一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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台風と野分(のわき)と俳句と映画と

2007-10-27 00:42:35 | Essay
九州南方の海上にあった熱帯性低気圧が発達し、南大東島近海で台風20号となりました。

こうした台風の進路などが明らかになったのは、せいぜい20世紀に入ってから、また台風の発生が即時分るようになったのは、近々数十年前からのことでしょう(気象衛星「ひまわり1号」の打ち上げは1977年)。

ですから、戊辰戦争時、榎本艦隊は房総半島沖で台風に遭遇し、2艦を失うことになりました(〈美加保丸〉は座礁、〈咸臨丸〉は損傷、清水へ入港し新政府軍に拿捕される)。
それでも乗組員の中には、台風に遭うことを危惧した者もいました。

しかし、それ以前となると、直接の被害が起こらないと、台風だとも思わなかった。
ちなみに、古来から台風を含めた暴風雨は「野分」と呼ばれていました。
これは「嵐が過ぎ去った後の野の草が、いろいろな方向に倒れ伏した状態」を捉えていった語のようです。

さて、「野分」というと、小生がまず思い出すのが、
鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな
という蕪村の句です。

「鳥羽殿」とは、白河上皇が造った離宮の名まえ。
その名のとおり鳥羽上皇は、この離宮で院政を行ない、また崩御しました。
当時、やっと中央の政治に関与し始めてきた武者(平清盛や源義朝など)。京でいかなる大事が起ったのか、伝令の武者が五、六騎を飛ばしていく。
そういった情景を、嵐の中に描いた俳句です(「蕪村得意の時代劇俳句」との評もある)。

映画で、こういった荒々しい気象とともに、アクションを描いたのは、何と言っても黒澤明でしょう。
『七人の侍』での大雨の中での戦闘シーン、『用心棒』での空っ風の中での対決シーン、などなど。
こうして見ると、黒澤は蕪村の伝統を引いているとも言えるのでしょう。

さて、現在、そのような傾向の監督さんはいるのかしら?

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