ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

ロホとナフスの物語(その3、7つのロホ)

2015-01-06 | 日記
バパの説明でよく出てくる7つのロホ。

roh robani,   ロバニ(あるいはラバニ)
roh rahmani, ラフマニ
roh rohani,   ロハニ
roh jasmani, ジャスマニ
roh hewani,  ヘワニ
roh nabati,   ナバティ
roh rewani,   レワニ(あるいはライワ二)

このように生命世界は7層になっていというものであります。<--リンク

さてそこに登場する7つのロホは1936年にTjan Tju An によって書かれた「スラット・ビモ・ブンクス」の中にすでに登場しております。<--リンク

ちなみにバパがスシラ ブディ ダルマ(susila budhi dharma)を受けたのは1952年になりますね。


さてその「スラット・ビモ・ブンクス」ですが、本来はビモの誕生物語であります。

でありますが、この物語をかりてTjan Tju Anさんは「ゼロからの人間形成」を語っているのでありました。<--リンク

そうしてその根拠となるのがマルタバト・トゥジュ( Martabat Tujuh )の教えでありましたね。<--リンク


それでは誰がこの教えをインドネシアに持ってきたのか?

Abdul Rauf SingkelさんがTarekat Syattariyah(タレカット シャタリーヤ)の教えとして1662年ごろからアチェ(Ache)で教え始めました。

アチェはスマトラ島の最北の港町、海路でインドにもっとも近い場所になります。

そして、この人のお弟子さんのSyeikh Abdul Muhyiがジャワ島のPamijahanに(チレボン経由でありましたが)Tarekat Syattariyahを持ってきました。

以上についてはEARLY TAREKAT IN BUNTET: SYATTARIYAHを参照して下さい。<--リンク


さて、Abdul Rauf Singkelさんはタレカット シャタリーヤをどこから持ってきたのでしょう?

どうやらShattariyyahスーフィズムはイスラム文化の中心であるメッカ(Mecca)を経由して来ている様であります。


それではそもそも、この教えを始めたのは誰でしょう?

驚いたことに原点は神秘家にして哲学者のIbn Arabi(イブン・アル=アラビー 1165-1240)の確立した「存在一性論」でありました。<--リンク

そうして「存在一性論」では「ゼロからの世界の創造」を示す5段階のレベルが示されています。

このあたりブログテーマを大きく超えていますので、「イスラーム哲学の原像 井筒俊彦 岩波新書」を参照願います。

ちなみに5段階のレベルの説明は123Pにあります。

そしてその本の中では Ibn Arabiいわく 「ナファス・ラフマーニ nafas Rahmani とは(神の)慈愛の息吹である」という記述があります。(125P)

それで、このRahmaniというコトバはそのままマルタバト・トゥジュ( Martabat Tujuh )に引き継がれていますね。

そうやって次々に語り継がれながら解釈しなおされて700年。

最終的にバパのトークで「roh rahmani」として我々の前に登場したのでありました。
(蛇足ながらnafasナファスです。nafsナフスと発音が似ていますがこれは別物です。)

(イブン アラビーの存在一性論の良い資料がありました。
・イブン=アラビーにおける 「自然本性(ṭabīʿah)」について
ぐーぐるで上記テーマ名を検索することでPDFでも入手可能です。)


次にこの5層の段階を7層に詳細化したのがal-Qushashi、17世紀のアラビアの学者さんでありました。

こうして「尊厳セブン」あるいは「セブンレベルの教え」と言われているマルタバト・トゥジュ( Martabat Tujuh )が完成したのでした。

以上についてはOrigins of Shattariyyah Teaching を参照願います。<--リンク


さてこれが7つのロホのざっとした歴史的な流れになります。

以上のことから分かる様に7つのロホは突然地上に姿を現したのではなく、単にその歴史を我々が知らなかっただけで、実は長い年月をかけてその姿を形造ってきたのでありました。

でもバパのトークで初めて7つのロホを知った時は、まるでそれは「いままで隠されていた世界の真実が目の前に突然開示された」かのように見えたものでしたね。

イスラームの世界でアラビア語で記述された文献、それからジャワ語、あるいはそれより古い言葉で記述されたジャワの文化、宗教の歴史、それらのものに手が届くようになったのは本当にごく最近のことでありましたから無理もありません。

今までは日本のみならず欧米に代表されるキリスト教文化圏には「知られていない歴史」でありました。


さて、バパはマルタバト・トゥジュ( Martabat Tujuh )あるいはTarekat Syattariyahをしっていたのでしょうか?

