自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

⑬このユニフォームが好き!【大阪近鉄バファローズ編】

2019-01-16 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
小学生の頃から美しいユニフォームを思い浮かべては恍惚としていた怪しい少年だったオレ(笑)そんな少年時代から続いている怪しい妄想を可視化できるよう個人的な偏見・主観に基づいて、オレが大好きだった、惚れ込んだユニフォームを各球団ごとにピックアップしてみるというどーでもいいことをやってみる。まぁ、ネタ切れだからなんだけど(苦笑)

基本的にオレ個人の美しいユニフォームの定義は下記の通り
昇華プリントNG
広告ロゴNG
③プルオーバーNG
④ビジターのカラージャケットNG
⑤ビジターユニに企業名表記はNG
⑥できれば背ネームはいらない
⑦できれば胸番号も不要


第13回目は「大阪近鉄バファローズ

●ホーム用
・1978~1996モデル(近鉄バファローズ)

#14 阿波野秀幸

よくよく考えてみるとオレは近鉄/大阪近鉄のユニフォームは2種類しか見ていないので語るほど見識がない。キャップはフロントパネルがかまぼこの断面図のように白が配置され「KINTETSU BUFFALOES」と記載され、クラウンは赤と青の配色は今じゃ考えられないほど奇抜なデザインだったが、赤のラグランスリーブは近鉄のオリジナルティーが溢れて印象的だった(正確には色違いだがATLモデルの模写)。たとえプルオーバーだったとしてもバファローズと言えばこのユニフォームの印象が強い。

・1997~2004モデル(近鉄/大阪近鉄バファローズ)

#48 岩隈久志


#46 北川博敏

大阪ドーム移転に伴いユニフォームをフルモデルチェンジ。フロントパネルがかまぼこの断面図のように白が配置され「KINTETSU BUFFALOES」と記載され、クラウンは赤と青の奇抜なキャップが廃止され、シンプルなデザインなキャップが採用されたとことは好印象だったが、コシノジュンコがデザインしたユニフォームは正直、初見ではイマイチの印象だった。しかし。プルオーバーが廃止されたこと、往年の南海のような肩ラインは新懐古主義を取り込んだような印象で評価は一変した。

●ビジター用
・1999~2004モデル

#48 岩隈久志

ビジター用も1997年から前ボタン式に変更。更に球団名が大阪近鉄バファローズに解消された際に胸のロゴが企業名の「Kintetsu」から「Osaka」に変更。このような地元密着アピールのために地域名をビジター用のレターに採用することは当然のことではあるが、企業の広告塔という色合いが強いNPBでは大いに評価されるべきであろう。可能であれば大阪ドーム移転時にこれができれば…もしかしたら…なんて考えてしまうときもある。

このデザインをベースに藤井寺時代のBuffaloesロゴをリメイクしてTシャツを自作したぐらいだった。胸番号・背番号の水色はイマイチだが配色自体は嫌いではなかった。但し今までずっとビジター用はグレーを採用していた近鉄がカラージャケットを採用したのは非常に残念だった。

また1999年のみ「Osaka」レター×赤のカラージャケットも採用されていた。

#23 小池秀郎

布地は赤、胸レターは白、背番号・胸番号は水色とゴチャゴチャした配色だった感は拭えないで、決してカッコいいとは言えないだが、上述どおりコンセプトに関しては大いに共感が持てたので、ネガティブな印象ではなかったことは確かだった。


次回は野球日本代表の予定。

※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

好きなキャップロゴはこちら

ジョギング 第67週【1/12,13】第64回松戸市七草マラソン参戦!

2019-01-15 00:05:00 | ジョギング
市民ランナーデビュー戦となった昨年10月に参加した流山ロードレースは調整不足等もあり惨敗だった。そして2戦目となる「第64回松戸市七草マラソン」だが…10月中旬から慢性的に発生している左膝痛という不安要素があるが、それ以外は良い調整ができていた。さて、本番はどうなったか?

1月12日(土)
朝イチで娘を連れて流山おおたかの森の住宅展示場で開催されたHUGっとプリキュアの握手会&撮影会に行く。


会場にはプレイランドもあって娘は楽しめたとは思うのだが…

この日の午前はメチャ寒くて、その後、娘はお腹を下し大変なことに(苦笑)

ランニングはHUGっとプリキュアの握手会&撮影会から帰ってきてからの13:30頃から開始。とは言え翌日は松戸市七草マラソンが控えているので短めの距離で流す程度に。自宅→「南流山駅入口」交差点→流山街道南下し「流山八丁目」交差点→スシロー南流山店→新松戸6丁目交差点→新松戸南小入口交差点→ローソン新松戸店→ダイエー新松戸店→新松戸駅→自宅の約8,2km。

※上記図に新松戸6丁目交差点→新松戸南小入口交差点→ローソン新松戸店の走行経路は記載なし

着用シューズは松戸市七草マラソンでも着用予定のGEL-KAYANO 25。気温3,5℃。湿度65%。タイムは48分。1km辺り5分51秒で10,25km/h。流して走った割には悪くないタイムだ。左膝痛が発生しなかったからだろうか。

その後、夕刻から卓球教室で2時間ぶっ通しで卓球の練習。

マラソンで持久力はついてきたと思うが、卓球で必要な瞬発力はまだまだ不足気味。翌日に松戸市七草マラソンが控えているのに正直バテた(苦笑)


1月13日(日)
遂に市民ランナーデビュー第2戦となる松戸市七草マラソン当日!


会場となる松戸運動公園競技場に隣接された球場でまずはウォーミングアップ。

ずっとオレの主戦場だった球場。人工芝の違和感はあったが、やはり球場は落ち着く。


ベンチには涌井秀章投手(現千葉ロッテ)の名前が。何か備品を寄贈したっぽい。さすが地元の英雄!

