京都の熊野神社へお参りすると、本殿の拝殿の左右に吊るされたご神燈に、カラスが描かれています。これは三本脚のカラス、八咫烏(やたがらす)です。熊野神社とカラスにはどのような関係があるのか、それが今回のテーマです。
京都・熊野神社 本殿の拝殿左右に掛かる御神燈
熊野本宮大社
[和訳]
□八咫烏
「咫」とは、本来は長さの単位で、周代の尺では八寸に相当し、手のひらの下の端から中指の先端までの長さのことである。「八咫」(やあた、或いは、やた)と言うと、大きい、美しいという意味である。中国の神話に、太陽に住む赤い、三本脚のカラスがいるが、それが日本に伝わってからの名称が、「八咫烏」(やたがらす)である。八咫烏は、大型のカラスである。日本の和歌山県南部、熊野地方の人々は、これを神様の使者であると信じている。
日本の神話では、第一代天皇、神武天皇が九州日向国から東征した際、熊野から大和へ行く間の山地の険しく狭隘な道を進むのが困難であったので、天帝は八咫烏を神武天皇のもとへ遣わし、道案内をさせたことで、神武天皇は無事大和国に到着することができた。その時の功により、八咫烏は熊野三山、特に熊野本宮大社の守り神となった。また一説によると、五世紀ごろ、京都市北部に移住を始めた賀茂氏の祖先である、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)は、この時神武天皇を導いた八咫烏の化身であるという。
このため、和歌山県の熊野本宮大社、その熊野の神様を京都に分祀した京都の熊野神社、賀茂建角身命をお祭りした、賀茂一族の氏神を起源とする上賀茂神社、下鴨神社は、何れも八咫烏を神様のシンボルとしている。
京都・熊野神社 本殿
京都・熊野神社 サッカーお守り
[和訳]
□熊野神社と聖護院
修験道は深山に篭り、修行により悟りを開くことを目的とした日本古来の山岳信仰で、その発展の過程で、仏教の教義に取り入れられ、その後、神仏混合の現象が生まれるようになった。
熊野神社は、811年に修験道の十世僧侶、日円が、国家守護のため和歌山県南部、紀州地方の熊野の神様をお迎えし、それを京都に分祀したことに始まる。
聖護院は、本山派修験道の寺院で、本尊は不動明王。滋賀県大津市三井寺出身の贈誉が創建した。贈誉は1090年、白河上皇が熊野を訪問した際、先導を務めた。その時の功により上皇は彼に聖護院を下賜し、また彼を、修験道を統括し熊野三山を監督する職務につけた。
熊野神社は、その当時は聖護院の守護神であった。このように、神道の神様が仏教寺院を護り、このような形で仏教と神道が共に発展していったというのが、日本の宗教史の特徴の一つである。
明治時代になって、明治政府は神道を国教と定め、神仏分離の命令を発した。その際これは独立し、名前も熊野神社となった。
皆さんの中に、サッカーファンの方はおられるでしょうか。日本サッカー協会のマスコットも八咫烏です。八咫烏の縁で、今では熊野神社でサッカーのお守りを売っています。もしお子さんが少年サッカークラブに入っておられるなら、ここでお守りを一つ買われては如何でしょう?
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