自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

LEON 自作Tシャツ

2019-07-01 00:05:00 | 自作Tシャツ
LEON 自作Tシャツ


ビジュアルもサウンドトラックもサイコーにクールで学生時代から魅了され続けているTrainspottingPlup fictionのTシャツを新調したので、もうひとつのお気に入りLEONのTシャツも探してみたのだが、なかなかお気に入りのデザインのものがないので、久しぶりにTシャツを自作することにした。

LEONは多くのデザインのポスターが展開されたが、個人的に最も気に入っているのが赤と黒のモノカラーで構成された下記デザイン。


久しぶりの自作Tシャツだったが、カッティングは直線のみで難儀なことはなかったが…転写紙への黒の着色が想像以上に薄く、完全に満足できる仕上がりではなかった。残念。

中日ドラゴンズ 自作プラクティスジャージ風Tシャツ

2018-02-23 00:05:00 | 自作Tシャツ
中日ドラゴンズ 自作プラクティスジャージ風Tシャツ

先日、星野監督へ追悼の意を含め入手した(友人からいただいた)「中日ドラゴンズ キャップ(1987~1995 Ver.)」に合わせる上着として当時のロゴを元に作成。


ユニフォームの色を反転させた仕様にしたので、なんとなく1996~2001年に採用されたプラクティスジャージのようでもあるが、下述の通り「Dragons」のロゴは1987~1995年までのものなので1996~2001年のプラクティスジャージとはロゴが異なる(下記写真参照)。

#44 デーブ・ニルソン(NPB時代の登録名はディンゴ)
MILでは野茂さんともバッテリーを組んだ名捕手。しかし中日在籍時には絶対的レギュラー中村武志捕手が在籍していたため捕手での出場は1試合のみ。慣れない外野守備と日本の投手に対応できず極度の打撃不振で8月に退団してしまったのは非常に残念であった。


自作Tシャツで使用した1987~1995年「Dragons」のオリジナルロゴ



#25 西本聖


#33 郭源治


1996~2003年に使用されたドジャースタイプ(ヒゲが左端のDの先端にかかるように変更された。その他マイナーチェンジあり)

左から#34 山本昌広/右:#55 大豊泰昭(1996年)


左から#17 李尚勲(NPB時代の登録名はサムソン・リー)/#20 宣銅烈/#7 李鍾範(1999年)


1998.8.22 横浜vs中日16回戦


ドジャースタイプの中日ユニフォームは胸番号の『赤』がアクセントになっているので「Dragons」のロゴだけだと少々物足りない印象を受ける。もしかしたら今後、赤い胸番号だけでも追加する可能性もあり。その際には星野監督の「77」にしてみたいなぁ。

※その他グッズはこちら



バンクーバー・グリズリーズ 自作Tシャツ

2018-01-19 00:05:00 | 自作Tシャツ
バンクーバー・グリズリーズ 自作Tシャツ

サンタさんにバンクーバー・グリズリーズキャップお願いしたらホントに届いたので(驚)、キャップに合わせるTシャツを自作してみた!


#10 マイク・ビビー

1995/1996~1999/2000シーズン初代ビジター用ジャージ


2000/2001シーズンのみ着用2代目ビジター用ジャージ

なんとなく初代、2代目ビジター用ジャージを融合したイメージのTシャツに仕上げてみた。まぁ、とは言っても、この黒地上にホワイトのアウトラインで囲ったバンクーバー・グリズリーズのロゴを配置した配色・デザインは既製品でもよく見かけるので、特にオリジナルティーはないが、ロゴそのものがゴチャゴチャしているので、これぐらいシンプルな方がいいかもしれない。

残念なのは自宅のプリンターのインクの残量が少なかったのか、家庭用プリンターの限界なのか、転写紙に印刷したロゴの色彩、特に黒が結構薄く、エメラルドグリーンにムラがある。キャップの刺繍がハイクオリティーなだけにかなり見劣りしてしまう感は否めない。まぁ、1着あたりの制作費が1000円ぐらいだから、こんなもんか

