自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

2刀流?3刀流?4刀流!?

2017-03-31 00:05:00 | スポーツ観戦記
待ちに待ったプロ野球が遂に本日開幕!

今年はプロ野球開幕前にWBCが開催され、早い時期から野球を十分堪能できている♪

そのWBCでは日本代表のベスト4、アメリカ代表の初優勝、プエルトリコ代表の気品あふれる振る舞い、各国代表に招集された現役・元NPBプレイヤーの活躍と見どころ満載だった。

また、本戦開幕前の壮行試合でも興味深い選手がいた。

中国代表に四刀流いた 「4番・左翼」スタメン、8回に登板

◇WBC強化試合 中国0―5埼玉西武(2017年3月6日 京セラドーム)
 中国は5安打零敗も「中国的大谷」が出現した。4番左翼で出場していた孟偉強(モン・ウェイチャン)が8回に登板。右犠飛で1失点など1安打1失点も、最速145キロをマークしスライダー、チェンジアップも披露した。


<西武・中国>8回の1イニングを投げ、1失点の孟偉強

 登板予定だった投手の体調不良での緊急登板だったがマクラーレン監督は「彼はチャイニーズ・オオタニ。チームの中で一番、肩が強い。ロースターを最大限使うための一つのオプション」と説明した。打っては6回に右前打、守備では7回無死二、三塁から水口の左飛で本塁を狙った三塁走者・金子侑を本塁で刺す好返球。本来は捕手登録の27歳で西武・辻監督も「外野の返球を見て肩が強かったから、速い球投げるんだろうなと思っていた。キャッチャーもできて三刀流、四刀流かと思った」と感心していた。

(参照記事はこちら


もう1ヶ月弱前の事だけど、いやぁ~すげぇなぁ~とホント感心した。トップレベルで野手(しかも4番!)と投手の兼任だけでもビックリなのに、本職はキャッチャーなんだもんなぁ…

日本でも北海道日本ハム大谷選手が投手に野手に規格外れの活躍を見せ、日々驚かされているが、お隣の国でもすげぇ選手がいるもんだなぁ~

その日、レフトの外野手で先発出場した孟偉強(モン・ウェイチャン)は7回にタッチアップの犠牲フライで本塁生還を狙った埼玉西武の俊足金子侑選手を見事な送球で補殺、華麗なレーザービーム披露。その強肩ぶりを発揮。かと思えば、8回にはピッチャーとしてマウンドに立ち、1点は奪われはしたものの、最速145キロをマークしそのポテンシャルの高さを示し…打者としては4番を務める中国代表の中軸打者。この日はヒット1本を記録。

まだ終わらない孟偉強(モン・ウェイチャン)劇場!本来は前述通りキャッチャー登録!!!漫画の主人公よりオールマイティーじゃないか!指名打者(DH)を務める試合もあり、外野手&捕手&投手の3刀流、DHも含めれば4刀流


孟偉強(モン・ウェイチャン)のプロフィール
ポジション:キャッチャー
右投げ右打ち
身長/体重:185cm/84kg
生年月日:1989年5月31日生まれ(2017年3月時点で27歳)
所属チーム:広東レオパーズ

所属チームである広東レオパーズは2010年に国内リーグ初優勝。さらに、広島東洋カープと業務提携をしており、レオパーズの選手が広島のキャンプに参加したりしているらしい。カープアカデミーからドミニカ選手も派遣されているらしい。

孟偉強(モン・ウェイチャン)の成績
2016年の中国リーグ(CBL)では、ホームラン王&打点王を獲得。さらに最多得点も記録しているため、国内リーグでは3つのタイトルを獲得。さすが中国代表の4番を務めるだけあるねぇ~!個人成績詳細は、ホームラン数6本、打点31、得点29。中国のペナントレースの試合数は30試合なのでホームラン6本を日本のペナントレースの試合数で単純換算すれば30本近くのホームランを打っていることになる。国内リーグで投手として登板した記録の詳細も知りたいなぁ~


数日前、一桁背番号の投手という記事を書いた際、捕手登録ではあるが先日の壮行試合で背番号2を纏いマウンドに上がった孟偉強選手を思い出したので、記してみた。まるでスーパーマンだね、彼は



読売ジャイアンツ キャップ

2017-03-30 00:05:00 | ベースボールキャップ
そのキャップをかぶり、東京ドームのグラウンドに立つことは、多くの野球少年の夢。王貞治、長嶋茂雄、江川卓、原辰徳、松井秀喜…。挙げればキリがないほどの名選手たちの頭には、あのマークが燦然と輝くベースボールキャップがあった…

読売ジャイアンツ キャップ


昨年、友人が巨人ファンの息子のためにプレゼントしてくれました。
※ちなみに私は巨人ファンではありません

アンダーアーマー製のレプリカキャップでスナップバック。ブリム(つば)側面はアディダス時代から継続されオレンジ。今年からこのオレンジが廃止されたので、アンダーアーマー製でこのモデルの使用期間は2015,2016年の2年間のみ。



以下、ジャイアンツキャップネタ
※巨人ファンの方へ。あくまでも個人的な見解ですのでご了承くださいませ


アメリカの若者たちは、メジャーリーグ球団のキャップをファッションの一部として取り入れています。そのスタイルは古くから日本の若者にも影響を与えており、繁華街を歩けば、ヤンキースホワイトソックスレッドソックス等々のキャップをオシャレにかぶったB系やスケーター系ファッションの若い人たちを見ることができます。

しかし、そんな若者たちのなかで、日本のプロ野球球団のキャップをかぶっている人を目にすることは、まずありません。少年やおじさんでたま~に見かけ、各球団の球場近くではもちろん多数見ることができるわけですが、“若者のファッションアイテム”としてはまず使われないのです。

いったい、なぜなのか?そんな疑問をもとに、「冬の東京のオシャレな風景の中にジャイアンツのキャップをかぶった男性がいるとどう見えるのか?」を実験した結果を引用させてもらった。


東京屈指のオシャレエリア、中目黒~恵比寿周辺

A.目黒川沿い、手を吐息で温めるイケメン



a.「手が冷えている」といったことよりも、とにかくオレンジと黒のコントラストが気になってしまふ…
デビュー間もない家出少年にも見えなくはない



B.同じく目黒川沿い、アンニュイな表情でタバコに火をつけようとするイケメン



b.目黒川ではなく、多摩川付近にジャイアンツのファームを応援しに来た野球好きの人にしか見えない… ※1961年~1985年まで巨人の2軍は多摩川グラウンドを使用していました。
不思議なことに「ったくよぉ~、なんであんな球に手ぇ~出して三振なんかしてんだよぉ~という吹き出しが私の心の眼には見えた



C.目黒川をバックに、ファッション誌風に決めるイケメン



c.完ぺきな背景やポーズも、キャップひとつがすべてゼロにしてしまふ…
バックが目黒川なのに、のどかな地方の風景に見えてきた…



D.公園にて、電話。後ろ姿とハダカの木の組み合わせからなんとも哀愁が漂ってくるイケメン



d.後ろ向きにかぶることで、その異様な存在感が増大…
手にしているのは携帯電話のはずなのに、ポータブルラジオで競馬中継を聞き入って、スルメをかじりながら、ほろ酔い気分のおっちゃんにも見える…



