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旧精神科医療は思想警察なのか?

覚醒剤、麻薬と親の価値観)一般人は覚醒剤をやらないと人殺しできない

2018年04月16日 | 子育て論

今回の記事は、旧日本軍の神風特攻隊の記事を見ていて、覚醒剤、麻薬の危険性と親や学校からのプレッシャーで覚醒剤を始める子どもがいることなど、調べれば調べるほど、現代社会は堕落していて、一瞬でも気を緩めれば、廃人になり奈落のそこに落ちてしまうような危険性があるのだと恐怖を感じましたので、戒めを込めて記事にすることにしました。

子育てで重要なことは、親が真実を追究していることであり、成長していることであります。

「世間的に正しい」「多数決で決まったこと」は不正解であり、真実からかけ離れています。

では、まず「特攻隊と覚醒剤について」の記事について見ていきましょう。


・・・・・・・・(特攻隊と覚せい剤 2013年04月19日)

 昨日のブログで「特攻隊員に覚せい剤を飲ませていたというのは特攻隊員を貶めることだ」というように書きましたが、友人からその使用は実際あったことを知らされました。

 ただ、言葉の持つ概念が現在の覚せい剤とは大きな違いがあることにご留意いただきながら以下をお読みください。

 この覚せい剤は「メタンフェタミン」と言われるもので、飛行機の搭乗員や潜水艦の乗組員などに配布されました。夜間戦闘機の搭乗員だった黒島四郎氏によると、「暗視ホルモン」ということで夜間迎撃に出撃する際に投与されたそうです。この商品名が「ヒロポン」で、戦後にその依存性が問題となり、ヒロポン中毒という恐ろしいイメージが残っています。

 この時代にはこの薬物の依存性の危険性は知られておらず、一種の興奮剤として夜間の眠気覚ましや神経を研ぎ澄ますために使用されたそうです。その名も「暗視ホルモン」と言われていたそうです。

<※使い続ければ廃人になってしまうような薬物を国家が合法と認めていたのですね。> 

戦後になって常用していた搭乗員などから薬物依存症を発症し、後遺症に悩まされるようになりました。さらに薬物の研究も進み、この薬物の依存性が問題となり、現在は劇薬指定を受けています。さらに、不衛生な注射器の使用のために、戦後に大量の肝炎患者が発生しており、現在も薬物中毒者の大半が肝炎患者であることも事実であります。

 ただ私は歴史を見るときに、現代の価値観で見ないという鉄則を持っています。現在では覚せい剤は医師の処方箋なしには使用することのできない劇薬で、それを普段の生活に使用することは厳禁です。法律に触れるからダメなのではなく、自分の体を蝕む毒薬だからダメだという認識があります。

 しかし、当時は現在の私たちが持つ「恐ろしい覚せい剤」という概念はなく、眠気が取れてすごくやる気になるという効能が認められ、将兵を有利に戦闘に導かせるものでした。そのため、すべての兵隊がこの薬物を投与されていたのではなく、戦闘機の搭乗員など当時としては最も最前線で敵を迎え撃つための最高の兵士にしか投与され ない高価な薬物でした。

 これを現在に置き換えると、コンビミニ売っているドリンク剤(リポビタンとかユンケル)のようなものではないでしょうか。私も疲労がたまっている時にしなければならない大事な講演の二時間前にはドリンク剤を飲んで、元気にお話するようにしています。

<※ これらのドリンク剤も本来取り締まり対象か、未成年には販売してはいけない商品だとは思います。>

 注射は即効性がありますが、服用するドリンク剤は胃腸で吸収されてから効き始めるということを以前医師から聞いて実践しています。でも、毎日続けて飲むことはしませんし、一日に何本も飲むことはしません。

 普段からあまり食物以外のものを口にするのは嫌いなたちなので・・・。

 このヒロポン、この名前を聞くだけでも恐ろしいというイメージがつきまとうのですが、本土決戦物資の一つとして蓄積され、それが戦後に市中に出回ったために、大勢の中毒患者や反社会勢力の資金源となり社会的な問題となったのです

 しかし、戦時中の命をかけて戦った方々がヤク中という見方をするのは大きく違うということと、現在法律でも禁止されている薬物の不正使用は絶対にしてはならないということをご理解ください。

