鎌倉で歴史散歩
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。
○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) Ω人 人・生・孫・化史 ↓
唯一絶対
○鎌倉で歴史散歩の会に参加してきました
一昨日の五月一日は、ある大学の史学会主催の歴史散歩の会に参加してきました。
新緑と木漏れ日が美しい爽やかな初夏の一日でした。
○科学的な犯罪捜査と同じ歴史研究 千三百余年前の浄光明寺の敷地絵図を科学的学問の力で読み解く
建武元年(1334年)頃に描かれたと推測できるという、鎌倉市の重要文化財 紙本墨書「浄光明寺敷地絵図」を元にして、現在の浄光明寺の境内の発掘(これはまだ一部しか行なわれていないそうです)と実証的研究の成果を踏まえて、その当時とはすっかり変わってしまっている今、現在の浄光明寺の敷地の地形の中に、千三百年余前の浄光明寺の敷地の姿を、私たちの心の中に再現する、というのが、一昨日の会の主題でした。
紙本墨書「浄光明寺敷地絵図」に何が描かれているかを確定することは、現地の発掘と別の歴史的な資料で明らかになっている当時の歴史的な事実等を総合し、推理力を働かせた科学的な学問研究によって初めて明らかにできるものです。
資料として頂いた絵図のカラー・コピーとこれを基にした略図を見ても、これだけでは何がどうなっているのかを読み解くのは難しいと直ぐに分かりました。
この上で、浄光明寺の当時の姿を、当時とはすっかり変わってしまった現在の地形の中に観る、というわけです。
現在の浄光明寺の敷地は、千三百余年当時よりも狭く、残りの部分は、数軒の鎌倉らしい豪邸の敷地になっていました。
それにしても、千三百余年前の絵図がよく残っていました。
これをその真偽の検証が可能な形で確実に読み解ける学者/研究者が、今の日本国にいることは、とても素晴らしい!!!!!
全ての学者/研究者に神のご加護と幸あれ!!!
○過去の歴史を知る意味 その一 知的好奇心の働きとこの世界の成り立ちと仕組みの解明
過去の歴史を知って何の役に立つのか!?
こうお考えになる方もいるかもしれません。
そこで、ここで、筆者の考えを述べてみます。
世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みについて、何か新しいことを知ることは、これ自体でとても楽しいものです。これに目覚めた人達は、人生がとても楽しくなります。
知る事柄が、仮令遥か昔のことであっても、です。これに目覚めた「歴女」なる人たちがいるとか・・・。
Ω神の化身かつ分身の存在のヒトにとって、自分が生まれ住んでいる世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みをよく解明して理解することが、実際にヒトの生き方の原理を活用して生きるのに必要不可欠です。
生きている環境について知る能力は、生物一般に共通する能力です。
ヒトの場合、自然科学的な学問が、これをよくしています。
但し、天然自然の存在のΩ神の発見には、この世界の成り立ちと仕組みを、確率的な偶然の働き+自然法則+エネルギー一の3語で説明し尽くそうとする自然科学的な学問は無力です。
しかし、物質化しているこの世界の成り立ちと仕組みは、Ω神の存在を知らなくても、物質を直接支配している自然法則+エネルギーの働きを解明してこの知識を利用するだけで、科学技術的な製品を作ることができます。
これによって、今現在、私たちが日常的に享受している文化・文明的な生活が成り立っています。
例えば、天気予報、台風予報、津波予報など。
またこうできるように、創造主であるΩ神は、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトに好奇心+知識欲という心の働き/能力を、ヒトに備えさせています。
しかも、何が実際に役に立つのか、簡単には判断できませんから/自明ではありませんから、とにかく好奇心+知識欲という心の働きは、この世界の成り立ちと仕組みに関して役立ちそうな知識をどんどん仕入れるのに役立ちます。
このことに関して視点を変えて観ると、ヒトとしてより良い生き方を可能にする一般原理の発見のために、全人類総掛かりの探求をしてきたのだ、ということができます。
ヒトとしてより良い生き方の一般原理は、Ω神とΩ神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中にその答の全てがあります。