E.恵比寿ガーデンプレイスにある瀟洒な洋館風の建物。その前でスタバのカップを口につけるイケメン



e.「ヨーロッパ?」とも思えそうだった背景が、キャップひとつ入ることで完全に日本の風景に!
スタバのコーヒーではなく、寒い中、遊びに来たテーマパークで、なぜかキンキンに冷えたオレンジジュースかサイダーをすすっている無邪気な若人にも見える



そのあまりの存在感からか、ジャイアンツキャップが入ると、「オシャレさ」や「冬っぽさ」といった要素がすべて“ゼロ”になるということが判明!!!やはり、キャップひとつに意味がありすぎるからでしょう。どれだけ遠目でも、ジャイアンツのマークがひとつ入れば、それは“ジャイアンツ的な何か”なのです。それだけ、ジャイアンツは日本において偉大な存在ということかもしれません。





あっ、オレNPBキャップ、フツーに私服で着用してるわ(笑)
まぁ、オレ、若者ぢゃないしwwww
家内に「一緒に外出するとき、阪神帽やめてよ」と言われても、オレはかぶる! NPBキャップ、バンザ~イ


引用元:【実験】オシャレな写真に巨人のキャップを入れると「ゼロになる」ことが判明

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ロッテ・ジャイアンツ(롯데 자이언츠)旧ホーム用

2017-03-29 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
ロッテ・ジャイアンツ(롯데 자이언츠)旧ホーム用

1982年~1995年使用モデル

ホーム用ユニフォームにも関わらず、胸にデカデカと「LOTTE」と企業名が自己主張していて、コンセプトは最悪で悪趣味だが「ロッテ・オリオンズ」を知る我々の世代には郷愁すら漂うデザインでもあるので…数年前、社稷球場でつい衝動買い(笑)

1984年、1992年優勝当時に身に着けていた旧ホーム用ユニフォームだが、2012年には毎月最終水曜日の試合のチャンピオンズデーに選手が着用していた(その後も着用していたような気がする)

ロッテ・ジャイアンツは日本のロッテから、ユニフォーム、球団ロゴ等々引用が多いが、このユニフォームに至っては、ほぼそのままコピーだったように思える。相違は左袖に「BUSAN」、右袖に「GIANTS」が追記されていることぐらいか。



背番号16はロッテ・ジャイアンツの元選手で名二塁手:朴正泰(パク・チョンテ/박 정태)右投右打。1969年1月29日生まれ。韓国・釜山市出身。

慶尚大学校から1991年、ロッテジャイアンツに入団。1年目より二塁手として活躍。ロッテジャイアンツの選手の中では、全国区で人気のあった選手。

左手を放し、バランスをとりながら構える変則打法「片手放し打法」で有名であった。


左手は左足太ももの付近に置き、右手一本でバットを構える。


1999年、韓国記録の33試合連続安打を達成。日韓野球にも出場し、2004年、現役引退。現役14年間で通算1167試合に出場、打率.296、1141安打、85本塁打、638打点を記録。メジャーリーガー秋信守(TEX)は甥。




ちなみに…

【千葉ロッテマリーンズと韓国の釜山ロッテジャイアンツのロゴ比較】

パクリのように思えるがオーナーが同一人物(ロッテ創業者)なので、正確には共有か?(笑)

そ~考えると、過去の水色「LOTTE」ユニも、ピンストライプ白黒ユニも全てパクリではなく、共有ということでしょうなwww

写真右は文東煥(ムン・ドンファン/문동환)


あっ、このペットマークはオリジナルだ!…イマイチ(苦笑)

馬海泳(マ・ヘヨン/마해영)若いなぁ~


当時のキャップロゴ…イマイチ(苦笑)



【追記:2016/5/16】
歴代ロッテ・ジャイアンツ ユニフォーム



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人は過ちを犯す 人はやり直すことができる

2017-03-28 00:05:00 | 独り言・つぶやき
人間は過ちを犯す生き物。でもその過ちを悔い改め、乗り越え、成長していくのも人間である。

ワタクシごときの若輩者が他者に対して、このような発言をすること自体、おこがましいが、とある報道に狭小な意見が散見されたので、自分への戒めも込めて此処に記す。


巨人 高木京と育成契約「金輪際、賭け事をしないことを誓った」



野球賭博に関与したとして1年間の失格処分を受け、球界復帰が認められた高木京介投手(27)が3月27日、巨人と育成選手としての契約を結んだ。

背番号は「028」。都内の球団事務所で、紺色のスーツ姿で会見に臨んだ高木京は「もう野球をやる資格はないと思っていた。私の行った行為は罪が重く、簡単に償えないのは理解している。何で償うかは野球しかない。考えた末に復帰申請書を出す決心をした」と話した。会見では何度も深々と頭を下げ、「ギャンブルに対する考えが非常に甘かったと、この1年で痛感した。(公営、パチンコなど)金輪際、賭け事をしないことを誓った」と続けた。

失格期間中は、母校・国学院大の施設などで練習。ブルペン投球も行っていたという。昨年には長女も誕生。復帰に際し、夫人からは「良かったね。これから大変になるけど、一緒に頑張っていこう」と声を掛けられた。チームに合流後は3軍で練習予定。かつての背番号28に0を加えて「0からのスタート」に、「野球にひたむきに取り組むだけだと思っている」と誓いの言葉を口にした。


彼は十分に社会的制裁を受けた。十分に反省した。同じ子供をもつ父親として、いち野球ファンとして、彼の再スタートを応援してあげたい。

復帰することに対して批判的な意見もあるが、私は共感できないね。なぜなら「人間は過ちを犯す生き物。でもその過ちを悔い改め、乗り越え、成長していくのも人間である。」のだから。

公になるかならないかの差はあるにしても、皆、なんかしら過ちを犯している。と同時に、皆、やり直す権利も同様にあるはず。一度の誤りに対して排他的、閉鎖的にならず、寛容な心を持ちたい。これは第三者に強要しているわけではないではないが、そうあるべき、そうであって欲しいとは思っている。

ガンバレ、高木選手。

娘と風呂と号泣

2017-03-27 18:00:00 | 家族のこと、子どものこと
世界で一番愛しい女性は家内であり、世界で一番愛らしい女性は…
来月上旬1歳4ヶ月になる我が娘だ!

その愛する娘に食事を与えることも、おしめを交換することも、服を着替えさせることも、一緒に散歩することも、全てが至福の時間だ。

そして、週末だけしか時間が取れないが一緒にお風呂に入る時間は最大の楽しみだ。


が…一昨日、昨日と娘を風呂に入れようとしたら思っきり泣かれた…


今までどんなに荒れてても、お風呂ではいつもニコニコしてくれた娘だったのに…土曜日は何とか一緒に入浴できたけど、日曜日はオレじゃ、どーにもこーにもならず家内にお風呂に入れてもらった

ショックだったなぁ…家内は一時的なことだから気にするなと言ってくれたが、ホント凹んだ




でもね、オレのヒーロー、ジョン・レノンはこう言ってた。



「3分間のロックン・ロールをつくるよりも人間一人を育てることの方がよほど芸術的だ」


オレはジョンのようにロックン・ロールを作ることも、息子も娘も1人では育てることはできない。

全ての生命の源である母親のように、その生命を宿してやることもできない、授乳してやることもできない…できないことだらけのオレだけど…それでも、子どもたちの血や肉を作ってやることはできる、楽しい思い出を作ってやることもできる。ジョンの言葉を借りれば、オレだってアーティストになれるんだ。


1回や2回ぐらい娘に泣かれたぐらいでへこたれてどーする?
またすぐに娘はニコニコしながら一緒にお風呂に入ってくれるさ!


