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旧精神科医療は思想警察なのか?

選択的緘黙について

2019年12月14日 | 精神科看護

場面緘黙症の私がお店を立ち上げたいと思った本当の理由

喋れるのに喋らない、押し黙ることを緘黙といいます。

以前私が児童思春期病棟で勤務していたころ、選択的緘黙の患者が2名いました。

 

亜混迷の状態で入院してきて、セデーションをかけて疎通が取れるようになると、いろいろと話してくれるようになったのです。

言葉を一つ一つ選びながら、ぽつぽつと話してくれるのですが、その内容がとても不思議でした。

 

二人とも、女の子だったのですが、結局、「なんで話せなくなるのか?」

という話を聞くと、「考え・思考があ止まらなくなるから」だそうです。

 

要するに、「考えすぎてしまって、言葉が出てこなくなる」という理由でした。

実際に、対人関係のスキルは高いのですが、自分の頭だけで考えすぎてしまうと

「相手を傷つけてしまうのではないか」

「結果的に、自分の言った一言で避難されていじめられてしまうのではないか?」

という結論に至ってしまうこともあるそうです。

つまり、「強迫的観念」があるのです。

それが、マイナスに傾いていくと、発語できなくなるのです。

「不安神経症」→「緘黙」というメカニズムです。

 

こちらは、場面緘黙症のブロガーの記事を転載します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(会社で過去のことを話したて会社で活躍したいけれど話せない)

場面緘黙症の人がキツイと思うのが会社に受ける面接です。

私が受けた会社の中では面接なしで内定が貰える企業は1社もありません。

 

それでも努力が実ったのか、100社以上受けてやっと内定も貰えました。

これだけ、受けたんだから会社に対しての愛着も湧き絶対に辞めないぞって意思は強くなりましたね。

 

しかし、会社の先輩たちに本心を伝えることはできませんでした。

それどころか、鬱とかで悩んでしまい益々会社との距離があくばかりでした。

 

それでも、Lineとかのタイムラインで投稿して自分を出したり工夫しましたけれど何も変化はありませんでしたね。

まあ、向こうは不思議に思われたのか二面性があるなって思われたのか・・・。

 

会社の自分と本当の自分とでしたらあまりに違うので益々言いづらかったのです。

何故か言おうとしているのに言えなくなるのです。

 

あの時は、自分自身の問題かと思っていたけれど、まさか場面緘黙症というのがあるのは夢にも思っていなかったな・・・。

 

・言い難い環境が場面緘黙症の原因


場面緘黙症の原因は言い難い環境があると思います。

 

1度でもあるとそれが当たり前と思いこみずっと話せなくなるのです。

 

私が20歳ぐらいの時に200人ほど来るゲームのファンサイトを作り、同人ゲームを売っている人にネタわれたことがあります。

おそらくその人、自己愛性人格障害があったのかもな・・・。



ずっと2年間のび太だと思っていた奴がのび太でなかったのでムカついたと・・。

これが場面緘黙症になった原因かもしれません。

ある一線から急に自分のことを話せなくなったのもここからだと思います。

 

私の例ですと、面接や周囲にPRする時に成功を示す方法が難しいのです。

アスペルガー症候群もあるので表現力に乏しく場面緘黙症を発症しやすかったのでしょうね。

コミュ症の私達にとって前に出るのが難しいのです。

これ以上話すとまたネタまれてしまうと思い急に口が開けなくなる。

 

最後に・・・
私が場面緘黙症だという確信は正直なところありません。

5歳の頃から発症すると言われているので矛盾しているところもあります。

 

実際に大人しかったのは言うまでもないのですが完全に症状がはっきりしたのは20際になってからでした。

だから違うと言えばそれまでだし逆に若い時には場面緘黙症になるほど話すモノがなかったから分からなかったと言えばそれまでのことなのです。

 

私はHPでアクセスを上げた力があるのに会社で活かすことが出来ませんでした。

本当の理由もまだ分かっていないと思います。

口に出す努力をお店で練習もしたいです。

 

