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📺金をめぐる謎 より

2017-10-15 16:05:10 | 📚 豆知識・雑学
ディスカバリーCH より

連邦準備銀行が密かに金相場を操作している? 2010年2月に疑惑

古代より今迄、採掘された金は174000t 地球に有る金の約75%
に及ぶとされている。体積にしてワシントン記念塔の1/3程
希少性と耐久性と加工性、故に歴史上様々な事があった。
古代エジプトでは『神の吐く息』 古代インカでは『太陽の汗』
紀元前6世紀頃から今迄、国際通貨として重用されている

第二次世界大戦中、ナチス(国家社会主義労働者党)によって
歴史上類を見ない程、卑劣な略奪が行われた。
欧州各国ではナチスの略奪を恐れアメリカに金を移送
永世中立国スイスは密かにナチスと協定を結び、更に連合国
とも協定を結んだ。
なんと言っても隣国は超軍事国家ですし。

1938〜1945年の間にナチスが略奪しスイスの銀行に
持ち込んだ金は当時のカネにして
5億5千万💲今に換算して170億💲に相当
持ち出された金は元の持ち主がわからない様に成形し直された
秘密主義のスイス銀行は誰とでも取引しナチスにとって
使い勝手がよかった。戦地で略奪した物を国外(スイス)に
安全に保管可能。

戦争が進むにつれ金獲得に積極的になり、収容所の人々からも
略奪、指輪や入歯迄も。1942年8月以降没収した物を親衛隊
ブルーノメルマーは一般人メルマーとしてベルリンの帝国銀行へ、
それは市内の質店に、そこから金属加工所へと送り出し
金の延べ棒に。それらはベルマーのタグを付け取引を巧妙に偽装。
1945年2月ベルリン空襲が始まリここから金の行方を連合国も注視
末期、ナチスは金隠しに必死に。1945年4月、米陸軍がメルカース
で付近の岩塩鉱山に大量の梱包された金塊が7000個以上
奥域23m幅46mの中にほかに9800万フランの貨幣、収容所の人々の
金歯多数、絵画多数、これらはナチスの略奪の一部、大半は
スイスの銀行に保管されていた。

終戦後、略奪された人々に返還されたのはごく一部、
犠牲者の遺族に返される事は殆ど無かった、スイスの銀行は
死亡証明書を遺族に求めたが、大半の犠牲者はナチスの収容所での
死亡の為証明書はある訳が無く泣き寝入り。
戦後50年以上の間スイスの銀行はナチスとの取引事実を認めず
しかし1997年に米政府がアイゼンシュタット報告書を発表し
戦時中のナチスとスイスの関係を明らかにし
ナチスの虐殺による略奪に加担していた事が明らかになり
スイスはホロコーストの犠牲者に10億💲超の賠償金を支払う、
しかし関係者が戦争犯罪に問われ無かった。
中立国でありながらナチスと取引していたのは問題。

バチカン銀行もナチスと取引の疑惑
アメリカ戦略事務局員エマーソンビガロが1946年報告によると
ウスタシャというファシスト集団がユーゴスラビアでユダヤ人-
セルビア人から強奪した金品をバチカン銀行に預けていたらしいと。
ウスタシャはカトリック協会と繋がりが。

1941年、独のユーゴスラビア侵攻し傀儡政権ができ、彼らは
ユダヤや非カトリックから金品を没収それらはスイスフランに
換金されバチカン銀行に預けられた、バチカン銀行は公的な
監視がなく誰でも預金できた。それらは戦後アルゼンチンや
スペインに送られ、その地のウスタシャの活動資金に。

戦後70経った今も略奪された金は相当数見つかっていない。
未だ探索は続いている。

1940年当時、戦争のために米は全世界の金の2/3を保有
重量25000t以上、大半は延べ棒に
1944年ブレトンウッズ体制と言う新たな国際通貨体制が発足
金大量保有の米ドルが基軸通貨に、兌換通貨はドルのみに。
保管先は ニューヨークの連邦準備銀行、デンバーの造幣局、
ウエストポイント軍事基地、ケンタッキー/フォートノックス

は2014年2月連邦準備銀行の報告では保管されてる金は
金塊 53万本重量約6700t 市場価格2300億💲

金が富と権力の象徴で国を築く力の源で今だ国際的に価値ある

2015年の編集。AHC作成。

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