だから、とーちゃんはいつもニコニコしてなきゃ


I wanna to be a good dad for our kids like John Lennon.

雨と息子と東京ドーム

2017-03-27 09:29:08 | スポーツ観戦記
2017年3月26日(日)巨人 0-2 千葉ロッテ(オープン戦)@東京ドーム


午前中、雨がぱらつく中、寒さに震えながら千葉県知事選挙に行ってから、巨人ファンになってしまった息子と、巨人ファンで大学時代からの友人とともに昨年9月以来の東京ドームへ野球観戦。



巨人ファンではないワタクシはいつも、この面々と東京ドームのライトスタンドで野球観戦する時、着用する衣装に困ってしまうが、今回は無難にサンフランシスコ・ジャイアンツ。なんとなく、それっぽいのでwww


野球とは本来、青空の下でやるもんだ!ドームなんて体育館だ、野球場じゃない!…といつも悪態ついているワタクシですが…子供連れの野球観戦で、さらに寒くて雨天・悪天候の日は、屋根があって、暖房も効いてる東京ドームっていうのはありがたいもんですわ。人間なんてご都合主義な生き物ですwwwww

実際のところ、あんな悪天候の中、屋外で野球観戦したら息子は間違いなく風邪ひくわなホント、子供と一緒に野球観戦する際、春先と秋の気候には悩まされますわ


しかし、巨人は大丈夫かねぇ~?オープン戦といえ、この日も打線に元気なく二塁すら踏めない状態で零封負け。オープン戦最下位でチーム打率も.196で12球団最低だそうな。この日の明るい話題は北海道日本ハムから移籍の吉川光夫投手が6回1失点でローテ確定したぐらいか。

秋に息子の喜ぶ顔が見れるか、今年も微妙だなぁ~


※息子と一緒に訪問した球場はこちら

CAMEL Team Lotus 風Tシャツ

2017-03-26 00:05:00 | 自作Tシャツ
CAMEL Team Lotus 風Tシャツ


なんてことはない、黄色のTシャツに昔購入したCAMELのワッペンを貼り付けただけ(笑)そして、困ったことに黄色が派手すぎて、なかなか着る勇気がわかない(苦笑)


ロータスがキャメルのスポンサードを受けていたのは1987年から1990年の4年間、長い歴史を誇るチーム・ロータスではごく短い期間ではあったが、F1ブームが日本に到来した時期に当たるため、ロータスと言えばキャメルカラー!というイメージが強い。


イメージは、私が個人的に大好きな89年のLotus101



過去3度ワールドチャンピオンに輝いたネルソン・ピケを持ってしても4位が最上位という散々だったマシンではあるが、89年から1,500ccターボエンジンが禁止となり3,500cc自然吸気エンジンを搭載した影響や、カーボンモノコックは100Tまでの雄型成型をやめ、一体型の雌型成型に変更され、従来に比べてスリムに設計された影響で、そのプロモーションは美しく見えた。

最終戦オーストラリアGPでは中嶋悟さんが、豪雨の中でこのマシンとして、中島さん個人としても、唯一のファステストラップと最上位タイの4位フィニッシュを記録したこともあり、それなりに知名度はあるマシンではある。


遅くても美しかったLotus101の勇姿…










Lotus101が出走した1989年 F1 Rd.15 日本GP


※その他グッズはこちら




毎日オリオンズ プラクティスジャージ風

2017-03-25 00:05:00 | 自作Tシャツ
パ・リーグ初代チャンピオンであり、初代日本一チームの毎日オリオンズ。

今風でいうホーム用ユニフォーム左胸には美しい「M」の飾り文字がシンプルながら燦然と存在感を示し、長い歴史を誇るNPBの中で最も美しいユニフォームの一つと言っても過言はないだろう

そんな毎日オリオンズのキャップを入手したので、それに合わせる上着が欲しくなり、Tシャツを自作。


毎日オリオンズ プラクティスジャージ風自作Tシャツ


当初はヤフオクで出品されていた2008年TEAM26ゴールド会員特典のレプリカジャージの購入を検討したが…


サイズがFサイズしかなく断念(以前、同じくFサイズのTEAM26会員特典グレービジターユニをヤフオクで落札したが、Fサイズは自分にはデカすぎて、まったく着用しなかったので…)


毎日オリオンズ時代のユニフォームはホーム用がニューヨーク・ヤンキースタイプで、ビジター用がブルックリン・ドジャースタイプだったから…


じゃ、ヤンキースのプラクティスジャージ風にすればいいやと色を反転させて作ってみた。

いちおー、左袖にはオリオンズの象徴でもあるトリコロールエンブレムもつけてみた(少々サイズが小さいが)


よーく、調べてみるとウインドブレーカーで今で言うプラクティスジャージ風のデザインを採用していたみたい。

湯浅禎夫総監督(1950~1952年)


当時のユニフォームは生地の制約等あり、今ほど凝ったデザインもカラフルな配色も困難だったが、それが功を奏しシンプルで美しいユニフォームを形成していった。1990年前半からMLBでは新古典主義によるレトロ回帰の結果、原点に戻ったユニフォームが多数採用された。毎日オリオンズのユニフォームも、そんな本来のユニフォームがあるべき姿(原点)の1つだと思う(※)

左:若林忠志監督(選手兼任)/右:湯浅禎夫総監督(1950~1952年)

#8 山内一弘


今で言うビジター用



※因果関係は不明だが、毎日オリオンズの後継球団に当たる千葉ロッテ・マリーンズが1995年にユニフォームを変更。ホーム用がピンストライプに左胸に「M」のイニシャルのみ、ビジター用がグレー生地に筆記体で「Marines」となり、キャップも「M」のイニシャルのみになる。毎日オリオンズのデザインを模写したようなデザインとなり、先祖返りと好評を得た。個人的にもこのユニ、大好きだった!

左:#21 フリオ・フランコ 右:#54 黒木知宏


※その他グッズはこちら

真のMVP(2017 WBC)

2017-03-24 17:00:00 | スポーツ観戦記
【WBC】準Vプエルトリコ、モリーナ中心に米国称えるジェスチャーが「一流」と話題に

決勝は完敗で2大会連続準Vも、敗戦直後に見せたスポーツマンシップに絶賛の嵐




アメリカ代表を称えるプエルトリコ代表の面々

 第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝が22日(日本時間23日)にロサンゼルスのドジャースタジアムで行われ、米国が8-0でプエルトリコに快勝。準決勝で侍ジャパンを破って決勝に進出した野球の母国が悲願の初制覇を果たした。一方で、プエルトリコ代表は7戦全勝で決勝まで駆け上がりながら2大会連続の準優勝という結果に。しかし、敗戦後に見せた勝者を称えるジェスチャーに「一流」との声が上がっている。

 決勝まで怒涛の勢いで勝ち上がってきたプエルトリコだが、先発ルーゴが米国打線につかまり、4回4失点で降板。救援陣も失点を重ねると、打線も米国先発ストローマンの一世一代の快投の前に6回まで無安打に抑えられ、反撃できなかった。

 悔しさの残る試合後、プエルトリコはダグアウトの選手、スタッフ全員が集まり、立膝を突き、円陣を組んだ。そして、夜空に腕を挙げて神に祈りを捧げてから、マウンド上で喜びを爆発させるチームUSAに向けて青いキャップを脱ぎ、指し示した。チームリーダーのヤディアー・モリーナ捕手(カージナルス)が率先して脱帽。そして、右手の親指をサムアップした。これに、若きスーパースター、カルロス・コレア内野手らも続き、脱帽した。