 坂井三郎氏の著書『大空のサムライ』でも、ラバウルで下士官以下の飛行兵がタバコの代わりに現地で取れる薬草を吸っていると、上官であるある笹井少尉が「そんな中毒性のあるものを吸ってはいけない」と注意すると、タバコの配給が士官ほど豊富ではなかったことから、坂井氏(当時は一等飛行兵曹だったと思いますが)は「我々搭乗員は明日をも知らぬ戦いを毎日しております。どうして中毒性など問題を言うのか」と反論したそうです。

 すると、笹井少尉はさみしい顔をしてその場を去り、あとでタバコをどっさりと無言で置いていったというくだりがあります。

 その場の戦いに勝たないと命がないという飛行機同士の戦いでそれが少しでも有利になるのなら、使いたいと思うのは人情ではないでしょうか。

 それを意志薄弱なヤク中と同列に扱うのは明らかに間違っていると思いますがみなさんはいかがでしょうか?

 ちなみに芸能人で薬物の使用が発覚した人は無条件で芸能界から追放すべきだというスタンスは全くゆるぎません。それがただの甘えであり、精神的な弱さの現れだからです。

 現在の薬物使用は本人だけでなく、家族や友人にまで大きな悪影響があります。合法ドラッグも含めて、使用はしてはなりません。

・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

この記事元のブログの筆者は非常に感情的な文章を書いていますね。

一見、理性的に書いていますが、明らかに戦中の日本のトップは覚醒剤をやらせるなり、安定剤をやらせて、戦争をさせていたという事実の一点でしょう。

それを美談にしたり、必要悪といっている時点で、ずれてしまっています。

覚醒剤をして人殺しをしなければ守れないような国なら滅びればよいのです。

どれだけ悪を行ったか?どれだけ人殺しをし、庶民から重税をかけてむしりとったか?

で評価が決まる世の中であったのは間違いありません。

私達の生活する社会も、「どれだけ悪事を行ったか?」=成功となっています。

では、薬物の歴史について見ていきましょう。

覚醒剤の歴史を調べると、真っ先に出てくるのが、日本軍の神風特攻隊の写真です。

・・・・・・(覚せい剤の歴史)

 

 

神風特攻隊員は、自爆という特別任務を果たす前に、お茶の粉末にメタンフェタミンを混入して固めたものを与えられました。
神風特攻隊員は、自爆という特別任務を果たす前に、
お茶の粉末にメタンフェタミンを混入して固めたものを
与えられました。 


 

覚せい剤は新しい薬物ではありませんが、製造技術の進歩によって、近年さらに強力になってきています。

アンフェタミンは1887年にドイツで初めて製造され、さらに強力で製造が容易なメタンフェタミンは、1919年に日本で開発されました。その結晶状の粉末は水溶性で、注射での使用に最適でした。

メタンフェタミンは、第二次世界大戦中に広範囲に用いられるようになり、連合国側、同盟国側において自軍の兵士たちを常に覚醒させておく目的で使用されました。

日本では、神風特攻隊の隊員が自爆作戦の前にヒロポンと名付けられたメタンフェタミンを大量に与えられました。戦後になって軍用の供給品が一般の市民に出回り、注射によるメタンフェタミンの乱用は伝染病のような勢いで広まりました。

1950年代にはメタンフェタミンは簡単に入手できるようになったため、大学生やタクシー、トラックの運転手など、夜更かしをする人々に興奮剤として使用され、覚せい剤乱用は一気に広まりました。

「注射1本、錠剤1錠」ですぐに元気になり勇気が湧くとうたわれたこの薬物は、戦後の敗戦による精神的混乱の最中にあった日本においてますます広がりを見せ、1954年のピーク時には、検挙者数は約5万6千人にも達しました。(第1次覚せい剤乱用期)

その後覚せい剤乱用は日本で大きな社会問題となり、1954年と1955年に取り締まりの強化を目的に、覚せい剤取締法の改正が行われました。

この対策により覚せい剤の乱用は沈静化し、1955年頃には日本国内での密造は一掃されました。1970年代には覚せい剤乱用者の検挙者数は再び増え始め、1984年の検挙者数2万4千人をピークに、年間の検挙者数が2万人台の時期が1996年まで続きました。(第2次覚せい剤乱用期)1998年から現在に至っては、第3次覚せい剤乱用期と宣言されています。

この背景として、海外からの大量の覚せい剤の流入、従来の暴力団絡みの密売組織に加え、来日外国人の密売組織が街頭で無差別的に密売することにより、覚せい剤が安価で手軽に入手することができるようになったことが考えられています。またインターネットの普及により、ネット上での密売も横行し、若者がファッション感覚的に薬物を取る風潮も、覚せい剤乱用の広がりに拍車をかけています。