その後、スタート&ゴール地点となる陸上競技場に移動。

前回の流山ロードレースはスタート&ゴールは路上だったが、今回は競技場内。今まで陸上競技に無縁だったオレにはものすごく場違い感あり(笑)あ~まさかオレが陸上競技場で競技することになるとは夢にも思わなかったよ。

スタート5分前



着用シューズはGEL-KAYANO 25。気温7,5℃。湿度43%。後半のアップダウンはしんどかったが、幸いな事にこの日も左膝痛の発生はなく、無難に走れた。

結果は…

10kmをネットタイムで55分36秒。1kmあたり5:34で10.79 km/h。格段にいいわけでもないが悪くもない!ただ、スタート直後に誘導ミスがあり数㎞は大混雑で足踏み状態。これで結構タイムロスしたような気もした。でも、基本的にはスタッフの皆様の丁寧なご対応には感謝!


さぁ、次は今年10月開催の流山ロードレース!左膝痛対策はもちろん、昨年は暑さでバテてしまったので暑さ対策など課題は山積みだが、惨敗した昨年のリベンジをはたしてやる!

松戸市七草マラソンは来年どうしようかなぁ?大会自体は悪くなかったけど…できれば三郷市で2月に開催されるハーフマラソンの「みさとシティハーフマラソン」に参加してみたいが…今後オレがどれだけ走れるようになるか次第だなぁ。

夕食は腹ペコモンスターと化したオレの調理による唐揚げ三昧パーティー

久しぶりに揚げ物やったなぁ~。食べ盛りの息子を差し置いて3/4ぐらいはオレが食い尽くしたwww


●ジョキング実施履歴はこちら

流山市民卓球練習会【第2回_20190112】

2019-01-14 00:05:00 | 卓球
1月12日(土)。前回に引き続き息子と共に2回目となる流山市民卓球練習会に参加した。


翌日13日に松戸市七草マラソンが控えているため午前中に軽く8,2kmほど流しで走ったので、この日は会場までランニングでは行かず、電車にて流山市立常磐松中学校に赴く。どー考えても車で行ったほうが楽なのだが、普段滅多に乗車することのない東武野田線に乗りたいと息子がせがむもんだから…

前回は28年振りの卓球とあってイメージ通りに体が動かず忸怩たる思いだったが、今回はある程度だがフォア打ちはそこそこイメージに近づいてきた感じだった。前回こなしたことで、少しは体が動きを思い出してきたか?しかし、バックはまだまだイメージ通りには打てない。

28年前はフォアよりバックのほうが得意で、というよりはフォアがあまり得意じゃなかったので、センターラインからやや右よりの打球もバックで対応していたぐらいなんだが…今は断然フォアのほうが打ちやすい。なんでなんだろう?

そして、息子の方は…スゲー進歩が早い!まだまだ打ち方はぎこちないが、それでもフォアもバックもそれなりに対応できている。前回なんてほとんど打ち返すことすらままならなかったのに。やっぱ、子供は飲み込みが早いなぁ~。

サボらないでちゃんと素振りしてれば、数年でオレなんかよりうまくなりそうな感じ。でも、オレも負けたくないから月1回だけだがしっかり練習こなしていくぞ!まだまだ息子には負けたくない!(笑)


腹筋とスクワット

2019-01-13 00:05:00 | 体幹トレーニング
昨年8月末から始めた体幹トレーニング

メンタルが弱っていたときや、多忙な日はサボっているが、それでもなんとか継続している。

体幹トレーニングの目的は見た目の改善とランニングのパフォーマンス向上のため。そのため、最近ちょくちょく図書館で借りているランニング雑誌「ランナーズ」で、最も熱心に読んでいる記事は日頃のトレーニング方法である。


特にランナーズ推しなのが腹筋とスクワット。



共にランニングには有益トレーニングということは理解しているので、自身も取り入れているのだが…問題はスクワット。慢性的な膝痛を抱えるオレにとって、スクワットは膝が強化される前に膝に必要以上な負荷をかけ余計に膝痛を誘発しているようにも思える。

走るのは週末だけだから、その前後はトレーニングからスクワットを除外してみるというのもありかな?膝周辺の強化のためにスクワットは必須だが、それで走る度に膝痛が発生してたんじゃ、本末転倒だしな。

MISIA - Everything

2019-01-12 00:05:00 | Favorite songs

MISIA - Everything
すれ違う時の中であなたとめぐり逢えた
不思議ね 願った奇跡が こんなにも側にあるなんて

逢いたい想いのまま逢えない時間だけが
過ぎてく扉すり抜けて
また思い出してあの人と笑い合うあなたを

愛しき人よ悲しませないで 泣き疲れて眠る夜もあるから
過去を見ないで 見つめて 私だけ

You're eveything You're everything
あなたが想うより強く
やさしい嘘ならいらない
欲しいのはあなた

どれくらいの時間を永遠と呼べるだろう
果てしなく遠い未来なら
あなたと行きたい あなたと覗いてみたい その日を

愛しき人よ抱きしめていて いつものように やさしい時の中で
この手握って見つめて今だけを

You're eveything You're everything
あなたと離れてる場所でも
会えばきっと許してしまう どんな夜でも
You're eveything You're everything
あなたの夢見るほど強く
愛せる力を勇気に 今かえていこう

You're eveything You're everything
あなたと離れてる場所でも
会えばいつも消え去って行く 胸の痛みも
You're eveything You're everything
あなたが想うより強く
やさしい嘘ならいらない 欲しいのはあなた

You're everything You're everything
You're everything My everything


2000年10月25日リリース。

女性の心境を描写した歌ではあるが、オレは愛する嫁ちゃんにそのまま捧げたい詩であり、歌である。



※その他Favorite songsはこちら

⑫このユニフォームが好き!【福岡ソフトバンク・ホークス編】

2019-01-11 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
小学生の頃から美しいユニフォームを思い浮かべては恍惚としていた怪しい少年だったオレ(笑)そんな少年時代から続いている怪しい妄想を可視化できるよう個人的な偏見・主観に基づいて、オレが大好きだった、惚れ込んだユニフォームを各球団ごとにピックアップしてみるというどーでもいいことをやってみる。まぁ、ネタ切れだからなんだけど(苦笑)

