先日発売された時刻表11月号を手にとって、
休みの日にはどこか紅葉を見に行ったり列車に乗ったりしたいなあと思いつつページをめくっていたときのこと。
「ん・・・、サンライズ出雲91号!?臨時が走るのか!?」
11月号にはいわゆる冬の臨時列車の時刻が掲載されているのですが、
その中に東京~出雲市間(伯備線経由)を走る臨時特急「サンライズ出雲91・92号」が掲載されていました。
運転日からすると、どうやら年末年始の帰省臨的な性格の列車のようです。
この系統で臨時列車が走るというと近年では2008年頃まで設定があった「サンライズゆめ」(東京~広島・下関)が
思い出されますが、サンライズ出雲としてはおそらく初の臨時設定となるのではないでしょうか。
(写真はイメージです・サンライズ285系のまともな写真が・・・汗)
で、それだけでもびっくりなのに、さらに目を見張ったのがその運転時刻。
12/29・1/4運転の下り91号(9011M~岡山~9021M)は東京2240発・出雲市1325着、
12/28・1/3運転の上り92号(9022M~岡山~9012M)は出雲市1448発・東京600着、
と、かなりぶっ飛んだダイヤとなっています。東京はともかく、出雲市基準で見るといくらなんでも遅く着きすぎ・早く発ちすぎです。
所要時間14時間半以上というのは同じ区間を走る定期列車の12時間前後と比べるとだいぶ遅いですね。
しかしながら、運転時刻が定期列車と大きく異なるぶん、下り91号は大阪603、姫路713、岡山845、
上り92号は岡山1949、姫路2059、三ノ宮2152、大阪2224の発時刻で停車しているので、
定期列車では早めの到着、遅めの出発になる時刻の停車駅の利用客をターゲットにしているのかもしれません。
(だとしたらなぜ下り91号が三ノ宮を通過するのか不思議ですが・・・)
このほかにも、定期列車は停車する熱海~静岡間の各停車駅をこの臨時列車は通過扱いとなっている点も目を引きます。
さて、時間をかけて走る臨時列車の宿命として、この列車も例外なく後続の列車に次々に追い抜かれることを迫られそうです。
ざっと見ただけでも、下り91号は岡山~姫路間では先行の普通列車のあとを追い、伯備線内で後続の特急やくも5号に追い抜かれ、
松江の31分停車(!)では特急やくも7号とスーパーまつかぜ5号にも追い抜かれます。
一方の上り92号は伯備線内でやくも24号、倉敷~岡山間でやくも26号、大阪で新快速に追い抜かれるようです。
この退避や普通列車続行スジのために特に所要時間のかかっている出雲市~岡山・関西地区間は、
ベースにしている出雲電車区からの回送ついでに客扱いをしているのではと、もはや思えてきます。
これだけ時間のかかる寝台列車なら、「阿房列車」的にA寝台個室を奮発して、
優雅に車中での時間を楽しむというのも、なかなかおつなものかもしれません(笑)
あるいは、ノビノビ座席を出雲市→岡山もしくは姫路間で購入しておいて、
鳥取を92号の出雲市発時刻に間に合うように出発して、折り返し92号に岡山もしくは姫路まで乗り、
岡山から普通列車利用の上郡、もしくは姫路から特急スーパーはくと13号に乗ると鳥取に日帰りできるので、
この経路で「サンライズ号体験ツアー」をやってみるのも楽しいかも!?
(乗車券の枚数がいたずらに増えそうな経路ではありますが・・・)
8月17日の午後、特に汽車に乗るわけでもないのに鳥取駅へ。
というのも、8月16・17日運転の臨時特急スーパーはくと96号の発車シーンを見に行くためです(まあ暇だったので・・・)。
特急スーパーはくと系統の臨時列車は現行の7往復体制になって以来、毎年鳥取大学の受験日に運転されるビクトリーはくと号以外は
近年では設定がほとんどなかったような気がするのですが、今シーズンはこの96号が突如設定された感があります。
また、8月10日には臨時特急スーパーまつかぜ96号(松江21:51発→鳥取23:22着、松江水郷祭開催による)というこれまた見慣れない臨時列車が走っています。
普通列車でもこの夏は東郷湖畔花火大会や江尾十七夜などで臨時が出たので、
JR米子支社はひと頃よりも臨時列車を出すのに積極的になったのでしょうか?
