ぽん・ぽん・ポンちゃん

慢性腎不全でもがんばる猫ポンちゃんと、飼い主の親子のいろいろなお話

宇宙を歩く猫

2008-03-27 00:24:30 | Weblog
アニマルコミュニケーションに関して
ずっと半信半疑だった私。
他の方のブログでセッションの内容を
何度か拝読する事もあった。
当たっていると言えば言えるし、
誰にでも当てはまる内容とも言えなくもないし、
動物からのメッセージが半分くらいで
コミュニケーターさんの想像が半分くらいなのかなぁ
と漠然と思っていた。

先日、ポンちゃんはまだ猫の集合意識体に戻らず、
個の魂として存在している事がわかったので、
もしAC(アニマルコミュニケーション)をお願いするなら
今ならまだコンタクトが取りやすいのだろうと
急にセッションを申し込みたい気持ちになった。

それで先週の水曜日、電話でのセッションをお願いした。
メールなどであらかじめ質問を送っておいて
適当な時間にセッションをしてもらって、
後で結果をメールで送ってもらうという方法とは違い、
その場の成り行きで聞いて欲しい事を伝えながら
進めてもらうという方法だった。

ちょっと待ってくださいね…と言われ、
コミュニケーターさんがポンちゃんを呼び出しているので、
何だか電話の向こうに本物のポンちゃんがいるような感じ。
その場で色々としゃべりながらのセッションだったので
うまくメモも取れず、以下、私の記憶の一部分。

私「ポンちゃん、今はどんな調子ですか」
コ「見せてくれるのは、ソファに極楽、極楽…という感じで
  ゆったり座っているビジョンです。
  僕はお行儀が良いのが自慢なんだと言ってます」

(た、確かに…。
 ポンちゃんはいつも前足をピタッとくっつけて座っていた。
 両足の間が1ミリだって空いていた事はない。
 人間の食べ物をねだって、膝に手をかけた事もないし、
 にゃーとすら言わず、ピタッとしたお座りの姿勢のまま、
 下からじっと見つめるだけ)

コ「いちごさんが沢山のお花をいただいて喜んでいるので、
  その事が自分も嬉しいそうです。特に茎の先に大きめの
  黄色い花がついている花が好きだそうです」

(黄色いラナンキュラスの事かな?)

私「ポンちゃんはどんな風に過ごしているの?」
コ「見せてくれるのは、宇宙の中を
  トコトコ歩き回っているビジョンです」
私「えぇっ? う・ち・ゅ・う ですか? 
  虹の橋と言われている所ではなくて?」
コ「そうです。あの良く写真で見る星がいっぱいの宇宙を
  ポンちゃんがどんどん歩き回っている所を
  見せてくるんです」
私「てっきり、ポンちゃんは他の動物達と一緒に
  お花畑みたいな所で過ごしているのかと思ってました。
  じゃ、ひとりなんですか?」
コ「聞いてみますね。あ、キリンを見せてきました」
私「え? キリン?」
コ「はい。でもポンちゃんはリアルなポンちゃんなのに
  キリンは水彩絵の具で描いたような絵のキリンなんです。
  このキリンと一緒にいるそうです」

ここで、このやり取りの意味がわかったおばさんは
涙がドバーッと出てしまった。

その後、コミュニケーターさんは、ポンちゃんの事を
「猫でないようなとにかく不思議な子」と繰り返し言い、
うまく当てはまる言葉がないけれど「猫の魔法使い」、
「猫のサイキック」と言ってもいいかも知れないと
言っていた。
人間の心の中を読みとる事が出来て、テレパシーで話せる。
対面でのアニマルコミュニケーションも行っていて、
そういう練習の場も設けているコミュニケーターさんなので、
もしポンちゃんが存命で、近所にいるなら
毎週でも練習にお借りしたい猫さんだと言っていた。

ポンちゃんは人間で言ったら、若い無口な二枚目俳優。
ACで、「それでさぁ~、これこれこうで、べらべら…」
としゃべる猫さんとか、ぽつりとしゃべる猫さんとか、
色々いる中で、ポンちゃんはほとんどの質問に言葉でなく
ビジョンを見せて答えてくると言っていた。
たまに喋っても、その話し方が
「僕は○○だから、○○したかったのです」みたいに
教科書を棒読みに読んでいるような話し方だそうだ。
ポンちゃん、生前から全然鳴かない猫だったからねぇ。
声を出す事なんて、5日に1回もなかったんじゃないだろうか。
やっぱり、お喋りが苦手だったんだ。

