答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「あなたがあそこにダムを作るのね」「僕も作る」(『無名碑』より)

2016年05月31日 | 土木の仕事

    

 

阿賀野川水系只見川にある田子倉ダム。

Discover Doboku 日本の土木再発見』というFacebookページに紹介されている姿を見て(ここに掲載した画像はJ-POWERダムカード配布案内より)、田子倉ダム建設が舞台のひとつとなった『無名碑』の一節を思い出す。

 

「あなたが、あそこにダムを作るのね」

「僕も作る」

「名前は書かないのね。あなたの仕事は」

「そうだよ、小説家とは違う」

竜起は思い出して笑った。

「書かないのがすてきだわ。名前は残らないほうがいいの」

「僕の仕事は一生どんなにいい仕事をしても個人の名前は残らない」

「でも、私たちの子供が覚えていてくれるでしょうね。私、子供に教えるつもりよ。このダムはね、お父さんが作ったのよ、って」

「それで充分じゃないか」

(『無名碑(上)』曽野綾子、講談社文庫、P.128)


無名碑 上 (講談社文庫 そ 1-3)
曽野綾子
講談社


「地図に残る仕事」だが、そのモノをつくった一人ひとりの名前は残らない。これをして「土木の無名性」という。

情報を発信しないことは、自らを「なんだかわからないもの」のまま止めおいていることであり、すなわちそれは、「どうぞ好き勝手に解釈してくださいな」と円環のなかに自らを閉ざしていることに他ならない。

だから「なんだかわからないもの」から脱却するためには情報を発信しなければならないのだと、桃知さんからの受け売りを継ぎ接ぎし、アチラコチラで語ってきたわたしだが(これからもつづけます、しつこいヨ)、そのじつ、この土木という仕事が持つ無名性というやつが嫌いではない。

たとえば高知県優良建設工事表彰は、会社表彰とは別に技術者個人を表彰してくれる制度となっており、かくいうわたし自身、その恩恵をありがたく授かったこともある。そしてそれは、公共土木工事の技術屋をやっていくうえでは大いなる励みであり、技術者一人ひとりのモティベーションアップにつながっているのも間違いない事実だ。しかし、もらうたびに、「ちょっと違うんじゃないか」と感じているのもまた、わたしの率直な感想だ。

プロジェクト・マネジャーとしての土木技術者がひとつの現場で占める役割は大きい。だが、あくまでもそれは一部に過ぎない。技能労働者を含め現場にたずさわった者たち一人ひとりが、総体としてのチームでつくるのが土木におけるモノづくり(場所づくり)だとしたら、「現場」こそが表彰の対象であり、技術者個人についてはなくてもよいのではないだろうか、などとわたしは思う(もちろんもらえるものは貰います、どん欲に獲りに行きもします、矛盾してるようですが)。

あらあらゴメンナサイ。そんなことを書くのがこの稿の本意ではなかった。

 

「あなたが、あそこにダムを作るのね」

「僕も作る」

 

「僕の仕事は一生どんなにいい仕事をしても個人の名前は残らない」

「でも、私たちの子供が覚えていてくれるでしょうね。私、子供に教えるつもりよ。このダムはね、お父さんが作ったのよ、って」

「それで充分じゃないか」

 

この言葉にロマンを感じるか感じないかは人それぞれ。押しつけるつもりはない。

だが、少なくともわたしはぐっとくる(だからといって、いたずらに情緒的あるいは感傷的になることは厳に戒めなければなりませんが)


「このダムはね、お父さんが作ったのよ」

 

「普通の暮らしを下支えする」のが「土木という仕事」だとしたら、「それで充分じゃないか」。

 

 

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

 

 高知県情報ブログランキング参加用リンク一覧  

にほんブログ村

コメント

「待つ勇気」「教えない勇気」

2016年05月30日 | 読む(たまに)観る

もうすぐ子どもたちが、すばらしいアイデアにたどり着こうとする。その直前で、教師が結論を出してしまう。おそらくその方が、教師としては教えた気になれるし、体面も保てるからだろう。だいたいその教え方というのも全国共通で、「ヒント出そうか?」と言うのだが、その「ヒント」はたいていの場合、その教師のやりたいことなのだ。