あるいはイベント主催者・自治体からの要請か、予備の車両のやりくりがうまく出来たからか・・・。
さて、この臨時特急スーパーはくと96号は列車番号9066Dで、
時刻からすると多少の停車駅などの差はあれど列番が同じビクトリーはくと号とほぼ同じダイヤで終点・大阪まで走るようです。
全車指定席というところも同じなので、発車する1番のりばの乗車案内ディスプレイもこのとおり。
普段は2号車は自由席のところ、指定席の表示が出ています。
列車名が「スーパーハはくと96」(号は見切れている)であるのは入力ミスだからなのでしょうか(笑)
ところでこの日は各地区での大雨のために列車ダイヤがかなり乱れており、ホームに上がってからしばらくすると
1時間30分以上の遅れをもって57Dスーパーはくと7号倉吉行きが4番のりばに到着。このとき時刻は17:30頃でした。
しかし、遅れがひどいため(所定では15:54着)スーパーはくと7号はこの日に限り鳥取止まりに変更。
倉吉方面へは後続の特急スーパーまつかぜ9号益田行き(17:42発)に振り替え乗車の案内がされました。
そして、時刻はスーパーはくと96号が発車する17:34になっても1番のりばに列車が来る気配がありませんでした。
それどころか、遅れていた7号の接続を受けて1番のりばに停車していた浜坂行きの普通列車がようやく発車していったところでした。
あらー、96号の編成どうするんかなーと思っていたら、さっきまで7号だった止まっていた4番のりばからおもむろに智頭方へ動き出し、
入換で駅の東側にある引き上げ線に入っていきました。
ちなみにX、四角囲みの5を表示していた機器は線路表示式入換標識という入換標識の一種で、
この場合、「5番線から線路X(引き上げ線)へ進路開通」という意味らしいです。まさにその通りに車両が動いていきました。
そして数分後、こんどは引き上げ線から1番のりばにガタゴトとポイントを渡って列車が入線。
ホーム据付、ドア扱いののち、スーパーはくと96号の客扱いが始まりました。
ホームの上ではたくさんの荷物を携えて列車の到着を今か今かと待っていた人が列をなしており、
駅員の誘導でぞろぞろと列車に乗り込んでいきました。
そしてようやくドアが閉まり発車していったのが大体17:50頃だったかと思います。
この遅れ7号到着~編成入換~96号出発の間あたりがかなり駅の雰囲気がどたばたしていた感じでした。
確かに列車の大幅遅れ、運転打ち切り、接続待ち手配、後続列車振り替え、旅客の誘導、イレギュラーな入換、臨時列車の発車、
などなどといろいろなことが一度に重なれば現場で働いている方々は大変そうです・・・。
そんな状況の中、特に混み合っている1・2番のりばのホームを不用意にうろちょろするのもなんなので、
ささっと見たいものだけ見て撤収しました。
まあ、列車の外からだけだとだいたいこんな感じですよね(笑)
これで列車がたとえばひと頃のビクトリーはくと号みたいに普通車だけの4両編成だったなら趣味的に面白かったのですが、
今回は見ての通り定期列車と同じ編成で、前面に「臨時」と出るわけでもないのでその辺の写真は省略。
もちろん乗る立場にとっては1両でも編成が長く席数が多いほうがありがたいに決まっていますが。
むしろ上記の引き上げ線にHOT7000系が入換で入線するシーンを見ることが出来たのでよかったと思います。
(あまりHOT7000系がこの引き上げ線に入線するイメージがないので)
ところで、もしスーパーはくと7号が遅れなく所定どおり倉吉まで運転されていたら、臨時96号にはどの編成が充当されていたのでしょうか。
個人的には、7号は倉吉到着後の折り返しは鳥取まで回送~西鳥取入庫と推測されるので、
この回送が間に合えば結局7号の編成が96号に充当されていたのではないかと思います(ビクトリーはくとのときも同様か)。
むしろ、そのつもりで編成を運用していたところ大幅に遅れてしまい、
倉吉まで往復させていては到底間に合わないので鳥取で運転打ち切りにしたのではないかと・・・。
逆に言えば、この臨時列車のためにかつてのようにわざわざ予備車をかき集めて編成1本を仕立てている可能性はたぶん低そうです。
(そもそもその予備車は増結に回していますし)
いつものように駄文だらだらなので今回はこの辺にしておきます。
米子発新見ゆき、伯備線の気動車列車826Dは前回の記事のとおりキハ120形の単行ですが、
新見乗換えで岡山方面に抜けられる普通列車はこの前後におよそ2時間半の間隔が開いているので、
発車20分前くらいで青春18きっぷを持っている長距離客と思しき人々(自分もその一人ですが)で席がほぼ埋まってしまいました。
そこへ地元の人々や夏期講習・部活帰りの高校生で通路まで立ち客ぎっしりの結構な混雑となって13時39分定刻に出発。