ポンちゃんは、生きることを諦めたわけではなく、
死を受け入れたと言っているとも言われた。
死は始まりだと思っているとも。
最後に入院させた事をポンちゃんが怒っているのではないか
と聞いてみると
「後悔するな。気にするな」と言っていた。

*****

キリンの話しで、このACがまんざら適当でもないなと
感じられて、聞いて良かったと思えた。
実はACの数日前に、ばあやとりんごに何気なく
「今頃、ポンちゃんどうしているのかなぁ」
と言ったら、
「きっと、宇宙をトコトコ歩き回ってるよ」
とりんごが答えたのだ。
「どうして宇宙にいると思うの?」と驚いて聞くと
「だって、ポンちゃん宇宙に行った事がないから
 行ってみてるんじゃないかと思った」
という子供らしい答え。

虹の橋と呼ばれる所にいると思っていた私は
「宇宙じゃなくて死んだ動物達がいる虹の橋っていう
 お花畑みたいな所で楽しく遊んでいるんだよ。
 そこには犬や猫だけじゃなくて、
 キリンなんかの他の動物もいるんだって」
と説明した。でも、私だって虹の橋が本当にあるのか、
どんな所なのか、ちゃんと知っているわけではない。
以前、どなたかのブログで見たのか、
はたまたそこからジャンプしていったサイトで見たのか、
虹の橋という詩とイラストが頭に残っていた。
そのイラストには、なぜかキリンが描かれていて
(へぇ~、ペットだけじゃなくてこんな動物まで…)
と、妙に印象に残っていたのだ。

そして、今回ポンちゃんが答えてくれた、
「宇宙でキリンと一緒にいる」という事。
りんごと私の頭の中のイメージを読みとっていて、
こう言えば安心してくれるかも知れないと
気を遣ってくれたのかなと思えた。
「りんごちゃんは、僕が宇宙を歩いていると思ってる。
 そしておばさんはキリンと一緒にいると思ってる。
 安心してくれるなら、そういう事にしておこう」
なんて…。
でも、ポンちゃん、本物のキリンを知らないから
コミュニケーターさんに見せたビジョンが、
おばさんがネットで見たあのままの絵のキリンに
なってしまったんだね。
亡くなってからも、おばさんの事を考えてくれて
ポンちゃんの方がずっと大人で心が大きくて、
なんだかまだお世話をかけているね。

私たちの心の中のビジョンを見ていた事。
これはコミュニケーターさんの言っていた
テレパシーが使える猫という事を裏付けていた。

私「ポンちゃんは、どんな事が楽しかったの?」
コ「おばさんが、良くいろいろ想像していたので
  一緒になって想像するのが楽しかった、なんて
  言ってますよ。私にはどういう事なのか
  わからないんですけど、そうなんですか?」

そう。
この受け答えにも、すごく心当たりがあって、
やっぱりポンちゃんが生前も私の想像の中を見て
行動していたのかって感じ…。

続く。


※りんごが想像していた事を絵に描きました(上)。
 下はばあやの絵。ポンちゃんとキリンは
 すっかり仲良しに?

ポンちゃんは待っている

2008-03-17 02:58:23 | Weblog
猫友さんの何人かはレイキが使えて
実際に猫さんをヒーリングしていたので
自分にも出来ればなぁ…という思いが
少し前からあった。

それで、色々と調べているうちに
知り合いになったレイキマスターの方が、
ポンちゃんが亡くなった時に
「一週間後くらいに聞いてくれれば
 ポンちゃんの(魂の)現状を調べます」
と申し出て下さった。

そして昨日受け取ったメール。

ポンちゃんは猫の集合意識体へ戻る事を選ばず、
飼い主が亡くなるまで健気に待って
再会することを望んでいるようです

と書かれていた。
いちごおばさん、もうもう号泣で
オオカミの遠吠えかっていうくらい
ワオンワオン泣いてしまった。

通院、輸液、投薬、強制給餌、
最後の2年間は嫌な事ばかりがたくさんあったはず。
その前だって子猫時代から、
ずっとお留守番猫で淋しく過ごしていた。
ばあや、りんごが生まれてからは育児に追われて
今度は二の次にされて、
決してずっと幸せだったとは言えない猫生だったのに
それでも待っていてくれるなんて。
本当に本当に嬉しくて、
ポンちゃんどこまで優しいんだろうって、
おばさん泣けて仕方なかったよ。