基本的にオレ個人の美しいユニフォームの定義は下記の通り
昇華プリントNG
広告ロゴNG
③プルオーバーNG
④ビジターのカラージャケットNG
⑤ビジターユニに企業名表記はNG
⑥できれば背ネームはいらない
⑦できれば胸番号も不要


第12回目は現在の「福岡ソフトバンク・ホークス

●ホーム用
・1959~1968モデル(南海ホークス)

左:#19 野村克也/右:#6 ジョー・スタンカ

強い時代の象徴とも言えるのがこのユニフォーム。 なにせ日本一2回、リーグ優勝5回と南海時代ではずば抜けた戦績を残した栄光のユニフォームである。デザイン的にも洗練された筆記体の「Hawks」ロゴ、自己主張が強くともシンプルながらやや太めの肩ライン。同じくやや太めの袖ラインとパンツラインは他球団のユニフォームとの差別化に成功。更には1950年から採用されている比翼仕立てでボタンが見えないのも南海のユニフォームの特徴で、当ユニフォームでも採用された。比翼仕立ては1968年まで採用された。余談だがこの筆記体の「Hawks」ロゴ、ビジター用の「NANKAI」ロゴ、キャップの「NH」ロゴは29年に渡り使用され、3つのロゴが抱き合わせで継続使用されたのはNPB史上最長である。


・1984~1988モデル(南海ホークス)

#18 山内和宏
今までシックな雰囲気だった南海のユニフォームに変化が起こり始めたのが1969年。洗練された白と濃緑にオレンジが配された…。翌1971年にはオレンジは廃止され、本来の白と濃緑に戻ったが…1972年にはプルオーバーになって黄土色が加わり、1974年には濃緑と併用する形で明るい緑が採用され、黄色が採用され…1977年には赤だの、1980年のみだったが線の太いピンストライプが採用されたりと成績同様ユニフォームも迷走していた。しかし、1984年に採用されたこのユニフォームはプルオーバーを廃止、そして栄光の時代の象徴でもあった濃緑(エバーグリーン)を復活、更にはデザインこそ異なるが肩ラインも復活させた!栄光の時代を彷彿させるデザインとなった!しかし、まさかこれが南海最後のユニフォームになろうとは…当時小学生のオレは夢にも思わなかった…。


・1999~2001モデル(福岡ダイエー・ホークス)

#50 ロドニー・ペドラザ

福岡移転後、醜悪なユニフォームになってしまったホークスが一転してMLBで流行し始めた新古典主義的(ネオ・クラシック)なユニフォームを採用したのが1993年。そして1999年、キャップの配色も従前のヘルメットの配色に倣いブリムをオレンジに、ロゴのFDHを白に変更。シンプルであるからこそ優雅で気品溢れたデザインとなった。2002年より左袖に広告ロゴが配されたのでお気に入り時期はキャップの配色が変わった1999年から2001年とした。



●ビジター用
・1959~1968モデル(南海ホークス)

#6 ジョー・スタンカ

胸に企業名が表記されているのは好みではないが栄光の時代のユニフォームということ、また単純にコンセプトを抜きにすればデザイン的には優れているということでピックアップ。上述したとおり1988年に原点回帰するユニフォームをホーム用に採用したが、ビジター用はカラージャケットを採用したのはつくづく残念な判断だったとしか言いようがない。ビジター用もこのユニフォームに準じた配色にしてほしかったものだ。

・1999~2001モデル(福岡ダイエー・ホークス)

#2 城島健司


#18 篠原貴之

ホーム用と同様にピックアップしたのはキャップの配色が変わった1999年から広告が付く前の2001年までのモデル。福岡移転後、醤油のシミのような色のようなビジター用ユニフォームになったり、もはや漫画の世界のようなユニフォームになってしまった福岡ダイエーだったが、ホーム同様1993年にカラージャケットではあるが、当時MLBで流行り始めた新古典主義的なデザインのユニフォームを採用。胸にデカデカと表記されていた企業名は排除、代わりのロゴはFDHで地名・親会社・ニックネームのイニシャルを縦に配列した珍しいデザインとなった。イニシャルの縦配列及び、黒のジャケットはシカゴ・ホワイトソックスを彷彿させるデザインだった。

#49 クリス・セール

余談だが、1リーグ時代は黒に近い濃紺がジャケット、パンツ共に配色されたユニフォームを大阪、阪急、セネタース・東急・急映が採用していたが(東急は黒も採用)、当時は黒のユニフォームなんて漫画の世界の話となっていたので、黒のジャケット採用はエポックメイキングだった。

次回は大阪近鉄バファローズの予定。

※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

好きなキャップロゴはこちら

⑪このユニフォームが好き!【広島東洋カープ編】

2019-01-10 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
小学生の頃から美しいユニフォームを思い浮かべては恍惚としていた怪しい少年だったオレ(笑)そんな少年時代から続いている怪しい妄想を可視化できるよう個人的な偏見・主観に基づいて、オレが大好きだった、惚れ込んだユニフォームを各球団ごとにピックアップしてみるというどーでもいいことをやってみる。まぁ、ネタ切れだからなんだけど(苦笑)

基本的にオレ個人の美しいユニフォームの定義は下記の通り
昇華プリントNG
広告ロゴNG
③プルオーバーNG
④ビジターのカラージャケットNG
⑤ビジターユニに企業名表記はNG
⑥できれば背ネームはいらない
⑦できれば胸番号も不要