列車は伯耆大山までは山陰本線の線路を走り、そこからは鳥取方面の線路と分かれて伯備線へと進んでいきます。
ここで驚いたのはだいたいの駅間になんとコンクリートまくらぎ+ロングレールが敷設されていたことでした。
路盤もかなりしっかり整備されていたのか、大きな揺れの少ないかなり安定した乗り心地だったように思いました。
それでも駅構内は定尺レール、分岐はY字分岐器となっていたのがなんともといった感じでしたが、
米子支社としては伯備線にかなり力を入れて整備していることが感じられました。
さすが陰陽連絡線の最重要ルートのことだけはあります(この気合をちょっとでも因美線にも・・・笑)。
伯耆溝口を過ぎて線路は次第に山間に分け入るようになり、日野川沿いに進む線路にも急な勾配(最大25‰だとか)が目立ち始めましたが、
そこは軽量高出力のキハ120形、坂道もなんのそのという感じでエンジン音も高らかにぐいぐいと登っていきます。
やがて江尾、武庫、黒坂、生山とまとまった町のある駅を順々に過ぎていき、県境の手前の上石見につくころには、
先の混雑もなくなり車内には前述の18きっぷ旅行者がほとんどとなりました。
つまりシーズン外ではほとんど乗客がいないということも予想されますが・・・。
副本線に停車した上石見駅では後続の特急やくも20号岡山ゆきを退避。
多客期フル増結の9両編成が駆け抜けていくのはなかなか見ごたえがありました。
そうしてふたたび列車は新見に向けて出発、さあ谷田峠に向けてのサミットが・・・、と思ったら、
上石見駅を出て少ししたところにあるトンネルをくぐったらもうそこは岡山県、一転して線路は下り勾配に。
因美線の物見峠越えみたいな感じを勝手に想像していたら、意外とあっけなかったです。
地図を見ると上石見付近は峠に程近い、標高の高い場所に開けたちょっとした盆地のようなところでした。
そして峠を過ぎて、足立駅のかつての石灰貨物列車の出発地点の工場や、
布原駅付近の現在では草木が生い茂る昔の超有名撮影地を車窓に見ながら新見駅に到着。
途中駅での交換列車の遅れの影響により4分延着だったので、乗り換えた備前片上ゆきの115系はすぐ発車です。
岡山支社管内に入ると線路の整備状態が米子支社管内ほどにはしっかりしていないようで、列車がよく揺れました(智頭急行→因美線的な)。
とくにそれまでのエアサス台車のキハ120形からコイルばね台車の115系に乗り換えたので左右にガタガタ、上下にドッシンと大変にぎやか(笑)
そうして岡山からはだいぶ数の増えている首都圏色のキハ40形に乗って津山線を北上。
ちょうど夕ラッシュ時だったので結構な混雑で、終点の津山までも割と多くの乗車がありました。
津山から先、智頭ゆきに乗り換えたあとは暗くなって車窓が見えないので、ただただひたすらに車内でぼーっと過ごしておりました。
県境の物見トンネルで、時折発生する列車の走行音が反響するコオオーッという音が相変わらずやかましかったです。
どうもトンネル内の特定の地点で鳴っているようですが、どういう条件であんな音が鳴るのでしょう?
そして智頭からはHOT3500形の普通列車となってもう完全に消化試合の様相を呈してきます。
用瀬を出たあたりからうとうとし始め、気がついたら鳥取駅の高架を走っているところでした。
・・・という具合で鳥取から米子、岡山、津山を回ってぐるりと一周してきました(実は伯備線の通し乗車はこれが初だったり)。
ローカルな線路では制限25km/h(雨15km/h)に苦しめられている(?)キハ120形も、
伯備線くらいしっかりした線路となるとなかなか頼もしい走りっぷりを見せてくれるなあというのが、
今回のお目当ての列車に乗った個人的な感想です。
例によって、夏のお盆シーズンは鳥取の実家へ帰省しておりました。
今年はお盆前に台風がやってきてからというもの、ほぼ全国的に天気があまりよくない日々が続いたこともあり、
自分が鳥取に滞在していた間もずっと曇りか雨といったぐずついた天気の日が多かったですね。
太陽照りつける炎天下でじりじり焼かれるよりかはいくらか涼しくて過ごしやすかったのですが、
いつもよりはどこかへ出かけたり写真を撮りに行ったりということはほとんどしていませんでした。
そんな中、やはり(?)今シーズンも購入した青春18きっぷを使って、日帰りで「乗り鉄」を楽しんできました。
列車に乗っているぶんには、多少天気がよくなくてもまあいいかというノリではあります。
この日は鳥取駅10時17分発の3423D快速とっとりライナー(右のキハ121形2連)で山陰本線を一路米子へ。
車内では観光帰省シーズンということもあってか大きな荷物を持っている人を多く見かけました。
