凄く疑問に思うことがありました。
こどもはなぜか、恐竜が好きになります。
しかし、恐竜は、これはあくまで感覚的なのですが、架空であり、想像の範疇での生き物だと推測します。
子どもが恐竜のことが大好きになり、恐竜の図鑑を買いました。
その中には、恐竜に関するDVDが付属しており、むしろそちらの目的で図鑑購入をしました。
早速そのDVDを見てみると、ひたすら弱肉強食の世界、恐竜が殺し合いをし、負けた方が食べられるというシーンばかりが映されてました。
これは、かなり意図的な作りな内容で、正直、スプラッター物のホラー映画のように感じ、子どもの目を覆いました。
何かと戦わせ、殺し合わせるのだなぁと不快に思いました。
この映像を見たこどもは、自分がティラノサウルスになり草食獣を噛み殺す、ラプトル系の恐竜になり、集団で草食獣を襲い蹂躙するという残虐なシーンが脳裏に焼きつくのだと感じます。
同種間で殺し合いや騙し合い、裏切りをするのは、現代の人間だけです。
重い罪により、完全な善なる存在の神様から離れてしまった、人間だけが、富や地位、名誉、異性、金銭のために、人間同士で殺し合いをする。
人間社会だけが弱肉強食なのです。
自然界を見ると、動物達には人間と違い自由意志がありません。本能のみで生きているため、余分に蓄えることもなく、不要に縄張りを広げたり、余計な争いをしない、そして自分の存在しか、興味関心がない、完全に個として独立していると感じます。
生きることしか興味がなく、人間のようにいたずらに快感や欲望を追求し続けることがありません。
富の偏りもなく、むしろ富の偏りが自然界のバランスを崩壊させることを本能的に知っているかのようにお互いのバランスをとりながら生活しているように思えます。
そのような視点から見ると、現代人は欲望を叶えることが素晴らしい生き方で、それこそが自己実現だと思い込んでいます。
そして、それこそが幸せに道なのだと。
欲望には際限がなく、足りなくなれば持っている者から奪ってでも欲しくなってしまう。
そして、その欲望を満たす為に、お金、貨幣が必要で、お金を得る為に会社に奴隷なようにこき使われ、人生の大切な時間を企業に奪われていきます。
そして、肉の最期、つまり人生の終わり、臨終に差し掛かる時、『あぁ、私の人生は一体なんだったんだ…汗、死ぬ間際まで肉体の苦しみから逃れられず、死んでからの世界もどうなるのか、向き合ってこなこった、怖いホントに怖い、本当はどう生きるべきだったのだろうか?あの世にはこの世の名誉や富は持っていけない、あれ程時間を費やし、家族や親戚を犠牲にし、他人をこき下ろし、騙し、奪ってまで手に入れてきた名誉や富は持っていけない。
本当はもっとすべき事があったのではないか?結局、世の中が勧めてくる欲望を満たすことだけをしてきて、自分が何のために生まれてきたのか、考えることから逃げて来たのか?』
このように、満足せず、不安と絶望の気持ちだけで肉体が朽ち果てていき、魂だけが残ります。
恐竜のDVDを見ると、極めて肉的で人間的な、製作者が意図した恐竜界の縮図が反映されてます。
その内容が、自然界とは反して人間的な弱肉強食であるから、『恐竜は嘘だ』と直感的に感じたのです。
まぁ、子どもの好むものなど、親御が決められませんから仕方ないのですが、やはり幼い子どもの周りも不自然なものが沢山あるのだと感じます。
こどもはなぜか、恐竜が好きになります。
しかし、恐竜は、これはあくまで感覚的なのですが、架空であり、想像の範疇での生き物だと推測します。
子どもが恐竜のことが大好きになり、恐竜の図鑑を買いました。
その中には、恐竜に関するDVDが付属しており、むしろそちらの目的で図鑑購入をしました。
早速そのDVDを見てみると、ひたすら弱肉強食の世界、恐竜が殺し合いをし、負けた方が食べられるというシーンばかりが映されてました。
これは、かなり意図的な作りな内容で、正直、スプラッター物のホラー映画のように感じ、子どもの目を覆いました。
何かと戦わせ、殺し合わせるのだなぁと不快に思いました。
この映像を見たこどもは、自分がティラノサウルスになり草食獣を噛み殺す、ラプトル系の恐竜になり、集団で草食獣を襲い蹂躙するという残虐なシーンが脳裏に焼きつくのだと感じます。
同種間で殺し合いや騙し合い、裏切りをするのは、現代の人間だけです。
重い罪により、完全な善なる存在の神様から離れてしまった、人間だけが、富や地位、名誉、異性、金銭のために、人間同士で殺し合いをする。
人間社会だけが弱肉強食なのです。
自然界を見ると、動物達には人間と違い自由意志がありません。本能のみで生きているため、余分に蓄えることもなく、不要に縄張りを広げたり、余計な争いをしない、そして自分の存在しか、興味関心がない、完全に個として独立していると感じます。
生きることしか興味がなく、人間のようにいたずらに快感や欲望を追求し続けることがありません。
富の偏りもなく、むしろ富の偏りが自然界のバランスを崩壊させることを本能的に知っているかのようにお互いのバランスをとりながら生活しているように思えます。
そのような視点から見ると、現代人は欲望を叶えることが素晴らしい生き方で、それこそが自己実現だと思い込んでいます。
そして、それこそが幸せに道なのだと。
欲望には際限がなく、足りなくなれば持っている者から奪ってでも欲しくなってしまう。
そして、その欲望を満たす為に、お金、貨幣が必要で、お金を得る為に会社に奴隷なようにこき使われ、人生の大切な時間を企業に奪われていきます。
そして、肉の最期、つまり人生の終わり、臨終に差し掛かる時、『あぁ、私の人生は一体なんだったんだ…汗、死ぬ間際まで肉体の苦しみから逃れられず、死んでからの世界もどうなるのか、向き合ってこなこった、怖いホントに怖い、本当はどう生きるべきだったのだろうか?あの世にはこの世の名誉や富は持っていけない、あれ程時間を費やし、家族や親戚を犠牲にし、他人をこき下ろし、騙し、奪ってまで手に入れてきた名誉や富は持っていけない。
本当はもっとすべき事があったのではないか?結局、世の中が勧めてくる欲望を満たすことだけをしてきて、自分が何のために生まれてきたのか、考えることから逃げて来たのか?』
このように、満足せず、不安と絶望の気持ちだけで肉体が朽ち果てていき、魂だけが残ります。
恐竜のDVDを見ると、極めて肉的で人間的な、製作者が意図した恐竜界の縮図が反映されてます。
その内容が、自然界とは反して人間的な弱肉強食であるから、『恐竜は嘘だ』と直感的に感じたのです。
まぁ、子どもの好むものなど、親御が決められませんから仕方ないのですが、やはり幼い子どもの周りも不自然なものが沢山あるのだと感じます。
この世も捨てたもんじゃないと思いました。