 
 ・・・・・・・・・・(転載ここまで)
<メタンフェタミンは、第二次世界大戦中に広範囲に用いられるようになり、連合国側、同盟国側において自軍の兵士たちを常に覚醒させておく目的で使用されました。>
つまり、戦争とは、覚醒剤を普及させるためのものでもあるといえそうです。
人間は争いごとがあったり、不安なことがあると、それらを沈めることが自力では難しいです。
ですから、鎮静作用のある行為(飲酒、喫煙、性行為)などを通して鎮静を試みます。
しかし、それらのものではとてもじゃないくらい不安や恐怖がとれないとき、極限状態のときに人間はどうするのでしょうか?
「悪魔の産物」=覚醒剤、麻薬に頼るしかなくなるのではないでしょうか?

第2次世界大戦で覚せい剤使用を調べると「黒鳥四郎少尉 ヒロポン」と出てきます。
・・・・・・・(黒鳥 四朗)
(くろとり しろう、1923年(大正12年)2月 - 2012年(平成24年)2月4日 )は、大日本帝国海軍の戦闘機搭乗員(偵察員)。夜間戦闘機(丙戦)月光に搭乗し、倉本十三飛曹長とのペアで本土防空戦を戦い、B-29を6機撃墜した。最終階級は海軍中尉。
(中略)
 
覚醒剤の投与、効果、戦後の副作用

1945年4月後半、ドイツから輸入された「暗視ホルモン」を投与するとの説明が黒鳥・倉本ペアに対して軍医長から行われた。

なお、投与時に副作用に関する説明は行われなかった。

ペアは夜間出撃の際に暗視ホルモンの注射をうけ、この投与は複数回に及んだ。5

月25日も注射をうけて出撃している。

しかしながらこの暗視ホルモンと説明された物質は、中枢神経を興奮させる塩酸メタンフェタミンであり、商品名ヒロポンとして知られる覚醒剤であった。

投与の頻度は頻繁ではなく、夜間空襲の可能性があるときに行われた。

6月以降にはアメリカ軍爆撃機が東京に夜間空襲を行う必要性を失ったため、黒鳥・倉本ペアに対する暗視ホルモンの投与の機会もなくなった。

ヒロポンは当時は「除倦覚醒剤」として流通しており、一般的に、また医務科の兵曹クラスでも有害性は認識されていなかった。

軍医官レベルにおいても毒性・副作用などのデータが充分周知されていたかには疑問が付され、また投与物質が覚醒剤であるとの内容を知らないことがあった。

投与に際しては、技量と戦果を考慮し、実績の少ない黒鳥・倉本ペアが選ばれたと推測される。

他の搭乗員に複数回の投与は行われなかった。

横須賀航空隊は技術的な実験を行う部隊であり、薬剤も任務として同様に試験された。

薬剤とその副作用による人体への被害よりも、投与によるプラス面のみを重視した判断であった。

夜間の視認性に関し、飛行場がどの程度確認できるかを軍医官が質問し、黒鳥少尉はさして変わるところはないと答えている。戦後の取材に際し、黒鳥は覚醒剤の投与効果につき、眠気がなくなり、冷静な判断力とひらめきを得たこと、恐怖心の抑制を挙げた。しかしながら夜間の視認性は向上せず、全体的にさほど影響はなかったと述べた。

黒鳥への覚醒剤投与による異常感覚の発現は、戦後すぐの1946年(昭和21年)初夏から始まり、異常感覚がほぼ消失するには昭和60年ごろと非常な長期間を要した。具体的には尖ったものや手や鼻が自分の目に飛びこむ感覚、微熱と目眩、食欲の減退である。

・・・・・・・・(転載ここまで)

 まあ、本当の話ならとんでもない話ですね。

この話には続きがあります。

・・・・・・・(あなたは知っていますか?日本の軍隊は太平洋戦争で心の高揚に『ヒロポン』を常用させていました

覚せい剤服用)

日本は、1941年大日本製薬メタンフェタミン製剤「ヒロポン」(覚醒剤)武田長兵はアンフェタミン製剤「セドリン」(覚醒剤)を海軍、陸軍に大量に納入しました。

 特効薬として特攻隊員に菓子袋に入れてカジュアルに支給しました。

製品は、「ヒロポン」の周りをチョコレートで包み『菊のご紋章』を付けて納入していました。

 出撃前に注射やチョコレートを特攻隊員に食べさせていました。それを食べた若者は、意気揚々と戦地に出撃し散っていきました。むごい、悲しいことです。これを書くと、涙がでます。