自由研究の取材なのか、運転室後ろに陣取って前面展望しながらメモ帳に各駅の配線を熱心に記録している小学生の姿も。
線路配線の記録とは将来有望そうですね(笑)
米子に着いたら伯備線の列車に乗り換え。
しかし次の列車まで時間があったのでいつものように駅から見える車両基地を観察したり、駅前を散歩したりして時間をつぶしました。
車両基地に止まっていたキハ47形5連。首都圏色と姫新線色との混色編成もいまだ健在です。
前から2両目は朱色5号がカッスカスに退色してローズピンクみたいな色になっているので、
仮に全車首都圏色の編成だったとしてもやっぱり混色編成に見えてしまいそうです。
1両丸ごと均一に退色しているので、もはや最初からそういう色だったようにも思えます・・・。
こちらは部分補修のパッチワークでなおかつその部分が真っ先に退色しているせいで、
まだら模様になっていていっそうみじめな感じが・・・。
これらの現象はことさら騒ぎ立てるほど別に今に始まったことではないのですが、
やはり地元に帰って目にするたびに、はぁーっとやるせないため息が出てしまいます。
閑話休題、米子駅で待ち時間を過ごすことしばらくして、折り返し新見ゆきとなる伯備線の列車が入線するころとなりました。
あの黄色い115系にしては妙に目立たない雰囲気で接近してくるなあと思いきや、やってきたのはなんとキハ120形。
確か今年(2014年)3月のダイヤ改正からだったかと思うのですが、伯備線の新見~米子の普通列車2往復が、
電車から気動車による運転に変更されました。
伯備線の気動車列車はこれまでも米子~根雨・生山で区間運転の設定がありましたが、
新見~米子の列車にも気動車が投入されたとは驚きました。
キハ120形はこれまでも検査で後藤工場に入出場する関係で米子に来ることは何度もあったはずですが、
こうして旅客列車としてホームにすえつけられているところを見るのは新鮮です。
これはおそらくは輸送力の適正化や車両運用の見直しによるものでしょう。
これで運用が浮いた115系の2連は赤穂線など岡山近辺ローカルにでも転用されたのでしょうか?
到着したキハ120の座席はすべて埋まっており、立ち客多数という「大入り」のつめこみ混雑状態。
とはいえ乗車定員を考えると、小型の気動車に比べれば、これが115系2連だったらまだ割と余裕があるくらいの乗り具合なのでしょうね。
さて前置きが長くなりましたが、今回のメインディッシュはこの伯備線の気動車列車に乗ることです。
気動車好きの端くれとしては、時刻表の伯備線ページで「発見」してからいずれは乗ってみたいなあと思っておりました。
発駅から着駅まで全線電化の山岳線で峠越えもある区間なのに、そこをわざわざ気動車で走っていくというのはなかなかにそそられます(笑)
いつものようにだらだらと長くなったので続きます。
先日のことですが、とある用件があり鳥取の実家に帰省をしていました。
で、その用件はささっと済ませ、せっかく鳥取にいるのだからということで、
6月1日に八頭町にある船岡竹林公園で開催された 「若桜線SL遺産保存会」によるミニSLの月例運転会に行ってきました。
というのも、この会ではご縁あって亡き祖父のものであった国鉄C11のライブスチームを引き取り、釜を焚いて走れるようにしてくださっているとのことで、
その機関車が動くところを見てみたいと思ったからです(今までは帰省しても予定が合わずに行けずじまいでした)。
この写真はその機関車が祖父母宅に置いてあった頃のものです。当時時折ほこりを払うなどしていましたが、再び活躍するときが来るとは思いませんでした。
船岡竹林公園にはライブスチーム運転用に1周80mほどの5インチ・3.5インチゲージの線路が敷設されており、
保存会の方々によりきれいに整備された祖父の機関車はその線路を数両の乗用台車を牽いて元気よく走っておりました。
幼い頃にはよく乗せてもらっていたので、あの機関車が子供たちの歓声とともにまた走っていると思うと嬉しいやら懐かしいやら・・・、
まさに感慨もひとしおといったところでした。
訪問時にもう1両稼動していたCタイプ蒸気機関車との並び。
この2両の機関車が入れ替わり立ち代りで乗客を乗せた台車を牽引してコースを回っていました。
会の方のご好意で家族とともにミニSL列車に乗車させていただきましたが、
走行中の軽快なジョイント音や体に伝わる感触は模型というよりもむしろ「小さな実物」といった趣です。
普段Nゲージしか触らない自分にとっては新鮮な感興を覚えました。
最後に、このような形で祖父の機関車を活用してくださり、当日もお世話になりました「若桜線SL遺産保存会」の皆様、
ならびに色々とお話させていただいた会員の「鳥取総合車両所備忘録」ブログ主・工場長さんにはこの場を借りましてお礼申し上げます。
