三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

牧城

2020-09-08 09:40:10 | 古城巡り

 

城名
 牧城
住所
 多気町牧/鍬形
築城者
 岡惟家(これいえ)
形式
 山城
遺構
 曲輪、竪堀
城主
 岡惟家 - 小四郎(注1)
標高 96m 比高 47m
歴史
 北畠家家臣
経緯
 1576年か1577年に北畠教具と同時期に死去。
書籍
 ○勢陽五鈴遺響
 「同所ニアリ岡小四郎住セリ北畠家臣ナリ」(p209)
 ○三重の中世城館 ○三重県の城 
 「多気郡多気町字前街道 中牧集落の南東250mの山頂にあったとされる城で、北畠氏の被官岡氏の居城という」
 ○多気町史
 「鍋倉峠南側に標高100mの山があり、その山頂に城跡がある。「伊勢名勝志」には北畠氏の家臣岡惟家(これいえ)此ニ居リ近郷ヲ所管ス。小四郎ナルモノニ至リ、天正中北畠具教三瀬ニ殺セラレル時之ニ死ス。其の子孫今本村ニ存ス」
 また、「山頂には狭い平坦地があるだけである。峠の西入口麓付近を扇の館といい、今も小四郎を子孫とする岡氏宅がある。多分この辺りに居館があったのだろう」とある。
環境
 櫛田川が北に大きく湾曲する原因の尾根が牧の地を南北に横たわる。その尾根の真ん中あたりを伊勢本街道が東西に突っ切っている。まるで自然の関所ようだ。
 この鍋倉峠の南側の丘頂に城跡はあるが不整形な削平地と北側にある竪堀だけで完成度は低い。
現地
 浅間山が祀られていたようだが今は石仏も峠の際に降りてきて山頂へ人の訪れる様子はないようだ。
 この尾根からは東も西も視界は効くので見張台にはもってこいの所である。峠の北側の尾根には削平地や周辺の高まり等、見張台的な様子が伺える。
考察
 扇方の地形は地図上で今でも見られる。
注1
 飯高の谷野城の城主が「岡小四郎」と云われるが両者の関係性を解いたものはない。
地図



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