表現教育には、子どもたちから表現が出て来るのを「待つ勇気」が必要だ。しかし、この勇気を培うことは難しい。ただの勇気では蛮勇になってしまう。経験に裏打ちされた自信が「待つ勇気」「教えない勇気」を支える。

(『わかりあえないことから』平田オリザ、Kindle版位置No.420)

 

わかりあえないことから

──コミュニケーション能力とは何か

平田オリザ著

講談社

 

う~ん、平田さんのおっしゃりたいことはよ~くわかる。だがこれは、ひじょ~に難しい。

内田樹いわく、

教えるというのは本質的に「おせっかい」

そしてまたいわく、

まず「教えたい」という「おせっかい」があり、それが「教わりたい」というニーズを作り出すのである。

2009年10月2日『内田樹の研究室』より)

 

そして他ならぬこのわたしは、生来の「おせっかい」者であり、その帰結としての「教えたがり」を強く自認している。つまり内田先生の見立てに全面的に同意する人だ。

そんなわたしのような人間から言わせてもらえば、そもそも「教える」と「おせっかい」が表裏一体である以上、教えられる側から出る結論を「待つ」ことは大変な苦痛と困難をともなう(ましてやスピード優先主義で「仕事という場」を生きてきたわたしであればなおのこと)。

しかし、だからこそ「待つ」こと「教えない」ことの重要性も承知しているつもりだ。


「ヒントだそうか?」

そんな言葉が口をついて出そうになったら、そこはイチバンぐっと飲み込んで、

「それは単にオレのやりたいことを教えてるだけじゃないのか?」

と自問してみる。

少なくとも、そうやって自分を疑ってかかる心持ちだけは忘れてはならない。

 

な~んてことを考える朝、5月30日、雨。

長いあいだわたしの周りを取り囲んでいたモヤモヤから脱け出せそうな、なんだかそんな気がし始めている今日このごろなのである。

 
 
 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

 

 高知県情報ブログランキング参加用リンク一覧  

にほんブログ村

 
コメント

シモツケの花が咲く雨上がり ~ モネの庭から(その265)

2016年05月29日 | 北川村モネの庭マルモッタン

 

雨上がり、

みなもに映る空をあめんぼうが飛ぶ。

そいつを横目で見ながら庭師の川上さんと立ち話をしていると、県中部から来た人たちらしい、団体のお客さんがぞろぞろと歩いてきた。おおよそ2人に1人は会釈をしたり声をかけたりして通り過ぎて行く。

いわく、

「テレビでよく見てますよ」

「こないだ新聞に載っちょったねえ」

などなど。

なかには、「ファンなんです。いっしょに記念撮影を」という年配の女性もいて、いっとき有名人になったような錯覚をしてしまったわたしだが、もちろん、皆さんのお目当てがわたしであろうはずもない。フランス文化芸術勲章(シュヴァリエ)受賞のムッシュ川上である。

とはいえちゃっかり、わたしもいっしょに記念写真におさまった。当然だ。言うまでもない。

それにしても・・・、オワコンだと言われて久しいテレビや新聞など、いわゆるマスメディアの威力は、少なくとも地方では相変わらずすごい。 

てなことを考えながら、川上さんと別れ池の周りを歩く。

 

 

 

 

 

水ぎわに咲くシモツケの花。

雨上がりはどの花も美しいが、なぜだか今日は、この花に心を奪われてしまう。

シモツケは道ばたにも咲いている。

この花が咲くと、雨の季節が近い。


 

  

♪ ただ息を潜めるように

 路傍に佇む花 ♪

 

TOKIOの歌が思い浮かぶが、

オジさんにとっては、「路傍の花」と言えば大川栄策だ。

 

♪ 酒場ぐらしの路傍の花に

 幸せ運ぶ季節はないの ♪

 

う~ん、

いやいや、とかぶりを振る。

モネの庭に大川栄策は断じて似合わない。

ここはやっぱり爽やかにいこう。

ということで、 

最後は定番の睡蓮を1枚。

 