そこで、この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の発見に始まり、この世界の成り立ちと仕組みの解明、ヒトの存在目的と存在理由の発見、この目的を実現するヒトの生き方の原理の発見、ヒトとこの世界の成り立ちと仕組みとの関係等の解明に、全人類総掛かりの試行錯誤が行なわれてきた、と言って良いでしょう。
実際には、自然科学上/学問上の大発見や全人類の福祉の向上に役立つ大発明の例と同じように、多くの人達の無意識/潜在意識の期待が生んだ宗教的な天才が時々現れて、天然自然の存在のΩ神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの解明に大きく貢献する、ということが繰返されてきた、ということができます。
○過去の歴史を知る意味 その二 殆ど無我夢中で生きてきた人類の歴史から学ぶこと
世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなる全世界の歴史(自然史+人類史)において、これまで地球人であるヒト/人類は、この世界の成り立ちと仕組みも、ヒトの存在目的や存在理由も、ヒトの生き方の原理も、全世界の歴史のゴール/最終到達点についても殆ど何も知らずに、また、これらの事を解明して自覚的な知識にすることの必要性と大切さも多くの人たちは知らずに、目先の事だけに心を奪われて、殆ど無我夢中で生きてきた、ということができます。
この中で、ヒトは、その時々で、正義のために、何かの大義名分のために、一族郎党のために、民族のために、国家のために、ある時には善意で、またある時には悪意で、またある時には羨望と嫉妬に駆られて、それが自他にとって/少なくとも自分自身/自民族/自国にとっては良い事だと信じて、自らが出来る、しばしば命懸けの精一杯の誠実さと努力を傾けて生きてきた、ということができます。
一般法則論的な世界観、歴史観で言えば、過去の人類の歴史は、地上に神の国を築く方向へまっすぐには向かわずに、迷走行動の繰り返しだった、と言って良いと思います。
そこで、これを後知恵で判断して、日本民族が生きたこの国は、隣国に対しても悪さばかりしてきた国で、絶対に日本国の存在を認めないし、この象徴の国歌も国旗も日本国と日本国民の象徴の天皇の存在も絶対に認めない、という日本人、正しくは朝鮮半島か中国大陸に本籍/出自がある人たちがいるようです。この人たちが、自民族の国歌でも国旗でも自民族の出自でも無い天皇を認めない、というのは当然かもしれませんが、何か根本的に間違っていると言う事ができます。
こういう人たちが小・中・高の教師になっているようで、多くの元もとの日本人の人までもが、こう教えられた通りに信じていて、例えば高校生や大学生が中国や韓国の高校生や大学生と対話をするときには、彼らに何か常に後ろめたい感じでいる節が見受けられることがあります。
しかし、日本民族も、他民族と同様に、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトです。
全ての日本人の心の奥底=無意識/潜在意識の心には、こうだという情報が生得的に書き込まれています。
無意識/潜在意識の心の中にΩ神が直接書き込んだことや、後からヒトが自ら書き込んだことは、やがて必ずそのヒト/民族/人類の体験になってあらわれる、という絶対的な因果必然の自然法則の働きがあります。
しかも、他民族/異民族から侵略されず、異民族による過酷な支配を経験することなく、一万四千年以上を日本列島の豊かな大自然相手に穏やかに暮らした縄文人という日本民族は、心の奥底に書き込まれているΩ神の化身かつ分身の存在のヒトらしさを自然に素直に解発して体得することになったようです。
このことは、神道の形になっているし、また、これまでの普通の日本人ならば、仮令山の中の村に住むヒトでも、まるで本物の悟りの体験をした人のように謙虚で穏やかで物事の是非がよく分かり、自らを絶対的に超越して存在する神仏を畏れ敬い、神仏の前で常に正しくありたいという感覚があり(昨年のことですが、目の前で大事な物を盗まれた人に対して「お天道様がちゃんと見ている」と言って慰めたのは、どこにでもいそうな普通の三十代の女性でした)、自らの存在や物の見方や考え方に絶対的な正しさや正当性の根拠を置かず、また、人の所為で生きているのではなくて自己責任で自助自立して生きるべき事を知っているし、異民族に対しても偏見がなく、対等感、ヒトとして平等の感覚を持っていることによく現れているように思います。