※その他グッズはこちら

日本ハム・ファイターズ オルタネイト風オリジナル自作Tシャツ

2018-01-11 00:05:00 | 自作Tシャツ
日本ハム・ファイターズ オルタネイト風オリジナル自作Tシャツ

先日「大阪近鉄バファローズ オリジナル自作Tシャツ feat. 藤井寺era ロゴ」を作成した際に、転写シートが残りそうだったのでついでに作成。

デザインはファイターズ史上もっと美しいユニフォームである1993~2003年モデルを引用。大阪近鉄バファローズ オリジナル自作Tシャツデザイン作成のついでに、こちらの「Fs」のロゴもフォトショップで好みの色に塗りつぶし完了。

1993~2003年モデルは当時業務提携を結んでいたニューヨーク・ヤンキースのユニフォームにインスパイアされ作成されたという噂も聞いたことがあったので(ホントかどうかは不明)、こちらもニューヨーク・ヤンキースのプラクティスジャージ風にしてみた。(でも、「Fs」のロゴは明らかにオークランド・アスレチックスの「A's」を意識しているように思える)


以前、ファイターズのTシャツは自作したが、1993~2003年モデルのキャップとうまく調和していないように思えたので、うまくマッチングできるこのTシャツは重宝しそうだ。

しかも、正直ガチで作った「大阪近鉄バファローズ オリジナル自作Tシャツ feat. 藤井寺era ロゴ」より、ついでで作ったこちらのTシャツのほうが出来も見栄えもいいなwww やっぱ、シンプルなデザイン・配色のほうがカッコイイわなぁ~♪

#2 小笠原道大


#29 芝草宇宙


#35 今関勝


※その他グッズはこちら

大阪近鉄バファローズ オリジナル自作Tシャツ feat. 藤井寺era ロゴ

2018-01-10 00:05:00 | 自作Tシャツ
大阪近鉄バファローズ オリジナル自作Tシャツ feat. 藤井寺era ロゴ

先月、1997~2004年型の近鉄・大阪近鉄キャップをいただいて、1974~1976年モデルの近鉄Tシャツと併せて着用していたが、イマイチしっくりこない。

では、同じ時期に使用されていたユニフォーム風のTシャツを自作してみるかという発想から作成。

イメージは1999~2004年仕様の「Osaka」ビジター用ユニフォーム

#3 吉岡雄二

ただ、「Osaka」ロゴのデザインはそこまで好きではない。やはりバファローズのロゴと言ったら藤井寺時代の「Buffaloes」ロゴでしょ!

#21 吉井理人

では、まず藤井寺時代の「Buffaloes」ロゴを加工してみるか
①オリジナルロゴ


②「Buffaloes」ロゴを白に

赤文字にするので実際は必要ない作業だが、この配色が一番カッコイイと思ったので…とりあえず作成。しかし、やはりこのままだと1999~2004年仕様の「Osaka」ビジター用ユニフォームっぽくないので泣く泣く断念

③「Buffaloes」ロゴを赤に


④「Buffaloes」赤ロゴにホワイトのアウトラインを追加

完璧ではないけど、何とか1999~2004年仕様の「Osaka」ビジター用ユニフォームっぽくなったかな。しかし、なんだか野暮ったいなぁ~(苦笑)

イチオーこだわりとしては左袖章は1999~2004年仕様の「バッフィー」ではなく、藤井寺時代の「猛牛マーク」にしてみた。

配色はキャップとの調和性を考慮して同色にした。

「Buffaloes」ロゴに赤が入り、少々ゴチャゴチャした感じになってしまったので、もしまた自作する気になったらシンプルな白地の「Buffaloes」ロゴで作成してみるか。

※その他グッズはこちら

John Player Special 自作Tシャツ(3代目)

2018-01-04 00:05:00 | 自作Tシャツ
John Player Special 自作Tシャツ(3代目)