タレカットについてよく言及されるバパでありましたから、その可能性もあるとは思われます。(81LOS7.28 ロサンゼルス)

でもそれよりもやはりワヤン(Wayang)が好みのバパでありましたから、そちらからの情報も持っていた事でしょう。


そうやって「いわゆるその筋の常識を知っている事」はジャワの人達にラティハンを分かりやすく説明する為には必要なことであります。

逆にそうでなければ聴衆は「聞いていてもよくわからない状態」になってしまいます。

それはちょうど「我々外国人が初めてバパの説明を聞いてびっくりするようなもの」でありますね。


バパは聴衆によく知られたコトバを使って「ラティハン」を語るしか方法はありません。

古来より祖師方はそうやって神秘的、宗教的な状況を語ってきたのですから。

バパもけっしてその例外ではありえなかった。

そうしてこれは考えてみれば仕方のないことでありましたね。<--リンク

追記
7つのロホについてバパが「イスラムのものである」と認めているトークがありました。
以下、ご参考までに。
雑記帳31・「バパのイスラム」とは何か・2<--リンク

PS
タレカット(Tarekat)はブリューネッセン(Bruinessen1994:10-14)によれば
「インドネシアへのイスラームの到来は、スーフィズムの発展と同時期でありタレカット tarekat(神秘的道標)と呼ばれるものが現れる。
この流派は、イスラームの導入を展開させる役割を担い、東部地域から(?アチェからですから実は北部では?)インドネシアに入った。」
とのことであります。<--リンク

この流派はシャリカット Syarikat、タリカット Tarikat、ハケカット Hakekat、マーリファ Ma'rifat の4つの段階を教えるもでありました。<--リンク


それからタレカット(Tarekat)あるいはタリーカと呼ばれるのは「集団で修行を行う修行方式」なのです。

ですからそれは明らかに一つのグループ、あるいは発展すれば教団と呼ばれるものを作り上げることになります。

「さて、ラターイフ論を取り入れたタリーカは、クブラヴィー教団だけではない。
ナクシュバンディー教団においても、ラターイフ論は修行論と結びつき、独自の展開を遂げた。」392P

「集団で修行を行うタリーカの出現によって、ラターイフ論はより精緻な理論として完成されていく。
タリーカの長たちが、彼らの監督する修行者の段階を細分化して捉えることができるようになるにつれ、ラターイフ論の階層構造もそれに合わせて細分化されていったのであろう。」393P

このタリーカはナジュムッディーン・クブラー(Najm al-Dīn Kubrā, d. 1220)によってはじめられました。

 「前節の終わりに名前を挙げたナジュムッディーン・クブラーであるが、彼はスーフィーの修行段階に応じた意識変化を初めて記述した人物とされる24)。
『馥郁たる美の香り、粛然たる威光の現れ』において、彼は次のように述べている。

私たちの道は錬金術方式である。
これらの山(肉体的存在の四元素よりなる覆い)より光の繊細なる中心を解き放つことが不可欠である。
……味得(dhawq)は存在的精神的変容を通じて成し遂げられる。
……(それによって)五感を別種の感覚に変ずる感覚認識能力の変容を必要とする25)。」P390

以上は「スーフィズムにおけるラターイフ(laṭā’if )論の再定義」からの引用です。<--リンク


さて、そうしてバパの自叙伝によく登場するキアイ・アブドラヒマン(Kiai Abdurrachman)はナクシュバンディー(Naqshbandi)の人でもありました。(81LOS7.28 ロサンゼルス)

でもバパが言われる様にナクシュバンディーの教えや修行方法はナクシュバンディーに固有のものであり、そこでは7つのロホは姿を見せることはないのでありました。<--リンク


PS
本文では1936年にTjan Tju An によって書かれた「スラット・ビモ・ブンクス」で7つのロホが世の中に登場したように書きました。

ネット上ではR.Ng.ロンゴワルシトが書いたとされる「Bima Suci Wirid」を確認できなかったからです。

でも、全ての文献がネット上に公開されている訳ではありませんね。

そういう訳で、ウォロ・アルタンディニ(Aryandini, Woro)さんが言うことがより正確だと思われます。

「キヤイ・ヨソディプロの孫 R.Ng.ロンゴワルシト(Ranggawarsita)が1845-1878年に構成した「ビモ・スチ」である。
・・・・
R.Ng.ロンゴワルシトの「Bima Suci Wirid」は「インサン・カミル」の誕生を語った。
・・・・
零からの人間形成過程の諸段階、完全なる人間「インサン・カミル」の段階に到達するまでの「マルタバト・アカディアト martabat akhadiyat」を説明する「マルタバト・トゥジュ」を増補している。
完全なる人間を目指す者は、九種の精神状態を得る。
「ロ・イラピ」、「ロ・ロバニ」、「ロ・ロカニ」、「ロ・ヌラニ」、「ロ・クドゥス」、「ロ・ラフマニ」、「ロ・ジャスマニ」、 「ロ・ナバティ」、そして「ロ・ルワニ」である。」