 激闘を終えた後に勝者を称えたプエリトリコのジェスチャーをWBC公式ツイッターもレポート。写真に「すべてのリスペクトを」とのメッセージを添えた。この準優勝チームのスポーツマンシップには、世界の野球ファンからも絶賛の声が集まった。

プエルトリコとモリーナに相次ぐ称賛の声
「真のMVP集団」
「彼はアメージング」
「純粋に一流」
「野球はこれに尽きる。本当に一流の所作を見せたプエルトリコは素晴らしい仕事ぶり」
「まさしく一流。スポーツはこうでなければ」
「まさに! プエルトリコ代表の真の一流の所作に大きな敬意を」
「プエルトリコこそ、真のMVP集団」
「我々は格式を持った戦士だ」

 チームのジェスチャーを評価する声に加え、今大会でチームを牽引したモリーナの人格を称える意見もあった。

「カージナルスのことは相当憎いけど、WBCを見た後にはヤディのことをリスペクトしました」
「同感です。彼はアメージング」

 メジャー最強捕手は準決勝オランダ戦でも、試合後にヤクルトの主砲バレンティンにすぐに近づいて抱擁。健闘を称える一流の流儀を見せていた。

 昨年7月、マーリンズのイチロー外野手がメジャー史上30人目の3000本安打に残り9本としていた試合で相対すると、「尊敬している」というレジェンドが打席に入る際には、敵地セントルイスの観衆が十分な喝采を送る時間を作るため、プレートの前であえてゆっくりと振る舞う粋な計らいを見せたカージナルスの名手。相手に敬意を払う人間としての器の大きさを見せたプエルトリコとモリーナはスポーツマンシップを体現することで、絶賛を浴びた。

参照記事:【準Vプエルトリコ、モリーナ中心に米国称えるジェスチャーが「一流」と話題に】


今大会、最も賞賛されるべきはプエルトリコ代表であった。Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎さん曰く「トップレベルの選手こそグッド・ルーザーであれ」とのことだが、今回プエルトリコ代表の選手たちの振る舞いはまさにそれであった!

一生懸命にプレーしているんだから誰だって負けたら悔しい。しかし、そこでスポーツマンシップ溢れる態度をできるかどうかで、一流選手かどうか測られるのだ。


一方、アメリカ代表は…

初優勝を決め、マウンドにワシの置物を置いて喜ぶアメリカの選手たち

こーゆー行動はダメだろう…そのマウンドは素晴らしい戦いを演じたプエルトリコ代表にとっても主戦場だったのだから。対戦相手に対しての敬意が感じ取れない。一流の試合を演じてくれたのに、試合後の行いは二流だったね。

アメリカ代表がやったことだから、どうせマスコミではそんな取り上げることもないだろうし、非難されることもあまりないだろうけど、僕は不快だったね。


2009年のこの風景を思い出したわ…


一桁背番号の投手

2017-03-24 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
野球のユニフォーム考察の際、よく見るのは配色、ロゴ、キャップ等であるが、背番号もそのチーム、個人の個性があり、見てて楽しい。

先日、WBC決勝戦で快投を演じたアメリカ代表マーカス・ストローマンは代表でも所属先のトロントでも6番を着用。そこで、ちょっと思った。そーいえば、昨年のMLBでは一桁背番号の投手が何人かいたなぁ…

その背番号だが、NPBでもMBLでも投手の一桁背番号はあまり見慣れないので、そこそこ目立つ。そもそも、なぜ投手の一桁背番号は少ないのか。それは1929年に初めて背中に番号をつけたニューヨーク・ヤンキースの影響が強いと言われている。当初、背番号は打順通りに振り分けたため、ベーブ・ルースが3番、ルー・ゲーリッグが4番…。5、6、7、8と来て、9番は控え捕手がつけ、控え野手は10番台、投手は20番台以降となる。このため一桁は野手の背番号というイメージが現在のNPB、MLBでも定着している。

でも…


そんな既成概念をぶち壊せ!(笑)

一桁背番号投手達集合!(2016年の時点で)

#6 マーカス・ストローマン(TOR)


#4 ブレイク・スネル(TB)


#8 マイク・リーク(STL 2016~17,SEA 2017~ )




#6 カール・エドワーズ・ジュニア(CHC)


#0 アダム・オッタビーノ(COL 2019よりNYY)



アダム・オッタビーノは、高校時代も背番号「0」だった。「0(ゼロ)」を自身のイニシャル「O(オー)」に見立てている。2012年につけていた背番号「37」を、2013年より「0」に変更。メジャーリーグの歴史のなかで、背番号「0」の投手はオッタビーノだけだ。マイク・リークが8番を選んだ理由は「アリゾナ州立大時代につけていたから」、6番のマーカス・ストローマンは「祖母の誕生日(3月6日)から取った」。

トロントといえば、そのストローマンの前に一桁背番号をつけた投手が数名いた。

まずはジョシュ・タワーズ投手の7番(03~07年)。

#7 ジョシュ・タワーズ(元TOR)

過去の取材で背番号が7になった経緯をこう述べた。「初めてメジャーに昇格したのが遠征先で、球団が予備で持っていたユニホームが48番と7番だけだった。でも48番はサイズが大きすぎんだ」。そして、「背番号のことはよく聞かれるけど、マウンドに上がったら背中の番号は自分では見えないからね」

背番号にこだわる選手も入れば、ジョシュ・タワーズのようにかなり無頓着の選手がいるのも面白い。(ちなみに私は「13」という背番号にかなりこだわっていた)

他にカイル・ドレイベックがトロント在籍時の2010年~2014年に4番を着用していた。

#4 カイル・ドレイベック(元TOR) 

余談だが、2016年7月にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ際に球団はドレイベックを野手(遊撃手)として起用することも示唆したらしい。

【追記:2017/05/07、09】
#7 フリオ・ウリアス(LAD) 

2016年途中から背番号「78」から「7」に変更。左目は殆ど見えないらしいが、そんなハンディキャップは微塵も感じられないメキシカン。牽制が非常にうまい。

#3 クレイトン・リチャード(SD) 



過去SD在籍時、CHC時代は背番号「33」だが、2016年SD復帰時は「27」を着用。2016年シーズン終了後FA、SDと再契約に伴い背番号「3」に。過去着用した「33」に関係あるのかな?
追記:2019年にトロントへ移籍。背番号はまたもや一桁の「2」

#9 マット・ベライル(MIN) 

COL時代の2010~2013年は年間70試合以上登板した実績をもつ名セットアッパー

【追記:2017/05/16】
一桁ではないがオマール・オリバレス/Omar OlivaresがSTLとPHI在籍時、自分の頭文字O.O.にちなんで00を着用していた時期があった。
#00 オマール・オリバレス(STL) 

STL在籍時は1993年、PHL在籍時は1995年、それぞれ「00」を着用

MLBで投手の一桁背番号は80年代は1人、90年代は3人しかいなかったというから、ちょっと状況が変わってきてるのかもね。面白い傾向だ。


で、NPBはどうなんだろうと?と、ちょい調べてみた。

【0】
大畑徹(日本ハム 86~87)
坂巻明(ロッテ 88)
松浦宏明(日本ハム 88~94)
川畑泰博(阪急 91~92)
吉田篤史(千葉ロッテ 95~96)
長冨浩志(日本ハム 97)
荻野忠寛(千葉ロッテ 07~14)
金剛弘樹(中日 07~12)
佐藤宏志(東北楽天 07~08)
山崎福也(オリックス 18~)


