答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

齢を重ねてわかったこと

2019年05月25日 | ちょっと考えたこと

齢を重ねてわかったことがある。

いや、齢を重ねて数々あるわかったことの一つである。

年寄りというものは過去を回顧して語るとき、容易に歴史をねつ造してしまう、ということをだ。

歴史といってもそれは、個人史という意味での歴史だ。思わず、ねつ造という過激な語彙を思いつき、ためらうことなく使ったが、曲解、拡大解釈、あるいは捻じ曲げ、と言ってもいいだろう。脚色などはかわいいほう、日常茶飯事朝メシ前だ。とはいえそれは多くの場合、悪意をもってそうされるものではないことも申し添えなければならない。忘れてしまったこと、おぼろげにしかない記憶、夢と現(うつつ)がしかとは判別できない追想、それらを埋め合わせようとするとき、年寄りというものは、容易に歴史をねつ造してしまう。と同様に、思い出したくない過去は簡単に抑圧されてしまい、思い出しやすく自分に都合のよい記憶だけが呼び戻されてしまうことも多い。

いかにそれが使命感に燃えて語られる物語であっても、どんなに善意をもって語られる言葉であっても、それは避けられない。そういうものなのだ。それが、近ごろようやっとわかってきた。ではそれを聞かされるものたちはどうすればよいのか。

まず、今という時代の自分たちに都合のよい結論へと誘導することはしない。そんな方向へ誘ってしまうと、存在価値を見つけた年寄りは、意識するしないとにかかわらず、ますます調子に乗って、その薄れた記憶を虚構で埋め合わせようとすることになる。そして、眼前にいる「語り部」や「長老」や「重鎮」などなど、さまざまな呼称をもつ年寄りへのリスペクトの念は保ちつつ、人はおおむね「そういうものなのだ」という心持ちはどこか片隅に必ず置いておく。そんな在りようがたいせつなのではないかと、年寄りに足をつっこんでしまった今、そう思う。

以上、齢を重ねてわかったこと、である。



  

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ブラックシンカリオン弁当

2019年05月24日 | ちょっと考えたこと

孫1号はブラックシンカリオンに夢中だ。

ご存知ない方も多いだろうという前提で少し説明しておくと、ブラックシンカリオンとは、またの名を「しっこくのしんかんせん」と言い、「アニメ『新幹線変形ロボ_シンカリオン_TEH_ANIMATION』に登場する黒い新幹線」(『みんなでつくるpixivの百科事典』より)だ。そんな説明をされても、なにがなんだかよくわからない人が大半なのかもしれないが、なんならわたしは歌も唄える。

♫ ガンガンズダンダン

 ぼくらしゃにむにしんかちゅう ♫

てなもんである。

今日はそのブラックシンカリオンにまつわる話をしてみよう。

先日のことだ。岡山駅10時5分発の高知行き特急南風で帰ってこようとしたわたしが、どれどれ後免駅着は・・と到着時刻を調べてみると12時20分だ。では弁当だな、と探していると在来線の改札を通ってすぐに駅弁屋があった。 お、これこれ、たまには駅弁でも食ってみよう、と物色しているとなにやら変わった色目の弁当がある。ブラックシンカリオン弁当と書いてある。となりにあるのはキティーちゃんの弁当だ。

へ〜、おもしろい弁当もあるもんだ、コリャあの子が喜ぶね、などと考えながら証拠写真をパチリ。まさかこんなのは食えんわな、とカツサンドを手にとった。 時間は進み昼前となり、そろそろメシでも食うか、となったとき、「ああ、アレアレ」と思い出したわたしは、岡山駅で撮ったブラックシンカリオン弁当の画像をLINEで娘に送った。

すぐにきた返信には、「それ買うてくるがやろ😄」と書いている。

「しまった・・・」

すぐに後悔が押し寄せてきたが、そこは隠して強弁してみる。

「買うてない。こんな弁当、恥ずかしゅうてよう食わんで」

とはいえなんということだ。

まったく気が利かない爺さんである。

なにも自分が食わなくても土産として持ち帰ればそれでよいのだし、どうせ孫はその弁当箱があればよいのだもの、それを思えば恥ずかしいのなんのとは言っておれないはずだ。その気になればなんのことはない。嗚呼・・・爺さん失格、後悔先に立たず、とはこのことだ。

ところが、「こんな弁当、恥ずかしゅうてよう食わんで」と言い放ったわたしに対して、娘は「それは買わないかんかったねー(笑)」と、いともあっさりと逃してくれた。


ひるがえってわたしならどうだろうと、カツサンドを食いながら考えてみる。

逃げ道をつくってあげているだろうか・・・?

