心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

CBTが役に立たない理由、⇒日本は「偽善者( Hypocrite :fox in a lamb's skin)偽善(hypocrisy)が優しさという解釈」によって成り立っている

2018年02月06日 | 精神科看護

今回の記事は精神科看護論についてです。

CBT(Cognitive behavioral therapy)は日本では役に立ちません。

これは実践するとわかるのですが、まずもってCBTのセラピスト自身が苦しみ続けているからです。

苦しみ続けている人がセラピストっておかしくないですか?という話ですね。

師匠からテクニックを学ぼうとしても、そのテクニックが不完全なら弟子は使いこなせても、結果は得られない

単純にそのレベルです。

では、認知行動療法とは何かというと以下のようになります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)

認知行動療法(にんちこうどうりょうほう、英:Cognitive behavioral therapy:CBT)は、従来の行動に焦点をあてた行動療法から、アルバート・エリスの論理療法や、アーロン・ベックの認知療法の登場によって、思考など認知に焦点をあてることで発展してきた心理療法の技法の総称である[1]。「認知行動療法」の用語は、アメリカ以外の国でしばしばアーロン・ベックの認知療法(Cognitive therapy)を指しているが[2]、本項では本来の意味である総称としての認知行動療法の説明に力点を置く。哲学的には、古代ローマのストア派や仏教の影響を受けてはいるが、1950年〜60年代の論理療法や認知療法に起源をもつ[3]。共に、不適切な反応の原因である、思考の論理上の誤りに修正を加えることを目的としており、認知、感情、行動は密接に関係しているとされる[1]。従来の精神分析における無意識とは異なり、観察可能な意識的な思考に焦点があり、ゆえに測定可能であり、多くの調査研究が実施されてきた[3]。

認知行動療法は、うつ病、パニック障害、強迫性障害、不眠症、薬物依存症、摂食障害、統合失調症などにおいて、科学的根拠に基づいて有効性が報告されている[4][5]。専門家によって実施されるほかに、こうした技法はマニュアル化できるため、セルフヘルプ・マニュアルのように自身で行うこともできる。コンピューターCBTと呼ばれるパソコンプログラムとの対話も存在する。コンピューターCBTは、施術者の不足する地方で有用である[6]。

また、行動療法の側面の強いのは強迫性障害に対する曝露反応妨害法や、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に対する持続エクスポージャー療法である。後者のものは「トラウマに焦点化した認知行動療法」に含まれる。

第三世代の認知行動療法には、マインドフルネス認知療法、アクセプタンス&コミットメント・セラピーなどがあり、うつ病や不安だけでなく、疼痛にも効果が見られている。境界性パーソナリティ障害に特化された技法は弁証法的行動療法であり、これは瞑想の技法と認知行動療法を組み合わせたような構成である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

何がいいたいか理解できますか?

要するに「あなたの考え方は違っていますから、変えてください。具体的にはこうやって考えると楽になりますよ」

という指南講義です。

個別性がありますが、考え方のパターンは決まっているため、どこかに当てはめていきます。

これは一見効果的に見えますが、人間の考え方がそう簡単に変わるでしょうか?はなはだ疑問です。

認知行動療法を求める人はどういった人かというと、

その多くは精神病と診断された人達です。

精神病とは何でしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)

精神病(せいしんびょう、英: Psychosis、サイコシス)とは、妄想や幻覚を特徴とした症状である[2][3]。厳密には、現実検討ができない症状である(妄想や幻覚だと当人が分からない)[3]。こうした症状は、統合失調症の症状であったり、また他が原因として症状を呈している場合には、精神病性障害(psychotic disorder)とも呼ばれる。以上が現行の医学的な用法である。健康な人でも生涯において5.8%が精神病体験をしている[4]。

伝統的な分類では、精神病(psychoses)と神経症(neuroses)とに分類されてきたが、このような旧来の分類は不正確な診断をもたらし、より正確な診断を行うために分類が発達してきた[5]。この意味では、精神病とは様々な精神障害の総称であり、一般的には神経症と対比し、より重い症状を意味する[6]。それは主に内因性の精神障害を指し、統合失調症や躁うつ病などが含まれる[7]。また他には口語的に広く精神の病的な状態を表す用語として、この精神病の語が使われることがある。これについては、現行の医学的な定義である精神障害を参照。

・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「厳密には、現実検討ができない症状である(妄想や幻覚だと当人が分からない)」

 

事実誤認、現実見当能力不全がある人が全て「精神病」です。

あとは枝葉ですね。

ですから、認知症、痴呆老人も大きいカテゴリーでは立派な「精神病」なんです。

しかし、治療分類をするために、認知症と精神病を分類しています。

様々な疾患に精神病は分類されます。

有名なのはDSMですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)