私は影でいい。

ただ、発達障害の明るい個性が当たれば影も自然と濃くなる。

 

成功した理由がデザインやプログラム技術でないのならお店でもできるはずだ。

だから、お店やHPも含めていろんなところで活躍したいのです。

 

今後ともこのことは定期的にブログに書いていきたいと思います。

まだまだ知られていないので分からないことばかりですが果たして・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

1度でもあるとそれが当たり前と思いこみずっと話せなくなるのです。』

ある一線から急に自分のことを話せなくなったのもここからだと思います。』

5歳の頃から発症すると言われているので矛盾しているところもあります。』

引用先のブログ著者の選択的緘黙は『対人恐怖』です。

 

色々な誘発要因はあると思いますが、他者かの攻撃、誹謗中傷に対しての恐怖感が、発語という機会を奪ってしまっています。

確かに、ペラペラ自分のことを話せるひとは、無警戒でありながらも、自己開示をしている分、周囲から警戒されにくいです。

 

ですから、自分からコミュニケーションをとっていかないと、周囲からは

「押し黙っていて、何を考えているか分からない。不気味な奴だな」

と思われてしまいます。

 

実は私も、選択的緘黙があります。

というか、必要以上に他人と話しません。

話そうと思えば話すことはできるのですが、他人と話す事が苦痛に感じることがあるため、できれば話したくないのです。

 

特に、以前は「人生において、人脈造りが一番大切だ」と考えていた時は、やたらと話しかけ、Facebookなど繋がりを作っている時期がありました。

しかし、実際、これらの関係はあくまでもビジネス関係だけのもので、プライベートで会いたいと思う人は少ないのです。

芸能人やスポーツ選手は、人脈や交友関係をひけらかします。

やたらとツーショット写真をとったりしています。

しかし、これは極めて希薄な人間関係でしかありえません。

確かに、人脈があると、ある時は助けてもらえるかもしれません。

しかし、人脈やコネを使って得たメリットは、必ずお返ししなくてはならないのです。

 

ですから、場面緘黙症のこのブロガーの方の意見、まっとうだと感じます。

確かに、コミュニケーションスキルが高くないとできない仕事は多く存在します。

しかし、世の中、そういった仕事ばかりではありません。

独り、黙々と仕事をすることだってできます。

 

口先だけの人もいますし、口は禍の元という諺があるように、しゃべりすぎ、お喋りなのもどうかと思います。

対人関係において、失敗すれば、確かにマイナス面は存在します。

しかし、主張する部分は主張しないといけないときもあります。

 

主張するには、対人関係において、「摩擦」や「争いが生じる惧れ」があります。

そういったものにどうやって立ち向かっていくのでしょうか?

アサーティブコミュニケーションや認知行動療法などがありますが、そんなものよりも人間の心を強くするものが存在します。

 

「相手も所詮、同じ人間だ」

つまり、人に頼らない生き方をすれば、必要な人だけが集まってくるという考え方です。

そして、人脈やコネで生きていくことを捨てれば、本当に素晴らしい人生が手に入ると思います。

RAPT有料記事298(2018年7月30日)この世に楽して成功できる方法は一つも存在しない。真の実力を身につけた者だけが成功できる。

学歴、国家資格、経歴、それがなんだ?というくらい、自分の得意分野をコツコツと伸ばしていく。

近道はしない。

とにかく、空いた時間は、娯楽に溺れることなく、自分の個性才能を伸ばすことに費やせたら、10年もやれば物凄いものになるでしょう。

 

人に頼らない生き方。

一人で生きてく喜び。

RAPT有料記事301(2018年8月11日)仕事の中にこそ恵みがあり、幸せがあり、喜びがあり、生き甲斐があると悟りなさい。

社畜になるわけではない。

個性才能を伸ばして一人で生きていく。

 

緘黙があろうがなかろうが、心の問題は意外な形で解決するのです。

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