答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「こんなところ」から

2016年04月13日 | 中岡慎太郎

 

本日は、わが中岡慎太郎178回目のバースデイ。

出社後まず、愛用の慎太郎マウスパッドに沐浴していただき、洗剤をつけて磨いてさしあげ、あらためてそこに記されている言葉をかみ締めてみる。

 

今、尊いと思えるものが明日は賎しいかもしれない。

今、賎しいと思えるものが明日は尊いのかもしれない。

君子となるのか、小人となるのかは、君、自らの中にある。


正しくはコチラ


志とは目先の貴賎で動かされるようなものではない。

望むべきはその先の大いなる道のみである。

今、尊いと思えるものが、明日は賎しいかもしれない。

今、賎しいと思えるものが明日は尊いかもしれない。

君子となるか、小人となるかは家柄の中にはない。

君自からの中にあるのだ。

 

 

そういえばあの人たちが来ていたとき・・・

と拙ブログのバックナンバーを紐解いてみると、あったあった。2012年11月22日の稿である。

慎太郎さんの生誕178年に寄せて再掲する。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

【辺境から】(ちょっと加筆修正)


客人を乗せて運転する私の後部座席で、

「へ~」「(こんなところで仕事をするのは)大変だね、こりゃ」...

とかなんとか皆さんが仰っしゃるのを聴きながら、いつもは冗談半分に辺境の民を名乗る私だが、あらためて偏狭に、もとい辺境に生きているのを実感した。


「これ、国道ですよ」

「え?国道?」

「落石注意って看板を見たって、どこをどう注意していいかわからないよね」

「・・・・・・・・(そりゃまっことそのとおり)」

 

そんなこんなのやり取りもありながらわが社の現場をひと通り見てもらい、モネの庭へ行ったそのあと、締めは北川村柏木。我が慎太郎さんが生まれ育った場所である。


到着すると、北の大地から来たある方が、

「こんなところから・・・すごいよね」

しみじみとそう言う。

「こんなところから、日本を変えようと出ていったんだ」

とつづけた言葉で、そうかそうなのだな、と気づかされる。

慎太郎生家から山ひとつ隔てたところで日々を営む私は、「こんなところ」ということを普段は感じずに生きている。だが、実際のところ私は「こんなところ」の住民なのだ。

もちろん、「北の大地」さんが言うところの「こんなところ」とは、最上級の褒め言葉である。

慎太郎さんを認めてくれるからこそ、その志と「こんなところ」とのギャップに感動してくれたのだ(ネ、たぶん)。

そのときいみじくも・・・

石原慎太郎、と言い間違えた同行者がいて、そしてそれは単なる言い間違いに過ぎなかったのだが、

地を這い未完のうちに逝き、後世である未だに正当な評価をされているとは言い難いわが慎太郎さんと、かの(老いてなお大向こうを唸らせることのみに執着しているかのような)慎太郎氏では比較にすらならないと、すでに慎太郎さんより20年以上も長く生きてしまった私は、そう思う。だから「維新」という言葉を軽々に使わないでほしいものだと、そうも思う。

そんな私やアナタが生きている今という時代、Webという時代は良くしたもので、「こんなところ」に居ながらにして、容易に世界へとつながることが出来得るのだが、それを比較するとなおさら、「こんなところ」という言葉が、よりいっそうの凄みを増して私の脳ミソに響くのだ。

さらに言うと、当時の土佐という国あるいは土佐人の凄さと哀しさは、それが中岡慎太郎いち個人のみにとどまらず、幾多の草莽の志士たちが「こんなところ」よりも奥深い辺境からも続々と湧き出し、そのほとんどが志し半ばで散っていったところにある。


「いや~、アンタと知り合ってなかったら、オレ絶対こんなところまで来てないはずだもんね」


北の国から遠路はるばる来てくれた仲間の言葉で、この国の礎(いしずえ)のそのまた礎となった同郷の先達たちに、あらためて感謝する私なのだ。



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