ありがとうございました。また訪問する機会がありましたらよろしくお願いいたします。
余談:船岡竹林公園の一角に保存されているワフ29000形有蓋緩急車ですが、
貨物室はこのライブスチーム関連の資材倉庫として利用されているようです。
貴重な貨車がこのように整備・活用されているというのも嬉しい話ですね。
もうタイミング的には少し遅いですが、新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、この年末年始もいつもどおり鳥取の実家に帰省していましたが、
今回は青春18きっぷを使って帰省したので、その残り回数分を使って正月早々出かけてきました。
いつもなら大体余部とか兵庫方面に行っていたことが多いのですが、今回は相対的に出かけることの少なかった西方面へ。
ということで、米子、松江を通り越して出雲市まで、去年初めて乗車した一畑電車を再訪してきました。
出発は山陰本線始発、鳥取5:26発米子行きで。普通列車なのでたっぷり2時間以上かかります。
急行だいせん廃止代替の快速が今でもあれば・・・。
休日ダイヤでしたがこの列車は4連で、前から2両目は姫新線色の車でした。車内座席のえんじ色モケットは茶色のそれに交換されていましたが。
最近は帰省するたびに見慣れない車番の首都圏色キハ47が増えている(=姫新線色の車両の塗り替えが進んでいる)なあと思っていましたが、
いまだそのままの塗装で走っているものもいるのですね。
米子からは松江行きの普通に乗り、、松江からは別料金を払って特急で「ワープ」して出雲市まで。
乗り換えて電鉄出雲市駅で一畑の一日乗車券を買い、元南海21001系の3000系に揺られて北松江線と大社線の分岐駅・川跡に到着。
川跡駅は松江・出雲両方向からの大社線に乗り換える人でごった返していました。
初詣期間中なので地方鉄道にしてはものすごい混雑でした。
そんな中やってきたのは
元京王5000系の2100系の4連。しかも京王カラー復刻編成+「ご縁電車しまねっこ号」編成というなんともネタな組み合わせでした。
普段は2連ですが、多客輸送対策として初詣期間は4連(途中ドアカットあり)で川跡~出雲大社前をピストン輸送しているのでした。
「しまねっこ号」の車内にはしまねっこの等身大?人形が鎮座しており、乗客の注目の的となっていました。
内外装ともに強烈な個性を放っている電車です。
さて、これに乗って出雲大社に行きお参りをしてこようかと思いましたが、あまりに人が多かったので断念。
結局夕方まで乗車・沿線で撮影をしていました。
多客輸送のため増発をしていたので比較的効率よく撮影できましたが、あまりの混雑でダイヤは十数分ほど遅れていました。
大社線シャトル運行中のしまねっこ編成+京王編成
ピンク色ベースのしまねっこ編成はなかなか派手です。これもじきに鉄コレで製品化されるとか。
有名な稲生神社参道の鳥居群と
確か、ここはいつぞやのNHK連続テレビドラマ小説「だんだん」のオープニングにもアニメーションながら登場していたはず。
電車の奥が稲荷神社の本殿で、線路が参道を横切っていることになります。神社の石柵には「奉寄進 一畑電鉄会社」とありました。
赤鳥居のいわゆる「お稲荷さん」ですが、同じ読みでも表記が「稲生」となっているのはかなり珍しいのだそうです。写真を撮る前にご挨拶ということでお参り。
2100系の一畑旧型車(自動ドア)塗装復刻編成
京王カラーよりも地のクリーム色が黄色っぽいです。この編成は電鉄出雲市~出雲大社前の直通列車でした。
川跡駅での4並び
左から通常塗装、しまねっこ編成、イベント編成、南海カラー復刻編成と、まるで模型のような並びです。
ちなみに一番左の3000系は休憩所として車内開放の上、ずっと留置されていました。
超逆光ですが高浜駅近く沿線のある保育園に保存されているデハ1形3、6と電鉄出雲市行きの5000系
同じ形式の車両が2両も同じ場所に保存されているとは驚きです。この2両は微妙に形態が異なるようでした。
まるで複線のすれ違い風景のように見えます。2100系の旧型車復刻塗装編成との並びもいずれ撮ってみたいです。
・・・とこんな具合で午前中から夕暮れまで乗り撮りし、帰りは出雲市まで戻って米子行きの普通列車に乗りました。
この列車も2両中1両は姫新線色でした。いったいいつまで走るのやら。
米子からは快速とっとりライナーで一気に鳥取へ。このとき乗車した編成は
偶然にも、まんが王国名探偵コナンラッピング編成でした。これもいつまでこの姿で走るのでしょうね。
それにしても西日本は車両にラッピングする際は基本的に車体全体に施すフルラッピングがよく見られますね。
東京近辺では屋外広告物規制条例のせいだとかで、ワンポイント程度のラッピング車両しか見られないのとは対照的です。