第11回目は現在の「広島東洋カープ

●ホーム用
・1975~1976モデル

#8 山本浩二

ジャケットに関しては1973~1974年モデルも同デザインだったが丸首からVネックに変更。キャップもネイビーから1975年から同じみの赤に変更。初優勝時に着用していたユニフォームなので非常に露出度の高く、よく目にしたので嫌いなプルオーバーでベルトレスではあるがピックアップ。

偶然ではあろうが広島が赤ヘル(及びキャップ)を採用した1975年にBOSも赤ヘル&キャップを採用。アンダーシャツもネイビーだったので、パット見た感じでは広島かBOSか区別がつかないほど似た雰囲気を醸していた(但しキャップのブリムは配色が異なり広島は赤、BOSは紺だった。

左:#14 ジム・ライス/右:#7 カール・ヤストレムスキー


・1977~1988モデル

#26 江夏豊

プルーオーバーにベルトレスパンツ(1988年はベルトレス廃止)と抵抗を感じるスタイルではあるが、オレがNPBを観戦し始めたときに広島が着用し、正に黄金時代のカープのユニフォームというイメージが定着していると、それすら凌駕するほどよく見えてしまった。正に強いというのは正義である(笑)


・1989~1995モデル

#14 津田恒実 

1973年からプルオーバーを採用していた広島がようやく前ボタン式に戻したのがこのモデル。しかし、それより印象的だったのはCINの1976~1992モデルユニフォーム(注1)をそのまま流用したかのようなデザインだったこと。ただ、パクリ故に洗練されたデザインでもあった。興味深いのは本場MLBのCINよりもNPBの広島の方がいち早くベルトレス廃止、ボタン式を復活させ原点回帰したことか。この時代はもしかしたらNPBの方がユニフォームに関してはいち早く原点回帰の兆しが現れていたのかもしれない。

注1:シンシナティ・レッズ1976~1992モデルユニフォーム

#44 エリック・デービス


・1996~2001モデル

#10 金本知憲

前モデルがあまりにもCIN寄りのデザインだったのでカープオリジナルデザインにも戻ったのは好印象だった。また、90年代のラケットライン最ブームのきっかけとなったユニフォームでもあろう。とは言え、元々BOSのデザインを引用していた経緯があるので、どことなくBOSのデザインに似通っている。更にはBOSが2003年からアンダーシャツを赤に変更した(注2)ことにより逆にBOSが何となく広島っぽい配色になったような気がした(笑)

注2:2003年よりアンダーシャツが赤に変更になったBOSのホーム用ユニフォーム

#34 デービット・オルティス


・2009~ モデル

#18 前田健太

2009年2代目広島市民球場(マツダスタジアム)開場に伴いユニフォームをリニューアル。正直花文字の「CARP」に見慣れていたオレには前モデルから採用された筆記体のCarpはあまりいい印象はないのだが、袖とパンツのサイドのみにラインを配し、申し訳ない程度に取り付けられた襟は20世紀末にMLBで沸き起こった新懐古主義に通じるものがあった。良くも悪くも広島という球団は時代に沿った流行を取り入れることに長けていて、ベルトレス、プルオーバー、ラケットラインと近年採用し、2010年代に入る直前で新懐古主義によるネオクラシック風味を取り入れた。アクセントで取り入れられたアウトラインのネイビーもいい雰囲気を醸し出している。

●ビジター用
・1975~1976モデル

#14 外木場義郎

1975年10月15日、後楽園球場にて広島が初優勝を果たしたときに着用していたユニフィオームなので上記ホーム用より露出が多いモデルであろう。筆記体のHiroshimaは元々ドジャースから流用したデザインであったが、この時は完全に広島のオリジナルデザインになったと言っても過言ではないだろう。以後、筆記体のHiroshimaのロゴからネイビーが消え赤一緒になったがライトブルーとの組み合わせがイマイチで…。このネイビーのHiroshimaに赤のアウトラインがライトブルーに描かれている組み合わせがもっとも美しかったように思える。プルオーバーなのが残念だけど。

・1989~1995モデル
#34 川口和久
ホーム用は上述通りCINのパクリのようなデザインだったが、ビジター用もそのホーム用と同一デザイン。同一デザインがあるが故にビジター用はCINと差別化ができたが、市民球団を標榜しているのにビジター用から「Hiroshima」のロゴを胸から外すのは言語道断。ビジター用がグレーに原点回帰し、デザインもよかったが、「Hiroshima」ロゴが廃止されたのが残念なユニフォームだった。


・1996~2001モデル

#10 金本知憲

グレーが引き続き採用され、胸に「HIROSHIMA」の文字が戻ってきた。但し見慣れた筆記体の「Hiroshima」ではなく1972年以来となる大文字の「HIROSHIMA」だったことには多少なりとも違和感を感じた。しかし、調べてみるとこの花文字でデザインされた大文字の「HIROSHIMA」ロゴは1963年から1972年まで使用されたデザインということを考慮すれば、好みではないが伝統の継承ということで気品漂うユニフォームとなった。ホーム用と同様にラケットライン再ブームのきっかけになったユニフォーム。


・2009~ モデル

#33 菊池涼介
広島史上初となるカラージャケット。その点は大いにガッカリしたが、デザインとしては美しい!。これがオルタネイトだったら非の打ち所のないエレガントさと言えよう。


こうやって振り返ってみると広島はお気に入りのユニフォームが多かったなぁ。


次回は福岡ソフトバンク・ホークスの予定。

※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

好きなキャップロゴはこちら

⑩このユニフォームが好き!【阪神タイガース編】

2019-01-09 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
小学生の頃から美しいユニフォームを思い浮かべては恍惚としていた怪しい少年だったオレ(笑)そんな少年時代から続いている怪しい妄想を可視化できるよう個人的な偏見・主観に基づいて、オレが大好きだった、惚れ込んだユニフォームを各球団ごとにピックアップしてみるというどーでもいいことをやってみる。まぁ、ネタ切れだからなんだけど(苦笑)

