伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

大事な死生観

2008-10-27 18:58:52 | Weblog
読者 :
忌中の神社への参拝は、49日が過ぎれば良いと過去コメントにありますが、
49日以内の場合、家庭の神棚に手を合わせて良いのか、半紙を貼って隠すとか、
水変えなどは、どうなるのかが解りませんでした。
解説 :
近親者が亡くなった場合、四十九日間は神社参拝を控えた
方が良い、霊的意味を説明します。
神社参拝は、自分自身から神様へ感謝の気持ちを捧げる事
が本来の目的です。 神様に捧げる物は、いずれは自分に
反射して来ます。 鏡の様にです。 つまり、自分に還って来
る霊的法則が有ります。
神霊に感謝を捧げれば、自分が他人から感謝される状況が
来ます。 神霊に喜びを捧げれば、いつか自分が喜ぶ事に
成ります。
では逆に、神社に悲しい気持ちで参拝した場合、神様には
悲しみを捧げる事に成ります。 そして、自分に悲しい事が
帰って来ます。 正神が鎮まる神社ほど、鏡の作用が強く
きますので、参拝時の心境には注意が必要です。
欲深い人間は、願いが叶うと聞くと、どんな山奥でも参拝に
行こうとしますが、これが本人の目的に反した逆の作用を招
いている事が多々あります。

近親者が亡くなって、悲嘆に暮れている最中に神社参拝を
すれば、神様に何を捧げているでしょうか?
表面では、どんなに背伸びをして感謝の参拝をしても、神霊
に伝わるのは悲しみです。
つまり、四十九日と言うのは、近親者が亡くなって悲嘆してい
ても、2ヶ月近く経過すれば落ち着きを取り戻しているとする、
ただの一般的な目安です。 だから、四十九日を過ぎても、
深い悲しみに包まれていれば、やはり神社参拝を控えるべき
ではあります。
逆に故人が長命で安らかな大往生をしたので、家族全員が
心から安らかな心境で居られるならば、四十九日を待たずと
も参拝しても良いのです。

神道では、近親者の死を穢れと考え、忌中の参拝を控える
様に言いますが、これは神事に携わる関係者のみが注意す
べき事であり、一般の方には関係ありません。
神事を執行し、神霊の寄り代と自身が成る場合、近親者の
亡くなって間の無い波動の粗い霊体が、自分の側にある場合
は、神霊が寄れ無い事が確かに有ります。
しかし、現在では残念な事に、神霊の寄れる神官自体が
非常に少ないのが実情です。
また、本来の正しい神道観では、人の死は不浄では有り得
ません。
太陽は必ず朝に生まれ、夕方に没します。そして、夜を経た
後に再生します。
神道の大事な理念には、神々の「死と再生」があります。
神々の死とは、隠れただけの事を指します。
これは、万物を始めとして人間の死も、
「死んで隠れて再生する」終わり無き旅の途中の道程と捉え
ます。 人の死は、穢れでは決して有りません。
旅の途中の休憩にしか過ぎません。

忌中の間、家庭にある神棚への参拝は、御自身が悲しい間
は、たんたんと御水の交換だけをされれば良いです。
触っては駄目だと言う事はありません。
全ては、根源存在たった一つの現われに過ぎません。
礼を尽くす限りは、ばちが当たる事などありません。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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264 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
神棚と先祖供養について質問です (m-)
2008-10-27 19:01:38
リーマンさん、皆様、いつもありがとうございます。お陰様で先祖供養を始めて、およそ半年がたちました。

改めて、今のやり方で正しいのかな・・・と振り返ってみた時、少々不安になり、過去ログを見てみたのですが、載っていなかったようなので、大変申し訳ございませんが確認させてください。

Q1.短冊は木製の短冊掛にかけてお線香立てと同じテーブルに乗せ、壁のようなところに立てかけています。
過去ログに『短冊が中間に浮き、線香台から離れているのが気になります。できれば、線香台と短冊は同じ高さが良いです。』とありました。
短冊掛けにかけることにより、お線香立てよりも短冊が10cm程高くなってしまっています。
やはり、短冊掛けからはずしたほうがいいでしょうか?

Q2.先日の記事を参考に、神棚の下に、先祖供養の短冊を置くようにしました。長方形のテーブルに、神棚を置き、その下の畳の上に、すのこを二枚重ね、板をのせ、短冊や線香立てなどを置いています。
そこで、問題なのが、場所の都合上、テーブルの短辺側からお参りさせていただくのですが、お線香を立てるとき、手が届きにくいために、神棚よりも手前に短冊や線香立てを持ってきたいと思っています。
山のすそのをイメージしたり、お札を置く順番を考えると、手前でも問題はなさそうなの
ですが、念のため、確認させていただけたらと思います。

Q3.神棚を祭っているテーブルと自分の仕事机は、1cmほどしか離れていませんが、問題はないでしょうか?