でも、ふといつもの心配癖が頭をもたげて
私が行くまでって、何十年? そんなに長い間、
ポンちゃんは待っていて大丈夫?
と不安になった。

「ポンちゃんを心配することで
 ポンちゃんを心配させてしまうことは
 ポンちゃんの決断に愛で応えているとは言えないと思います。
 ポンちゃんが喜ぶ生き方とはどういったものかを
 考えてみるのも良いかもです。」

とうのがレイキマスターさんからいただいた答え。
(これを読んでいたら転載ごめんなさい)

おばさん、目がさめた気がした。
ポンちゃんは勇気を持って行動して
色んな事を命がけで教えてくれようとしているのに
いつもおばさんの不安な心がそれを見えなくしているんだ。

虹の橋の雨降り地帯の話しもたまたま読んで、
あまり悲しみの涙も降らせないようにしようと思った。
ポンちゃん、早く暖かくて明るい場所に行くんだよ。

ところで今日、玄関のドアポケットに
「夜中に大声で歌の練習をしないで下さい」と
書かれた紙が入っていて…。
この建物の全戸(20軒くらい)にこのビラを入れます、
とは書かれてたんだけど、気になる。

夜中に聞こえるその歌って、もしかしたら
「うわぁぁぁ~~~ん、ポンちゃーーーん!
 どうして、いないのおおおおぉぉぉ!」
っていう風な歌かも知れないから…。

転院

2008-03-15 03:36:07 | Weblog
最後の数日、色んな事でドタバタしてしまって
ブログの記事にもはっきりと
書く余裕がなかったけれど、
実は亡くなる3日前にポンちゃんは転院した。

2年以上お世話になっていた病院に
最後に行ったのは3月3日。
その前夜から目が見えなくなっていたので、
腎不全の検査と同時に目も診ていただいたけれど
専門医でないと詳しくわからないという事だった。
それで連携している眼科の予約をとってもらった。
予約日は3月14日。
眼底出血を起こしている事はわかっていたのに
11日後の受診とは、あまりにも遅かった。
それ以上、早い日時は無理と言うので
仕方なくあきらめて帰ってきた。
この時、病院の機器で測定不可能なほど
BUNもリンも上がり、腎臓の数値が悪化していた。

なんとか、もっと早く目を診てもらえないかと
2月5日の記事に書いたH病院のN先生を思いだした。
H病院なら、連携している眼科医も違うかも知れない。
家に寄って車からポンちゃんを降ろして
そのまま初めて行くH病院へ。
ミュージカルの父母会で先生とは顔見知りだったので
患者でもないのに無理を言って、
連携している眼科医に連絡を取ってもらった。
取れた予約は3月8日の朝一番。
その週のうちだった。ありがたかった。

そして翌日、自分の中で「このまま自宅輸液だけで
本当に改善するのか。静脈点滴ならどうか」
という考えが頭をもたげてきた。
BUN140overというのは、実際にはいくつなのか
わからない。200かも知れないし、300かも知れない。

でも、実際入院する事を想定してみると、
ポンちゃんの精神的ストレス、距離的な問題なども
あり、現実的ではなかった。
病院の入院室は混んでいる時の診察室も兼ねており、
頻繁に人が出入りして落ち着ける部屋ではなかったし、
ひどい時は大型犬が「床にそのまま」入院していた。
自宅からも道路がすいていて、車で片道25分。
混んでいると簡単に40分、50分かかってしまう。
24時間営業という事で選んだ病院だったけど、
今思うとポンちゃんも本当に良くがんばって
病院ドライブにも付き合ってくれたと思う。
(診察券によると通院回数は64回)

電話で、自宅で静脈点滴をやらせてもらえないかと
聞いてみた。
病院の決まりで、自宅で点滴出来るのは、
もうすぐお別れだとわかっている子が退院する時に、
点滴の機械ごと帰宅させる時だけだという事だった。

H病院のN先生にも電話をしてみた。
こんな数値になってからで申し訳ないですけど…と、
お話しをして、自宅での静脈点滴を聞いてみたけれど
やはり行っていなかった。
病院が小さいので、機械を貸し出すと、
入院患者さんが増えた時に足りなくなってしまう
という事だった。
それに今まで全く診ていないポンちゃんを、
急に24時間入院で受け入れるのも不安だと言われた。
でも、H病院なら車で10分。混んでいる道路もない。
日帰り入院で静脈点滴をしてもらっても、
送り迎えで車に乗せる時間も短くて済むし、
昼に一度、サポートゴハンをあげに行く事もできる。

