goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

🚙車検見積 🚶…隠元橋↩️…Alp🍱 240404

2024-04-04 21:12:00 | 📖 日記
⚫︎来月の車検見積
🚙〜ディラー🚶…ベルファー百均👀…近商👀…ディラー🚙〜>
🚶…右岸堤防道…隠元橋↩️…右岸堤防道…Alp🍱…>
🚶11271歩2kg

🌥️隠元橋16℃薄いベール雲覆う:やや強風



見立)獅子立つ¿

宇治駐屯地の桜並木🌸咲く



📺🎦響け!ユーフォニアムを見る:北宇治高が舞台のブラバン漫画… なるほど宇治の既知の風景があちこちに。そして京都近辺各地も
それだけを見る感じで。


🌥️
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2024年 お城ファンが選ぶ「推し城20」 2024/04

2024-04-04 03:12:40 | 🔟 番付色々🆚

2024年はあのお城が首位奪還!お城ファンが選ぶ「推し城20」が発表
 ASCII より 240404   風都ナツメ(LoveWalker編集部)


 今年も「お城ファンの推しの城」ランキング発表の時期がやってきました。
お城情報WEBメディア「城びと」が、4月6日の「城の日」を記念して毎年設定したテーマに合わせて推しの城をランキング化。

 今回はお城ファン876人を対象に2023年にアンケートを実施し,日本100名城・続日本100名城の計202城の中から「2023年に最も心を熱くしたお城」を投票してもらっています。
 戦国ビギナーの私が行ったことのあるあのお城は何位なのか!? 

🏯第3位 ここ数年順位固定の人気城「犬山城」 🚶
 アンケートの結果をもとに発表された「2024年に行きたい!お城ファンの“推し城”20」。第3位は昨年、一昨年と、ここ数年3位の位置が固定ポジの犬山城です。織田信長の叔父、織田信康が築城したといわれ、「現存12天守」の一つ。天守閣の中に入ることができるのはもちろん、廻縁(まわりえん)に出て外側を一周することができるのも特徴です。当時の城主たちが見た景色が見られるなんて貴重すぎる。

🏯第2位 昨年の覇者陥落!それでも堂々「松本城」
 第2位は松本城。残念ながら3年連続の首位とはいきませんでしたが、相変わらずの人気ぶりです。徳川家康に仕えた石川数正らが城主となった城で、現在は国宝になっています。昨年初めて松本城に行きましたが、黒壁で重厚感があってかっこよかったです。そうかー、あの松本城が2位かー。

🏯1位 2年ぶりに首位返り咲き! 「姫路城」 🚶🚶
 そして第1位に輝いたのは、姫路城! 2023年に世界遺産登録30周年を迎え、2年ぶりの首位奪還となりました。羽柴(豊臣)秀吉が築いた三層の天守をはじめ、門や櫓や堀など見どころがたくさんあるので、訪れた人の心をグッとつかむこと間違いありません。また「白鷺城」の別名があるほど白くて美しい城壁が有名ですが、2位の松本城と対になっているようで興味深い。

20位までのランキングはこちら!



 個人的におもしろいと感じたのは,建物が残っていないお城が多数ランクインしている点。安土城(7位)、苗木城(9位)など、建物が現存していなくても石垣や堀の様子を見て当時の雰囲気を想像しているそう。
 想像力が働くからこそ推したくなる、というのは分かる気がします。
前回圏外だったお城も多くて、どのお城にも今後ランクインするチャンスがありそうです。

 自分の「推し城」が上位にランクインしてなくても、「この城の魅力を知っているのは自分だけ」とニヤリとしてしまいそう。私も「推し城」ができるように、少しずつお城のことを学んでいきたいと思います!

2024年に行きたい!お城ファンの“推し城”20
【アンケート概要】
調査期間:2023年11月3日~2023年12月31日
調査対象:876人(「城びと」読者の男女)
調査方法:「城びと」読者を対象にインターネット調査を実施。日本100名城、続日本100名城の計202城から、自身の「castle of the year」(2023年のテーマは、「今年もっとも心を熱くしたお城」)を2城選び、投票いただいたものを集計。
※日本100名城、続日本100名城は公益財団法人日本城郭協会選定


文 / 風都ナツメ(LoveWalker編集部)

東北出身。
ゆるく御朱印集めを趣味にしています。その流れで御城印も少しずつ収集中。
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「奈良時代の仏教は現代とは違う?」 伝来当時の日本仏教について解説 2024/04