というわけで、新年早々から朝から晩まで列車に乗ったり撮ったりという一日でした。
一畑電車は機会があればまた訪れてもっと撮影などしてみたいです(以前も同じこと書いたかも・・・)。
2013年もあっという間に年末となり、とうとう今日は大晦日となりました。
今回の年末年始の鳥取帰省は青春18きっぷを利用しています。
片道700km弱、智頭急行線経由でも所要14時間の長旅はさすがに疲れますが、たまにはいいものです。
相生~上郡間は岡山の黄色い115系でしたが、もはや見慣れた感があります。
首都圏色のキハ47を見慣れている自分としては、黄色一色でもこの前面ならまだ意外といけるかなと密かに思っています。
でも同じ単色でも117系や改造切妻前面の115系、尾灯の透明レンズ化はやっぱりよろしくないですが・・・。
さて久しぶりに乗った智頭急行の普通列車ですが、上郡からは
智頭急行の「鉄道むすめ」のヘッドマークが取り付けられている車両に当たりました。
ヘッドマークにはイラストとともに「まんが王国とっとり」と書かれていますが、一連の鉄道むすめシリーズって「まんが」なのでしょうか・・・。
おそらくここで言う「まんが」とはストーリーを持った作品というよりは「それらしいイラスト」を指しているのでしょう。
車内の広告枠はほぼすべて鉄道むすめの智頭急行広告風ポスターが掲示されています。
それにしても全国そこここの鉄道各社で見かける(設定されている)鉄道むすめですが、
シリーズが最初に出始めたときはまさかこんなにまで大きなコンテンツになるとは思いませんでした。
いまや各社公式広報キャラクターになっている人物も多いです。
途中乗り換えた大原駅では、車両基地に団体用車両のHOT3520形が止まっていました。
このHOT3521、ちょっと前に塗装が変わったらしいことは知っていましたが、実際に見るのは初めてです。
以前は窓周りは青で塗装されていましたが、今では前面と同じ赤で塗られているために印象が変わっています。
今さらながら、この車両は助士側に小窓があるので、その側だけ前面窓の回り込みがHOT3500より浅いということに気づきました。
さてそのHOT3500形にも窓周りが黒から青に塗装されているものが増えているようで、
いずれの場合も使用する色の数が減っていることから、このたびの微妙な塗装変更は智頭急行なりの塗装簡略化ということになるのでしょうか?
ところで写真は因美線の19時38分郡家始発列車の送り込み(回641D?)なのですが、行き先表示を「鳥取」のまま回送していくのですね・・・。
もしかするとHOT3500には回送幕がないのでしょうか?
一回HOT3500に収録されている前面幕を全コマ見てみたいです。
昨年(2012年)の暮れに若桜鉄道にやってきたDD16形ディーゼル機関車の7号機ですが、
某雑誌記事によると、到着直後から整備を行い、程なくして自走が出来るようになったそうです。
また、今年の4月にはお披露目式も開かれ、C12 167と並べられての撮影会は多くの来客でにぎわったとのこと。
そんなDD16 7ですが、今年度からさっそくC12と月替わりで駅構内を体験運転として走る姿が見られるようになったということで、
8月の体験運転日に様子を見に行ってきました(参加までは予算の都合が・・・)。
体験運転はC12 167の場合と同じく、転車台脇の乗降台から200mほど延びる展示運転用線路を使います。
一人当たり2往復するのもC12のときと同様。
のどかな雰囲気が漂う風景の中を、小柄な機関車がこちらへ来たり、向こうへ行ったりを繰り返します。
これで貨車を2、3両くらい用意して連結したり切ったりして動かすと、まさにローカル駅での貨車の入換の情景となりそうですね。
それは自分の模型でやれよと言われそうですが(笑)
Nでもいいですが、これくらいの規模の機関車なら16番でやってみたくも思います。
思えばこのDD16 7ですが、飯山線などの信州のローカル線で働いたのち、
東京の鉄道総研に移って試験車両用の移動機として第二の勤めをこなし、さらに若桜に移って観光列車の牽引機(予定)にと、
かなりの独特な経歴の持ち主。
特に若桜での活躍は1972(昭和47)年の新製後40年経ってからの三度目の活躍ということになります。
このご時勢、DD16が動いているシーンを見られること自体がレアな状況です。
これまで25年近く鉄道総研の中、東京の空の下で働いてきたことを考えると、
若桜でのDD16 7は、かつてのローカル線時代の活躍を懐かしんでいるようにも思えます。
まあ非常にありきたりな表現ですが、それだけ機関車が周囲の雰囲気によくなじんでいるということで・・・。