JPSキャップを新調したので、それに合わせてTシャツも新たに作成してみた。当初はユニオン・ジャックと「John Player Team Lotus」のロゴも左袖に添えて作成してみたが、ごちゃごちゃした感じになってしまったので…作り直して、シンプルな「JPS」のロゴのみを左胸に添えて完成。


前作もなんとなくゴチャゴチャした感があったが、やはり1985,86年に着用されていたレーシングスーツのように左胸に大きな「JPS」ロゴのみの方がカッコイイな。

#12 アイルトン・セナ


#11 エリオ・デ・アンジェリス


左:#11 ジョニー・ダンフリーズ/右:#12 アイルトン・セナ


美しいJPSロータスは時代を超えても、その美しさは際立っている。改めて末期JPSロータスの勇姿を並べてみた。

Lotus 94T(1983年後半のみ)

#11 エリオ・デ・アンジェリス

Lotus 95T(1984年)

#12 ナイジェル・マンセル

Lotus 97T(1985年)

#12 アイルトン・セナ


#12 アイルトン・セナ


#11 エリオ・デ・アンジェリス


#11 エリオ・デ・アンジェリス


#11 エリオ・デ・アンジェリス

Lotus 98T(1986年)

#12 アイルトン・セナ


#12 アイルトン・セナ


#12 アイルトン・セナ


#12 アイルトン・セナ


#11 ジョニー・ダンフリーズ


#11 ジョニー・ダンフリーズ


#12 アイルトン・セナ 後方はウィリアムズFW11を駆る#5 ナイジェル・マンセル
並走する他の全てのマシンが野暮ったく見えてすまうほど、JPSロータスは美しかった。(他に美しいと思えたF1はこちら

F1史上、これほど優雅で高貴で気品あふれるマシンはもう見ることはできないであろう。また心酔してしまうほど完成され美しいJPSのロゴ。Tシャツですら、その優美さがうかがい知れる。なんて言ったら大袈裟か?(笑)

※その他グッズはこちら

阪急ブレーブス オリジナル自作Tシャツ

2017-12-16 00:05:00 | 自作Tシャツ
阪急ブレーブス オリジナル自作Tシャツ

今年の3月頃から、ずっと構想を練っていたTシャツ。1972~1983年に採用された「H」キャップを友人からプレゼントしてもらえることになったので作成。

イメージは阪急ブレーブスのアンダーシャツがまだ黒だった時期・1972~1979年のホーム用(但し1975年から背ネームが追加される等のマイオーチェンジはあり)。キャップが黒と赤のツートンカラーなのでTシャツも同様のツートンカラーにまとめた。


ちなみに蛇足だが、1980年からプルオーバーからボタン式に戻ったのはいいのだがアンダーシャツ等は赤となり、強い阪急の象徴だった「黒」の配色は減って重厚感がなくなった印象を受けた。更に1984年からは伝統的な筆記体の「Braves」ロゴが廃止になりブロック体書体に変更となったのも今思えば残念な変更だ。

#30 上田利治監督


#14 山口高志

山口高志投手の伝説はこちら

#17 山田久志

うん、やっぱ、このユニフォームが阪急では一番カッコイイ!(プルオーバーなのは残念だけど)

※その他グッズはこちら

カンザスシティ・アスレチックス(1963)自作Tシャツ

2017-11-18 00:05:00 | 自作Tシャツ
カンザスシティ・アスレチックス(1963)自作Tシャツ


「カンザスシティ・アスレチックス」のキャップを購入したのでTシャツを自作。左胸の「A」のロゴは1963年のデザイン。(後に「A」のロゴは若干シンプルな形状に変更されている)→参照はこちら

※1963年までの「A」ロゴ

#6 チャック・エシージャン/Chuck Essegian(1964年にはNPB近鉄バファローズにも在籍。当時の登録名は「チャック・アシージアン」)

