答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

オジさん、あがく。

2019年04月26日 | オヤジの「ゆる~いCIM」修業

きのうは愛車二代目マルモッタン号に4人が乗り、峠越えでお隣りの県へ。

一夜明けた今朝は、一日じゅうパソコンとにらめっこしていたせいで、歯が疼き目は眩んでいる。

それでもやらなければならない。なんとなれば、おじさんにはおじさんの、爺さんには爺さんの役割があるからだ。「いやいやソレはもっともだけど、ソノ分野は範囲外ではないのかい?」とおっしゃる向きもいるだろう。だが、わたしは明確にそれを否定する。

おじさんだから・・

あるいは、

爺さんだから・・

と嘆く前に、あきらめる前に、あがいてみるべきだ。

おじさんだから適応できない、あるいは、爺さんだから適応できないのではなく、あたらしいことにチャレンジしようとしないから適応できない。つまり、あたらしいことにチャレンジできないおじさんだから、もしくは、あたらしいことにチャレンジできない爺さんだから適応できないのだ。たしかに、年寄りになればなるほど「あたらしいこと」への適応力は鈍る(あくまで一般的には、です)。しかしそれは、「やらない」あるいは「やりたくない」ことの免罪符とはなり得ない。なぜならば、そもそも仕事というものがそうであるからだ。仕事を覚えるプロセスには変化がつきものだ。仕事のやり方を進化させる過程でもそれは同様だ。であれば、加齢やそれにともなう脳と身体の劣化を言い訳にしてそれを放棄するのは、ココロもまた劣化していることの証明に他ならない。たしかに、脳や身体は劣化する。だからといって、ココロが萎えてしまっては、年寄りの年寄りたる意義がなくなってしまう。

あたらしいことにチャレンジしつづけるおじさんは、そして、あたらしいことにチャレンジしつづける爺さんは、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた過去から得た「引き出し」の蓄積と、その繰り返しからでしか生まれない「経験と勘」がある分、強いのだし、若い人には見え難いものが見えてくる。

とりあえずはいくつになってもあがく。

歯は疼き目は眩む。

肩は痛いし首も痛い。

それでも、わが身を叱咤激励しながらあがく。

そのうえで、年寄りは年寄りの役割を選択すればよいのだ。


と、気づいてみると、不特定多数の高齢技術者に向けて書いていたつもりの文章が、いつのまにかその対象はあきらかに自分自身になっていた。一夜明けてもまだ興奮冷めやらぬオジさんなのである(今日も行くケドネ)。

 

それはさておきなにはともあれ、あつかましい一方的な願い事をオープンマインド全開で受け入れてくれた先方さんには感謝感謝なのであります。ありがとうございます(って、さておいてないじゃないか ^ ^)。


さて、行くとするか。



 

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