それより何より、N先生がとても丁寧で親身になって
話しを聞いてくれて、情に溢れているのが信頼できた。

今思うと、先生は
「今後も子供ミュージカルで付き合いの続く
 よその子のお母さん、断れないよなぁ…」
という追いつめられた心情だったのかも知れない。
本当の見ず知らずの患者さんだったら、
前の病院に行くように諭されただろうと思う。
でも、N先生のおかげでポンちゃんは2日と半日の
静かな入院時間を過ごす事ができたし、
看護婦さん達も、今まで見たどの病院より優しかった。
先生はこちらがお願いしなくても、
あらゆる可能性を考えてチェックしてくれる。
実は前の病院では尿比重を計ってくれた事がなかった。
腎不全なのに不思議な事だったけれど。
今回初めて計ってもらって、なんとポンちゃんは
亡くなる2日前の夕方まで正常値だったのだ!

じいやさんがギャオスのBBSで投稿してくれた、
慢性腎不全にネフローゼまたは急性糸球体腎炎を
併発してしまったのではないかという意見に関しても、
過去の血液検査と私の日誌をもとに調べてくれた。
結果として、その可能性は高いけれど
健康な子がかかったネフローゼまたは急性糸球体腎炎
ではないので、もう治療は今までと同じ、
これ以上はできないという事だった。
BUN200以上のあの状態ではステロイドも
免疫力を下げすぎて危ないという事だった。

今日になってやっと、前の病院にお知らせの電話を
かける勇気が出て、この事も話してみた。
ポンちゃんの、長引く鼻の不調を見ていたはずなのに
S先生は「へぇ、そんな病気があるんですか」
と、すごーく意外な応答。
それより何より驚いたのは、実はポンちゃんの事を
7~8歳だと思っていたと言われた事。
普段なら若く見られて嬉しいこの発言からは、
腎不全の治療にはたぶん関係なかったとは言え、
大病院の責任感の希薄さみたいな物が出ていた。

通院し始めの頃、1週間通って7人の別の先生に当たり、
こんな事でその日の調子の違いが把握できるのかと
驚いた。
そのうちに、待合室で知り合ったOさんに
毎回受付で頼めば同じ先生に診てもらえるわよ、
とS先生を薦められたのだ。
確かに優しくて、手先が起用で、決断力のあるS先生。
でも、腕の力が強いから(ポンちゃんは看護士さん
ふたりがかりでないと保定できなかった)とか、
毛がフワフワだったから、とかで
年齢をちゃんと把握してくれていなかったのは、
嬉し悲しだわ。

もし、今後動物を飼う事があったら
かかりつけは、たぶん小さい病院にすると思う。
先生は自分の顔(腕)が看板だからがんばるし、
患畜さんひとりひとりを
良く把握しているような気がする。

ポンちゃんの遺したごはんの一部は、
小さな病院ながら、輸血が必要になった猫さんのために
N先生が飼っている3匹の供血猫さんに食べてもらいます。

(※これは私の小さな経験で、
 もちろん他の病院に当てはまる事ではないです。
 大病院にも、すばらしい先生は沢山いますし、
 ?な開業医も知っています)

泣いているのは私だけ

2008-03-12 23:27:31 | Weblog
今夜は寒いから温風器をつけようか、
と振り返っても、
今までの場所にポンちゃんが寝転がっていない。

夕飯に大根を使ったので、
ほ~ら、残った葉っぱ、噛み噛みする?と、
脚もとを見てもポンちゃんは来ていない。

ふわふわの毛禁断症状が起きて、
家中の猫ベッドを見て回ってもどこにもいない。

いない。いないんだ。と、また思い知って
どうする事もできなくて、力が抜けて、
また涙が出てくる。

でも、一日に数回、発作が起きたように
こんな風にアホになってるのは私だけ。

ばあややりんごは、テレビを見たり、雑誌を読んだり
ゲラゲラ笑って、にぎやかにおしゃべりをして
楽しく過ごしている。

「あなた達、もう悲しくないの?」
「どうして? だってポンちゃんはここにいるよ。
 人間が悲しんだら、ポンちゃんも悲しいんだよ」
すごい答えが返ってきた。

そうか。以前、私が教えた事なのに
見事に実践していらしたんですね。
その言葉を言った母は、ちっとも実践できないよ。

お風呂上がりのりんごが私に言った。
「どうして、悲しそうなの?」
「だって、もうポンちゃんに触れないんだよ。
 撫でてあげる事も出来ないんだよ」
りんごは
「代わりに撫でれば?」
と、自分の頭を差し出した。