 

以上、まもなく雨の季節がやってくる初夏の「水の庭」。

ナントひと月ぶりの「モネの庭から」でした。

でわまた次回。 

 

 

サムネイル画像をクリックしてください。

大きなサイズで見ることができます。

↓↓

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

コメント

頭をかかえる◯◯◯

2016年05月28日 | ちょっと考えたこと

早朝、ちょうど一年前、2015年5月28日の拙稿を読み、ふ~っとため息ひとつ。

まったくもって成長しないオヤジだと苦笑いする。

再掲する。

ご笑覧あれ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


『U理論』(C.オットーシャーマー)で紹介されている(たぶん)寓話。

 

 ある男が一枚の絵を掛けたいと思っている。釘はあるが金づちがない。隣人が持っているので、借りることにした。そのとき、彼に疑いが生じた。

「貸してくれなかったらどうしよう。そういえば昨日、あいさつしたとき辛うじて頷いただけだった。たぶん、急いでいたのだ。でも、私が嫌いで、急いでいるフリをしていたのかもしれない。なぜ、私を嫌うのだろう。いつも親切にしているのに。きっと、何か誤解しているのだ。誰かが私に道具を借りに来たら、もちろん、私は貸してやる。ではなぜ彼は私に金づちを貸したくないのだろう。こんな簡単な頼みを断るなんて。彼のような人はほんとうに人生を台無しにしている。おそらく、金づちを持っているというだけで、私が頼りにしているとさえ思っている。一つ、説教してやろう。」

そうして、この男は勢い込んで隣の部屋まで行き、ベルを鳴らす。

隣人がドアを開け、まだ「おはよう」とも言わないうちに、男は叫んだ。

「あんたの金づちなんか、誰が借りるもんか。こののろま!」

(位置No.10549中2516)

 

多くの人にとっては「笑い話」にしかすぎないのかもしれないが、いささかデリケートにすぎるこの男のことを私は笑えない。

いや正確にいえば、あまりの的を射た喩え話に、身につまされて哀しくなったそのあとで、可笑しくてたまらなくなり、ふんと笑った。

「金づちを借りない男」は、私自身に他ならないからだ。


対象についてリサーチして事に構える。いわゆる「先読み」である。悪いことではない。どころか、むしろ積極的に私はそうしてきた。

だが、ときとしてその「想定」は、自分自身の判断や行動に悪影響を及ぼしてしまう。特に対ヒトの場合などには、よくあることだ。

オットーシャーマーの言を借りれば、「自分の頭の中で構築したものを世界に投影して見ているだけ」、もしくは「自分の閉じた境界内」で活動しているためそこから抜け出すことができない、からである。

じゃあ、どうすりゃいいのさ思案橋。

そこで思い出すのが、デヴィッド・ボームいうところの「想定を保留状態にする」。

想定をいったん保留状態にしておいて、対象を観察する、あるいは耳を傾ける。

 

う~・・・・・

朝も早から布団を抜け出し、

頭を抱えるオジさんなのである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


読み終わり、一年後の今もまた変わらず頭をかかえ、こんな詩を思い出す。

 

 

青みがかったまるい地球を

眼下にとおく見おろしながら

火星か月にでも住んで

宇宙を生きることになったとしてもだ

(中略)

そこでぼくがついまた

かっとなって女房をにらんだとしてもだ

地球の上での繰り返しなので

月の上にいたって

頭をかかえるしかない筈なのだ

 (山之口貘『頭をかかえる宇宙人』)


詩の全編はコチラ

↓↓

http://www.astrophotoclub.com/bakusan.htm

 

うん、そうだ。

そんなもんである。

とまた苦笑いしつつ、頭をかかえる◯◯◯(ホニャラララ)。

 

 

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

コメント

『記憶を思いに未来につなげる~震災復興5年の記録 これからも地域とともに~』(製本版)が届いたこと

2016年05月27日 | ちょっと考えたこと

 

【差し上げます】

という桃知さんのブログを読んだのは5月23日、今週の月曜日のこと。

 

今回この本を十冊頂いたので、この「ももち どっと こむ」の読者の皆さんに差し上げようと思う。ご希望の方はメールにて連絡を。先着十名の方にこの立派な本を差し上げたいと思う。いい本だぞ!