【1】
宮武三郎(阪急 36春~38秋)
丹羽淑雄(名古屋 36)
石井秋雄(イーグルス 37春~37秋)
近藤久(ライオン 37秋~40)
大沢紀三男(中日 47~48)
後田二郎(南海 47)
米川泰夫(急映 49)
岩本信一(大洋 50)
梶岡忠義(大阪 50~51)
薮本和男(大映 50~51)
野崎泰一(広島 53)
藤江清志(南海 53~54)
西尾滋光(大阪 54~57)
金彦永徳(南海 56~60)
柴原光三(大映 57)
大矢根博臣(西鉄 61~62)
鈴木啓示(近鉄 66~85)
大久保美智男(広島東洋 79~82)
名取和彦(西武 81)
愛甲猛(ロッテ 81~84)※1
近藤真一(中日 88~91)
野田浩司(阪神 88~90)
中込伸(阪神 95~00)
加藤伸一(オリックス 99~01)
谷中真二(阪神 01~03)
戎信行(オリックス 02)
大嶺祐太(千葉ロッテ 07~09)
松井裕樹(東北楽天 14~)
熊原健人(横浜DeNA 16~17)
斎藤佑樹(北海道日本ハム 17~)

※1 投手登録期間のみ表記


【2】
牧野潔(名古屋 36春秋)
松元三彦(金鯱 40)
鈴木芳太郎(南海 43)
内藤幸三(ゴールドスター/金星 46~47)※2
藤村隆男(大阪 50~56)
有友敏(南海 52)
小畑正治(南海 52~58)
ジョン・サディナ(南海 59~60)
杉川喜久雄(大洋 56)
宮崎逸人(大阪 57~58)
柴山宗守(大阪・阪神 59~61)※3 
中島広喜(阪神 62~63)
カーター・スチュワート(福岡ソフトバンク 19~ )

※2 46年のみゴールドスター、47~48年は金星スターズ
※3 大阪タイガース(46~60)阪神タイガース(61~ )


【3】
桜井正三(名古屋 36)
松浦一義/ジョージ・カズヨシ・マツウラ(名古屋 36春秋)
石田光彦(阪急 36春~40)
石田光彦(南海 41~42)
藤本英雄(中部日本 47)
内山清(大阪 48~49)
野崎泰一(大阪 50)
河文雄(大阪 51)
梶岡忠義(大阪 52~55)
河内忠吾(大阪 56)
平松政次(大洋 67)
テリー・レイ(日本ハム 74)
上田卓三(阪神 76~77)
江川卓(阪神 79)※4 

※4 書類上の手続きのみ


【4】
遠藤忠二郎(大東京 36春~37春途中)
駒田桂二(大阪 50~56)
相沢進(毎日 51~53)
レン・カスパラビッチ(近鉄 53~54)
菊池博仁(広島 53)
杉浦竜太郎(広島 54)
関口正巳(大洋 55)
藤村隆男(広島 57)
ジーン・バッキー(阪神 62~68)
ジーン・バッキー(近鉄 69)
マット・キーオ(阪神 87~90)
武田一浩(日本ハム92~95)
藪恵壹(阪神 02~04)
ジョー・バレンタイン(中日 07)
ライアン・ボーグルソン(阪神 08)
フェリペ・ポーリーノ(埼玉西武 16)


【5】
ハーバート・ノース(名古屋 36春)
大友一明(大東京/ライオン 36春~37秋)※5
西沢道夫(名古屋 37春秋)
望月潤一(イーグルス 37春~38秋)
松元三彦(金鯱 37春~38秋)
鈴木芳太郎(南海 38秋)
釣常雄(大阪/阪神軍 38春~40)※6
大宮清(金鯱 39~40)
清水秀雄(南海 40、42~43、52~53)
渡辺時信(朝日 42)
塩見栄一(大阪 48~49)
近藤貞雄(中日/名古屋 48~52)※7
内山清(大阪 50~52)
野崎泰一(東急 51)
清水秀雄(大洋 52~53)
斉藤宗美(広島 52)
真田重蔵(大阪 54~56)※8
杉川喜久雄(大洋 54~55)
植木一智(阪神 69)
ジョン・パセラ(巨人 87)

※5 大東京は、1937年秋にライオンに球団名を変更
※6 大阪(大阪タイガース)は、1940年途中に阪神(阪神軍)に球団名を変更
※7 中日は1951~1953年のみ「名古屋ドラゴンズ」
※8 1954年まで登録名は「真田重男」/1956年は投手として出場はなし


【6】
中山正嘉(金鯱 37春~40)
劉瀬章(南海 38秋~40)
徳島忠彦(南海 41~42)
義川泰造(阪急 42)
野口正明(産業軍 44)
高野裕良(東京巨人軍 46~47)※9 
中原宏(南海 48~49)
宮沢基一郎(大陽 49)
田宮謙二郎(大阪 50~51)
真田重蔵(大阪 52~53)※10 
小山正明(大阪 54~56)
萩原隆 (大洋 54)
円子宏(南海 58)
ジョー・スタンカ(南海 60~65)
ジョー・スタンカ(大洋 66)
山口哲治(南海 86~87)
久保康生(近鉄 96~97)
トム・デイビー(オリックス 06~08)


※9 48年より高野姓
※10 登録名は「真田重男」


【7】
村田重治(タイガース 36)
浅岡三郎(東京セネタース/翼軍 36~40)※11
森井茂(名古屋 37春~38秋)
広島清美(大和 42~43)
野口正明(名古屋 43)
野口正明(中部日本 47)
岩本信一(南海 47~49)
沖実郎(中日 48~50)
塩見栄一(大阪 50)
伊藤万喜三(東映 51)
神田昌男(大洋 54)
鈴木皖武(阪神 69~70)
エディソン・バリオス(福岡ソフトバンク 13)

※11 東京セネタースは1940年途中に翼(翼軍)に球団名を変更


【8】
納家米吉(南海 38秋)
天川清三郎(南海 39~40)
村松長太郎(東京セネタース/翼軍 39~40)※12
長谷川重一(イーグルス/黒鷲 39~41)※13
今西錬太郎(阪急 46)
清水秀雄(グレートリング 46)
川島典秋(阪急 50)
干場一夫(大阪 50~52)
箱田義勝(広島 50)
南菊一(東映 52)
大崎三男(大阪 53~57)
林直明(大洋 54)
小武方健一(南海 55~56)
神田昌男(大洋 55~58)
小山正明(大阪 57)
島本講平(南海 71)

※12 東京セネタースは1940年途中に翼(翼軍)に球団名を変更/投手登録だったが39年は投手として出場はなし
※13 1940年10月6日より黒鷲軍に改称

【9】
青柴憲一(東京巨人軍 35)※14 
手塚勝巳(大東京 36春秋)
浅野勝三郎(阪急 36春~41)※15
石原繁三(東京セネタース/翼軍 36春秋、40)※16
塩田猪年男(東京セネタース 38秋~39)
石原繁三(大洋軍 41)
石原繁三(黒鷲軍/大和軍 41)※17
藤村隆男(阪神軍 40~42)
中原宏(阪神軍 43)
義川泰造(阪急 43)
政野岩夫(南海 43)
池田善蔵(太陽 47)
藤原利美(巨人 50)
北川桂太郎(毎日 50~53)
金城政夫(東急 51~52)
西村修(大阪 51~53)※18
中西由行(中日 52)
栄屋悦男(大阪 54)
中村国雄(大洋 54)
アルビン・スピアマン(阪急 55)
倉高新始(大毎 60~61)
嘉勢敏弘(オリックス 94~00)※19

