65年前に悲惨な沖縄戦により約20万人もの人たちが命を奪われた日です…。糸満市の沖縄平和祈念公園では、今年もまた、沖縄全戦没者追悼式がしめやかにとり行われました。
 佐渡山豊さん、今夜は、イベントでまた歌われるのですね。↓

  2010.6.23『琉球魂’10慰霊の日から考える沖縄の未来』

 私のフィリピンでの古い友人の一人に、ジェス・サンティアゴ・Jess Santiagoというフォークシンガーがいます。二十数年前に、小室等さんが企画された、日本でのアジアフォーク音楽祭に、フィリピン代表としてステージに立ち、4年前には、この沖縄で数ヶ月間、沖縄の音楽や文化を学んだKuya Jessも、つい先日60歳になりました。最新の歌『HAYAANG MANGUSAP』です。↓

 YouTube - HAYAANG MANGUSAP - JESS SANTIAGO


(参考)以前のブログより→ 沖縄慰霊の日に


フィリピン・フィエスタ in 東京ビッグサイト-フィリピンの若き歌姫サラも…!

2010年02月20日 | 音楽

 フィリピンの国民的アイドルで、人気、実力ともに若手トップの女性シンガー、Princess pop star(フィリピン・ポップミュージックのプリンセス)「サラ・へロニモ-Sarah Geronimo」(ほめ過ぎ?^^;)も来日、ゲストで出演する「プレミアム・フィリピン・フィエスタ・2010」"Premium Philippine Fiesta 2010" が、1か月後の3月20日(土)に、東京ビッグサイトで開催されます。
※ このポスターでは3月10日(土)となっていますが、間違いでしょう。

 午前10時開演のこのフィエスタ(祝祭)には、東京外国語大学のフィリピン民族舞踊団も参加するほか、フィリピンのジェド・マデラ-Jed Madelaやビリー・クロゥフォード-Billy Crawfordといった実力男性シンガーも来日します。音楽監督にルーウィ・オカンポ-Louie Ocampo、総監督にはランディ・サンチアゴ-Randy Santiagoという力の入れ込みようです。入場料は2500円で全席スタイディング…、チケットは「JENET TRAVEL ALLIANCE・ジェネット・トラベル・アラィアンス」(Tel:03-5338-8460・日本語と英語で対応)まで、となっています。詳しい内容は以下のHPで…↓

 http://www.philfiesta2010.com/main%20japanese.html
(それにしても、一日限りのイベントにしては、英語のほかに日本語とスペイン語のページもある、よくできたホーム・ページですね。)

 さて、この「サラ・ヘロニモ」というシンガーは、2003年に、フィリピンの名実ともにトップ・シンガーである「レジン・ヴェラスケス(レジーナ)-Regine Velasquez」(Asian song bird-アジアのひばり?と呼ばれている)のオーディション番組で優勝。デビューを果たしたのは15歳の時でした。現在21歳。
 Youtubeから、彼女を一躍スターに伸し上げた名曲3曲を拾い出してみました。↓

 Sarah Geronimo - To Love You More(これは14歳の時の映像のようです。)
 http://www.youtube.com/watch?v=6qDExs-r3Lw&NR=1

 Sarah Geronimo -
Forever's Not Enough
 http://www.youtube.com/watch?v=A4vuHwRrdD4&feature=related

 Sarah Geronimo - How Could You Say You Love Me
(16歳頃の映像)
 http://www.youtube.com/watch?v=yIGeZaDs8KE&feature=related

 この「How Could You Say You Love Me」が入っている2枚目のアルバム『Sweet sixteen』は9万枚以上も売れたそうです。(実は私も買いました…^^。)↓
 

 フィリピンは、自他共に認める歌やエンターテインメントの優れたお国柄。アメリカも活動の場とするレジン・ヴェラスケス
が、マライア・キャリーに「歌の上手いイエロー・モンキー」と呼ばれて、「あなたはブラック・モンキーよね。」と言い返したとか…。凄い話の内容です。

 
それはさておき、「プレミアム・フィリピン・フィエスタ・2010」は、顔ぶれも内容も魅力的で、結構楽しめるイベントだと思います。お時間のある方はぜひ…。(東京ですが…。)