 

というその本とは

(一社)岩手県建設業協会が発刊した『記憶を思いに未来につなげる~震災復興5年の記録 これからも地域とともに~』。

すでに岩手建協のホームページからダウンロードして読んでいたわたしだが、

 

紹介した拙稿はこれ

↓↓

http://blog.goo.ne.jp/isobegumi/e/fdf8fa7ba43b13e9469fb1c427fd0bb7

 

「本」となれば話は別だ。迷うことなくメールした。

3日後のきのう、5月26日、社内安全パトロールから帰ってきたわたしのデスクの上には、一枚の封筒。

宛名を見ると、

 

 

「桃知商店 桃知利男」とある。

 

 

来た!

『記憶を思いに未来につなげる~震災復興5年の記録 これからも地域とともに~』(製本版)である。

感謝の意を込めて、本年3月11日に記した拙文の締めくくりを再掲する。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

すなはちは人みなあぢきなき事を述べて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし。(方丈記より)

つまり、

直後は人はみな浮世の無意味さを述べて、少し心の濁りも薄らぐかと見えたものの、月日がかさなり、年が経った後は、そんなことは言葉にして言う人すらない。

 

いつの時代でも「風化」が世の常だとすれば、それはあまりにも切ない。いやいや「風化」以前に、発災直後を含めたこの5年間で地元建設業が果たしてきた重要な役割すら、必ずしも広く認知されていない現実がある。

そういうわたしが、何をして何をしなかったかと考えると、とてもとてもエラそうに言えたものではないが、だからこそ、岩手県建設業協会さんの取り組みには頭が下がる。

どうもありがとうございました。

いつもありがとうございます。

ぜひご一読あれ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

桃知さん、どうもありがとうございました!

 

 

 

 

『復興への道 東日本大震災からの復旧記録』

 http://www.iwaken.or.jp/00data/fukkouhenomiti/zenpen.pdf

 

 

 

『ふるさと岩手「被災地のいま」-地方建設業的視点から復興を考える』

 http://www.iwaken.or.jp/00data/hisaichinoima/zenpen.pdf

 


『記憶を思いに未来につなげる~震災復興5年の記録 これからも地域とともに~』

 http://www.iwaken.or.jp/00data/kiokuwoomoini/zenpen.pdf

 

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

 

 高知県情報ブログランキング参加用リンク一覧  

にほんブログ村

コメント

和文タイプライターのこと

2016年05月26日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

NHK朝ドラ『とと姉ちゃん』で主人公の常子が和文タイプライターに挑戦しているのを見た。(といっても朝見るのはムリなのだけれど)

和文タイプライター、たとえばこんなんである。

 

小型邦文タイプライターSH-280(日本タイプライター製)        

 画像-『Wikipedia~和文タイプライター』より

 

 

じつはわたし、コレ得意だった。

 

「キーによる盤面操作で活字箱から任意の活字を取り出す」

「小型汎用機種でも大抵は2000を超える感じを含む活字から、適切な文字を探して一文字ずつ打ち込んで行く」

(Wikipedia~同)

 

ため、どの文字がどのあたりにあるのかを覚えているかどうかが速く打てるためのキーポイントで、当時「悪魔のような記憶力を持つ男」と呼ばれていた(自称ですが)わたしにとってそれは、もっとも得意とする分野だった(つまり、記憶力にもいろいろあるなかで「神経衰弱」が強い的な記憶力、みたいな)。

(あのころに比べて今は・・・、自分自身の体たらくが嘆かわしい・・・、嗚呼)

 

和文(邦文)タイプライター、

1915年(大正4年)、日本の十大発明家のひとり杉本京太により発明された。

 