思考はいつしか、家族との会話から、仕事上のやり取りの数々におよんでいく。何人かの顔が思い浮かび、いくたびのやり取りを思い出しては考える。

はてさてオレは・・・?

「なぜ?」という問いかけも、「ダメやんか」という批判も、なるだけ手短にしようと心がけてはいる。だが、時と場合によっては、少々しつこくなってしまうこともある。感情がたかぶればなおさらだ。だが、たとえその感情のたかぶりが、相手の失策や失言によって引き起こされてしまったものであっても、その感情に左右されて、詰問になったり、また執拗になるのは避けるべきだ。考えなければならないのは、その場その時に、その批判や問いかけのどこまでが必要でどこからは要らないか、だろう。そこのところの状況判断ができずに感情に押し流されてしまうなどはもっての外だ。

はてさてオレは・・・?

たかだかキャラ弁ひとつをキッカケに何を大げさな、そう、たしかに大仰に過ぎるのかもしれない。だが、それがいつものわたしというやつだ。それに・・・そんなふうに思考があっち行きこっち行きするということは、脳のはたらきがすこぶる好調だということの証でもある。


そんなこんなに考えをめぐらせていると、

「まもなく”ごめん”に止まります」

到着を知らせるアナウンスが流れた。


次があればきっと必ず・・・

「しっこくのしんかんせん」を模した弁当の姿を思い浮かべ、心に誓う爺さんなのだった。


 



 

 

 

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「太鼓」を考える時間

2019年05月23日 | 北川村やまなみ太鼓

きのうからクルマのなかで「太鼓」を聴いている。

まずは林英哲からだ。

「ちあきなおみ」に飽きたからではない。

もう少し「太鼓」のことを考える時間を増やそうとしてだ。

効果はテキメン。

このところ、まったくといっていいほどわたしの思考の埒外に置かれていた「太鼓」が、見事にメインロードに復活してきた。

そうそう、こうでなければネ。

そうほくそ笑む。

なぜか?

久々に平川克美さんを引こう。

・・・・・・

社会と会社も別の文脈で考えるべきです。もちろん、それらは画然と区別されるわけではありませんが、少なくとも会社というものが持っている限界、お金儲けとか効率化というものが会社の中では重要な要素ですが、それを社会全般や個人の哲学に適応できるわけではないということに自覚的であるべきです。

(『移行期的乱世の思考』平川克美、PHP研究所、P.163)

・・・・・・

 

 

移行期的乱世の思考 「誰も経験したことがない時代」をどう生きるか
平川克美
PHP研究所


会社や仕事のことばかりを考えている人間からは、どんどんとフレキシブルさが抜けていき、硬直した考え方で生み出されたものがそのアタマのなかを支配していくようになる。

そう思うからだ。

 

光年の歌
林英哲
キングレコード


 

 


 

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『誰も教えてくれない計画するスキル』(芝本秀徳)を読む

2019年05月22日 | 読む(たまに)観る
マジビジプロ 図解とマンガでわかる リーダーになったら最初に読む プロジェクトを成功させる技術!
芝本秀徳
ディスカヴァー・トゥエンティワン

 

『図解とマンガでわかるプロジェクトを成功させる技術!』(芝本秀徳)があまりにおもしろかったものだから、こうなりゃついでだ、とばかりに同じ著者の『誰も教えてくれない計画するスキル』を読みながら、特急南風に揺られ、きのう広島から帰ってきた。

 

誰も教えてくれない 計画するスキル(日経BP Next ICT選書)
芝本秀徳
日経BP社

 