Q4.最近、神棚を祭り始めたのですが、毎回神棚の前に立つと、未熟な自分があらわになってしまう感じがします。今ままで、神棚を祭らず、先祖供養だけさせていただいてきました。そこで、感謝の思いがあふれるようになったので、そのような自分であれば、神棚を祭ることができるのではないかと、お札をいただきに参りました。自分としては、先祖供養を行っているときの感謝の思いだけで神棚をお祭りしたいと思っているのですが、どうしても神棚を祭ろうとすると、邪念のようなものが上がってきてしまいます。今は、邪念を持たないように(表面に出ないように)、心の中で、「生かしていただいてありがとうございます」を繰り返しながら、お水を取り換えたりしています。このような、未熟な私でも、神棚をお祭りして大丈夫でしょうか?

問題がなければ、スルーしてください。よろしくお願いいたします。
返信する
日本人の死生観 (ユキ)
2008-10-27 19:05:09
いつもお世話になっています。
日本人の死生観に深く通じるものですね。
イエスの説く「永遠の命」も、仏陀の説く「輪廻転生」も、すべては、ひとつですね。
今日も生かしていただきありがとうございます。
返信する
小学校の修学旅行で (いいよさこい)
2008-10-27 19:07:20
お伊勢さんへお参りしたとき、ちょうど親戚で不幸があり49日を明けていなかったため、鳥居さんの直前で足を止めてちゅうちょていました。その時、一人の友人が私の身体をひょい、と持ち上げて中に入れてくれました。子供後ごろながら神様に申し訳がたったような晴れやかな気持ちになりました。40年近く前のことですが、その機転のきいた友人に今でも感謝しています。
返信する
ありがとうございます。 (ro)
2008-10-27 19:08:31
日々の更新ありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
返信する
有難うございます (あきにょ犬)
2008-10-27 19:11:58
「内在神と共に」を昨日、読破する事ができました。
線香供養をする事ができる状況に感謝致します。
これからも、続けていきます。

返信する
素直に (ないざえもん)
2008-10-27 19:13:56
ほっ とする記事、有難う御座います。
返信する
Unknown (てだこ)
2008-10-27 19:13:59
参道する方は、クリックをお忘れなく~
返信する
質問です? (tetsuya)
2008-10-27 19:14:21
リーマンさん、今日も更新ありがとうございます。
今日の内容とは違うですが、お聞きしたい事がありまして、携帯から打ち込んでます。
自分のおじさんのことなんですが、東京の方で手からパワーを出して患部にさわる治療プラス、何か見えるらしくリーディング的な事を仕事として、プライドを持ってやっています。
こちらとしては、何も言える状態ではありません。見守る以外に何かしするとしたら、~おじいさんを生かして頂いてありがとう御座います。しかないのでしょうか?身内として長生きはしてもらいたいし、そういう能力があるじたい心配です。
リーマンさんのこれからの活躍期待してます。生かして頂いてありがとう御座居ます。 アマテラスオホミカミ アマテラスオホミカミ
返信する
内在神と共に (もーりー)
2008-10-27 19:15:43
今回の新刊はブログをしっかり読んでいるから買わなくても・・・と思っていました。
しかし、地元の小さな本屋に積まれているのを見かけ、手にとってみると「こりゃじっくり読まないと」という思いになり購入しました。
今回の本はなんだか違いますね。まとめ方というか、なにか全く新しい本です。
とにかくなによりも5%運動です。頑張ります。
返信する
あまのじゃく2? (SAKE)
2008-10-27 19:16:42
リーマンさん、今日の更新ありがとう御座います。
昨日の続きを書きたいと思います。ダキニの記事でわかったのですが、反作用の行動(身・口・意)すると、感情(エネルギー)が増殖され、負の連鎖が始まります。小さな事でも負の連鎖があると思われる時は、感謝想起(正の連鎖)が必要だと思っています。人は気づかないうちに、自己の存在をアピールしたり、確認作業をする上で、些細な事から反作用の方向にいき始め、段々と捕らわれて、最終的には、伊勢白山道と反対の考え方や生き方をすると思っています。また、根源神と内在神と先祖が観てくれていると感じることで、ヘナチョコパンチをくりだす原動力になります。そして、同じ悩みや疑問を持つ人がいて、気がついた経験のある諸先輩方はアドバイスをお願いします。これから、私と同じ感情や意見がある場合はコメントを控えます。9/18以降の記事は私達一人一人に成長を促す記事が多いように感じます。それと、コメント欄はフィールドワークです。

今日も未来も、生かして頂いて ありがとう御座います。
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