日本語では文章を構成する文字数が多いため、文字数の少ない欧文タイプライターの機能はそのまま使えないと言う制約があり、当時タイプライターの開発は困難であった。杉本は文字の使用頻度を考慮し2,400字を選び出し独自の配列で文字庫に並べた活字を、前後左右に稼働するバーで選択しつまみ上げ、円筒に巻かれた紙に向かって打字すると言う機構を開発した。この方式の和文タイプライターで1920年代には政府公文書の多くが作成されるようになり、1980年代に日本語ワードプロセッサーが普及するまで官公庁や企業・教育機関などで使用され、日本における書類作成事務効率化に大きな役割を果たした。(『Wikipedia~杉本京太』より)

 

今から考えても、よくデキた道具だった。

あんなに凄いものでさえ、時代の移り変わりの前ではあっさり無用の物と化してしまう。

日本語ワープロにとって替られ、信じられないほどの速さで用済みとなった和文タイプライターを、喜々としてタイピングをしていた若かりしころの自分を思い出し、

 

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

 

という方丈記の一節を思い浮かべ、いっとき黄昏れる。

 


いやいや、世の中にこんな例はゴマンとある。

いくら「変わる」ことに抵抗したとしても、「変わる」ことを拒否したとしても、「変わる」ものは否応なく「変わる」。

そんなもんである。

そしてその波は、若手にもベテランにも経営者にも従業員にも一様にやってくる。自分だけは埒外なのだ、もしくは対応するのは自分ではない、と思うのは人それぞれでけっこうなのだが、(少なくとも)わたしはその道を選ぶのを良しとはしない。

「変わる」ところは変える、「変わらない」ところも変える。

なんとなれば、今という時代に「(土木の)仕事をする」という行為自体が、漸進的に変わりつづけることに他ならないのだから。


(あらあら、和文タイプライターの思い出について書いていたら、いささか大仰な結論になってしまいました)

(ま、ええか)

 

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

 高知県情報ブログランキング参加用リンク一覧  

にほんブログ村

コメント

わたしの一人称

2016年05月25日 | ちょっと考えたこと

仕事やオフィシャルな場所では「わたし」と呼ぶことにしている。

ちょっとくだけた言い方は「アタシ」だ。

プライベートでよく使うのは「オレ」。

和太鼓を教えるときは「おんちゃん」(土佐弁でオジさんを表す)である。

その他、「自分」と言うときもある。

まれに「ワシ」も使う。

以上、わたしがわたしを表すときの一人称である。


近ごろは、仕事やオフィシャルな場で、「ぼく」という一人称を使いたくてたまらない。

ちょうど10歳上のとある経営者のかたが、「ぼく」と呼んでいるのがなんとも好ましいのを始め、何人かの年配のかたが使う「ぼく」が素敵なのに感化され、わたしも使ってみたいと思うのだ。

だが、少々理由があってなかなか使うことに踏みだせないでいる。理由、とは社会人になって最初の上司の言葉だ。

当時、自らを「ぼく」と称していたわたしに対して彼は、「僕なんて学生の言葉だ。これから使うな。社会人は自分のことを私と言うのだ」と命令した。

爾来、「わたし」である。

田舎に戻り、今の職場にお世話になり始め、周りに「わたし」と言う人がいなかったものだからいっとき「ぼく」を使っていたが、なんだか馴染めずまた元の「わたし」に戻して今に至っている。

 

ことほど左様に、日本語には自分自身を指す語が多い。

それについて、『英語化は愚民化』(施光恒著、集英社新書)で施光恒さんはこう書いている(文中の木村氏とは精神医学者の木村敏氏)。

 

英語化は愚民化

日本の国力が地に落ちる

施光恒著

集英社

 

日本語では、状況に応じて適宜、自分を指す言葉を柔軟に使い分けなければならない。自分の周りの状況を先によく知り、その後、そこでの自分が認識されるという順番となる。

木村氏は次のように述べている。「日本語においては、そして日本的なものの見方、考え方においては、自分が誰であるのかは、自分と相手との間の人間的関係の側から決定されてくる。(・・・中略・・・)自分が現在の自分であるということは、けっして自分自身の『内部』において決定されることではなく、つねに自分自身の『外部』において、つまり人と人、自分と相手の『間』において決定される」

日本語の世界では、自己は、常に状況や他者との関係との関わりで規定され、認識されるのだ。(P.165~166)