鎌倉時代か室町時代か、記憶が曖昧ですが、確か武家法度を決めるに当って、話に聞いて知った外国の神様を含めて、全ての神仏に誓って、これを定めた自らも絶対にこの法度を守る、という起請文を書いたヒトがいます。
これを、日本民族の歴史的な事実として知ることが出来るわけです。
話に聞いて知っただけの外国の神様にまで誓いを立てるなんて、不合理で変だというのは間違いです。
その当時、そして今でも、多くのヒトにとって、神仏の実在の証明は行なわれていないと考えているし、そもそも神仏とは如何なる存在であるのかも分からない中では、その実在を信じたヒトは、神仏の名で呼ばれる存在の全てに誓いを立てるのは、自らの存在や自らが持つ権力を絶対化しない謙虚さと真摯さを表明した、とても筋の通った合理的な考え方です。
教育勅語でも、天皇自らがこれを大切にして守ることを誓っています。
これらの点では、日本民族は、世界に類を見ない珍しい民族のようです。
そして、この素質は、今の日本人の心情と立居振舞い方になって繋がっています。
こうだ、と分かります。
その昔、ヒト/自分の存在を超える絶対的な存在の前で真摯に正しくあろうとした人たちがいたことを知りました。
しかし、今、国民の多くが変だと思っている政治資金疑惑に対して真面目に答えようとしない民主党の小沢幹事長が、検察庁の判断で不起訴になった件について、検察審査会が起訴相当の決議を行なったことに対して、直ちに、小沢氏を支持する国会議員たちが、検察審査会が検察庁の不起訴を覆すことを制限する改革をすると言い出しました。何とも尊大な人たちです。
○過去の歴史を知る意味 その3 色々あるけれども神の国の実現に向けて進んでいることの確認
人類の歴史は、それでも間違いなく、地上に神の国を建設することに向かっている、と過去の歴史を知るとわかります。
例えば、奴隷制度。
これが存在した時代は、これが非人道的だとは誰も思わなかったそうです。→ジェームズ・ウォルヴィン著 池田年穂訳 奴隷制を生きた男たち 水声社 書評が読売新聞 2010年5月2日の朝刊に載っています。
しかし、歴史的事実は、やがて奴隷制度は反人道的ということになり、奴隷制度の廃止に繋がります。
これは、間違いなく、地上に神の国を築くのがヒト/人類の使命であることが、一つ実現した例になる、ということができます。
ヒト/人類は、試行錯誤を繰り返しながら、いつか必ず、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトらしくない間違ったことを止めて、正しくΩ神の化身かつ分身の存在のヒトとして生きるようになる、ということです、その無意識/潜在意識の心に書き込まれているΩ神の天地創造の目的に沿う形で。
今、沖縄の米軍基地問題で、鳩山政権は、迷走気味です。
歴史的な事実が教えてくれることによれば、沖縄に米軍の基地が不要になる時が訪れれば、自然にそれがなくなる、ということができます。
現在、「昭和記念公園」になっている所には、私が学生時代の50年前には、米軍基地がありました。
この撤去を巡って、砂川基地闘争という左翼勢力が大騒ぎをした事件がありました。
しかし、時代と共に、世界の軍事情勢が変わり、アメリカの戦略目標も変わると、自然にその基地の役割が終りました。
こうであることが、過去の歴史をみれば分かります。
沖縄は、今、現在、軍事大国化しアジア全体(日本国もこの一部)を支配下に置くつもりらしい、自民族絶対中心主義の共産党一党独裁の中国と、非常に好戦的な北朝鮮に睨みを利かせるために、アメリカにとっては手放したくても手放せない地政学的な位置に置かれています。
これでは、沖縄の反基地闘争を支援するつもりの左翼の鳩山政権がどんなに頑張っても、今すぐにはどうにもならない、ということができます。
しかも、反米で親中国の売国奴的な鳩山政権が、全人類にとって厄介者のすれっからしの自己中心的な漢民族を、普通の出来のヒト/民族にするために人類史的な使命を果たすことは、期待できません。
また、アメリカは、大東亜戦争/太平洋戦争の中で、南の島々で日本軍との烈しい戦いをして北上し、最後に沖縄を激戦の末に多大の犠牲を払って手に入れた、という歴史的な記憶を持っているそうです。
この点でも、アメリカにとっての沖縄は、特別の思い入れがあるようです。それにしても、アメリカはよく沖縄を日本に返してくれました。
こういう過去のことや現在の地政学的な状況に変化があれば、暴力を伴う反基地闘争をしなくても、自然に沖縄には米軍基地がなくなることになると、過去の歴史を教訓にして、誰にでもいえるようになります。