※14 米国遠征時。公式戦開始は1936年。その時の背番号は「13」
※15 1936、1937年は山田姓
※16 東京セネタースは1940年途中に翼(翼軍)に球団名を変更
※17 黒鷲軍は、1942年に大和軍に球団名を変更
※18 但し1953年は外野手として3試合出場、投手としての出場はなし/1953年は本名・登録名を「伊沢修」に変更
※19 但し外野手登録。外野手登録のまま登板したのは97、00年。
   01年から投手登録に変更に伴い背番号も28に変更(01~04)


一桁ではないが…【00】
カルロス・ミラバル(日本ハム 00~05)
デニス・ホールトン(福岡ソフトバンク 08)
キャメロン・ロー(福岡ソフトバンク 09)
吉川輝昭(福岡ソフトバンク 10~13)
許銘傑(オリックス 12~13)
藤井秀悟(横浜DeNA 12~14)
星野智樹(東北楽天 13)
江尻慎太郎(福岡ソフトバンク 13~14)
東野峻(横浜DeNA 15)
久保裕也(横浜DeNA 16)

【注】
①個人での調査のため、掲載情報は必ずしも正確ではない。不正確な情報、及び記入漏れが確認された際は随時更新予定
②1リーグ時代の情報(特に背番号2~9)が自分の確認した範囲では殆ど見当たらなかったので上記記載選手以外にも着用者が存在する可能性があり
③背番号「00」についても個人の記憶の範疇での抽出のため、上記記載選手の他に着用者がいる可能性あり


一桁背番号は野手という球界の伝統にくみしなかったのが大阪/阪神タイガース。タイガースは球団創設時に選手の名前の“いろは”順に番号を振ったというエピソードが現すように他球団にはない独特の背番号観を有していることによって、球界では異色の一桁背番号の投手(「1」は除く)や10番代の野手がしばしば出現するらしい。
どうりで…調べててタイガースの選手多かったもんなぁ~でも、そーゆ-ひねくれたところ大好きです!(笑)

で、予想通り、1番は高校野球のエース番号なので、それなりに多い。そして他の一桁背番号ほど違和感がない。(余談だが韓国KBOでは1番は普通に投手の背番号として定着してる)

予想外だったのは、1番から9番まで満遍なく着用してた選手がいたんだねぇ~。特に1950年台は一桁背番号の投手、結構いるじゃん!当時はそんなに珍しくなかったのかなぁ?

※追記 1950年代、大阪タイガースにて一桁背番号の投手が多い理由
1950年、リーグが分裂し、ファームの結成などの改革を行ったタイガースは背番号をポジション別に改めた。1 - 8が投手、9 - 11が監督、助監督、主将、12 - 14が捕手、15 - 20が内野手、21 - 24が外野手、それ以降をファームの選手とした。9 - 11が捕手に使われていないのは、1リーグ時代からの功労者である背番号9の松木謙治郎と背番号10の藤村富美男の番号を変えないように配慮したためである。


0番は比較的新しい番号だから、投手でもさほど違和感ないかも。カッコよくはないけど(笑)

でも、鈴木啓示投手は別格にしても、全体的に見て投手で一桁背番号の着用期間って、そんな長くないんだよね~。

1番は期待を込めて選手に与えられる場合もあるだろうけど、2~9番に関しては二桁で空き番号がないから、とりあえず一桁の背番号つけといて~みたいな緊急措置的要素が強いのかなぁ~

去年、埼玉西武に入団したフェリペ・ポーリーノが4番を着用し、おっ、久しぶりにNPBで一桁背番号の投手がでてきていいねぇ~と思ったけど、1年限りで退団になっちゃって残念。

逆にMLBでは一桁背番号の投手が投手が新たなトレンドになるかな?そーゆーのも気にしながらの野球観戦も個人的には楽しいのである。共感してくれる人は殆どいないが(苦笑)


※追記(2017/4/5)
CPBLにて今年、富邦ガーディアンズ(フーバン・ガーディアンズ/富邦悍将)に入団した元・中信兄弟の增菘瑋投手が8番付けてるね。

#8 增菘瑋(富邦悍将)

他にも中信兄弟の潘韋辰投手が3番

#3 潘韋辰(中信兄弟)

※追記(2017/8/22)

#5 Bryan Woodall/ブライアン・ウッドール/伍鐸B.W(中信兄弟)

一桁ではなく「00」だが…

#00 Rick Teasley/リック・ティーズリー/銳力R.T(中信兄弟)

2017年5月にKBO・ネクソンに加入したジェイク・ブリガム(元ATL,東北楽天)は背番号「8」



【追記】
オーストラリアでは投手の一桁はさほど珍しくないようでABLの試合をYou Tubeで見ていてもちらほら見受けられる。そーいえば阪神に在籍していたジェフ・ウィリアムス投手も北京五輪オーストラリア代表では「3」だったもんなぁ。


#8 フランク・ガイリー(キャンベラ・キャバルリー)

他にも2017-18シーズンではマイケル・クリック(キャンベラ・キャバルリー)が#6、ライアン・ダンカン(アデレード・バイト)が#3、クリストファー・ホーン(アデレード・バイト)が#8、ダニエル・ニルソン(ブリスベン・バンディッツ)が#2、ザック・テレス(ブリスベン・バンディッツ)が#9、マット・ウィルソン(メルボルン・エイシズ)が#6、トレバー・フォス(シドニー・ブルーソックス)が#7である。



また、表題から反れるが「18」について一言。

MLBでは野手の番号である「18」だが、NPBでは完全に投手の番号。

その「18」を今年から北海道日本ハムの岡大海外野手が着用するのは新鮮でいいねぇ~


NPBにて野手が「18」を着用するのは1987年に横浜大洋に在籍したシクスト・レスカーノ外野手以来。日本人選手に限定すると中日に在籍していた小木曽紀八郎内野手が1963、1964年に着用していた以来だってねぇ~。いいねぇ、いいねぇ、こーゆー個性あふれる背番号って大好き


ユニフォームに関しては、かなり保守的な私だが、背番号に関しては…

既成概念をぶち壊して欲しい!(笑)

※他にもユニフォームのこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

アメリカ代表優勝!(2017 WBC)

2017-03-23 14:09:40 | スポーツ観戦記
米国、圧勝でWBC初優勝 ストローマン快投、プエルトリコを零封

◇WBC決勝 米国8―0プエルトリコ(2017年3月22日 ドジャースタジアム)

 第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は22日(日本時間23日)、米ロサンゼルスのドジャースタジアムで決勝が行われ、米国が8―0でプエルトリコに大勝し、初優勝を果たした。先発右腕ストローマン(ブルージェイズ)が7回途中1安打無失点の快投を見せると、打線はキンズラー(タイガース)の先制2点本塁打など13安打で8点を挙げてプエルトリコを圧倒。“史上最強”チームでついに世界一の座を手にした。