お風呂上がりで髪の毛は濡れていた。
「ポンちゃんの毛が濡れていた事なんてないよ」
りんごはバスタオルを頭にかぶった。

「ポンちゃんはこんなに大きくなかった」
りんごは床に腹這いになった。
そして頭にかぶっていたバスタオルを器用につまんで
猫の耳の形まで作った。
「これで、そっくりでしょう?」

確かにじわっと湿ったバスタオルで作った猫耳は
本物に少し感触が似ていた。
ここまでやってもらったら、もう泣き笑いだ。

傍らにいたばあやが一言。
「病んでるなぁ…」

* * * * *

何人もの方が、メールやコメントで
ばあやちゃんやりんごちゃんは大丈夫?と
心配してくださいましたが、
大丈夫です!

やっぱり子供は強い。
大人と違って、キラキラした真新しい毎日を
受け取るのに忙しくて、悲しみに浸っているなんて
出来ないらしい。
二人とも、ポンちゃんが亡くなった時は
たくさん泣いていたけれど、その後の状況は
私よりすんなり受け入れている。

自分の子供時代を思いだした。
今のりんごの年齢の時に、同居していた祖父が
亡くなったけれど、泣いたのはお葬式の時限りで
その後は、思い出す事は無数にあっても
泣いた事はなかった。

思い出すのと、涙を流すのは別の事なんだね。

土の下で眠る

2008-03-11 02:33:48 | Weblog
ほとんど自分の感情を出すことのなかった
我慢強いポンちゃん。
顔に似合わず、甘えん坊ではなかったので、
抱っこが嫌いで、脚にスリスリなんて事もしなかった。
ひざに乗ってきた事も15年間一度もなかった。
でも、いつもおばさんの事を気にかけてくれていて
ふと気が付くと、遠くからじっと私を見つめている。
そんな猫だった。

輸液や、投薬や、サポートゴハンの時も、本当は嫌なのに
「おばさんがどうしてもやりたいんでしょ。
 だったら、ボクは我慢するよ」と言っているような
包容力のある男の人のような存在感だった。
だから最後の時も「抱っこしたら嫌だよね」と思って
ただただ寝かした姿勢のまま撫で続けるしかなかった。

そんなポンちゃんが亡くなる2日前に
自分の感情を表した事があった。
静脈点滴のために、朝、病院に連れて行って
入院ケージに入れた後、どうしてもこっちを見てくれなかった。
「ポンちゃん!ポンちゃん! お昼にまた来るからね!」
呼ばれている事はわかっているのに
気づかないふりをして、ずっと奧の壁に向かって座っていた。
こちらに向けられた背中に悲しみと怒りがあった。
「今日もこんな所に置いていくの?
 僕、いろいろがんばっているのに、どうして?」
と言われているようで、泣きそうになった。
体に手をかけてこちらを向かせて、顔を見ながら
「これで良くなるんだからね。今日もがんばろうね」
と言って逃げるように病院を出てきたのに、
その日も良くならなかった。
死の直前にも、静脈点滴の留置針を嫌がって
自分で取ろうと急に動き出した。
ポンちゃんにとって、静脈点滴は
何よりも嫌な事だったのかも知れない。

でも、私はポンちゃんの数値がだんだん悪くなった時に
このまま自宅輸液だけ続けてもっと悪くなって
もし死んでしまったら、
「あの時、静脈点滴をしていたら助かったんじゃないか」
と後悔するかも知れないと考えてしまったのだ。

亡くなって二日たって思い出すのは、
どうしてもあの時の背中。
心の中で「ポンちゃん、心細かったね。ごめんね」
と何度も繰り返してしまう。

日曜日に車で2時間ほどのところにある実家に行って
ポンちゃんを埋葬してきた。
父が老体に鞭打って、深い穴を掘ってくれたので
いつもポンちゃんが愛用していた茶色の楕円ベッドに
毛布を敷いたまま寝かせて、そのまま葬る事ができた。
白い薔薇の花、猫じゃらしみたいな草や、
ポンちゃんの腎不全が発覚した時にりんごの作った
「ポンちゃんボランティア」の会員証、
ポンちゃんが亡くなる前日に突然切れてしまった
ばあやの愛用していたいちご型の携帯ストラップ、
私のハンカチなども一緒に入れた。
お弁当にゆでたささみも持たせて。

