答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

時代の終わりに

2019年04月05日 | ちょっと考えたこと

橋本治『思いつきで世界は進む』を読みながら、ごめん・なはり線でお城下へ向かっている。

 

思いつきで世界は進む (ちくま新書)
橋本 治
筑摩書房

 

3割がた読み進めたところに『終わった社会』という稿があった。2014年8月に書かれたものだが、そこから25年前にさかのぼった「時代の変わり目」についてのテクストだ。

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昭和という時代が終わったということは、一つの時代が終わっただけではなく、「その後の方向を見失った」ということでもある。昭和が終わって四半世紀が過ぎて、このことだけは確かだろう。終わった社会の幻影を追って「ああだ、こうだ」と言っても仕方がない。一つの時代は終わっても、人の社会はまだまだ続いて行く。だから、ゼロからやり直す覚悟をする必要がある。その覚悟を抜きにして「終わった時代」の跡を辿り、あれこれ言っても、あまり意味はないんじゃないかと思う。

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 たしかにあのときは「一つの時代が終わった」感にあふれていた。

著者も書いているように「昭和天皇、手塚治虫、美空ひばり等が連続して世を去り、天安門事件が起こって宮﨑勤事件があって、ベルリンの壁崩壊に至る1989年」は、まさしく「激動」というにふさわしかった。

わたしの個人的事情もあった。

自分がまいた種ではあったけれど、世を覆い尽くしていた「バブル」とはまったく縁のない生活のなか、夢や希望や裏切りやのなんやかやにケリをつけ、ささやかな、しかしたしかな拠りどころだった妻子を連れて新天地(両親が暮らすところではあったが、わたし自身はそこに住んだことがなかった)へと向かったのが平成2年だから、昭和が終わった1989年はその前年だ。「わたしとわたしの環境」にかぎっていえば、むしろそちらのほうが、いや断然そちらのほうが大きかった。世の中の激動と時を同じくして、「わたしとわたしの環境」もまた激動だった。

その激動のおかげだろう。

「昭和」がどうだの「平成」がどうだのと思ったこともなかった。30を少し過ぎたばかりという年齢もあっただろう。とにもかくにも、「あしたのために」ジャブを打ちストレートを叩き込むしかなかった。大きく空振りをしてつんのめりながらも、ファイティングポーズはとりつづけた。ときにパンチを浴びつづけグロッキーになりながらも、反転攻勢の機会をうかがっていた。

いやいや、というとカッコ良すぎるな。とにもかくにも、前を向くしかなかったというのが正直なところだ。

そして今、平成という時代が終わろうとしている。

不思議と「終わった」感はない。

これもまた60を少し過ぎたばかりだという年齢のせいもあるだろうけれど、昭和が終わったときからすれば、社会全体として「一つの時代が終わった」感がずいぶんと薄いのではないだろうか。たぶん社会のそれは、「その後の方向性」を見失ったあのときと違い、「その後の方向性」などというものがどこにあるのか、多くの人が見失ったまま進んできたからのような気がする。

それとは別に、あれから30年後の個人的事情は、幸いなことに「たしかな方向性」を持っている。「あした」がどっちにあるかわからないのは、あの時も今も変わりはしないが、見えない「あした」に向ってファイティングポーズをとりつづけるようなことはない。連続性を持った今を生きているからだ。だから、あのころとは別の文脈で「平成」がどうの「令和」がどうのとは思わない。

だが、どうであれ「一つの時代」は終わる。

なにはともあれ、昭和の終わりの激動と、そこから先の平成の30年をともに生きてくれた女房殿に感謝したい。

そんなこんなをつらつら考えなら、ごめん・なはり線に揺られてきた。

もうすぐ終点高知だ。

さて、今宵も呑むとするか。

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