基本的にオレ個人の美しいユニフォームの定義は下記の通り
昇華プリントNG
広告ロゴNG
③プルオーバーNG
④ビジターのカラージャケットNG
⑤ビジターユニに企業名表記はNG
⑥できれば背ネームはいらない
⑦できれば胸番号も不要


第10回目は現在の「阪神タイガース

●ホーム用
・1988~1990モデル

#00 ルパート・ジョーンズ


#16 岡田彰布(左は#5 金森栄治)


#44 ランディ・バース


●ビジター用
・1988~1990モデル

#8 田尾安志


#44 セシル・フィルダー


阪神という球団は現存するNPB球団では巨人に次ぐ歴史を有する球団ではあるが、ユニフォームは比較的短期間で変更を繰り返している。しかし、1982年にホーム用で採用されたモノクロユニフォーム、及び1984年から採用されたグレーにピンストライプのビジター用ユニフォームはマイナーチェンジが何回かあったものの基本的なデザインは長年変更がなかった稀有なユニフォームであった。オレもNPB観戦を始めた時、阪神はこのユニフォームで1985年も当然このデザインのユニフォームを着用していたので最も思い入れのあるデザインである。

但し、オレが今回お気に入りとして挙げたのはホーム・ビジター用共に1988~1990年モデル。というのも基本的にこの時代の阪神はプルオーバーを採用していたが1988年に就任した村山実監督がプルオーバーに対し否定的だったため。ここで、このユニフォームは完成したと言っても過言ではないだろう。

しかし、中村勝広監督2年目の1991年に元のプルオーバーに戻してしまい、2001年に星野仙一監督が就任するまで時代遅れのプルオーバーが採用され続けることになる(但し2001年以降も上のボタン3つまでが開閉式で残りは飾りボタンなので厳密にはプルオーバーだったが)。

ホーム用に限ってだが胸番号と背番号は異なった書体が採用されていたことは非常に興味深い。ビジター用は同じ書体だったのに何故そうなったのだろう?

ビジター用で唯一残念なのはスパイクカラーがホーム用同様ホワイトに変更されたこと。どう考えても、このユニフォームには黒のスパイクの方が馴染むのに何故変更したのだろう?ホーム用とスパイクを共有することで経費削減を図ったのだろうか?

また、ホーム用のキャップには1946年以来のとなる縞模様を復活させる(但し1946年はクラウン部分はグレー。クラウンが白に縞模様は1943年以来)。クラウンが白のキャップは当時のNPBでは非常に珍しかったが、不思議と阪神に関しては違和感がなかった。

海の向こうMLBではCINが1993年に縞模様キャップを約30年ぶりに復活させたが…あまり評判は良くなかったのか1998年をもって廃止された。

左から#17 ブレット・ブーン/#70 ステファン・ラーキン/#29 アーロン・ブーン/#11 バリー・ラーキン

但しヘルメットはビジター用と共有していたのか縞模様は使用されていなかったことは阪神と異なっていた。

#12 ディオン・サンダース


話は阪神に戻って胸に描かれている「Tigers」のロゴ、及び虎の紋章は球団創立時の大阪時代から殆ど変わっていない。厳密に言えば多少のマイナーチェンジはあるものの基本は一貫している。伝統のスタイルを守ってきたという意味ではNPBで阪神の右に出る球団は皆無である。


また、企画ユニフォームになるが2013年に使用された「ウル虎の夏ユニフォーム」はシンプルで大のお気に入り。できることなら通年使用してほしいほどの高いデザイン性であった。


#7 西岡剛


#19 藤浪晋太郎


#55 ジェイソン・スタンリッジ


#24 檜山進次郎

1940~1944年の戦時体制下で左胸に「阪神」のロゴが配置された時期(注1)はあったが、それを除けば史上初めて胸のロゴが「Tigers」以外のものになり、更にはロゴが左胸だけに配されたユニフォームとなった。2016年より阪神タイガースはラケットラインを採用しているが、正直「Tigers」とのロゴとの組み合わせはくどいが、このユニフォームのように左胸のみにロゴとラケットラインとの組み合わせは非常に良いバランスになっていると思える。

注1:大阪/阪神で初めて左胸だけにロゴが配されたユニフォーム

左から若林忠志、呉昌征(1944年モデル)

次回は広島東洋カープの予定。

※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

好きなキャップロゴはこちら

ジョギング 第66週【12/31,1/1,2,5】

2019-01-08 00:05:00 | ジョギング
市民ランナー第2戦となる「松戸市七草マラソン」がいよいよ1週間後の1月13日(日)に開催される。大会に備えて年末年始休みは目一杯走り込みをしておきたかったところだったが…仕事納めのあとの忘年会が徹夜となり体調を崩し2日間走ることができず…。個人ではしっかり体調管理しているつもりなので、どーでもいいことで足を引っ張られると非常に腹立たしい

12月31日(月)
相変わらず体調は悪く喉の痛みは一向にひかなかったが、ダメなら途中リタイアもやむ無しぐらいで走る。開始は9:30から。気温5℃。湿度40%。晴。走行したのは「ほぼ松戸コース Vol.2」:自宅→スシロー南流山店→古ヶ崎五差路→江戸川土手→江戸川堤防交差点→松乃家松戸店→ダイエー松戸西口店→根本交差点経由→合川公園→ダイエー新松戸店→新松戸駅→自宅の15,4kmに+0,6kmで計16km。

【松戸市街地拡大図】

着用シューズはGEL-KAYANO 25。タイムは約1時間50分。1km辺り6分53秒で8,73km/h。タイムはヒドいが…まだ風邪は引いているし、先日の朝まで寝込んでいて2日間殆ど動いていないことを考慮すれば悪くはない。ランニングを始めて、遂に初めて月間走行距離が100kmを超えた!(12月は計129,5km)夏場になるとどうしても走行距離は短くなってしまうだろうが、毎月コンスタントに100km走れると少しは自身になりそうな気がする。