・・・・・・

 プロジェクトの3つの流れ(プロセス)は、大きく分ければ「企む(立ち上げ)」「段取る(計画)」「やる(実行)」「視る(監視・コントロール)」「振り返る(終結)」の5つに分割することができます。「何を、どんなふうにやるのか?」を企み、それをどのように進めるのかを段取り、実行する。実行している間はちゃんとモニタリングする。そして、やりっぱなしにせずに「今回は何を学んだか?次に何を活かすか?」を振り返る。

 

(ここで図あり)

 

 一般的に言う「計画」とは、この図の「企む」と「段取る」ですので、本書では「企む」と「段取る」を対象にします。

「計画」をさらに細かくすると、7ステップに分かれます。


(ここでも図あり)

 

ステップ1 要求理解「何が求められているのか?」

ステップ2 プロジェクト定義「何をするのか?」

ステップ3 成果物定義「何を作るのか?」

ステップ4 マイルストーン定義「いつまでに、どこまで終わらせるのか?」

ステップ5 プロセス設計「どのように進めるのか」

ステップ6 スケジュール化「何を、いつするのか?」

ステップ7 タスク分解「どんな作業があるのか?」

(Kindleの位置No.460~480あたり)

・・・・・・

わたしたちの仕事における工程計画は、このうちステップ5からステップ7に当たる。そしてそれをわたしたちは、いきなり始める場合が多い。そういう意味では、ステップ5さえすっ飛ばして、ステップ6・7の手順をもって工程を立てているほうが多いのかもしれない。純工程計画としてはそれでよいのかもしれないが、「◯◯工事」というプロジェクトの計画としては、やはりあまりにもテクニカルに偏りすぎていると言わざるを得ない。

それをして、「工事の目的はなんですか?」という問いかけから始めることによって打破しようとして10余年、未だ道程半ばのこの身だもの、「計画の7ステップ」に目がクギヅケになったのもむべなるかな。

著者いわく、「計画のステップごとに成果物を作成することで、段階的に不確実性を減らしていくことができるわけです」。とはいえそんなことをしていた日には、ただでさえ業務が増えつづける傾向があるわたしたちの仕事においては、自縄自縛の行為となること必定だ。

ここに書かれていることをストレートに取り入れるのでは芸がない。いつものように換骨奪胎、いやもとい、「翻訳と土着化」。つまみ食いとイイとこ取りでチカラをアップさせよう、なんて虫のよいことを考えつつ、特急南風に揺られ、広島から帰ってきたきのう。

 

 

 

 

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『図解とマンガでわかるプロジェクトを成功させる技術!』(芝本秀徳)を読む

2019年05月21日 | 読む(たまに)観る

こんなん読みました、
と大っぴらに口にするのもはばかられるようなタイトルの本。

 

マジビジプロ 図解とマンガでわかる リーダーになったら最初に読む プロジェクトを成功させる技術!
芝本秀徳
ディスカヴァー・トゥエンティワン


近ごろは、たてつづけにこの手のプロマネ関係のハウツー本を読んでいるのだが、今度のやつは思いがけない大当りだった。
たとえば、わたしが何年も前から取り組んでいるにもかかわらず、なかなかその実を結ばない、どころかそもそも口で言うのは簡単なのだが他人に実行させることがなんとも困難な「リスク抽出」を、いともあっさりと表現したこの部分。
・・・・・・
リスクを洗い出すときのポイントは、「リスクがあるかないか」ではなく、「どうすれば失敗させられるか」の観点で考えることです。リスクの有無に注目してしまうと、どうしてもリスクから目を背けてしまいます。ここでは、自分が悪魔になったつもりで、プロジェクトを失敗させる方法を考えてみましょう。(Kindleの位置No.1050あたり)
・・・・・・
ほほー、そうきたか。
コリャさっそくいただきだ。
全編をそんな感じで読み進め、気がついてみたら、いたるところが蛍光マーカーの注釈だらけになっていた。
なにより、
・・・・・・
みなさんにお願いがあります。それは、この本やご自身の経験を通じて学んだことを、ぜひ後輩や部下の方に伝えていただきたいのです。(略)「誰かが経験したことを知っておけば、その分の時間や労力を別のことに使える」のです。私たちが10年かかって学んできたことを、後輩たちには5年で学んでもらう。そうすることで社会は発展します。この本に書かれていることも、そうやって蓄積されたものなのです。(「あとがき」より)
・・・・・・
このマインドセットが、いかにも好ましい。
なんとなれば、このオジさんの心持ちがまさしくそうだからだ。
『図解とマンガでわかるプロジェクトを成功させる技術!』、
わたしにとっては、「こんなん読みました!」とと大っぴらに口にするのもはばかられるようなタイトルの本だが、

