一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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今日のことば(87) ― 志賀直哉

2006-01-19 08:12:53 | Quotation
「(法隆寺)夢殿の救世観音を見てゐると、その作者といふやうな事は全く浮かんで来ない。それは作者といふものからそれが完全に遊離した存在になってゐるからで、これは又格別な事である。文芸の上で若し私にそんな仕事でも出来ることがあったら、私は勿論それに自分の名などを冠せやうとは思はないだらう」
(『座右宝』)

志賀直哉(しが・なおや、1883 - 1971)
小説家。東京帝大文学部在学中に武者小路実篤、里見◯らと同人雑誌を始める。1910(明治43)年には、有島武郎も加わり雑誌「白樺」を創刊。「網走まで」を発表する。大正時代には、『清兵衛と瓢箪』『城の崎にて』『小僧の神様』などの短編を発表、「小説の神様」とも呼ばれるようになる。昭和になってからは、唯一の長編『暗夜行路』を完成する。1949(昭和24)年には文化勲章を授章した。

小生、志賀直哉を世間でいう程認めているわけではないが、上記引用は、「自我意識」を重要視した白樺派作家にしては、謙虚な物言いで気になっている。
もちろん、ここには民藝運動の提唱者柳宗悦(やなぎ・むねよし)との交流が響いていることは間違いあるまい(柳は「白樺」創刊メンバー)。
「民藝」とは、本来、無名の職人による工藝品を指してのことだからである。したがって、そこには小賢しい「作品意識」や「自我意識」(両者が結びつくと「傑作意識」となる)などというものなどはなかった。

それとも、志賀の発言の背後には、大正初め頃の父親との「和解」によって、「自我意識」の必要性もなくなったということか(「対抗自我意識」counter self-consciousness?)。
もし、そうならば、白樺派の主張する「自己」「個」などというものは、その程度のものであったのだろうか(本ブログ「今日のことば(83)」参照) 。

参考資料 阿川弘之『志賀直哉(上)(下)』(新潮社)
     志賀直哉全集(岩波書店)

追記)ちなみに、次の文章も志賀のものである(雑誌「改造」昭和21年4月号)
「そこで私は此際、日本は思ひ切つて世界中で一番いい言葉、一番美しい言語をとつて、その儘(まま)、国語に採用してはどうかと考へてゐる。それにはフランス語が最もいいのではないかと思ふ。」

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