“患者に虐待”の滝山病院 東京都が病院側に対し初めて「改善命令」 当初虐待について「寝耳に水」と話していた院長は…【news23】|TBS NEWS DIG
日本人は「精神病」のイメージが「暴れている」「訳の分からないことを叫んでいる人」というイメージを持っています。
「精神錯乱者=精神病患者の日常」突然わめきだすという感じでしょうか?
しかし、実際は理由は様々ですが、結果として
「働かなくなって、社会から逃げた人たち、孤立してしまった人たち」なのです。
以下に精神病院に入院している人達や、未だに精神医学が医療として存続している理由を3つ列挙してみましたので順番に見ていきたいと思います。
①脳機能が異常な人はいない(医現病だらけの精神病患者)
実際に精神科病院に入院している人達は、若くして家庭内トラブルを起こし、誰にも助けてもらえず、警察沙汰にされて、事件性がないとして、「じゃあ、精神科病院にでも入院させておきましょう」と、無責任な診断名をつけられて、一生治らない不治の病をもつ患者として精神科病院で10年以上過ごしている人達ばかりです。
(その一例については以下の動画をご覧ください)
ひきこもり支援うたった「強制連れ出し」「強制入院」は違法~引き出し屋、精神科病院に賠償命令~ #ひきこもり #引き出し屋 #医療保護入院 #精神科病院
不治の病ですから、病院も治らないものとして、今ある治療法を継続しているだけ。
若くして、社会から排除され、働くことや人間関係を作ることという社会性の訓練をしていないため、能力や意欲が低下していき「社会参加できなくなってしまう」という、医療が原因で不安が強くなる「医現病」「社会的入院」が蔓延しています。
②精神科特例制度によって、儲かる精神病院経営の実態
1950年代に、武見太郎は精神科病院を増やすために、低利子で病院が開業できる、医療金融公庫という法律を作りました。
さらに、スタッフが少なくても精神科病院だけは診療報酬を支払いますという、経営が有利にできるように、精神科特例という制度を作りました。
この頃、海外では「精神科医療は単なる人権侵害だ」と言われ、「精神科病院は不要。精神病院を社会から無くそう」という動きが盛んになってきました。
世界的な流れと逆行して、精神病院を増やしていった日本医療。
武見太郎
— 五十嵐勉 (@ttmikrs) October 13, 2023
通称:けんか太郎
この男が現代日本の薬漬け医療利権を
構築した張本人の1人‼︎
1961年には全国一斉休診運動を
強行するなど、厚生省の官僚との
徹底的な対決をも辞さない姿勢で
医師会地位を確固たる物にした。
日本の当たり前とされてる医療は
医療保険制度により手軽に病院へ… pic.twitter.com/f73MDnlSbp
③汚い物には蓋をする文化(政治家たちが敗戦の汚点を隠す目的)
その背景には、第2次世界大戦で敗戦した日本の経済不安、社会不安や、戦後帰還兵が、戦争で薬物依存、アルコール依存やPTSDになってしまい、犯罪予備軍となってしまっている現状を、入院保障という形で終息させる目的がありました。
以上の3点から、戦後敗戦によって生み出された病気でもない人たちを、犯罪予備軍、治安を乱すホームレス対策として、社会が受け入れる必要が出てきました。
しかし、犯罪予備軍の人たちを収容したり刑罰を下すことは、「人権侵害」になります。
ですから、存在しない精神病名を精神科医がつけて、治療という名目で一生隔離収容することで、予防拘禁することを政治家たちは考え出しました。
「予備刑務所」による社会防衛です。
第2次世界大戦という政治失敗を批判されないような受け皿のシステムが戦後1950年代からでき始めました。
そして、そのシステムに便乗してきた民間精神病院経営者たちが「治療ゴッコしていれば莫大な診療報酬を得られるシステム」によって莫大な資産を築けることが分かったのです。
日本医師会名誉会長武見太郎曰く「精神病院経営は牧畜業」と言わしめました。つまり「精神科医療は医療ではない」と暴露しているのです。
日本の精神科病院数は戦前は1万床未満でした。
これは「私宅監置」という座敷牢制度くらいしかなかったからという理由で、日本の精神科医療が遅れていたわけではありません。
「変わり者」「村八分」の人も社会で面倒をみる、仕事を割り当てたり生活保障するという、「社会的包摂」がされていたのです。
つまり、本来、精神科医学は病気ではいため「治療の対象」ではなく、「政治や文化といった社会が引き起こす問題」であるため政治と福祉が担う分野なのです。
ですから、精神病は原因不明の不治の病ではありません。
そもそも病気ではないからです。
医療現場で、虐待がなくならないのは、医療スタッフたちが、病気でもなく、治療の対象でもない人の生活の面倒をみなくてはならない無力感とストレスがある「①やっつけ仕事」であること、
死ぬまで人権侵害を受ける「②患者側のフラストレーション」とがぶつかる時に起こるものだと思います。
これは「監守と囚人」の関係と同じです。
(岡崎警察署で起こった、留置場での被疑者虐待問題)
留置場で男性死亡 複数署員が暴行か 愛知・岡崎警察署
これらの社会的問題を解決するためには、社会が正常に変わる必要があります。
人間にとってどのような社会が望ましいのでしょうか?
答えはRAPTブログにあります。
『RAPT有料記事803(2023年1月6日)人間は神にかたどって作られたから、神のように生きることが楽だし、自然だし、幸福だ。https://rapt-neo.com/?p=59251』
こういった不公平や不平等がなくなる社会が1日でも早く訪れる事を心からお祈りしています。