ベッドや毛布はアクリル製なので土中で腐らない事は
皆わかっていたけど、誰もそんな事は言わなかった。
親戚の親子も来て、総勢8名でお見送り出来た。
春らしく暖かくて、明るい日差しの中だった。
傍らには、ちょうど母が増やしていた白薔薇の苗を植えた。
後で全員で河川敷に行って、墓石になりそうな石まで
拾ってきた。
今は何も刻まれていないけれど、49日頃になったら
私とばあやとりんごで、石にも描ける特殊な絵の具で
ポンちゃんの名前や何か描いてあげる予定。
土が落ち着いてきたら、園芸の得意な母に
小さな草花を植えてもらう。

私にとってのポンちゃんはあの青い目と
白いふわふわの胸毛があってこそのポンちゃん。
だから自宅付近で荼毘に付すという選択も出来たけれど
それらが焼かれて無くなるというのは耐えられなかった。
恐がりの私には、お骨を見るなんていう事も出来ない。
だからこんなお別れの仕方を選んだ。

両親も動物好きで良かった。
左隣の木の下には、小・中・高校生時代に飼っていた
愛犬「ころ」の亡骸が眠っているらしい。
右隣の木の下には、おととし亡くなった
ばあやのミニうさぎの「まっちゃ」。
田舎で敷地が広いので、母屋からはかなり離れている。
でも優しい仲間がいるからポンちゃんも淋しくないね。

こんなお別れの仕方を選んだので、私の心の中では
ポンちゃんは変わらぬ美しい姿のまま、
ただ土の下でゆっくり眠っているだけ。
そして自由になった体で、行きたい時に行きたい所へ
自由に飛んでいっている。

おばさんの近くにいる時は、
わかるようにどうぞ小さなサインを送ってくださいね。

ありがとう

2008-03-09 00:35:55 | Weblog
ギャオスのBBSや老猫会でご相談させていただいた事で
たくさんの皆さんに情報や応援のメッセージを
寄せていただきました。
本当にありがとうございました。

3月7日金曜日の血液検査です。

BUN 228.5
Cre 11.6
リン 26.5
K 5.9
TP 5.8

BUNやリンは今までどこでも見たことのないような
数値が出てしまいました。
それでも、ポンちゃんは吐く事もなく、
病院のケージの中で静かに過ごし、
トイレもいつも車での移動時に使っていた
クッキー缶の簡易トイレを中に入れてあげたら
入院中も上手に使ってくれました。
本当に可愛くて、頭が良くて、性格の良かったポンちゃん。

でも、もうあの綺麗な青い目を開いてくれる事はありません。

本日3月8日午前11時50分頃、役目を終えて旅立って行きました。
いちごおばさんを守るという大変な役目を終えて。

私がポンちゃんのお世話をしていたというのは表面の話で、
本当はポンちゃんが精神面で私を支え、元気づけ、
あの小さな体で守っていてくれたのです。
ありがとう、ポンちゃん。
本当に本当に大好きだったよ。
私にとって、世界中で一番の猫でした。

今はまだ本当にただ眠っているかのようです。
いつも騒がしい家の中で、ぐっすり眠れなかっただろうに
今は呼びかけても答えないくらい良く眠っています。
明日3月9日、実家の敷地に埋葬します。
そうしたら本当のお別れです。

2年3か月もの間闘病していて、来月には16歳になるのに
どこに行っても綺麗と誉められていたポンちゃん。
痩せてもいないし、毛並みもつやつやのまま。
言わなければ腎不全だったなんてわかりません。
死後、体のストレッチに自宅に来てくれた獣医さんにも
関節が柔らかくて、骨が若猫のようにしっかりしていて
歯も全部有る。ひげもお歳なのにピンと上向きで
体全体が若いと誉められました。

そんなポンちゃんなので、ぎりぎりまで維持できたのでしょうか。
でも結果として、静脈点滴に踏み切った時には
もうそれにも反応できないほど腎臓が限界に来ていた
という事になると思います。
それでもBUNが200を越えてから一度の嘔吐もなく、
痙攣もなく、昨夜も夕飯にa/dを食べてくれました。