精神障害の診断と統計マニュアル(せいしんしょうがいのしんだんととうけいマニュアル、英語: Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, DSM)は、精神障害の分類(英語版)のための共通言語と標準的な基準を提示するものであり、アメリカ精神医学会によって出版された書籍である。

DSMは当初、統計調査のために作成された。DSMの第3版より、明確な診断基準を設けることで、精神科医間で精神障害の診断が異なるという診断の信頼性の問題に対応した[1][2]。

DSMは、世界保健機関による疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD)とともに、国際的に広く用いられている[3]。いずれも記述精神医学であり[4]、「特定の状態が特定の期間に存在する」という具体的な診断基準を設けた操作的診断基準に属する。疾病の解明に加え、各々の医師等の間における結果の比較を可能とし、また、疫学的調査に有用である。「したがって、極言すれば、診断基準は元々、個々の患者での診断を正確に行うために作られたものではない」と言うことも出来る[2]。

明示的な診断基準がないため、以前の診断基準では、アメリカと欧州、また日本での東西によって診断の不一致が見られた[1][2]。このような診断の信頼性の問題により、明示的な診断基準を含む操作的診断基準が1980年のDSM-IIIから採用され、操作主義の精神医学への導入であり画期的ではあった。一方で、恣意的に適用されてはならないといった弱点はいまだ存在する[1]。依然として、どの基準が最も妥当性があるかという問題の解決法を持たず、他の診断基準体系との間で診断の不一致が存在するため、原理的に信頼性の問題から逃れられないという指摘が存在する[1]。

DSMは、その日本語訳書において「精神障害/疾患の診断・統計マニュアル」と訳されている。「精神障害/疾患の分類と診断の手引」の訳は、DSMの早見表のものである。最新のDSMは第5版で、2013年5月18日に出版された。日本語訳は2014年6月30日に「DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引」は同10月23日に出版された。

DSMは精神医学上の診断カテゴリーと基準の標準化に貢献したとして称賛されてきたが、一方で論争と批判も生み出した。批判者には、アメリカ国立精神衛生研究所(NIMH)も含まれ、DSMは非科学的で主観的なシステムを叙述するものだと主張している[5]。診断カテゴリの妥当性(英語版)と信頼性(英語版)、外面的な症状に依存すること、カテゴリー間および正常とのあいだの人為的な境界線の使用、文化的バイアスの可能性、人としての苦悩を医療の対象としてしまうこと--これらに関する諸問題が、現在も存在しつづけている[6][7][8][9][10][11]。

DSMの出版には厳格な著作権管理が行われ、アメリカ精神医学会は年間500万ドル以上、通算1億ドル以上をもたらしている

・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

精神科医間で精神障害の診断が異なるという診断の信頼性の問題に対応した」ために評価されたスケールです。

「したがって、極言すれば、診断基準は元々、個々の患者での診断を正確に行うために作られたものではない」

とあるように、

テキトーにやっているのがばれるのはまずいから、アメリカ精神医学会が権威付けしてガイドラインを作りましたよという話です。

占いをしてもらったことのある人なら解ると思いますが、占いは占い師によって結果がまちまち、千差万別です。

つまりは、精神病も、医者によって言うことまちまちなので、占い、まじないの一種と考えてもよさそうですね。

精神科医療について厳しい発言をしている(というかこれで一躍有名になり、ぼろもうけした)医師の内海聡さんのFBの記事ではDSMについて酷評しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)

精神科の病名が作られたいきさつ

「DSM」とはアメリカの診断マニュアルですが、これには1000ページ以上にわたって、500の精神「障害」リストが載せられています。これは3300億ドル市場と呼ばれる精神医学産業を突き動かしているエンジンといえるでしょう。「DSM」の診断基準には何の裏づけもありません。それはエセ科学によって入念に作られた、ただの見せかけにすぎません。ここでは「DSM」の診断基準を決める会議に参加した人間の、後の告白を掲載することにしましょう。

「精神科医たちは部屋のいたるところから自分の意見を叫んでいました。そこで一番大声を張り上げた人の意見が聞かれていました。私の印象ではそれは会議というよりも、タバコのオークションみたいでした」「あまりの知的見解の低さにショックを受けました。診断はレストランを選ぶときに使うような多数決で決められたんです。君はイタリア料理かい、私は中華だな。じゃあカフェテリアに行こうという感じで。それからその結果がコンピュータに打ち込まれます」