1月1日(火)
新年は嫁ちゃんの実家でまったり過ごし、AM10:30頃からランニング開始。気温8℃。湿度約30%。晴。まだ喉の痛みはひどく声もちゃんと出ない状態なので走行距離は短めのコースで自宅→スシロー南流山店→古ヶ崎中学校前交差点→セブンイレブン栄町3丁目店→馬橋駅西口交差点→ダイエー新松戸店→新松戸駅→自宅の12kmを走る。

先日からの左膝痛が8km地点で発生。途中歩かざる得なくなったので、この日のタイム測定はなし。着用シューズはGEL-KAYANO 25

1月2日(水)
この日も嫁ちゃんの実家でまったり過ごし、AM10:30頃諏訪神社へ初詣に向かう。

嫁ちゃんたちは車で、オレはランニングがてら走っていくことに。走行距離は往復10,8kmと短め。まぁ、2日間ほど左膝痛が発症しているので、無理もできないので。

気温8℃。湿度約40%。晴。着用シューズはNitrofuze2。タイムは約1時間。1km辺り5分33秒で10,8km/h。短い距離ならそれなりに見栄えのいいタイムが出るわけだから、いかにスタミナ不足かが明白になったようなタイムだった。

1月3日(木)
3日連続で走り若干の疲労感はあったが走るつもりだった。が、年末に風邪をひき大掃除をサボっていたことを嫁ちゃんに咎められたので掃除をして、暇を持て余す子どもたちを連れ回していたら走る時間が取れず…。まぁ、いい休息にはなったが…。

1月4日(金)
嫁ちゃんがこの日から仕事始め。子供二人の世話があるため走れず。まぁ、それは予定通りだったから仕方ないけど、やっぱ前日は走っておくべきだったと少々後悔している。

1月5日(土)
3日ぶりに走る。スタートは8:30。気温2℃。湿度45%。晴。走行したのは「ほぼ松戸コース Vol.2」:自宅→スシロー南流山店→古ヶ崎五差路→江戸川土手→江戸川堤防交差点→松乃家松戸店→ダイエー松戸西口店→根本交差点経由→合川公園→ダイエー新松戸店→新松戸駅→自宅の15,4km。

【松戸市街地拡大図】

着用シューズは着用シューズはGEL-KAYANO 25。9km過ぎから左膝の激痛のためペースがかなり乱れたのでタイム測定はなし。翌週の13日に松戸市七草マラソンが控えているため当初の予定では12日は卓球教室はあるものの休息日に当てようと思ったが、この日満足な走りができなかったため8km程度の短い距離をゆっくり走る予定。

午後からは自宅からクルマで15分ほどの住宅展示場で開催されたHUGっとプリキュアショーを娘と一緒に見た。結構楽しかった(笑)


1月6日(日)
年末年始休暇最終日。嫁ちゃんが大学時代の友人たちとランチのため、子供二人につきっきりで走る時間なし。

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NIKE LIGHTWEIGHT(ランニンググローブ)

2019-01-07 00:05:00 | ジョギンググッズ
NIKE LIGHTWEIGHT(ランニンググローブ)


以前、ランニンググローブは100均商品で充分代用可能とほざいていたが…買っちゃった(笑)

とりあえず言い訳じみているが、ことの顛末を述べると…12月中旬の週末はものすごく寒く、手袋をしないで走ったら手がかじかんで、冷たいというより痛かった。そこで後日、100均手袋を着用して走ったら…毛糸の手袋のため手のひらが汗で蒸れる、蒸れる。去年の今ごろはまだ5kmぐらいしか走れなかったから蒸れて不快感を感じる前に走り終えてたんだろうなぁ。しかし、それなりの距離を走れるようになった今ではそれなりに速乾性機能があり、なおかつ防寒も両立できる手袋じゃないとダメみたい。

なんで、わざわざ高額な手袋を買って走るんだろう?とランニングを始めた頃は思っていたが…う~ん、ランニンググッズって奥が深い。

と、概ねこのグローブには満足はしているのだが、不満があるとしたら縫い合わせが脆く、手に装着しようと引っ張るとすぐに解れる。購入して2週間ほどですでに5箇所ほど縫い直している。こんなに頻繁に解れるのはお値段を考えると少々納得いかんのだよねぇ…。

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第95回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)

2019-01-06 00:05:00 | スポーツ観戦記
まずは初の総合優勝を飾った東海大学の選手及び関係者の皆様おめでとうございます。オヤジの母校と多少なりとも縁がある大学だったので、なおさらめでたい!



そして…今年もなんとか予選会を通過し、ギリギリで本線に参加できることになった我が愛しの母校
「国士舘大学」


2017年は20位。
2018年は19位。
そして、今年2019年は…18位!


よっしゃー、今年も順位が上がったぜぇ!!!


そして、今年の箱根駅伝のハイライトとも言えるシーンと言えば…エース級が名を連ねる「花の2区」!我が国士舘大学の走者は1年生のライモイ・ヴィンセント選手。


まさかまさかの8人抜きで、なんとなんと2区を我が国士舘大学が首位通過!首位で通過するのは46年ぶりだそうだ!!!

1、2位でそれぞれたすきを受けた東洋大・山本修二選手(2年)と中大・堀尾謙介選手(4年)によるデッドヒート。山本選手が19キロ手前でスパートをかけ、堀尾選手との差を広げる中、中継所1キロ手前でヴィンセント選手がその山本選手を抜き去って、トップで中継所に走り込んだ!!!

1995年に国士舘大学に入学して以来、箱根駅伝のテロップで我が大学名が1位と表示されたのを見たのは初めて!!!



