本日、卯月7日は村の中学校と小学校の入学式。午前中、仕事を休んで列席した。式中、校長先生の祝辞に「土木」という単語が出てきて思わずドキッとする。「土木の人」たるわたしが別に驚くこともないのだろうが、学校という場でdobokuという言葉の響きを聴くのは珍しい(ような気がする)。
「土木」という単語が出てきたそのココロは、「志を高く持とう」だ。
くだんの校長先生が紹介した逸話の主人公は古市公威(嘉永7年生~昭和9年没)。帝国大学工科大学初代学長にして土木学会初代会長、内務省土木局のトップとして日本の近代土木行政の骨組みをつくるなどした人だ。
「あれ、この話、たしか読んだことがあるぞ」と思ったまではいいが、どこの誰が書いたものだったか、すぐさま思い出せるほどわたしの頭の程度は高くない。
ところがそうなると困ったもので、「う~ん、なんだったっけ、どこやったっけ」と頭に引っかかったまま離れない。小学校の入学式が始まるまでの待ち時間、「古市公威」を検索してみると、Wikipediaにその答えがあった。
司馬遼太郎と井上ひさしの対談本『国家・宗教・日本人』(講談社文庫)で司馬が紹介したエピソードらしい。
ハイハイ、それならばたしか・・・
家に帰り本棚を探すと、すぐに見つかった。
対談 国家・宗教・日本人 | |
司馬遼太郎 井上ひさし |
|
講談社 |
引用する。
司馬 勃興期の国というのはえらいものですね。
明治の日本でも、土木工学の最初の日本人教授になった古市公威は、フランスに五年間留学していたとき、ものすごい勉強をしたらしいです。そのノートがいまでも東大の土木工学科に残っているそうですが、そのときの下宿のおばさんが、「あなた、少し休まないと体をこわしますよ」と言ったら、「ぼくが一日休むと日本は一日遅れます」と答えたという(笑)。(P.136)
ひるがえってこのオジさんは、「ぼくが一日休んでも今の会社にはたいして影響がありません」とばかりに、今日休みをもらっているばかりか、近ごろは、努めて早く帰るようにしていたりする。
「なんという差か」、と苦笑いしながら聴いていた。
そんな逸話が今という時代を生きる子どもたちの心を動かすかどうか、わたしにはよくわからない。もしかしたら鼻で笑われる類の話かもしれないが、少年少女諸君に語って聞かせるには、いいエピソードだと思う。
志を高く持とう。
そう説かれたところで、本当にそう思う人はごくごく稀にしかいない。
そうだとしても、説きつづけることを止めてはならない。
不遜かつ失礼を承知で言わせてもらえば、「ぼくが休むと日本は一日遅れます」というのは、古市留学生の「勘違い」だとわたしは思う。だがいつの世でも、「自覚という名の勘違い」がイノベーションを起こす原動力となる。
もちろん、辺境の土木屋たるわたしが「日本」をどうしようとかこうしようとか、そんなレベルの話ができるわけもなく、わたしが言えるのは、それぞれがそれぞれの拠って立つ場所で、ちょっとだけ高い志を持とういうことでしかない。
その「ちょっとだけ」の積み重ねが、「私と私の環境」を変えていく原動力になる。
以上、校長先生の祝辞を聴きながら考えたことである。
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