おもしろいよ〜。

 

マジビジプロ 図解とマンガでわかる リーダーになったら最初に読む プロジェクトを成功させる技術!
芝本秀徳
ディスカヴァー・トゥエンティワン

 

こんなんもあるようだ。

しかも、けっこう売れている。

 

図解とマンガでわかる プロジェクトを成功させる技術[ハンディ版]
芝本 秀徳
ディスカヴァー・トゥエンティワン

 

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広島2019

2019年05月20日 | ちょっと考えたこと

広島にいる。

31年ぶりだ。

あやふやな記憶が、とみに増えてきた近ごろだが、忘れようとしても忘れられないものもある。31年前の広島もそうだ。

仲間との別離、見知らぬ人たちとの邂逅、投げつけられた言葉の数々。

「オレら抜けるから」

「アンタ薄情じゃのう」

ああだこうだナンダカンダの一月半が過ぎ、家族が待つ杜の都への帰路、娘にぬいぐるみ、妻にもみじ饅頭を買い、弁当と小さな缶ビールを手に入れたあと、ポケットに残ったのは何枚かの10円玉。

あしたがどっちにあるのか、よくわからなくなりはじめたあの頃のわたしを、それから支えてくれたのは、その三月後に生まれた次女を含めた、貧しいけれどあたたかい家庭の存在だった。

あれから31年の時が過ぎ、長女の二番目の息子は、ちょうどあのころの彼女と同じ2歳になる。1988年広島、忘れようとしても忘れられないあの冬を思い出す、2019年初夏の広島。

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よい人

2019年05月19日 | ちょっと考えたこと

広島にいる。

一昨日、クルマで通った瀬戸大橋を、今日は列車でわたってきた。

その、岡山行き特急「南風」の車中での出来ごとだ。

琴平駅から乗ってきた夫婦づれとおぼしき老カップルが、2人で座ることができる座席を探すのだが、二人がけのどのシートも埋まっているかもしくは片方しか空いてないかで、困り顔で思案をしていた。よほど仲がよいのだろう。どうしてもふたりで座りたいのか、なかなかバラけようとはしない。

いい加減あきらめたらよいのに。。。

まったくどうしようもなく底意地の悪いこのオヤジがそう思ったそのとき、ひとりの女性がそのカップルに声をかけはじめた。するとすぐに、その女性と連れとおぼしきもうひとりの女の人が席を立ち、その夫婦づれに席をゆずった。

ほ~~~すばらしい!!

内心で拍手喝采を送るわたし。その女性にすっかり魅了され見とれていると、スタスタと歩いてきた彼女は、わたしが座るシートの横で立ち止まり、

「ここ、いいですか?」

「もちろん」

ニコッと笑い座席についた彼女のほうに向き直ったオジさん、とっておきの笑みを浮かべ、今度はちゃんと声に出して賛辞を送った。

「さっきの見てました。すばらしい!!」

おのれの偏狭さなどはすっかり忘れ、なんだか自分がよいことをしたかのように、ニコニコ顔になったオジさんなのだった。


ああ、よい人がいるもんだ。



 

 

 

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勧誘

2019年05月18日 | ちょっと考えたこと

某有名新興宗教の信者だと、目の前のオジさんがわたしに言う。

つづけて、「宗教には興味がないですか?」と訊いてきた。

びっくりした。

そんなことを面と向かって言われたのは、学生時代以来なのではないだろうか。

このブログの読者さんならご存知のとおり、わたしが宗教に興味がなかろうはずはない。大アリだ。しかし、そんなことを言ったが最後、眼前のオジさんはここだとばかりオルグに邁進するだろう。