残念ながら今年もシード権は獲得できなかったが、例年になく心躍る箱根駅伝だった!選手の皆様、関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。そして、今年も感動をありがとうございました!

よし、次はオレが1月13日開催の「松戸市七草マラソン」で頑張る番だ!国士魂見せてやるぜ!

⑨このユニフォームが好き!【オリックス・バファローズ編】

2019-01-04 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
小学生の頃から美しいユニフォームを思い浮かべては恍惚としていた怪しい少年だったオレ(笑)そんな少年時代から続いている怪しい妄想を可視化できるよう個人的な偏見・主観に基づいて、オレが大好きだった、惚れ込んだユニフォームを各球団ごとにピックアップしてみるというどーでもいいことをやってみる。まぁ、ネタ切れだからなんだけど(苦笑)

基本的にオレ個人の美しいユニフォームの定義は下記の通り
昇華プリントNG
広告ロゴNG
③プルオーバーNG
④ビジターのカラージャケットNG
⑤ビジターユニに企業名表記はNG
⑥できれば背ネームはいらない
⑦できれば胸番号も不要


第9回目は現在の「オリックス・バファローズ

●ホーム用
・1980~1983モデル(阪急ブレーブス)

#17 山田久志


#7 福本豊

1960年代に野球のユニフォームに取り入れられたニット素材は化学繊維と混紡で作られ、伸縮性に富んでいたため野球のユニフォームに醜悪なプルオーバーが導入されるきっかけとなってしまった。また、同様の理由からベルトレスも導入。当時は最先端のスタイルだったかもしれないが、野球のユニフォームの品格を大きく汚すものだった。阪急では1972年からプルオーバー、ベルトレスを導入。しかし1980年に就任した梶本隆夫監督はユニフォームに対する見識が深く、醜悪なプルオーバーとベルトレスを廃止(但し第3ボタンまでがボタン式であとは飾りボタンで実際はプルオーバー型だったという説もあるが)。唯一残念だったのはアンダーシャツが従前の黒から赤に変更。しかし、それでも前ボタン式に変更になったことを考えれば些細なことだったかもしれないということでピックアップ。


・2006~2008モデル(神戸仕様)

#23 北川博敏


#29 ダン・セラフィニ

被合併球団である大阪近鉄ファンから多くの非難を受け急遽作成された「Bs」ロゴではあるが、そのロゴの完成度は非常に高かった。その「Bs」ロゴを左胸に配したシンプルなデザインの神戸仕様ユニフォームは阪急・オリックス史上最も品格高いユニフォームだったのではと思っている。しかし、球団はその「Bs」ロゴを廃止する決定を下した。愚かである…。


●ビジター用
・2011~2015モデル

#16 平野佳寿

球団名に初めて企業名を配した球団だけにビジターのユニフォームも非常に企業色が強く、これがお気に入りというユニフォームは殆どないが、消去法でグレー地を採用していた2011~2015年モデルをお気に入りとしてみた。胸に企業名というのはよろしくないが、前ボタンでグレー地を採用していたので、ビジター用としては及第点か。


次回は阪神タイガースの予定。

※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

好きなキャップロゴはこちら

⑧このユニフォームが好き!【中日ドラゴンズ編】

2019-01-03 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
小学生の頃から美しいユニフォームを思い浮かべては恍惚としていた怪しい少年だったオレ(笑)そんな少年時代から続いている怪しい妄想を可視化できるよう個人的な偏見・主観に基づいて、オレが大好きだった、惚れ込んだユニフォームを各球団ごとにピックアップしてみるというどーでもいいことをやってみる。まぁ、ネタ切れだからなんだけど(苦笑)

基本的にオレ個人の美しいユニフォームの定義は下記の通り
昇華プリントNG
広告ロゴNG
③プルオーバーNG
④ビジターのカラージャケットNG
⑤ビジターユニに企業名表記はNG
⑥できれば背ネームはいらない
⑦できれば胸番号も不要


第8回目は現在の「中日ドラゴンズ

●ホーム用
・1996~2003モデル

#34 山本昌広/右:#55 大豊泰昭

1987年に星野仙一監督就任に際しLADタイプのユニフォームに変更。そして1996年に再度星野仙一監督が就任した際、LADスタイルのユニフォームがマイナーチェンジされた。正確に言うと、よりLADに近いスタイルとなり、背番号や背ネームの書体はMLB型に、Dragonsのヒゲがドジャーズのように左端のDの先端にかかるように変更された。1987年から1995年まで使用された筆記体「D」キャップも1996年にマイナーチェンジがあり、天ボタンがLAD同様ホワイトに変更。翌年以降キャップロゴはブロック体の「D」に変更されたため、筆記体「D」キャップとこのユニフォームの組み合わせは1996年のみ。



●ビジター用
・1996~2001モデル

#50 音重鎮
細かい変更点は上記ホーム用と同様で筆記体「D」キャップと併用された1996年がベストであった。


#20 宣銅烈
翌1997年からキャップロゴはブロック体の「D」に変更。ユニフォームのデザインが圧倒的に秀でていただけに野暮ったいデザインのキャップにはガッカリした。


・2003モデル

#13 岩瀬仁紀

2002年に山田久志監督就任に伴い、球団史上初となるセパレートタイプのカラージャケットを採用するという愚行を犯した中日ドラゴンズ。元々プラクティスジャージとしてブルーのカラージャケットを採用していたので2002年のカラージャケットはプラクティスジャージのようでユニフォームの品格を陥れる愚行だった。しかし、2003年に再びグレーのジャージを採用。従前どおりLADスタイルであったが、1999年にLADがビジター用にラケットラインを採用していたからか、中日も追随するようにラケットラインを採用。また、LAD同様にDragonsのロゴ、胸番号、背番号に白のアウトラインも追加された。しかし、2004年に落合博満監督週により、僅か1年で廃止。完成度の高いデザインだっただけに実に残念だった。