精神疾患などというのは科学的にも医学的にもどこにも根拠は存在しません。そもそも現代の精神医学における精神疾患の根拠は、「モノアミン仮説」を利用しています。モノアミン仮説とは、セロトニンがうつ病に関係するだとか、ドーパミンが精神分裂病(統合失調症)に関係するだとか、そういう噓ですが、すでにモノアミン仮説というのは否定されています。うつがセロトニンと関係することもありません。

これは非常に巧妙な詐欺で、あらゆる医学者、科学者、食品学者、栄養学者、エセ健康学者がこの仮説を信じ込んでしまっているのです。この分野の問題は罠と詐欺と犯罪しかないのです。そして騙される患者や毒親たちは、あらゆる形で自分を正当化します。つまり責任は精神科医や製薬会社にあるだけではありません。失敗に便乗し、失敗を正当化し、人を失敗させ、結局のところ患者や毒親は被害者意識の塊になるだけです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

これらの情報を精査すると、(しなくてもわかりそうですが)

結果的に「世の中と上手く折り合いの付かない人が相談する相手によって」精神病となるかカルト信者となるかで分かれていくことがお分かりですか?


カルト宗教、占い師に相談に行く⇒全額負担、信者になり、全財産没収

精神病院に行く、メンタルクリニックに良く⇒3割負担、(後に全額免除)薬漬け、隔離で浦島太郎状態

現代医療=精神病院に入信すると

もれなく、「薬物療法」「心理療法」がいただけます。

そこで、SST(ソーシャルスキルトレーニング)とCBT(認知行動療法)が登場します。

どちらも、世の中を上手く渡っていくための考え方、テクニックを教えるだけです。

基本的な考え方としては

人間は、他人からの評価ばかり気にして生きるため、心を病んでしまいます。

他人からの評価はころころと変わるから、他人に合わせて生きることがどれだけ大変かは

多くの人は体験済みだと思います。

認知行動療法やSSTを受けた人はどうなるかとういうと


「ありのままで」Let it beになります。

自分勝手になります。

自己欲求に素直になるだけです。

アサーティブ、アサーションも同じです。

自分の要求を通すテクニックを学ぶだけです。

ですから、単なる自分勝手になるだけ。

自己の欲望を追求する獣と同じですね。

「余計扱いにくい人」になるだけですから、社会適応はでないの

社会と折り合いがつかないため、何時まで経っても楽になりません。

(楽にならないから、また病院に来てくれるのですけどね)


ではどうしたら、楽になるのでしょうか?

心を患うとはどういう状態なのかというと、心のエネルギーがなくなってしまい、

無気力になる、人生で生きている喜びが感じれなくなる状態です。

どうして無気力になるのかというと、努力する方向性を間違え、努力する方向性が見つからず、

何をやっても手ごたえがないからです。

つまりは、目的もわからず、目標も決まらないため、日々、だらだらと会社に行く、学校に通うだけで

その意図は、

「生活するため」「世間体」「会社の仲間のため」

ではないでしょうか?

目的が堅固でないと、目標設定はできません。

そして、その目標を乗り越えるだけのパワーも湧いてきませんね。

どうして、日本人はそのように目的意識を持たず、目標も人に設定してもらわないとやらないのでしょうか?

 

それは、日本人の気質、文化的背景がそうさせています。

日本人は

「どれだけ偽善ができるか?」

で社会的地位が決まってきます。

偽善をすることが偉いとされています。

偽善とは一体何でしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)

偽善(ぎぜん)とは、善良であると偽ることをいう。 また、これを行う者は偽善者とよばれる。

精神的な偽善は、外面では善い行為に見えても、それが本心や良心からではない心理状態を指し、行為としての偽善は、隠れて悪事を行う為に善行を装う事である。

偽善を為す要因に、虚栄心や利己心があり、前者は名誉欲や愛情欲が原因で後者は権勢欲や金銭欲である。

行為としての偽善と精神的な偽善は、別と考えて、精神的な偽善が行為としての偽善に繋がるかどうかを判断する者と、精神論で一括りに偽善を否定する者というように、偽善に対する認識は、善悪をどう認識するかで変るために一様ではない。

精神的な偽善には、腹黒いやゴマすりや食わせ物という表現もある。 また、和英辞書では、利己心による偽善者である偽君子(snob)も hypocrite とされている場合がある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

一言で言えば、

「嘘を真顔でつくこと」

です。

どんでもない役者ですね。

嘘を罪だと思わないことわざが多いのは日本ならではですかね?