時折若桜鉄道のwebページなどでDD16が12系客車と連結した姿の写真が公開されていますが、
青い客車の先頭に立つ朱色の機関車はよく似合います。
長野時代と鉄道総研時代はどちらかと言うと裏方的活躍として黙々と働いていたであろうDD16 7ですが、
若桜鉄道ではC12と並ぶ観光列車の花形車両として、華々しく活躍して欲しいですね。
秋も深まる今日この頃にまだ夏の話ですが、例によってだらだらと続きます。
あれは確か6月の初め頃だったか、家族から「智頭急行の駅がおかしなことに・・・」というメールが届きました。
メール文中にあるリンクで某新聞のネット版の記事に飛んでみると、それは智頭急行の恋山形(こいやまがた)駅についてのもの。
「ふーん、こんな何の変哲もなさそうな駅が話題になるなんて珍しいなあ」と思っていると、
そこに掲載されていた写真は、「なんだいなこりゃ!?」
・・・というわけで、夏の帰省にあわせてかねてから気になっていた恋山形駅に行ってきました。
恋山形駅は智頭線で智頭からひと駅、国道373号(智頭街道)から千代川を渡ったところにある集落の、
裏手にある山を少し上がったところにあります。
国道側から見ると智頭線の高架橋をくぐったところが駅の入り口になっていて、
高架の橋台にはすすけた駅名看板が設置されていました。
・・・もうこの写真でなんだか妙な雰囲気を放つ「それ」が見えてしまっています(笑)
のどかな山間の風景の中にあって妙な存在感を持つ「それ」は、恋山形駅それ自身でした。
結論から言うと、恋山形駅は「恋」が駅名に入っているということで、PRとして駅全体がどピンク色に塗り替えられてしまったのでした。
駅前広場(?)に面した待合室の背面もこのとおり。
恋山形駅には駅舎はありませんが、どピンク色の壁に大きなハートが描かれたこの壁だけでもインパクトは大です。
大きなハートの下の地面には小さなハートが二つ並んでおり、これは記念撮影の立ち位置のための目印のようです。
のりばに設けられている短い上屋もベンチもピンク色。
壁にはあふれる(?)ハートマークと最近では各地の鉄道会社でおなじみの「鉄道むすめ」の姿が。
しかもわざわざ駅名標や番線表示までハート型になっており、ただ単に駅をピンクにしたりハートを書いたりしているわけでもない様子。
駅周辺はほとんど山林なので、緑の風景の中ではピンク色の駅は大変目立ちます。
フェンスや照明灯まで徹底してピンク色。
まだ線路に列車がいるときのほうが、車両の存在感もあいまって、相対的に落ち着くような?
これだけど派手な見た目になると、当然ながら賛否両論巻き起こりそうですね。
ただ、多くの人が訪れて欲しいという願いがこめられた「来い、山形」が由来の駅名からすれば、
かつての無味乾燥な景観だった頃よりかは、こうして駅の存在をアピールする何かしらの工夫をすることはあながち悪くはないと思います。
しかしながら、このピンクや赤系の色が経年劣化で褪せてくると一気にみすぼらしい感じになると思うので、
もしこの「ピンク駅」の状態を続けるつもりならば、定期的に駅の塗りなおしは行って欲しいです。
ホームの入口側の1番のりばには、ハート型の中に「恋」と書かれたモニュメントと、訪問記念ノートを収めた箱、絵馬掛けか設置されていて、
そこにはこれまたハート型の絵馬がいくつかぶら下がっていました。
しかしこの絵馬、恋山形駅現地では販売されておらず、手に入れるには智頭駅の窓口まで買いに行かなければならないという・・・。
(ただし夏休み期間中には智頭駅からグッズ類を含めて当駅にて出張販売が行われていたそうですが)
モニュメントの目立ち具合と、ホーム下にある上郡起点50kmのキロポストのひっそり具合が対照的です。
さてこのリニューアルされた恋山形駅、いささか悪乗り気味というか、ツッコミが追いつかない感はありますが、
前述したように日本に4つある恋の駅を共同でPRする「西武鉄道恋まちプロジェクト・恋駅プロジェクト」の一環で、
「恋がかなう駅」としてこのような姿になったようです。かなり思い切ったというか、ぶっ飛んだことをしたものです。
恋山形以外の「恋」のつく駅は北海道、東北、関東と分散していて、これらの駅を「聖地巡礼」するのはいささか大変そうですね(笑)
近頃はいくつかの鉄道会社が共同して(今風に言うとコラボ)、PRを行うことも多くなりました。
このように一気に人目をひきつけるユニークな見た目になった恋山形駅。
それでも相変わらず特急列車は行き違いの運転停車を除いてはただ通過していくだけですが、
それでも見過ごさなければ車窓の風景にある意味いろどりと驚きを添えてくれることでしょう。
列車が来ないときは静かな山あいの駅は、大切な人とゆっくりとした時間を過ごすにはもってこいの場所かもしれません!?
