読者 :
忌中の神社への参拝は、49日が過ぎれば良いと過去コメントにありますが、
49日以内の場合、家庭の神棚に手を合わせて良いのか、半紙を貼って隠すとか、
水変えなどは、どうなるのかが解りませんでした。
解説 :
近親者が亡くなった場合、四十九日間は神社参拝を控えた
方が良い、霊的意味を説明します。
神社参拝は、自分自身から神様へ感謝の気持ちを捧げる事
が本来の目的です。 神様に捧げる物は、いずれは自分に
反射して来ます。 鏡の様にです。 つまり、自分に還って来
る霊的法則が有ります。
神霊に感謝を捧げれば、自分が他人から感謝される状況が
来ます。 神霊に喜びを捧げれば、いつか自分が喜ぶ事に
成ります。
では逆に、神社に悲しい気持ちで参拝した場合、神様には
悲しみを捧げる事に成ります。 そして、自分に悲しい事が
帰って来ます。 正神が鎮まる神社ほど、鏡の作用が強く働
きますので、参拝時の心境には注意が必要です。
欲深い人間は、願いが叶うと聞くと、どんな山奥でも参拝に
行こうとしますが、これが本人の目的に反した逆の作用を招
いている事が多々あります。
近親者が亡くなって、悲嘆に暮れている最中に神社参拝を
すれば、神様に何を捧げているでしょうか?
表面では、どんなに背伸びをして感謝の参拝をしても、神霊
に伝わるのは悲しみです。
つまり、四十九日と言うのは、近親者が亡くなって悲嘆してい
ても、2ヶ月近く経過すれば落ち着きを取り戻しているとする、
ただの一般的な目安です。 だから、四十九日を過ぎても、
深い悲しみに包まれていれば、やはり神社参拝を控えるべき
ではあります。
逆に故人が長命で安らかな大往生をしたので、家族全員が
心から安らかな心境で居られるならば、四十九日を待たずと
も参拝しても良いのです。
神道では、近親者の死を穢れと考え、忌中の参拝を控える
様に言いますが、これは神事に携わる関係者のみが注意す
べき事であり、一般の方には関係ありません。
神事を執行し、神霊の寄り代と自身が成る場合、近親者の
亡くなって間の無い波動の粗い霊体が、自分の側にある場合
は、神霊が寄れ無い事が確かに有ります。
しかし、現在では残念な事に、神霊の寄れる神官自体が
非常に少ないのが実情です。
また、本来の正しい神道観では、人の死は不浄では有り得
ません。
太陽は必ず朝に生まれ、夕方に没します。そして、夜を経た
後に再生します。
神道の大事な理念には、神々の「死と再生」があります。
神々の死とは、隠れただけの事を指します。
これは、万物を始めとして人間の死も、
「死んで隠れて再生する」終わり無き旅の途中の道程と捉え
ます。 人の死は、穢れでは決して有りません。
旅の途中の休憩にしか過ぎません。
忌中の間、家庭にある神棚への参拝は、御自身が悲しい間
は、たんたんと御水の交換だけをされれば良いです。
触っては駄目だと言う事はありません。
全ては、根源存在たった一つの現われに過ぎません。
礼を尽くす限りは、ばちが当たる事などありません。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
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近親者が亡くなった場合、四十九日間は神社参拝を控えた
方が良い、霊的意味を説明します。
神社参拝は、自分自身から神様へ感謝の気持ちを捧げる事
が本来の目的です。 神様に捧げる物は、いずれは自分に
反射して来ます。 鏡の様にです。 つまり、自分に還って来
る霊的法則が有ります。
神霊に感謝を捧げれば、自分が他人から感謝される状況が
来ます。 神霊に喜びを捧げれば、いつか自分が喜ぶ事に
成ります。
では逆に、神社に悲しい気持ちで参拝した場合、神様には
悲しみを捧げる事に成ります。 そして、自分に悲しい事が
帰って来ます。 正神が鎮まる神社ほど、鏡の作用が強く働
きますので、参拝時の心境には注意が必要です。
欲深い人間は、願いが叶うと聞くと、どんな山奥でも参拝に
行こうとしますが、これが本人の目的に反した逆の作用を招
いている事が多々あります。
近親者が亡くなって、悲嘆に暮れている最中に神社参拝を
すれば、神様に何を捧げているでしょうか?
表面では、どんなに背伸びをして感謝の参拝をしても、神霊
に伝わるのは悲しみです。
つまり、四十九日と言うのは、近親者が亡くなって悲嘆してい
ても、2ヶ月近く経過すれば落ち着きを取り戻しているとする、
ただの一般的な目安です。 だから、四十九日を過ぎても、
深い悲しみに包まれていれば、やはり神社参拝を控えるべき
ではあります。
逆に故人が長命で安らかな大往生をしたので、家族全員が
心から安らかな心境で居られるならば、四十九日を待たずと
も参拝しても良いのです。
神道では、近親者の死を穢れと考え、忌中の参拝を控える
様に言いますが、これは神事に携わる関係者のみが注意す
べき事であり、一般の方には関係ありません。
神事を執行し、神霊の寄り代と自身が成る場合、近親者の
亡くなって間の無い波動の粗い霊体が、自分の側にある場合
は、神霊が寄れ無い事が確かに有ります。
しかし、現在では残念な事に、神霊の寄れる神官自体が
非常に少ないのが実情です。
また、本来の正しい神道観では、人の死は不浄では有り得
ません。
太陽は必ず朝に生まれ、夕方に没します。そして、夜を経た
後に再生します。
神道の大事な理念には、神々の「死と再生」があります。
神々の死とは、隠れただけの事を指します。
これは、万物を始めとして人間の死も、
「死んで隠れて再生する」終わり無き旅の途中の道程と捉え
ます。 人の死は、穢れでは決して有りません。
旅の途中の休憩にしか過ぎません。
忌中の間、家庭にある神棚への参拝は、御自身が悲しい間
は、たんたんと御水の交換だけをされれば良いです。
触っては駄目だと言う事はありません。
全ては、根源存在たった一つの現われに過ぎません。
礼を尽くす限りは、ばちが当たる事などありません。
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