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旧精神科医療は思想警察なのか?

精神科看護とは依存させることが極意だ。ブログテンプレート変更 価格コムのレビュアーについて

2018年01月12日 | 精神科看護

今回、ブログテンプレートを変更いたしました。

以前のデザインは赤紫であったため非常に読みづらいと感じたためです。

 

さてここ最近、本当に情報にアクセスしやすくなり買い物で間違うことが少なくなりましたね。

特に、価格.comのレビューとアマゾンのレビューを見れば、商品の概要がつかめます。

物欲が強くなりすぎてはいけませんが、生活が便利になる豊かになるものを受けられる時代に

生まれたことを感謝しなければなりませんね。

昭和生まれの私からすれば、便利な時代になりつつありましたが、やはりアナログであったため

現代のスマホの技術や光インターネットにはいつも驚かされています。

しかし、科学技術は進歩していますが、相反して文化は退廃していきている気もします。

 

話を元に戻すと、私が臨床で勤務していた頃、18歳の男性の高校生が物質依存つまり薬物依存で救急扱いで入院してきました。

 

・本来、精神科救急は隔離室スタートなのですが、離脱症状もなく、病棟ルールも守れるし、他患とのトラブルも無い。

・若い患者が好きだったので本当によくコミュニケーションをとりました。

・裕福な家庭で経済的には何不自由なく生きてきた

・母親の血筋が土地持ちで、繁華街でラブホテルを経営している

・父は母方に養子に来て、経営者をしている

・両親が会話しているのを最後に見たのは、記憶の範囲で小学校低学年だった

・両親の不仲は感覚的に子ども心からもわかり、

小学生時代から欲しいものは全て買い与えられていたが何をするにも寂しさがつきまとい

満たされない日々が永遠に続く感覚に襲われた

・中学の音楽の教科書でビートルズの[Let it be」を聴いて、ビートルズに心酔する。

深みにはまっていくと、彼らが薬物をやっていたことを知る。

そして、LSDという曲にはまり、麻薬に対しての興味関心がとまらなくなる

・中学2年には、興味本位で危険ドラッグをネットで購入し使用

・風邪薬を飲んでから危険ドラッグを使うと、ぶっとぶことが解った。

 危険ドラッグをキメて、自転車に乗ると、空を飛んでいるような高揚感があり、そのときだけは

自由になれる気がした。

・あるとき、1年ほど使用していると、突然落ち込みがとまらなくなってしまった。

何もする意欲が湧かなくなり、生きていく気持ちがなくなってしまった。

両親に告白し、DARCに通所するも、人間関係が酷すぎてすぐに脱会。

・自宅でODによるSMV、夜間救急にかかるが依存症の治療の必要があり、紹介され

精神科救急に医療保護入院

 

とにかく、好奇心から薬物依存までいってしまう世代ですね。

 

ビートルズが好きで、やはり最後は麻薬までいってしまったようです。

今回、精神科看護の極意は依存させることだと題名に書きました。

精神科の教科書にはこれを治療的関わりと書いてあるのですが

本当の治療的関わりではありません。

看護の目的は何でしょうか?

究極的に言えば、「幸せになってもらうこと」です。

しかし条件つきです。

「疾患、病気を抱えながら、幸せに暮らしてもらうこと」です。

では、その目的を達成するためには、どういう目標を立て、達成していく必要があるでしょうか?

「病気、疾患をセルフケアする=自立=自己管理できること」

なのですが、ここで但し書きがあります。

「健康保険、福祉サービスなどの社会資源を使いセルフケアできる・自立する」

ということです。

究極すると、看護は医療と違い、完治、根治を目的としていません。

「病気があっても、それなりに楽しく、生きがいを持って生きられる」ことを手助けする仕事です。

どちらかというと

「ハンディキャップ、障害を抱えながらも、その人が自立して生活できる」

という福祉に近いです。

福祉はソーシャルアクションなどを通して、社会を変えていくことが最終命題となりますが

看護は現実的に医療につなげ続けるのがビジネス的な役割にもなってきますね。

特に、精神疾患を含め慢性疾患を持つ人は、自分の考え方や生き方を変える気がないため

絶対に病気や疾患を克服することができません。

正確に言うと、全て周囲のせいにするため、克服する気がありません。

ですから、医療制度、福祉制度=公的制度、つまり税金に守られて生きていくしかありません。

看護における自立=セルフケアとは、

「国、自治体などの公的制度に上手に依存して生活して、それなりに幸せを感じる生き方をしてくださいね」

ということなのです。

特に、精神病、精神障害って、「脳」の問題ですよね?

つまり、「考え方の問題」なのです。

SSTや認知行動療法などが比較的有効なのは、考え方を変えましょうねという練習をするからです。

しかし、根本から変わるわけではありませんし、そもそもSSTのトレーナーやCBTの講師が、ダメな人も多く

裏と表がある人のいうことなんて誰が聴くでしょう?

誰が心から受け入れようと決心するでしょうか?

「このトレーナーのように生きたい」

と感じられたら考え方は変わるかもしれませんが、そんな人に私は出会ったことがない。

なぜなら、トレーナーも大なり小なり欲に執着して生きているからです。

患者がいないと食べていけない、依存させないと仕事がなくなってしまう人達だからです。

「本当の救いを確信していないから」かもしれません。

(実際問題、現実的な本当の救い、完治はありませんし)

 

ですから、どのようなカテゴリーでも同じですが、看護というのは

自立、セルフケアーを表では掲げておきながら、

常に「ただし、医療福祉を上手く利用して(=依存して)」という例外が存在する役割となるのです。

 

私の臨床時代には、BPDの看護師がいて、BPDの患者を操作して、シゾの患者を攻撃しまくり、問題を起こさせ

隔離室送りにしていた輩もいましたよ。

酷いときには、患者を操作して特定の看護師を攻撃させていましたし。

 

つまり、精神科看護は、どれだけ多くの患者を依存させ、自分側に取り込むか?が実践的看護力なのかもしれませんね。

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