以上は「デワルチ」からの引用です。<--リンク

R.Ng.ロンゴワルシトさんは1802-1873年の人でありました。

ですのでR.Ng.ロンゴワルシトの「Bima Suci Wirid」は遅くとも1874年には世の中に知られていたと考えられます。

これが「バパが話してくれた7つのロホはバパが生まれる前にすでに世の中に登場していた」と考えられる理由なのであります。<--リンク


PS
ロホの年表をまとめました。

650年頃 Qur'an(クルアーン)成立
   RuhとNafsの言葉が記述される。
   のちにインドネシアでRohとNafsuに変化する。
   ほぼ同時期にスーフィー(Sufi)も誕生する。

1165~1240  Ibn Arabi(イブン・アル=アラビー)
   スーフィーにして哲学者
   存在一性論確立(存在の5段階説)
   ナファス・ラフマーニ nafas Rahmani 登場

15世紀始め  イスラムのジャワへの渡来

15世紀末~16世紀初頭 ワリ・ソンゴ(Wali songo)の活躍(注1)

17世紀    al-Qushash  アラビアの法学者
   存在の5層の段階を7層に詳細化した。
   マルタバト・トゥジュ( Martabat Tujuh )の完成
   ruh idafi、
   rahmani、
   rohani、
   jasmani、
   nabati、
   hewani、
   Insan Kamil、についての記述がある。

シャムスディン パサイ(Shamsuddin Pasai)(?-1630)(注2)
Ruh Djamadi(ジャマディ)は、不動体(自分では動かない物)の本質と主張

1662年ごろ  Abdul Rauf Singkel
   Tarekat Syattariyah(タレカット シャタリーヤ)の伝道
   マルタバト・トゥジュの教義をアチェ(Ache)で教える。

その後  弟子のSyeikh Abdul Muhyi
   ジャワ島のPamijahanにタレカット シャタリーヤを伝える。

   ジャワでタレカットの修行方法が広く受け入れられる。
   それと同時にマルタバト・トゥジュの教義も広がる。

1802~1873年   R.Ng.ロンゴワルシト(Ranggawarsita)
   「Bima Suci Wirid」で「インサン・カミル」の誕生を語った。
   完全なる人間を目指す者は、九種の精神状態を得る。

「ロ・イラピ」、1. Roh Idofi (Roh Ilofi) ・・・Ilafi,Ilapiと書くこともあり(?)
「ロ・ロバニ」、2. Roh Rabani
「ロ・ロカニ」、3. Roh Rohani
「ロ・ヌラニ」、4. Roh Nurani
「ロ・クドゥス」、5. Roh Kudus (Roh Suci)
「ロ・ラフマニ」、6. Roh Rahmani
「ロ・ジャスマニ」7. Roh Jasmani
「ロ・ナバティ」、8. Roh Nabati
そして「ロ・ルワニ」9. Roh Rewani

   「Wirid Hidayat JatiDari 」でナプスとロホ(napsu,roh) を語った。

1936年  Tjan Tju An
   スラット・ビモ・ブンクスで9つのロホと4つのナフスを語る。

1952年  バパ(Bapak)
   スシラ ブディ ダルマ(susila budhi dharma)を語る。


(注1)ワリ・ソンゴ(Wali songo)の活躍 <--リンク

(注2)シャムスディン パサイ(Shamsuddin Pasai)(?-1630)<--リンク


PS
1988年にインドネシア政府によって確認された内容が政府広報にのっています。

それを見ると「バパが始めた世界認識の特徴」は「7つ+2つのロホシステムである」とされていますね。

詳細はこちら、あるいはこちらを参照願います。<--リンク


PS
イブン・アラビーIbn Arabiを開祖とする存在一性論にもその後いろいろな派生学派が生まれたという話です。<--リンク


PS
ロホ(roh)とナフス(nafsu)の物語・・・一覧」にはこちらから入れます。<--リンク

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