 九州の基地では、1036人の特攻隊員に「アンプル」を投与。国を守るため計6000人が玉砕していきました。悲しい事実です。

精神を高揚させ、人間性を失くす「ヒロポン」は慰安婦問題や、南京事件を起こした悲しい現実があります。

 日本政府は、大日本製薬 武田長兵商店に、覚醒剤の製造中止を勧告、昭和26年(1951年)覚醒剤取締法が制定されました。

西堀貞夫の父、西堀孝一は軍医として特攻隊のヒロポン支給の恐ろしさを知り、軍上層部に進言、ニューギニアの戦地アインで戦死しました。 

この想いが私たちの原点です。患者の会には、この真実を知るたくさんの遺族の方がお見えになります。
映画「永遠の0」では明かせなかった特攻隊員の死の真実。彼らはヒロポンで人間性を失くし玉砕しました。

・・・・・・・・(転載ここまで)

ここで出てくるのが、「大日本製薬 武田長兵商店」です。


「武田長兵衛(たけだ ちょうべえ)は、武田薬品工業の創業家、武田家の当主が代々、襲名してきた名前である。」とあります。

家系図を見ると、親戚に「湯川秀樹」やら「西園寺公望」やら「徳大寺公純」「住友吉佐衛門」やら貴族、皇族関係の方々のオンパレードです。系図で見る近現代28回

つまりは、国家ぐるみで覚醒剤をやらせて、戦争させていたというわけですね。

国策とはいえ、覚醒剤を売って売って売りまくってぼろ儲けした一族とも言えましょう。

覚醒剤やらなければ、常識のある人は人殺しなんてできませんから、それを承知でやらせていた日本軍、そして天皇一族はどれほどおそろしいやつらなのでしょうか?

 

実は、昔も今も変わりありません。

現在、テロリストグループを名乗っているISISなどの連中も派手にドラッグを決めているのです。

・・・・・・・・(シャブ食って、戦争や!野次馬 (2015年11月21日 02:34) | コメント(9))

ISISがシャブ中、という話なんだが、ここでは「アンフェタミン」となっているんだが、メタンフェタミンもアンフェタミン類として分類されるので、メタンフェタミンかも知れない。つまり、覚醒剤そのものです。日本では割と早くから規制されたので、ヤクザとかヤクザのオンナとか限られた連中しかやらないが、タイではトラックの運ちゃんが愛用していて、ガソリンスタンドで売っていた。1錠50円w なので、おいらがエスニック雑貨のバイヤーとしてレンタカーでチェンライとかメーサイの国境までウロウロしていた頃にも、夜は絶対に車を走らせなかった。夜は、トラックがみんなシャブ中ですw 今はさすがに禁止されたようだが。

ISISの戦闘員たちが、気分を高揚させるためにアンフェタミンという薬物を常用している事がわかってきました。
この薬は以前は多動や鬱病の治療薬として使われていましたが、いまではほとんどの国で使用が禁じらています。
常用すると依存性が強く表れるので、1980年から各国で禁止が始まりましたが、中東ではいまだに人気があり、この薬を作って売ることもISISの資金源になっているということです。

シャブ中は行動を見ていると判る。突然、昼間っから寝てしまい、24時間くらい起きないとかw そうかと思えば、何日も徹夜して平気とかw ただし、ナルコレプシーの治療には合法的に使われるので、シャブ中がみんな犯罪者というわけではないがw

・・・・・・・・・(転載ここまで)

日本では、発達障害やナルコレプシーの治療に「アンフェタミン」「メチルフェニデート」が使われます。

要するに覚醒剤です。

そもそも発達障害などという障害はありません。

自閉症は脳の障害ですからいたしかたありませんが、自閉症を発達障害とひとくくりにして「広汎性発達障害」とカテゴライズし、麻薬や覚醒剤を投与する児童精神科医は国賊そのものです。

少し脱線しましたが、生長の家や統一教会、創価学会といった右翼団体がやりたがっている「戦争」とはこういった麻薬や覚醒剤漬けの状態が国内外で蔓延するということでもあります。

彼らは、実際に戦地に行くわけではありません。

戦争で被害者となるのは、これま庶民、国民だけです。

支配層は、人間が殺しあっているのを見て、ほくそ笑んでいるのでしょう。

常識では考えられません。

そして、無残な殺し合いを自分達が仕える悪魔達に捧げて悦に浸っているのかもしれません。


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