2024-04-04 01:17:35 | 📚 豆知識・雑学

「奈良時代の仏教は現代とは違う?」 伝来当時の日本仏教について解説
草の実堂編集部 より 24/04/04


 現代の日本人は、特定の宗教に依存しない無宗教の人が多い。
しかし、日常生活の中では「神道」や「仏教」と関わる機会はとても多い。

 仏教においては、家族や仕事関係などで葬儀や法要などに参列することがあるだろう。
初詣にお寺に出かける人もいるのではないだろうか。
 仏教は、日本に伝来してから今日まで人々の生活に深くかかわってきたことから、生活の中の色々な部分に溶け込んでいるのである。

 そのような仏教だが、奈良時代の仏教は現代とは少し違うものであった。
奈良時代における仏教とは、一体どのようなものだったのだろうか。

⚫︎仏教伝来から奈良時代までの歴史

 仏教が日本に伝わってきたのは西暦538年のこと。
朝鮮半島経由で伝わった仏教は、様々な経典を介して伝来したことから、戒律も不完全なものであった。

 まず伝来当時の仏教は、「仏が国や民を護る」というものであった。
そのため、八百万の神の子孫と考えられていた当時の人々からすると、「よそ様の神」が持ち込まれたことになる。
 こうして崇仏派と廃仏派で争いが生じたが、崇仏派であった蘇我氏が争いを制したことで、天皇や豪族も仏を崇拝するようになっていった。

 飛鳥時代に突入すると,天皇や皇族により国が管理する「官寺」が建立されるようになる。
 併せて有力な豪族たちも、一族の繁栄のために「氏寺」を建立するようになった。

 その寺院には僧や尼僧を配置し住まわせていた。
仏に護ってもらうためには、その寺院に仏に通じる者が不可欠であり、仏の力を借りるためには僧に悟りを開いてもらい、僧に仏になってもらう必要があると考えたからだ。

 このような寺院が明日香地域に多く作られていたが、都が平城京に移ると、法隆寺のようにそのまま明日香の地に残る寺院もあれば、平城京に移る寺院もあった。

 奈良時代を迎えるころには、遣隋使や遣唐使が中国から直接持ち帰ってきていた仏教の教えや経典などから、色々な宗派が生まれていた。
 聖武天皇の治世になると、天変地異や疫病の蔓延などがあったことから、聖武天皇は仏教の力で国を護ってもらうとする「鎮護国家」の思想をもって、国家宗教として仏教に傾倒していくようになったのである。
 このように政治に仏教を持ち込んだ末、僧の道鏡が力を持ってしまい、宇佐八幡宮神託事件といったトラブルも発生している。

【皇室史上もっとも衝撃的な事件】 宇佐八幡宮神託事件とは ~皇室を救った和気清麻呂
https://kusanomido.com/study/history/japan/nara/81404/

 そのような中、最澄や空海が天台宗や真言宗を持ち帰り、平安時代には「小乗仏教」から「大乗仏教」へと変化していくようになるのである。

⚫︎奈良仏教の特徴
 奈良時代の仏教には6つの宗派はあったが、現在のような教えごとから独立してできた派閥のようなものではなく、学派に近いものであった。
 当時の宗派は「南都六宗」と呼ばれており、法相宗・倶舎宗・三論宗・成実宗・華厳宗・律宗があった。
 そして当時の寺院は、これらいずれかの宗派に属していたわけではなく、寺院の中で各宗派の研究が行われていた。
 現在の大学をイメージするといいだろう。
大学の中にある学部、それが当事の寺院と宗派の関係だといえる。
 そして僧たちは、釈迦の教えにしたがった厳しいルールを守りながら修行していたのである。
 しかし、仏教伝来からさまざまな部分が経典となって伝えられたことで、正しい戒律が行われているかは不明であった。

 遣唐使として唐に渡って帰国してきた僧や学者たちからも「唐で見てきた仏教の姿と、国内における仏教の姿は違う」といった指摘があったことから、聖武天皇は中国から僧を招きいれ、正しい戒律を指導してもらう方法を取った。
 そして当時の僧は、僧尼令(そうにりょう)という令により統制されており、扱いは現在の公務員のようなものであった。
 そのため、僧になれば税金を納めなくていいという特権が与えられていた。
このことから、正規の手順で僧になるのではなく、税逃れのために僧になる私度僧が増え、問題となっていた。