 両チームは17日の2次ラウンドF組で対戦し、プエルトリコが初回に一挙4点を挙げると米国の追い上げをかわして6―5で勝利。その一戦で先発したストローマンとルーゴ(メッツ)が、ともに中4日で大一番のマウンドに上がった。


#6 マーカス・ストローマン(TOR)

 前回対戦では初回に6連打を浴びたストローマンだったが、この日は内野ゴロ3つで三者凡退に抑える上々の立ち上がりを見せると、2回は4番ベルトラン(アストロズ)に四球を与えるも次打者を併殺斬り。150キロ台のツーシームを武器に凡打の山を築き、安定感抜群の投球で6回まで打者3人ずつで抑える快投を披露し、7回に初安打を許した場面で中継ぎ陣にマウンドを託した。

 打線は3回、先頭のルクロイが中前打で出塁すると、キンズラーがルーゴの高めに甘く入った速球を捉え左中間越え2ランで先制点。5回にはキンズラーの左前打を足がかりに無死一、二塁とすると、イエリチ(マーリンズ)の右前適時打、マカチェン(パイレーツ)の遊撃内野安打でリードを4点に広げた。7回には2死から安打と2四死球で満塁の好機を築き、クロフォード(ジャイアンツ)とスタントン(マーリンズ)の適時打で3点を追加して試合を決めた。

 今大会、打線好調だったプエルトリコだがストローマンの術中にはまってわずか3安打で零敗。1次ラウンドから無傷7連勝の快進撃で決勝に進出したが、前回大会に続いて大一番で完敗し、初優勝を逃した。

 過去3大会で2009年の4強が最高だった米国は、今大会は野手15人中12人がオールスター戦経験者と“史上最強”メンバーを招集。1次ラウンドでドミニカ共和国、2次Rはプエルトリコに屈してともに2位通過となったが、準決勝で侍ジャパンに競り勝った勢いで初の頂点にたどりついた。

(参照:Yahoo!ニュース! 該当記事はこちら


カナダに在住していたこともあったので、トロント在籍のマーカス・ストローマンの快投は嬉しい限りだ!

今年のWBCも存分に楽しませてもらった!4年後のWBCも今から楽しみだ!!!


優勝おめでとう、アメリカ代表!
ナイスゲームをありがとう、プエルトリコ代表!

四国アイランドリーグplus

2017-03-23 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
今年からクリーブランド、ボストン、ロサンゼルス等でMLB通算555本塁打を放ったマニー・ラミレスが高知ファイティングドッグスに入団することで話題になっている独立リーグ・四国アイランドリーグplus

マニー・ラミレス(1996年CLE在籍時)

細っ!!!

その「四国アイランドリーグplus」の今季使用するユニフォームを見て気になった事があった。

左から
「高知ファイティングドッグス」
「香川オリーブガイナーズ」
「徳島インディゴソックス」
「愛媛マンダリンパイレーツ」

まず、ユニフォームサプライヤーがミズノからアンダーアーマーに変わった。胸に表記されているロゴも変わった。表記されている文字も全て地名に変わった。そして、昨年まで無数に貼り付けられていたスポンサーロゴが消えた!

NPBのユニフォームにスポンサーロゴが拡散されている状況を嘆いている私の観点からすれば、これはユニフォームとしては素晴らしい変化だ。

しかし、現状と照らし合わせると独立リーグの各チームは拠点の県と企業スポンサーに支えられ活動資金を捻出し、その見返りでスポンサーロゴがユニフォームに貼り付けていたので、それは仕方ないことだと思っていた。だから、このユニフォームを見て今までのスポンサーからの収入ってどうなっちゃうだろう?と率直に思った。

ちなみに過去の「四国アイランドリーグplus」各々チームのユニフォーム

上段左から「愛媛マンダリンパイレーツ」「高知ファイティングドッグス」
下段左から「香川オリーブガイナーズ」「徳島インディゴソックス」

去年までは左胸にチームのプライマリーロゴが貼り付けられ、後は広告スペースだったのが、今年から地名のみの表記になりスッキリして野球のユニフォームとしての美しさが燦然としている。これがあるべき姿なのだが、今までがごちゃごちゃしてて、急にスッキリしたもんだから、まるでスポンサーが全然つかなくて資金のやりくりに苦労しているF1チームのようにも見えてしまう(゚∀゚;)


独立リーグで最も美しいユニフォームと言えばベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)に所属し、我が故郷・群馬の雄「群馬ダイヤモンドペガサス」(多少、身内びいき入ってます 笑)

2008年、BCリーグ新規参入の記者会見ではスポンサーロゴがない非常に美しいユニフォームを披露


2016年、初のグランドチャンピオンシップ優勝を果たした時のユニフォーム

まぁ、県と企業スポンサーあっての独立リーグだから、これぐらいのスポンサーロゴは仕方ないよなぁ…
強いていえばユニフォームサプライヤーがミズノからアシックスになって背番号の書体がカッコいいMLBスタイルから、ちょいダサいスチューデント型に変更なったのは残念…


今シーズン、「四国アイランドリーグplus」のユニフォームはこのまま、この美しいユニフォームが継続されるのか?それとも…?マニー・ラミレス入団で湧く「四国アイランドリーグplus」だが、違った角度でも気になる今年の「四国アイランドリーグplus」である。(オレだけかもしれんが 笑)


※追記【2017/4/18】:四国アイランドリーグplus開幕後は前年同様、広告ワッペンが貼り付いたユニフォーム着用してた。まぁ、仕方ないよね。

※他にもユニフォームのこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

アメリカ代表決勝進出(2017 WBC)

2017-03-22 13:29:00 | スポーツ観戦記
【WBC】米国が侍J破り初の決勝へ 7投手継投で1点差逃げ切り、プエルトリコと激突

【米国が初の決勝進出】

 21日(日本時間22日)にドジャースタジアムで行われた第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でアメリカが侍ジャパンを2-1で破り、初の決勝進出を果たした。同点の8回に1点勝ち越しに成功。7投手の継投で侍打線を1得点に封じ、競り勝った。22日(同23日)の決勝では初優勝をかけてプエルトリコと激突する。

 悪天候で迎えた大一番。3万3462人の観衆が足を運んだ試合で決勝進出を果たしたのはアメリカだった。

 ロアーク、菅野の両先発が好投を見せ、3回まで両軍無得点。迎えた4回、アメリカは1死からイエリチの鋭い打球が菊池のエラーを誘い、二塁へ。その後、2死一、二塁からマカチェンがレフト前に先制のタイムリーを放った。

 6回には2番手のN・ジョーンズが菊池に同点ソロを浴びたものの、8回、千賀からクロフォード、キンズラーが連打で1死二、三塁とチャンスを作る。ここでA・ジョーンズはボテボテの三ゴロも、松田がボールをつかみ損ねる間にクロフォードが生還。勝ち越しに成功した。



 その裏、準決勝から合流したメランソンが先頭の代打・内川に右前打、青木に四球で2死一、二塁とピンチを招いたが、代わった6番手右腕ニシェクが筒香を右飛に打ち取り、得点を許さない。9回はグレガーソンが締めて粘る日本を振り切った。

 世界最高峰の選手が集うリーグを有しながらも、WBCでの最高成績は2009年第2回大会のベスト4。これまでは決勝の舞台にもたどり着けなかった。第4回にして初のファイナルへ進出したアメリカ。22日(同23日)に初の栄冠をかけてプエルトリコとの決戦に臨む。

(参照:Yahoo!ニュース! 該当記事はこちら


勤務中のためPCのテキスト速報でしか試合内容を把握できていないが、きっと素晴らしい試合だったに違いない!日本人としては残念な結果でも、いち野球ファンとしては、また野球の素晴らしを認識させてもらえた!これが野球だ!野球はホントに素晴らしい!心から野球が大好きだ!

