中岡慎太郎181歳の誕生日であったきのう、『千里の向こう』(箕輪諒)を読む。
千里の向こう (文春e-book) | |
簑輪 諒 | |
文藝春秋 |
冒頭、心のうちで龍馬を再三こきおろす慎太郎。
たとえばこんなふうに。
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やはり、こいつは苦手だ。軽薄で、苦労知らずで、いい加減で、いつもへらへらしている。生い立ちも性格も正反対の光次(注:慎太郎のこと)とは、水と油のようである。
(Kindleの位置No.77あたり)
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後半、物語のピークとなる薩長同盟交渉を契機として両者は相棒となる。
その掛け合いがときとして可笑しくおもしろい。
たとえばこんなふうだ。
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「(略)・・・・わしは、商いがしたい。新たな日本を代表して、船を駆って、海を巡って、世界を相手に商売をするんじゃ。世界の日本人、世界の海援隊、世界の坂本龍馬をやりたいのう」
「なんでも世界、世界とつければええわけじゃないろう」
慎太郎は呆れつつ、
「けんど、わしも異国は見てみたいちゃ」
「おお、慎さんも世界の陸援隊をやるかえ」
「だから、なんでも世界をつけるな。意味が分からんぜよ。(略)」 (No.3944あたり)
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龍馬が寺田屋で幕吏に襲撃されたあとの描写はこうだ。
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その傷は、まだ癒えていない。左の人差し指に至っては、筋を切られたため思うように動かず、回復の見込みもないという。それでも軽い傷だと言って笑っている、この男の呑気さが余計に腹立たしい。 だいたい、こいつはいつもそうだ。無神経で、楽天的で、平気で危険を冒す。(略)
こいつのいい加減さが嫌いだ。不用心さが嫌いだ。自分だけは平気だと思い込んでいるような、傲慢さが大嫌いだ。
それでも、生きていてよかったと思ってしまう。
(No.3630あたり)
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物語の最終盤、龍馬が慎太郎を評した言葉が紹介されている。
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「私は中岡と共に様々な策を講じたが、いつも意見が合わないことが悩みだった。しかし、私にとってはこの男でなくては、共に事を成せるような者はいない(吾レ中岡ト事ヲ謀ル、往々論旨相協ハザルヲ憂フ。然レドモ之レト相謀ラザレバ、復タ他ニ謀ルベキ者ナシ)」
(No.4018あたり)
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終章のタイトルは『迂(た)みたる道を』。
中岡慎太郎、号は迂山。
迂回の迂、
迂路の迂、
迂曲の迂、
自らをして「迂山」と号したそのことが、この人の人となりを端的にあらわしていると、あらためてそう思った。