「いやあ、いたって人間が浅くできていて・・・」

などと言ってごまかしたが、少しだけ、「わたしが興味のある宗教はアナタたちが信じているものとはだいぶちがうもんなんじゃないかなあ」とかナントカ口走りたいような気分がアタマをもたげてきた。

イカンイカン、めっそうもない。

あわてて自分で自分を止めた。

それからも、思い出したように「◯◯はこう言ってます」などと、会話の中に教祖の名前が登場したりする。

さて、どうしたもんだろうか。

と、ひらめいた。

うん、アレしかないな。

その手の話題になりそうになると、ケータイをいじることにした。

奥の手である。

禁じ手である。

だがこれがテキメンだった。

会話の途中ケータイをいじるという行為は、「わたしはあなたとコミュニケーションをとりたくないのです」という意思表示であることを、はじめて実体験した。

いいのか悪いのか。

不本意だが、ま、よしとしよう。



 

 

 

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下向きのコップ

2019年05月17日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

打合せに内容をプリントアウトした紙を持っていく。それを参加者に配って互いがその紙を確認しながら進行する。

近ごろとみに思う。

アレはどうなのだろう? と。

アレはコミュニケーションを放棄している行為に等しいのではないだろうか、と。

相手の出方をうかがいながら、また相手の感情を推しはかりながら、はたまたその場の空気を読みながら、臨機応変に内容や順番を変えつつ進めていく。これが対話であり、打ち合せというものもそうあったほうがより濃いものになるのではないだろうか。そんなとき、印刷物を介するという行為を自ら選択する。必然的に参加者の目は伏し目がちになる傾向が生まれる。そのチョイスは、コミュニケーションをとれなくてもよいですよ、と宣言しているのに等しいのではないか。

先日も、ある教育関係者たちとの会合で3枚ほどの紙が事前に配られた。

「土木」にかかわることならば、そんなものは半ば無視しても、相手の話を耳で聴いて相手の顔を見て話を進めるのだが、いかんせんそこはわたしのフィールドではない。いきおい、目はプリントアウトした文字を追いがちになってしまう。イカンイカン、顔を上げなければ、話者の目を見なければと、再三自分に言い聞かすのだが、ついつい目を落としてしまう。

わたしが内気だから?

いやいやそれもなくはなかろうが(笑)、たぶん根本原因はそこにはない。

やはりアレは、会議や打ち合わせをスムーズに進行させるために存在するものとして使われているようで、そのじつは、逆効果になってしまっている場合が多いのではないか。


セミナーの講師を務めることがある。

たいがいの主催者は、テキストと称した印刷物を配布する。聴く方もしゃべるほうも、それにもとづいて進行する。ところがどっこいわたしのソレは、基本的な流れとポイントが抜粋されているだけのようなもので、肝心要の部分はテキストを見ているだけではまったくわからないようにできている。聴者は、必然的に顔が上る。そこがスタートだ。

いわばそれは、コップを上向きにするようなものである。

下向きになっているコップには、注ごうとしても水が入らない。

水を入れるための必要最低条件は、コップを上向きにすることだ。

テキストを目で追いながら話を聞く、という行為は、コップを下向きにしたまま水が注がれるのを待っているに等しい。残念ながら、それに気づいている人は驚くほど少ないようだ。


打ち合わせにおける印刷物も同様だ。

簡単なレジュメがあればそれでいい。

近ごろとみにそう思う。


 

 

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倉敷散歩

2019年05月16日 | ちょっと考えたこと

 

朝の倉敷散歩。

はて、ここを歩くのはたしか三度目のはずだが・・と考える。

ほぼ40年前、はじめて来たときの同行者の顔は思い浮かぶのだが、二度目がいつだったか定かな記憶がない。

来てないか・・・?

いや、たしかに来たはずだ。

歩きながらほどなくすると、そのときの情景がぼんやりとよみがえってきた。

そうだ、あのときだ。

すると今度は、なんだか一度目の記憶がおぼつかなくなってきた。

ホントにあのときここへ寄ったのか?


ああ、昭和は遠くなりにけり。

苦笑いしながら倉敷散歩。

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