昨夜から足もとがフラフラして1、2歩しか歩けなくなったので
念のためにリビングに布団を敷いて近くに寝ました。
夜中に急に起きあがって歩こうとして倒れる事が数度あったので、
そのつど抱き起こしてクッションの上へ。
結局、尿は昨日の15時にトイレでしたのが最後で、
その後は腎臓で作られなかったようです。

今日も昼まで静脈点滴をしつつ、利尿剤の注射をしに
通院する予定でしたが、歩けなくなっていたのでキャンセル。
私だけ9時半頃病院に行って、留置針から入れる
利尿剤のアンプルをもらってきました。
10時半頃に利尿剤を注射して、近くで話しかけていました。
ポンちゃん大好きだよ、今までありがとうと沢山言いました。
実は昨日の金曜日に体温が36.2℃しかなく、
1両日中に急変するかも知れないとは、言われていたのです。
でも、入院中のポンちゃんの様子を見ていた獣医さんからは
「この子はこの数値で、嘔吐もないし悠々としている。
 こういう子は苦しまないで、眠るように逝くかも知れない」
と聞いていて、実際それに近い状態でした。
11時40分頃から、小さなため息のような呼吸になり、
どうしたんだろうと見守っていると、
ダラ~っと寝ていたのに、急に後ろ脚で右手の留置針を
蹴り始めました。
「そうか! これがそんなに嫌だったんだ。
 ごめんね、嫌だったよね、すぐに取るからね!」
慌ててテープを剥がして留置針を抜き取ると、
直後に、一度だけ体が海老反りました。
そして、態勢が戻ると呼吸が止まっていました。
本当に一瞬の出来事です。

食道拡張症になって途方に暮れていた時も
ほとんど症状が出ず、おばさんを安心させてくれたポンちゃん。
この間、ポンちゃんの目が見えなくなって、
また絶望的な気持ちになっていたおばさん。
ほんのわずかな可能性しかないという薬を飲んだ時も
ちゃんと効いて、また見えるようになって
復活しておばさんを安心させてくれたポンちゃん。

ポンちゃんにとって、おばさんは泣き虫で
本当に手の掛かる人だっただろうね。
変な人にもらわれたと諦めて付き合ってくれて
本当にありがとうね。
ポンちゃんがいてくれたから15年と10か月、
世界で一番幸せだったよ。

動画は3月7日1時30分頃、ささみスープを飲むポンちゃん。
亡くなる30時間前とは思えません。

応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
ポンちゃんが亡くなったら、悲しくてブログの記事なんて
書けないと思っていた自分ですが、
ポンちゃんが命がけで残してくれたメッセージが
あったので書く事ができました。

静脈点滴

2008-03-07 01:15:15 | Weblog
また取り急ぎのご報告になってしまうのですが、
水曜日から日帰り入院で静脈点滴をしています。
ただ、利尿剤を入れてもおしっこがあまり出ず、
ごはんもほとんど食べていないのに
点滴で体液が増え、体重だけが毎日増えていって、
厳しい状況です。
おしっこが出なければ、静脈点滴の効果が出ません。

3月5日 BUN215.1 Cre10.9 リン20.2 K5.8 
    ヘマトクリット34.3
すごい数値をたたき出しています。

3月6日 BUN212 K5.6
(少ししか採血できなかったのでこれだけ)

お陰様で、降圧剤の効果か、火曜夜くらいから
完全ではないのですが、目が見えているようです。
腎臓の数値がすごい事になっているので
一度予約した眼科は見合わせる事にしました。
(どこに行っても遠いので)

どうか「おしっこ出ろ出ろ」と念じてください。
よろしくお願いします。

取り急ぎ…

2008-03-04 02:37:17 | Weblog
こんな時に限って、詳しく書く時間がないのですが
今日の検査で、BUN、リンとも測定不能にまで
上がっていました。
BUN140over、リン15overです。
Cre9.7、ヘマトクリットはなんとか27を保っています。
一番ショックだったのは、
昨夜から目が見えなくなってしまった事です。
高血圧による眼底出血だろうという事ですが、
詳しくは眼科専門医でないとわかりません。
瞳孔が開いた感じで、今までのポンちゃんの目ではありません。
トイレにはよろよろしながら、何とか行っています。
今後、いろんなサポート態勢が必要です。