 この問題を解決すべく、唐から戒律を授けることができる僧を日本に招き、その僧の元で受戒した者でなければ出家できないというルールが作られたのである。
 こうして、鑑真(がんじん)が中国より招かれた。
聖武天皇をはじめ、多くの人々が独自解釈の戒律による出家ではなく、当時の正しい戒律をもって出家することとなった。

⚫︎聖武天皇と仏教
 このような背景があったことで、聖武天皇は仏に国を護ってもらおうと仏教を政治に取り入れていった。
 日本全体だけでなく、それぞれの律令国単位でも仏の加護が得られるように、741年に国分寺・国分尼寺を各律令国に建立する指示を出した。
 当時創建された寺院の中には今も現存する寺も多く残っており、地名にもなっていたりする。
 経典の中では、護国の経典である金光明経が特に尊重され、大規模な写経が行われた。
金字で書かせた経典を、全国の国分寺の塔に安置するように命じている。
 743年になると、聖武天皇は「大仏造立」の命令を出した。
唐には既に巨大な石仏などがあることを遣唐使から報告を受けていたこともあり、人々にも目で見てわかる形の大仏を作ることで「2度と社会が乱れず、人々が平穏に暮らせるようにしたい」と考え、大仏造立を始めたのである。 
 こうして国を護るために作られた大仏が、約10年の歳月を経て752年に完成したのである。

参考文献
・いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編 東洋経済新報社
・ビジュアル百科写真と図解でわかる!天皇〈125代〉の歴史 西東社



投稿 「奈良時代の仏教は現代とは違う?」 伝来当時の日本仏教について解説 は 草の実堂 に最初に表示されました。
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物理学者スティーヴン・ホーキング博士が生前に警告 人類が直面する数々の脅威とは 202404

2024-04-04 01:11:00 | 気になる モノ・コト

物理学者スティーヴン・ホーキング博士が生前に警告 人類が直面する数々の脅威とは
  Sirabee より 240404  本間才子


 2018年に他界した物理学者のスティーヴン・ホーキング博士は、生前AI(人工知能)の脅威や、異星文明や地球温暖化などに関する警告を発していたという。『BBC』がレポートしている。

■AIへの懸念
 イギリスの物理学者であるスティーヴン・ホーキング博士は、筋力が低下するALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症しながらも、ブラックホールなどの宇宙研究において多くの功績を残した。

 そんなホーキング博士は、「遅かれ早かれ人類が絶滅レベルの脅威に直面する」という予測を述べていた。そして脅威の一つとしてAIを挙げており、2014年の『BBC』のインタビューで、「完全なAIの開発は、人類の終焉を招く可能性がある」とコメントしていた。

 当時、博士は原始的なAIが非常に有用であることを認めており、利用していた通信用の機器にはAIが組み込まれていたという。しかし、AIが人間と同等、あるいはそれ以上の高度な知能を発揮する可能性を懸念。未監視のAI開発に関する危険性を警告した国連への公開書簡に、署名した専門家の一人でもあった。


■異星文明の脅威
 博士は、異星文明の脅威についても言及していたという。地球外知的生命体を研究する科学分野が存在するものの、「宇宙のどこかに存在する異星文明をむやみに歓迎することは危険だ」と警告していた。

 2010年には『ディスカバリーチャンネル』に対し、「宇宙人という存在は、資源を求め地球を襲撃する」とコメント。クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見したあと、ネイティブアメリカンにとっては良くない結果になったことを例に挙げ、考察していたのだという。

 ところが、「この懸念は悲観的であり、異星文明が資源を狙っているのなら、10億年以上も前に発掘しているはずだ」と反論する専門家もいる。


■地球温暖化への警告
 また博士は、地球温暖化についても「人類にとって最大の脅威だ」と警告していた。人類が後戻りできない転換点を迎えることに恐怖を覚え、アメリカがパリ協定から離脱したことについても、心中穏やかではなかったと伝えられている。

 博士は当時の心境を、「(ドナルド・)トランプ大統領は、地球を瀬戸際に押し上げ、気温が250℃にも上昇し、硫酸が降り注ぐ金星のような星になってしまうかもしれない」と『BBC』に語っていた。

 これに関して国連の気候変動の政府機関は、地球温暖化の転換点に達する潜在的なリスクを強調しているものの、世間の知識とのギャップは大きいと指摘している。

(取材・文/Sirabee 編集部・ 本間才子)
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