 

近ごろ仕事やオフィシャルな場で、「ぼく」という一人称を使いたくてたまらないわたし。

さて、どうしたもんじゃろのう。




 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

 高知県情報ブログランキング参加用リンク一覧  

にほんブログ村


コメント

ある意思決定システム

2016年05月24日 | ちょっと考えたこと

宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫)の冒頭、『対馬にて』という20ページあまりの短い文章がある。

 

忘れられた日本人 (岩波文庫)
宮本常一
岩波書店

 

 

伊奈の村は対馬も北端に近い西海岸にあって、古くはクジラのとれたところである。

 

という書き出しで始まるその文には、これがわたしの生きている現代の日本と場所を同じくする国なのか、と戸惑いを覚えるほどに衝撃的な意思決定システムが紹介されている。

いや、「衝撃的」というよりは、むしろ牧歌的という表現がそのシステムにはピタリと当てはまるのだろうが、今という時代のなかでも特にイラレでスピード優先主義で生きてきたわたしには、色んな意味で「衝撃的」で深く考えさせられるシステムだった。引用する。

 

村でとりきめをおこなう場合には、みんなの納得いくまで何日でもはなしあう。はじめには一同があつまって区長からの話をきくと、それぞれの地域組でいろいろに話しあって区長のところへその結論をもっていく。もし折り合いがつかねばまた自分のグループへもどってはなしあう。用事のあるものは家へかえることもある。ただ区長・総代はきき役・まとめ役としてそこにいなければならない。(P.13)

 

そして話の中にも冷却の時間をおいて、反対の意見が出れば出たで、しばらくそのままにしておき、そのうち賛成意見が出ると、また出たままにしておき、それについてみんなが考えあい、最後に最高責任者に決をとらせるのである。(P.20~21)

 

もちろんこの宮本常一の一文をもって、こういったことが昭和初期の日本すべてで行われていたと断言するつもりはない。だが、対馬の伊奈という村だけのことではなかったのだろうとは推測できる。

今という時代を生きるわたしにとっては異文化と言ってもいい。そんな方法が存在していたということそのものが驚きだ。

とはいえ辺境の村に生きるわたしだ。思い当たるところがないではない。 仕事であれ私事であれ、田舎暮らしをしていると、このわたしが身体感覚として持つスピードが他の多くの人たちと違う場面によく遭遇して、今でも戸惑うことがよくある。

今だからこそ戸惑っている、というべきか。

かつての彼我の関係は、わたしが普通で向こうがのろかった。それに比して今は、向こうが普通でわたしが速い。いわずもがなだが、関係性は変わってなく、わたしの感覚が変わってきただけのことである。

そうでも思わなければやっていけない、からではない。

自分の言論や感覚が正しいかどうかを疑ってみることなしに、自分と異なる他人の批判ばかりしていても、事は進まないからである。

だとしても、いくらなんでも伊奈村の例は冗長的に過ぎるだろうよ、とお思いのそこのアナタ。

うん、その気持ち、ごもっともだ。

わたしとてそう思う。だから「衝撃的」だったのだ。

いくらなんでもこれを真似をしようとは思わない。だが、ときには、そんな意思決定システムもある(あった)という事実に想いを馳せてみることも必要なのではないかとは思う。

 

とりあえずは大きな流れの中で流れて、それ以上のスピードで流れることで独自性を保つ(川俣正)

 

というモットーを取り下げるつもりはない。

だが、大きな戦略の中ではそうであっても、局地的戦術では、「ゆっくり」も「冗長」も、そして「一旦停止」すら意味を持つ。

 

(アタシがどうやってそれに折り合いをつけるか、ソイツが大きな問題ですがネ)

 

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

 高知県情報ブログランキング参加用リンク一覧  

にほんブログ村

コメント

ごった煮系ブロガーな日々

2016年05月23日 | オヤジの情報発信修業

8年もつづけているとよくしたもので、生身の読者に出会うなどした日には、ゆでダコのように真っ赤になって、しどろもどろで気の利いたセリフのひとつも言えなくなってしまっていたわたしも、さらりと受け流すこともできるようになった。

