三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

栗谷殿切城

2020-09-02 21:46:58 | 古城巡り

 

城名
 栗谷殿切城
読み
 くりやとのきりじょう
住所
 大台町栗谷193
築城
 大永年中(1521~1527)
形式
 山城
遺構
 台状地、堀切
城主
 谷内蔵之丞(たにくらのすけ)政教 (栗谷氏)
一族
 北畠家臣
標高 230m 比高 63m
経緯
 谷氏が入境の時は誰も住んでいなく、草木茂り、道細く、山賊が横行し往来する旅人を苦しめた。国司北畠氏は谷内蔵之丞政教に山賊討伐を命じた。谷氏は山城を築き、家来六人を召し連れて山賊討伐の任に着いた。
 谷氏は栗谷三里四方と松阪領の八重田、深長、鎌田を与えられている。(栗谷過去帳より)
歴史
 天正4年(1576)(注1)、谷内蔵之丞政教は北畠具親に与力して義兵を発す、と勢陽五鈴遺響にある。
書籍
 三重の中世城館     史跡・名称・天然記念物・基本調査報告 郷土の文化遺産 宮川流域の遺跡を歩く(田村陽一著)
環境
 宮川と櫛田川を結ぶ間道沿いにある。この道の歴史は古く、古代には開かれ京に通じていた。中世においては熊野灘でとれる魚介類や塩を内陸部に運ぶ”鯖街道”として重要だった。吉野南朝への流通路としても重要だった。
現地
 伊勢国司北畠氏の祈願所・霊符山太陽寺の裏山が栗谷殿切城である。
 この城より南1kmの所には、出入り口を抑えるかのように栗谷赤坂城が築かれている。
 背後の尾根の続くところに堀切が残る。
考察
 山賊を退治するための城砦ということからか、曲輪と堀切の簡素な造りである。
感想
 車を置いてから太陽寺を通過して山頂まで距離は短いが、狭い足の置場と急傾斜に戸惑う。
注1
 天正4年(1576)北畠具教が謀殺された年。
地図

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