ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

「経験から学ぶ」ということ

2012-07-13 | 日記
経験に学ぶということは奥が深いですね。

学校で教わったり、会社で教わったりすることはスタートラインに立っただけ。

そこから自分で学んでいかなくてはいけません。

バパが言うとおり「経験が先生」です。


学校や会社で教えてくれた事は、便利なことではありますが、分かりやすいものでは
ありますが、まだまだ自分のものではありません。

自分のものはこの世の人生から自分で取り出したもの。

それが「わかる」ということだったんですね。


もし我々が忙しい毎日のなかでもラティハンを続けていって、そしてあるとき「自由」と
出会えたらそれがおこりそうです。

「自由」のなかでは一切の強がりやら誇りやら自己規制やらは必要ありません。

あるがままのものがそこにあります。


本来はこの世界に適合して生まれてきている人間ですから、こういう理解は自然に
育ってもよさそうなものです。

でも忙しく動き回っているときにはなかなかこの事が了解されません。


バパはそのことを「勇気」という風に言いました。

「勇気」も「自由」も結局は同じことです。

最後の責任は自分持ちで、そして経験から教わりながら物事をやってゆく。

どうやらそういうことの様です。


この世の中で物事を成し遂げる姿勢というものはラティハンを受けていようがいまいが
結局は同じことですね。

世の中で物事が実現してゆくありさまはこの世の法則に従うしかありません。

まあ世の中は公平に出来ているということでしょうか。


それで、ラティハンの成果はどこで現れるんだって?

それはまあ物事が成し遂げられた後のお楽しみということにしましょうか。


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