今日まで素晴らしいプレーをありがとう、日本代表!そして、見事な勝利を飾ったアメリカ代表にはおめでとう!明日の決勝もますます楽しみだ!そして、明日の決勝が終わったら、遂にプロ野球開幕だぁ~!!!!野球の季節が本格的にやってくる~!!!!





素晴らしい日米戦に華を添えた試合前のファーストピッチセレモニー



トルネード野茂英雄氏が始球式 当時監督のラソーダ氏と スタジアムは大歓声 WBC

 【ロサンゼルス ドジャースタジアム】日米が対戦した21日(日本時間22日)のWBC準決勝で、大リーグのドジャースなどで活躍した野茂英雄氏と、当時の監督、トミー・ラソーダ氏が始球式を行った。2人が登場するとスタジアムは大歓声と拍手がわき起こった。ラソーダ氏からボールを手渡された野茂氏が投球すると、再び拍手がこだました。

 野茂氏は、1995年にドジャースに入団。「トルネード投法」と呼ばれた豪快なフォームで、大リーグ通算123勝を挙げたほか、メジャーで2度ノーヒットノーランを達成した。ラソーダ氏は76年から21年間にわたり、ドジャースの監督を務め、ワールドシリーズで2回優勝するなど、通算1599勝を挙げた。


訳のわからん広報活動のために訳のわからん芸能人や企業のオエライさんが行う始球式は不快感しかないが、偉大なる先人を称えるファーストピッチセレモニーは感傷的になるね。ドジャースタジアムで野茂さんとラソーダさんかぁ、ステキだったねぇ~

ニューヨーク・メッツ ビジター

2017-03-22 06:00:00 | ジャージ(ユニフォーム)
ニューヨーク・メッツ ビジター

@何故か鎌ヶ谷スタジアムwww


ニューヨーク・メッツと言えば、1997年から柏田貴史、吉井理人、野茂英雄、新庄剛志、松井稼頭央、高橋建、石井一久、高橋尚成、高津臣吾、五十嵐亮太、松坂大輔といった多数の日本人選手が所属して、さらに1996年シーズン途中からボビー・バレンタインが監督に就任した関係で日本での知名度も高い。

ワタクシ的にはニューヨーク・メッツと言えば、何と言ってもトッド・ハンドリー!捕手でスイッチヒッターで、96年にはキャッチャーのシーズン本塁打記録樹立!MLBってスゲーなぁ~と驚嘆した選手の1人だった。

#9 Todd Hundley

その後、ステロイド問題で色々あったのは残念だったなぁ…


チームカラーのうち、黒とオレンジはニュヨーク・ジャイアンツ、青はブルックリン・ドジャース(いずれも1957年までニューヨークが本拠地)のチームカラーから取ったもので、帽子のNYマークもジャイアンツが使っていたものが取り入れた。さらにビジター用の花文字「NEW YORK」ロゴは1930年代にニューヨーク・ジャイアンツで採用されていた書体である。そーゆー歴史を尊重するスタイルはス・テ・キ(これだけいろんなものを組み合わせたハイブリッド式ユニフォームなのに、うまくまとめたデザイナーもスゲーなぁ

さらにホーム用のピンストライプは同じくニューヨークを本拠地としているヤンキースから取り入れた…と聞いたような気がするが、そのことは少なくても自分が確認した範囲では言及している資料はなかったのでホントかどうかは不明。

着用しているジャージはチームロゴに黒のシャドーが追加された1998~2011年バージョン。2002年、新庄剛志選手がSFに移籍したことにより、セレクションでのファイヤーセール品を購入。左袖にプライマリーロゴがないのが残念な一品。マジェスティック製。

正直、ホーム・ビジター共に黒のシャドーが入った1998~2011年のロゴは好きじゃなかったので、現在は青、オレンジの2色に戻り個人的には嬉しい。

余談だが、MLBグッズが日本でも購入しやすくなった1995年頃はレプリカジャージといえばラッセル・アスレチック。その後、徐々にマジェスティックがユニフォームサプライヤーとして勢力を伸ばし、2005年からMLB全チームにユニフォームを独占供給(2020年からはアンダーアーマー)レプリカジャージも当然のごとくマジェスティック社製が増えていったが、ラッセル・アスレチック製に比べて高くってねぇ~マジェスティックが独占供給開始してからはMLBのレプリカジャージの購入数は非常に少なくなった。

2020年からのMLBユニフォームサプライヤーのアンダーアーマーは現在NPBの読売ジャイアンツにユニフォームを供給しているが、そのレプリカジャージはさらに高くて…よほどのことがない限り、暫くはMLBのレプリカジャージ(勿論オーセンティックもだけど)は高嶺の花だなぁ~

※その他グッズはこちら

プエルトリコ代表決勝進出(2017 WBC)

2017-03-21 16:26:23 | スポーツ観戦記

プエルトリコがオランダ破り2大会連続の決勝進出


<WBC:プエルトリコ4-3オランダ>◇準決勝◇20日(日本時間21日)◇ドジャースタジアム

 前回準優勝のプエルトリコが延長11回、タイブレークの末、オランダにサヨナラ勝ちし2大会連続の決勝進出を決めた。

 3-3でタイブレークへ。11回表を無失点に抑えた。その裏、無死一、二塁からモリーナが送りバントを決め1死二、三塁。バエスは敬遠で満塁。ロサリオが犠飛を放って試合を決めた。

 プエルトリコは22日(同23日)に行われる決勝戦で日本-米国戦の勝者と対戦する。
(参照:Yahoo!ニュース! 該当記事はこちら


今日は仕事で試合はデスクのPCにて逐一速報を確認するぐらいしかできなかったので、試合内容の詳細は不明だが、プエルトリコ代表が勝ちましたねぇ~

開幕前はドミニカ代表の優勝を予想していたワタクシだが、そのドミニカ代表を2次ラウンドで撃破したプエルトリコ代表。強いなぁ~。前回は準決勝で日本代表を破ったが、今回はそのリベンジができるといいなぁ~(と言っても、まず明日、日本代表がアメリカ代表に勝たなければだけど)

心情的には現役、過去にかかわらずNPBプレイヤーが複数名在籍するオランダ代表に頑張ってほしかったが、それでも2大会連続でのベスト4は素晴らしい結果だ。この敗戦は決してオランダ代表の評価を下げるものではなく、野球王国の地位をさらに確立したと思える。

しかし、少なくても10年ちょっと前までは野球のオランダ代表が存在すること自体知らなかったしなぁ~野球の勢力分布図も日々変わってくるもんだと実感

【補足:オランダ代表の元・現NPBプレイヤー】
監督 #31 ヘンスリー・ミューレンス(元千葉ロッテ、ヤクルト)
コーチ #25 アンドリュー・ジョーンズ(元東北楽天)※1
投手 #44 リック・バンデンハーク(福岡ソフトバンク/写真上)
   #46 ルーク・ファンミル(元東北楽天)
外野手 #4 ウラディミール・バレンティン(東京ヤクルト/写真下)





※1 AJはATLのイメージ強すぎて元東北楽天表記に違和感がwww