※1964年以降変更された「A」のロゴ

#20 ドン・ブッシュホーン

フィラデルフィアからカンザスシティに移転後も基本的には「青」主体のチームカラー(フィラデルフィア最終年の1954年から「赤」も加わる)だったが、名物オーナー・チャーリー・O・フィンリーの発案により、1963年からカラーテレビ時代に対応して、既成概念を破るド派手な黄色(公式には金色と呼称)のユニフォームを採用。黄色のユニフォームは一貫してビジター用だったわけではなく、1963年はホーム・ビジター兼用、1964年はホーム用として使用された。その後1965~1967年まではビジター用となる。

1963~1967年「カンザスシティ・アスレチックス」ユニフォームの推移
●1963年


●1964年


●1965年


●1966年


●1967年


1963年以降ノースリーブを採用しているのでTシャツで再現するのは少々無理があるが、個人的にノースリーブのシャツを着用する習慣がないので、敢えて無視した。

#19 バート・キャンパネリス(「A」のロゴは変更後のもの)

MLB時代は遊撃手だったが、マイナーリーグ時代の1962年8月に、フロリダステートリーグで投手として登板した時に左右投げを披露したスイッチピッチャーであった。1965年9月8日の対カリフォルニア・エンゼルス戦で史上初の1試合全ポジション守備を記録した。1番遊撃手で先発出場し、回ごとに二塁手→三塁手→左翼手→中堅手→右翼手→一塁手→投手→捕手とポジションを変え、珍記録を達成した。8回には自身初の投手を務め、2与四球・1被安打で1失点という内容だった。後に西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)の一軍守備・走塁コーチ(1987年)、二軍守備・走塁コーチ(1988年)を務めたことでも有名。

余談だが、小学生の時、カッコ悪いとは思わなかったが上下ブルーの西武ライオンズのビジター用ユニフォーム(1979~1995)は多少なりとも違和感があった。

#39 オレステス・デストラーデ

しかし、上記図の様にカンザスシティ・アスレチックスは既に1960年代に上下イエローのユニフォームが採用されていたし(オークランド移転後も1971年まで上下イエローユニフォームは使用された)、サンディエゴ・パドレスも1972~1973年まで、ピッツバーグ・パイレーツも1977~1984年まで共に上下イエローのユニフォームを、1975~1977年まではクリーブランド・インディアンズが上下赤のユニフォームを採用していたので、昔からMLBに精通していた人にはそこまで奇異には映らなかったのかもしれない。

クリーブランド・インディアンズの上下赤ユニフォーム #37 デニス・エカーズリー

NPBでも1973年に日拓ホーム・フライヤーズが、1976年に太平洋クラブ・ライオンズが上下同色のユニフォームを採用していた。

1973年 日拓ホーム・フライヤーズ


1976年 太平洋クラブ・ライオンズ


これらを見ると…上下ブルーの西武ライオンズなんて、全然マシのような気がする(笑)

※その他グッズはこちら

ニューヨーク・ジャイアンツ ビジター風(1948~1957)

2017-10-14 00:05:00 | 自作Tシャツ
ニューヨーク・ジャイアンツ ビジター風自作Tシャツ(1948~1957)


ニューヨーク・ジャイアンツのキャップを購入したので、それに合わせるために自作。キャップは1947年までのモデルだが、Tシャツの「NEW YORK」ロゴは1948年からなので、実際にはこの組み合わせはありえないが、そこは無視(笑)

このTシャツとニューヨーク・ジャイアンツのキャップを着用して上野のアメ横を歩いていた時、たまたますれ違ったアフリカ系の方に「おぁ~すげークールじゃん!」とお声がけしていただいた時は嬉しかった!いやぁ~分かる方には分かるんですねぇ~このニューヨーク・ジャイアンツのレトロ感漂う雰囲気の良さが


#5 アルヴィン・ダーク


上記のユニフォームを見ると…
なんとなく第一次長嶋政権期(1975~1980)の巨人のビジターユニフォームを連想してしまう。

#30 江川卓/左は#19 小林繁(阪神)

