答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

ら抜き言葉

2016年04月04日 | ちょっと考えたこと

 

紋切型社会―言葉で固まる現代を解きほぐす
武田砂鉄
朝日出版社

 

「ら」抜き言葉を訝しむ人は多い。言葉の乱れの代表格だ。ある作家の日記に「ら」抜き言葉を使ってくる編集者とは仕事をしたくないとも書かれていた。しかし、「ら」抜き言葉は本当に日本語の乱れを象徴しているのかどうか。

(略)

 日頃、日本語の乱れを苦々しく指摘する人たちは、引き継がれてきた時代性ばかりを考慮して、その時々の場面や感情を考慮しない。言葉の豊かさを拡張するのは歴史ではなくて場面や感情だ。(Kindle版位置No.2124)

 

 日本語は定期的に乱れている。でもその定期性は、もしかしたら日本語を柔らかい体つきのまま保たせている重要な取り組みなのかもしれない。(同No.2135)

 

 

吹けば飛ぶよなしがないブロガーではあるが、その文章から「ら抜き言葉」をなるだけ排するように努めてはいる。「ら抜き言葉は正しくない」というのが世間一般の相場だからである。

だが、たとえばテレビの街頭インタビューなどで、「ら抜き言葉」で受け答えするいわゆる「街の声」の字幕に、わざわざ「ら」を入れるテレビ局の編集などには、いつも苦々しく思っている。

なぜか。

わたし自身が、小さいころから「ら抜き言葉」を使ってきたからだ。「ら抜き言葉」が「日本語の乱れ」の代表ならば、わたしたちは乱れきっている。そしてその「乱れ」は今に始まったことではなく、父や母も祖母も祖父もそのまたジイさんもばあさんも、み~んな乱れていた。断固としてわたしたちは、「食べられる」ではなく「食べれる」であり、「降りれる」であって「降りられる」ではない。それがどうした文句があるか、てなもんである。

事ほど左様に、方言として「ら抜き言葉」を使う地方は少なくない(らしい)。「ら抜き言葉」が正しくないということは認めるが、それはあくまでも書き言葉としてである。話し言葉は、いつの時代でも多様なものだ。それをして「乱れ」と言われれば、まさに「日本語は定期的に乱れている」。

 

かねてより抱きつづけていた考えを、あらためて思い起こさせてくれた一文だったので、紹介するとともに私見を少しだけ書き記しておくことにした。

繰り返す。それがどうした文句があるか、てなもんである。

 

 

 

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