世界の嘘

・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)

・嘘は河豚(フグ)汁である。その場限りで祟りがなければこれほど旨いものはない。しかし中毒(あたつ)たが最後苦しい血も吐かねばならね。(夏目漱石)


・ある真実を教えることよりも、いつも真実をみいだすにはどうしなければならないかを教えることが問題なのだ。(ルソー)


・嘘は雪玉のようなもので、長いあいだ転がせば転がすほど大きくなる。(ルター)


・嘘を口にしてはならない。しかし、真実のなかにも口にしてはならぬものがある。(ユダヤの格言)


・嘘が速くとも真実はこれを追い抜く。(フランスのことわざ)


・嘘を信ずれば真実となる。(イギリスのことわざ)


・過去を思い出す時、必ずしも事実のとおりとは限らない。(マルセル・プルースト)


・秘密を守り通せる人間はいない。口を堅く閉じれば、今度は指先が喋り出す。全身から真実がにじみ出るのだ。(ジークムント・フロイト)


・金がものをいうと真実が黙る。(ローマのことわざ)


・嘘とは、私が作ったものではなく、階級に分かれた社会に生まれたものである。だから私は生まれながら嘘を相続している。(サルトル)


・嘘をつこうとする人は遠くに証人を探す。(タルムード)


・人を怒らせるのは真実である。(イギリスのことわざ)


・真実を語るものは、機知のない人間だけである。(ドストエフスキー)


・人生において何よりも難しいことは、嘘をつかずに生きることだ。そして自分自身の嘘を信じないことだ。(ドストエフスキー)


・もっとも残酷な嘘はしばしば沈黙のうちに語られる。(スティーヴンソン)


・嘘をずっと押し通そうとする人は、記憶力がよくなければならない。(グリム)


・嘘ばかりつく人間だと思えば、こちらは正反対を信じていればよい。嘘と真実を使い分けるから厄介だ。(モンテーニュ)


・嘘つきの受ける罰は、人が自分を信じてくれないということだけではなく、他の誰でも信じられなくなる、ということである。(ジョージ・バーナード・ショウ)


・嘘つきがいつでも必ず嘘をつくとしたら、それはすばらしいことである。(アラン)


・いちばん嫌らしい嘘は、いちばん真実に近い虚言だ。(ジイド)


・話の名人は嘘の名人である。(西洋のことわざ)


・虚偽は百年たっても真実にならない。(ドイツのことわざ)


・物事は見かけ通りとは限らない。見かけに騙される人間は多い。ごく少数の知恵ある者が、巧妙に隠された真実を見抜くのだ。(ファイドロス)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

日本のことわざは以下の通りです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)

・灰撒くような嘘(はいまくようなうそ)
・真っ赤な嘘(まっかなうそ)
・嘘と坊主の髪は結ったことがない(うそとぼうずのかみはゆったことがない)
・嘘から出た実(うそからでたまこと)
・嘘も方便(うそもほうべん)
・法螺を吹く(ほらをふく)
・万八(まんぱち)
・仲人の空言(なこうどのそらごと)
・与太を飛ばす(よたをとばす)
・狂言を書く(きょうげんをかく)
・知恵出でて大偽あり(ちえいでてたいぎあり)
・空を使う(そらをつかう)
・二枚舌(にまいじた)
・絵空事(えそらごと)
・話半分(はなしはんぶん)
・死人に妄語(しにんにもうご)
・尻も結ばぬ糸(しりもむすばぬいろ)
・千三つ(せんみつ)
・一人虚を伝うれば万人実を伝う(いちにんきょをつたうればばんにんじつをつたう)
・一犬形に吠ゆれば百犬声に吠ゆ(いっけんかたちにほゆればひゃっけんこえにほゆ)
・言を食む(げんをはむ)
・鉄砲を放す(てっぽうをはなす)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)


(嘘の先方を担いでスターダムに上り詰めたのが明石家さんまです)


私たち日本人はこのような「豊かな嘘の社会」で生きています。

日本は嘘で成り立っているのですね。

日本文化に浸ると、建前=嘘

で生きていかなくてはいけませんから、いつまでたっても苦しいままです。

どうして苦しいか?

嘘=素直ではないからです。

人間は嘘ばかりの中で過ごすと「幸せになりたい」という気持ちをもてません。

嘘で塗り固められると、自分の心が曇ってしまい、見つけることができないからです。

偽善の世の中で、いかに嘘をつかずに、生きていくテクニック・知恵こそが心の救いとなるのです。

事実誤認しているのは、何も自分だけではないです。

事実誤認、見当識がないのは、全ての人にあたるといえます。

私たちは、同じ人間なのに、その人の外見や肩書きや財力や権力にだまされて事実誤認してしまい、劣等感や孤独感を感じてしまう傾向があります。

多数決のなかで、事実誤認させられて、物事がまっすぐ見れない状態であるということを知ることが

偽善、欺瞞に満ちた日本で健やかに生きていく方法ではないでしょうか?

私たちは、世の中と逆の生き方をすれば、救われるかもしれませんね。

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