醉蝗茶房

80's&水滸&異常な日常

もののねうち

2007年02月01日 12時27分56秒 | まねじめんと
たまには真面目な話でも(笑)

例えば、ここに骨董価値の高いものがあったとします。
皿でも良いし、ブリキのおもちゃでも何でも良いけど。
で、それそのものは只の皿であり、おもちゃであって、それ以外の何者でもありませんわな。
が、見る人によって、そのもの自体は変わらないのに、価値が大きく変わります。
見る目のある人が見れば、値千金のお宝であっても、興味のない人や見る目のない人から見れば、只の古臭いガラクタでしかなかったり。

そんなこと当たり前の話なんですが、これって人にも当て嵌まるっす。
骨董は、客観的に鑑定する手段があるんだろうけど、人に対する評価って奴は所詮評価する人の主観のみ。
これから伸びるであろう若手の人なんてのは、「これから」故に実績なんてまだないわけで、主観以外に「コイツは伸びる!」と判断する客観的根拠なんてありません。
ま、論理的に説明し難い「論理的経験則的根拠」はあるんだけど(笑)
この場合、”骨董”と言うより、マイナーな地酒を探すのに似てるかもね(^_^;
でも、場合によっては仮に実績があっても、評価する側の価値観が違っていて、実績を実績と判断できないってケースがあります。
要するに、価値を「知らない」ことによって起きるケースですが。
これが多いのよね、世間って。
歳とると、当然責任範囲が広がっていくので、より多くの価値基準を身に付けそうなもんだけど、得てしてそう言う人は少ないですねぇ。
特に、自分が知っている範囲以外のものについて、安易に訳も判らず評価しちゃう人が怖い。
知らなければ、知る努力が必要だし、より評価に慎重になってしかるべし。なんてったって、評価される人やその家族の生活が掛かってんだから。
評価される側からすれば、世間一般の自分が所属するカテゴリの常識として、「おー、よくやったね」的な結果が出せた時、当然のこととして評価に期待するもんがありますが、評価する側がこのカテゴリの住人ではなかったり、住人にも関わらずアンテナの鈍い奴だったりすると実績を見落とします。
するってーと、評価された側にこれまた当然のことながら不満が溜まります。
不満が溜まるってーと、理由が聞きたくなったりしますが、聞いたところで評価の根拠がなかったりするわけで、納得できるわきゃありませんね。
これがサラリーマン的な人だったりすれば、「所詮そんなもんよ」と諦めちゃったりできるんでしょうが、骨のある奴・力のある奴はその程度の奴を仰ぐことを潔しとせずに見限っちゃったりするわけで。
じゃ、評価する側はどうすれば良いか?
己の眼、判断力を磨くしかありませんな。
何度も言うように、所詮”人”を評価するってのは主観しかないので、マニュアル的なHOWTOは成り立ちません。
勿論例外もありますよ。結果が全て数字となって表れる職業職種役職なら。
それは元々客観的な評価材料なので、比較的簡単ですよね。
が、これであっても、運用する人によっては客観的なものすら見えなかったり、そもそも目標数値の設定そのものが現実的でなかったり。
それを考えると、やっぱし上に行けば行くほど、己の眼力・判断力を磨かにゃならんと思うわけで。

色々考えさせられることがあったんで、ちょいと我が身の戒めも込めて(笑)

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