※その他グッズはこちら

ブルックリン・ドジャース ビジター風(1946~1957)& ロサンゼルス・ドジャース ビジター風(1958、1970)

2017-10-09 00:05:00 | 自作Tシャツ
ブルックリン・ドジャース ビジター風(1946~1957)
& ロサンゼルス・ドジャース ビジター風(1958、1970)


ブルックリン・ドジャースのキャップ購入に伴いビジター用のTシャツも購入したが、戦後使用されたビジター用「Dodgers」ロゴのTシャツも自作。

#1 ピー・ウィー・リース(BRO)


ドジャースは1958年にロサンゼルスに移転。そして、僅かな期間(1958、1970のみ)ではあるが、BRO時代の「Dodgers」ロゴを使用したビジター用のユニフォームを採用していた時期もある。(しかし、LA移転後は「Dodgers」ロゴ左下におなじみの赤文字で描かれた胸番号が入る)ということで、一応当Tシャツはロサンゼルス・ドジャースとしても応用可。

このドジャースのユニフォームはNPBにも多大なる影響が与え、毎日オリオンズ(ビジター)広島カープ(ビジター)ロッテオリオンズ(初代)千葉ロッテ・マーリンズや後述する中日ドラゴンズ等がそのデザインを模写した。

#20 ドン・サットン(LAD)

1970年撮影


ちなみ1972年から現在まで使用されている「Dodgers」ロゴは「D」の形状がビミョーに異なる。

#34 フェルナンド・バレンズエラ(LAD)


#31 マイク・ピアッツァ(LAD)




蛇足だが、1987年に中日ドラゴンズがロサンゼルス・ドジャースそっくりのユニフォームを採用した時は、衝撃的だった!シンプルなデザインこそユニフォームは映えるものだと心酔したもんだ。
左:#34 山本昌広/右:#55 大豊泰昭(1996年)

1996年以降は髭と「Dragons」ロゴとの間の間隔が広げられた上で、髭が「D」の先端にかかる程度まで長めにアレンジされ、ドジャースにより忠実な書体になっている。キャップのロゴは1987年~1996年まで筆記体の「D」(但し1978~1995年までは天ボタンはブルー、1996年のみ天ボタンはホワイト)。以降、2003年まではブロック体の「D」。背番号の書体は1987年~1995年まではスチューデント型、1996年から2003年(厳密に言うと落合監督時代のユニフォームの2011年まで)MLB型を採用。

個人的にはキャップは筆記体の「D」ロゴ、背番号はMLB型が好みだった。この組み合わせが実現した1996年のみだけだったが中日ドラゴンズ史上最も美しいデザインだった。

※その他グッズはこちら

埼玉西武ライオンズ プラクティスジャージ風

2017-09-30 00:05:00 | 自作Tシャツ
埼玉西武ライオンズ プラクティスジャージ風自作Tシャツ


2009年、埼玉西武ライオンズのチームカラーがそれまでのライトブルーから「レジェンド・ブルー」と称する紺色に変更。基本デザインは西鉄ライオンズ時代のユニフォームを踏襲しており、ホーム用は白地に紺のラケットライン。左胸に「L」のイニシャルが付き、(このデザインは2014年まで採用)デトロイト・タイガースに似たデザインとなる。

#1 栗山巧


#3 中島裕之


#26 星野智樹


右胸の醜悪な企業ロゴ(スウォッシュ)はかなり気に入らないが、そこに目をつぶれば…

ぶっちゃげ、カッコイイ!