まこと「習うより慣れろ」とはよく言ったものだ。

そんなわたしだが、先日のこと、


「あ、わたし、ブログ見ゆうきネ」


と、若い村人に別れぎわに言い放たれたときにはさすがに不意をつかれ、言葉がいっさい出てこなかった。

わたしの心のなかに、

「村人は読んでない。そもそもこのブログの存在すら知らない」

という思い込みがあるところへもってきての不意打ちだったからである。

いやいや実際にはそんなこともない。事実、面と向かって読者であると表明されたことが一度たらずある。

だが、なんとはなしに、

「村人はいくつかの例外を除き、このブログの存在すら知らない」

と思い込んでいるわたしがいる。

そんなところへもってきて、くだんの彼女はこうつづけた。

 

「笑わせてもらいゆう!」

 

あちゃー、そっちか。

突然の意外な評価に、また不意打ちをくらいダウン寸前のオジさんはこう思う。

「しかし・・・、最近、その手の投稿は少ないぞ」

 

「勉強させてもらってます」

「ためになります」


そんなふうに言ってくれる人は、多くはないが、たまにいる。

聞くたびに、

「ああ、ありがたいなあ」

「もっと勉強になることを書かんといかんなあ」

「ためになることを書かんといかんなあ」

と思い、それが手かせ足かせとなり、書けない、ネタがない、浮かんでこない、という三重苦がわたしを襲うことはしょっちゅうだ。

10日に1度ぐらいは、読んでくださる皆さんのお役に立てることが書ければ、1割バッターになることができれば、とつづけていたブログのはずが、おだてられ乗せられすると、生来のサービス精神がむくむくと頭をもたげ、期待に応えなければと、ついつい思ってしまう日々。

 

「笑わせてもらいゆう!」

 

彼女の言葉が

「ためになることを書かんといかんなあ」

ついついそんなふうになりがちなわたしの頭に、ガツンと衝撃を食らわせてくれた。

 

「おっさん、そう肩肘張らんといこうや」

 

そんなふうに言われたような気がしたのである。

どうせしがない、辺境の「ごった煮系ブロガー」だもの、

肩肘張ってみたところでたかが知れているのだわ。




  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

 高知県情報ブログランキング参加用リンク一覧  

にほんブログ村


コメント (2)

フジグラン高知店で太鼓を叩いたこと

2016年05月22日 | 北川村やまなみ太鼓

 

きのう、とある現場からのSOSを受け、日がな一日ユンボとダンプを行ったり来たりしていたら、つけっぱなしのFMラジオからひっきりなしに流れてくるコマーシャルひとつ。

 

「北川村やまなみ太鼓の演奏もあります!」

 

そ、そんなに紹介するほどのもんかワシら。

と聴いてるコチラが恥ずかしくなるほどの宣伝に、いささか気が引けながら、今日乗り込んだのは高知市朝倉のフジグラン高知店。

演奏前、主催者さんが何度も繰り返す「勇壮で躍動感あふれる」という紹介に、

「躍動感ねえ・・・」

と首をひねりながらも、

「まあええわ。躍動感と勇壮は最年少ハタチのわが姪っ子にまかせて、おんちゃんおばちゃんはついていくのみよ」

と腹をくくって打ち始めると、どうしたことだろう。今日はやけに身体が軽い。

となるとまた、調子に乗ってガンガン飛ばすオジさん。

だが、寄る年波には勝てない。まもなくすると酸欠状態になり、だましだまし打ちつづける。

それみたことか言わんこっちゃない。

まったくもって懲りないオヤジであるが、お客さんの反応は上々。

となるとまた、調子に乗ってガンガン飛ばすオジさん。

ガンガン飛ばす、だましだましつづける、ガンガン飛ばす、だましだましつづける。

ガンガン、だましだまし、ガンガン、だましだまし。

 

以上、北川村やまなみ太鼓、本年2回目のお城下遠征。

来週は安芸市、キッズマルシェという催しに、子どもたちと一緒に参加するのであります。

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

 高知県情報ブログランキング参加用リンク一覧  

にほんブログ村

コメント