鳥取と言っておきながら今回は島根の話ですが、
「平成の大遷宮」と謳われている出雲大社に家族で参拝してきたその足で一畑電車に乗ってきました。
(自分以外の家族はそのまま島根ワイナリーへ・・・)
一畑電車といえば山陰唯一の現存する「私鉄」であり、
数年前には映画「RAILWAYS」でも有名になっていましたが、恥ずかしながら乗車するのは今回が初めてです。
いままで米子にいたならともかく、鳥取いたのだと微妙に遠くて隣の県ながらなかなか足が向かなかったのでした・・・。
今回の乗車は出雲大社前→川跡→松江しんじ湖温泉というルートです。
有名な出雲大社前駅の駅舎はモダンな洋風建築で、内外装ともに凝ったつくりになっています。
近年改装されたのか、古い建物ですがきれいでしゃれた雰囲気を醸し出していました。
駅の裏手の踏切から。のりば1面に線路が2線、側線が1線と、
こぢんまりとした構内はいかにも地方私鉄の終着駅といった雰囲気でいい感じです。
停車している黄色い電車は元南海の3000系、オレンジの電車は保存車のデハ二50形52です。
電車が発車するまでまだ時間があったので、その保存されているデハニ52を見学。
さすが映画の主役を飾った車両だけあってか、大変きれいな姿で保存されています。
展示場からだと車両から引きが取りづらく、上屋の太い柱があるので、全体を撮るには駅のホーム側からのほうがいいかもしれません。
その車内。もともと近年はお座敷車両として活躍していたそうですが、
映画の撮影にあたってロングシートの座席に復元されたのだそうです。
内装はところどころ化粧版が張られている以外はほぼすべて木製、古風な雰囲気が漂っています。
デハニ52の運転台。かなり狭く、現代人の体格どころか昔の人のそれからしてもとても窮屈なのではないでしょうか。
何かの本で読んだのですが、「旧型車の狭い運転台は姿勢がよくなる」といわれていたそうです。
確かにこれでは背筋はまっすぐ、腰もひざも直角にならざるを得ませんね・・・。
さて保存車を後にして、出雲大社口から川跡まではさっきから停車していた3000系に乗車。
お盆休み中ということで、平日日中の列車ながら立ち客が出るほどの盛況振りでした。
車窓を眺めていると、途中高浜駅付近の沿線の保育園には2両の旧型車が保存されていました。
そんな列車にがたごと揺られて、分岐駅の川跡に到着。
ここでは電鉄出雲市行きのデラックス車5000系と出会いました。
3000系の車内を埋め尽くしていた乗客は、おおよそがこの電鉄出雲市行きに乗り換えていきました。ちなみに松江温泉行きは元京王の2100系。
途中雲州平田の駅では3000系の南海カラー、2100系のイベント編成カラー(白とオレンジでなんとなくみかん入りのヨーグルトを連想してしまう・・・笑)を目撃、
写真はありませんが、どこだったかの駅では一畑旧型車(自動ドア)塗装の2100系とも行き違いました。
今まで通ったことのない宍道湖北岸からの景色を楽しみながら、途中一畑口駅でのスイッチバックを経て、
出雲大社口駅から約1時間ほどで終点の松江しんじ湖温泉駅に到着。
松江しんじ湖温泉の駅では京王カラーの2100系とも出会いました。
片方の先頭車は京王時代の特急塗装のイメージということで前面帯にひげ付きという凝った仕様です。
さてこの日見た限りでも2100、3000、5000の各系列をまとめると、
一畑標準、スーパーライナー、一畑旧型、京王、南海、イベント車の6種類の塗装を見ることが出来ました。
これだけの規模だと見ていて楽しくなりますが、近い将来には新製車と東急からの譲渡車(元日々直用1000系の改造車?)で車両の置き換えが始まるそうなので、
カラフルな一畑電車を見ることが出来るのは今のうちなのかもしれません。
ありがちな締め方ですが、またいつか機会があれば乗車や撮影に行きたいですね。
うーむ、つぎの帰省は年末年始か・・・。