正直、レプリカジャージを購入しようか物凄く悩んだが、小学生時代から「西武は嫌いじゃ!」と公言し、自分の信念を曲げるのも癪だったから購入を控えていた。でも、カッコイイものはカッコイイので…自作のTシャツぐらいならいっかと作成することに(要は自分の信念を曲げただけ 苦笑)

ユニフォームのように白地に紺字の「L」のイニシャルを付けることも検討したが、白地のTシャツは娘の世話をしていると汚されてしまうので、色を反転、紺地に白字の「L」のイニシャルを付けることにした。前述のデトロイト・タイガースニューヨーク・ヤンキースのプラクティスジャージのような雰囲気で、これはこれでカッコイイわぁ~♪前身の西鉄ライオンズ自作Tシャツと共に会心の一作である。

しかし、ニューヨーク・ヤンキース同様、昔から好きじゃないと公言していた(埼玉)西武ライオンズのグッズを着用するのは、ものすごい背徳感があるなぁ~。でも、カッコイイものはカッコイイから仕方ない(苦笑)


※その他グッズはこちら

Team Lotus エンブレム Tシャツ

2017-09-16 00:05:00 | 自作Tシャツ
Team Lotus エンブレム 自作Tシャツ

大学生のときに購入したTeam Lotusのキャップとともに


創業者Anthony Colin Bruce Chapman(アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマン)のイニシャル「A・C・B・C」を組み合わせた美しいロゴが配置され、美しい色彩のロータスのエンブレムを左胸に配置。

元来、ロータス車体の塗装はモータースポーツのナショナルカラーに基づいて緑と黄色のカラーリング。その歴史的なカラーをTシャツで表現してみた。

ロータス歴史的伝統色である緑と黄色のカラーリングをまとうロータス49(#5 ジム・クラーク/1967年)




その後、スポンサー・カラー(ゴールドリーフ、JPS、キャメル)の採用から、久しくロータスの車体から緑と黄色のカラーリングは消えたが…

1991年、メインスポンサーである「CAMEL」を喪失したことにより、メインはスポットスポンサー確保の為、白にはなっているが、ノーズ先端、サイドポンツーン上部等は伝統の緑と黄色のカラーリングで彩られた。

伝統の緑と黄色のカラーリングを再びまとったロータス102B(1991年)

#11 ミカ・ハッキネン


#12 ジョニー・ハーバート


#11 ミカ・ハッキネン


#12 ミハイル・バルテルス

今まで、黒単色のJPSロータス・黄単色のCAMELロータスに見慣れていた自分には開幕戦であるアメリカGPでこの配色を見たときは少々違和感を憶えたが、その歴史的背景を考慮すれば、復活・再生を期すロータスには最適のカラーリングにも思える。


そして、1992年、遂に遂に、ロータス歴史的伝統色である緑と黄色のカラーリングが完全復活!!!

伝統色である緑と黄色のカラーリングに包まれたロータス102D(1992年)

#11 ミカ・ハッキネン


#12 ジョニー・ハーバート


#11 ミカ・ハッキネン


そして、2年ぶりのニューマシン「ロータス107」デビュー!(1992年)

#12 ジョニー・ハーバート


#11 ミカ・ハッキネン

成績向上に合わせるように「カストロール」が待望のメインスポンサーに!

#11 ミカ・ハッキネン


#11 ミカ・ハッキネン


#12 ジョニー・ハーバート


#12 ジョニー・ハーバート


#11 ミカ・ハッキネン&#12 ジョニー・ハーバート with ロータス107

この年はナイジェル・マンセル(ウィルアムズ)の独走でチャンピオン争いは退屈極まりなかったが、愛するチーム・ロータスは一時的に成績が向上し、遂に…というか、ようやく名門復活か!と胸踊らせた1年であった。更にシーズン中盤の第9戦イギリスGPからはカストロールがメインスポンサーとなり一時的に運営資金不足は解消!のはずだったが…運営資金の長期貸し付けを受けていたランドハースト・リーシングが倒産し、債権者から返済を迫られると再び資金不足へと陥って…1993年はメインスポンサーであるカストロール色の強いカラーリングに変更…そのカストロールも1993年をもって撤退、そして1994年を最後にチーム・ロータスは遂にF1からその姿を消した…。