次回はオリックス・バファローズの予定。

※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

好きなキャップロゴはこちら

⑦このユニフォームが好き!【横浜ベイスターズ編】

2019-01-02 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
小学生の頃から美しいユニフォームを思い浮かべては恍惚としていた怪しい少年だったオレ(笑)そんな少年時代から続いている怪しい妄想を可視化できるよう個人的な偏見・主観に基づいて、オレが大好きだった、惚れ込んだユニフォームを各球団ごとにピックアップしてみるというどーでもいいことをやってみる。まぁ、ネタ切れだからなんだけど(苦笑)

基本的にオレ個人の美しいユニフォームの定義は下記の通り
昇華プリントNG
広告ロゴNG
③プルオーバーNG
④ビジターのカラージャケットNG
⑤ビジターユニに企業名表記はNG
⑥できれば背ネームはいらない
⑦できれば胸番号も不要


第7回目は現在の「横浜ベイスターズ

●ホーム用
・1993~2008モデル

#10 駒田徳広

レギュラーユニフォームのみに限定するなら前年までの横浜大洋のイメージを一新し球団史上初のピンストライプを使用した当ユニフォームが最も美しいと思っている。このユニフォームは1998年に38年ぶりに日本一に輝いたイメージも強いが、2002年にマルハからTBSに球団が譲渡されたが、TBSは球団名、ユニフォーム等に手を加えず引き継いだことも印象的だった。正に理想的な球団譲渡だった。

但し、第3ボタンまで脱着可能(後は飾りボタン)のプルオーバータイプだったことは時代遅れのデザインだったし、スパイクカラーも従前の青から2000年から白に変更されたことは残念だった。


●ビジター用
・1993~2005モデル

#20 佐々木主浩

ホーム同様、第3ボタンまで脱着可能(後は飾りボタン)のプルオーバータイプでセパレートカラーなのは残念だったが、いい意味で横浜大洋のイメージを受け継いでいたので悪い印象はなかった。更に「YOKOHAMA」のレターも好感が持てる。


・2016~モデル

左:#2 ホセ・ロペス/右:#99 ネフタリ・ソト

昇華プリント、プルオーバー、カラージャケット等々、好きになる要素が全くなさそうなユニフォームなのだが、「横浜に根づき、横浜と共に歩む」という想いから胸ロゴを「YOKOHAMA」に変更、更には2018年にキャップロゴも「YOKOHAMA」のイニシャル「Y」を採用したことにより、デザイン云々より、そのコンプトに共感し、非常に好印象のユニフォームである。


ここまではレギュラーユニフォームだったが、その制約を外せば、最も美しいユニフォームは2005~06年の交流戦用ホーム用、ビジター用ユニフォームである。

左からビジター用を着用する#6 多村仁志/#7 鈴木尚典/ホーム用を着用する#8 相川亮二/#72 牛島和彦監督

●ホーム用

#5 石井琢朗

●ビジター用

#5 石井琢朗(左は福岡ソフトバンクの#7 大村直之)


それと同等に美しかったのは2000年から2010年まで横浜の下部組織(二軍)として存在した「湘南シーレックス」のユニフォームであろう。

●ホーム用

#15 高宮和也

●ビジター用

#38 桑原謙太朗

正直、上記に挙げた1軍のユニフォームより美しかった。横浜スタジアムでも横須賀スタジアムでも湘南のほうがカッコいいよなぁ~という声がちらほら聞こえた。2009年から1軍はヒドいユニフォームになったので、湘南のユニフォームの方が断然格調高いものになっていたというのは納得できる。


次回は中日ドラゴンズの予定。

※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

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ジョギング 第65週【12/24】

2019-01-01 00:05:00 | ジョギング
1月13日に参加予定の「第64回松戸市七草マラソン大会」の案内やゼッケン等が12月23日に自宅に届いた。

ゼッケンが届くと「さぁ~いよいよだぁ~!」と気持ちが高揚してくる!

蛇足だが参加賞のアームカバーも前もって郵送されてきた。

なるほど、大会によっては参加賞は先に渡すところもあるんだ。


12月24日(祝・月)
疲れが溜まっていたせいか9時まで起きれなかったので、ランニングは10:35から。気温10℃。湿度30%。晴。走行したのは「ほぼ松戸コース Vol.2」:自宅→スシロー南流山店→古ヶ崎五差路→江戸川土手→江戸川堤防交差点→松乃家松戸店→ダイエー松戸西口店→根本交差点経由→合川公園→ダイエー新松戸店→新松戸駅→自宅の15,4km

【松戸市街地拡大図】

着用シューズはNitrofuze2。タイムは約1時間45分。1km辺り6分49秒で8,8km/h。土日で25,6km走っているので太ももはパンパンだったし、先日の左膝痛がまだ完全に癒えていなかったので、どこまで走れるか不安だったが、2日間でしっかり走っていたのでフォームが固まっていたので、それなりにしっかり走れた。タイムは良くなかったが…。驚きだったのは、10km程度しか走れないだろうと思っていたNitrofuze2でほぼ問題なく15kmちょっとを走りきれたことだ。GEL-KAYANO 25より重量が片足あたり50~60g軽いので、疲労が溜まっている時は逆に走りやすかったのだろうか?


12月29日(土)
前日の仕事納めのあと、忘年会。翌朝5時まで徹夜で付き合わされ寝不足及び風邪を引く…。マジふざけんな昼過ぎに起きたが終日喉の痛み、倦怠感がありランニングはキャンセル。夕刻前になんとか娘と一緒に公園に行けるまで回復はしたのだが…。


12月30日(日)
風邪の具合は相変わらずで、喉の痛みもひかず、熱も多少ありダルい…。午前中は買い物の付き合い、夜はスキー合宿に行っていた息子のお迎えで外出したせいか回復には程遠いような気がしてきた…。

●ジョキング実施履歴はこちら