晩年の1992年、歴史的伝統色である緑と黄色のカラーリングは何故瞬間的に復活したのだろう…?そう遠くないうちに消滅することを予見して、最後の最後にその歴史と伝統と誇りを可視化できるよう我々に示してくれたのだろうか?そんな107に思いを馳せて、このTシャツを作成してみた。





※その他グッズはこちら

シンシナティ・レッズ プラクティスジャージ風

2017-09-07 00:05:00 | 自作Tシャツ
シンシナティ・レッズ プラクティスジャージ風自作Tシャツ

イメージは1999~2006年まで採用されたビジター用プラクティスジャージ。ビジター用プラクティスジャージ着用時のキャップはクラウン・ブリムともブラックだが、私は所有していないので当時のビジター用キャップで代用。

#37_コーキー・ミラー(2002年)

1999~2002年までのビジター用プラクティスジャージ

#4_レイ・オルメド

2003~2006年までのビジター用プラクティスジャージ(両肩に赤のラインが追加)この写真だと、キャップは当時のビジター用か?


シンシナティ・レッズと言えば、当然「赤」のイメージであるが、1999~2006年の期間は例外的に「黒」が際立っている時期だった。

1999~2006年までホーム用オルタネイト、ビジター用ではキャップのクラウン、アンダーシャツ共に黒のユニフォームを採用(ホーム用でも2000~2003年はアンダーシャツが黒だったがキャップのクラウンは赤、ブリムが黒)し、黒がメインカラーに添えられた。

古くからのMLBファンは違和感があったかもしれないが、個人的には黒が多く使われていることで全体的に締まってカッコよく見えた。ケン・グリフィー・ジュニア時代を象徴するユニフォームだったという表現もあるが、正しくそのイメージであった。

#17アーロン・ブーン


#17アーロン・ブーン


左:#10 エディー・タウーベンシー/右:#11 バリー・ラーキン


#32ダニー・グレーブス


#11 バリー・ラーキン


黒いレッズ…好きだったなぁ~という訳で、黒いレッズグッズが欲しかったので、古着屋で100円で買ったTシャツで自作してみたのだった。


※その他グッズはこちら

阪神タイガース プラクティスシャツ風

2017-09-02 00:05:00 | 自作Tシャツ
阪神タイガース プラクティスシャツ風自作Tシャツ


イメージは試合前の練習で着用されるプラクティスシャツ

#1 トーマス・オマリー

正直失敗作…胸の「Tigers」のロゴは本来のロゴと似て非なるものだし、右袖に付けた「TH」ロゴは余計でゴチャゴチャしてるし…

※その他グッズはこちら

西鉄ライオンズ オリジナルTシャツ

2017-08-21 00:05:00 | 自作Tシャツ
西鉄ライオンズ オリジナル自作Tシャツ


2008年開催の「ライオンズ・クラシック」で復刻された西鉄ライオンズのキャップレプリカジャージを購入したが、レプリカジャージ右胸には当時埼玉西武のユニフォームサプライヤーであるナイキのスポンサーロゴ「スウォッシュ」が描かれていたのが非常に不満であった。

せっかく、シンプルで美しい西鉄ライオンズのジャージがこれじゃ、興醒めだよ…じゃ、自分でシンプルな西鉄ライオンズ風のTシャツでも自作するか!ということで作成。

ジャージ同様、白地に黒文字の「Lions」もロゴにしようかとも思ったが、白のTシャツは汚れが目立つので、色を反転させて黒地に白の文字にカスタマイズ。

オリジナルジャージデザイン(1954~1959年モデル)

#6 中西太


左から#25 高倉照幸/#7 豊田泰光/#6 中西太/#3 大下弘/#27 関口清治/#9 河野昭修/#5 仰木彬/#47 和田博実/#24 稲尾和久


自作Tシャツの中では、ロッテ・オリオンズ自作Tシャツと並んで、会心の出来であると自負してる♪

※その他グッズはこちら