とにかく、人類の歴史は、間違いなく、地上に神の国を実現する方向に向かっています。
沖縄も、神の国の一部に入っているのは、間違いありません。
歴史について、私見を簡単に述べました。
この意図は、歴史の見方について、一般法則論における例により、一つの叩き台を提供することです。
誰かが最初に的に向かって矢を射れば、この結果を参考に、次に矢を射るヒトは、自分の射方を調整できます。
○鶴岡八幡宮神社の大イチョウのこと
鶴岡八幡宮神社の有名な大イチョウが、強い風で根元から倒れた事件は、皆さんもご存知でしょう。
この当日のことを、宿直だったという南 権禰宜から伺いました。
お話を聴いていて、大イチョウは(心)正しく倒れたのだ、と思い、こうそこで申し上げました。
倒れる時刻が午前四時過ぎではなくて、参拝客が訪れる午前六時すぎならば、倒れたイチョウの木の下敷きになるヒトが出る可能性があったそうです。
また、イチョウの木が倒れる角度がちょっと違えば、木の前にある「舞殿」(下拝殿)の屋根を直撃してこれを壊していた可能性があったのです。
しかし、こうはならなかった。
注連縄が張られていた大イチョウは、心正しく、自らが倒れること以外の事故を起こさないように倒れたのでした。
大イチョウが強風で倒れたのは、運や偶然ではなくて、因果必然の自然法則に支配されて因果必然的に倒れるべくして倒れたのでした。
ここに、何の不思議もありません。
帰宅してからこの事実を再考しました。
これで気がついたのは、鶴岡八幡宮の境内は、神域であり、聖域である、ということです。
言い換えると、鶴岡八幡宮の神職を始めとする関係者によって、境内では絶対に事故や違い等が起こらないように強く念じられている場所、祈りで満たされている場所だ、ということです。
こうだと気付いて、有り難さで胸が熱くなりました。
なお、根元から倒れた後、埋め戻された大イチョウからは、若葉が芽生えていました。
南 権禰宜による大イチョウの話を伺ったあと、同氏の先導で、鶴岡八幡宮に「正式参拝」しました。
○余談
当日の参加者に、学部を卒業後、大学院に進んで、今はある博物館で学芸員をしているというお嬢さんがおりました。
そこで、一般法則論で言う「恋し愛する相手との間でだけ子孫を残すためにある性と結婚の原理」の話を手短にして、恋し愛して結婚する相手との間での子孫を残すのだと予め自覚的に意図的に決めて、これを堅持することの必要性と大切さを、歩きながらしました。
女性が子供を産む相手の男をよく選ばないと、これからの人類の未来は無い! とまで言い切りました。
しかし、これは本当のことです。
彼女と学部の学生たちには、源氏山の急なかつ段差のある山道を、走るように降りたものですから、足を取られて何度か滑って転んだ時に、手を取って支えて頂きました。
ここで、改めてお礼を述べたい。
○追記 漢民族もΩ神の化身かつ分身の存在のヒトたち(5月4日)
自己中心の自民族絶対主義の「すれっからしの漢民族」と、上の文の中でいいました。
言い換えると、「Ω神の化身かつ分身の存在のヒト」とは言わないまでも、普通の人間として育って無い、ということです。
昨日のNHKのBS放送で、日本と中国のジャーナリストが討論する番組の終わりの部分を見ましたが、自ら「大国の中国は・・・」という中国側のジャーナリストの発言があって、今、まだ、この段階なのだ、と思いました。
話が飛びますが、アメリカのABC放送は、多数のニュースの中から何が放送で伝えるべき重要なニュースかを決める基準を次のようにしているそうです。→木村太郎 編著 テレビはニュースだ NHKニュースセンター9時の24時間 太郎次郎社 1985年
NHKニュースセンター9時は、もう知らない方々が少なくはないかもしれません。個人的には懐かしさで一杯になりますが・・・。
一、世界は安全か
一、この社会は安全か
一、家族は安全か
アメリカも、自国の国益を追求している点では、他の国と少しも変わりません。
領土や国益を守ることは、自国民の生存を守ることに直結しているのですから。→中国に侵略されて国土を奪われたチベットの悲劇を見よ!!!
また、アメリカ帝国主義の大国であるが故に、他国以上に自国の国益を追求している、と一部の人たちは言います。
しかし、アメリカの大統領は世界の大統領である、という自負がアメリカ国民の間にあって、世界の秩序の維持のために自分達の汗と血を流す覚悟が出来ている人たちがいる国です。
本当に大した人たちです。
世界政治の中核となる国連の本部もアメリカにあります。
学問や科学技術分野でも、アメリカは、世界中から学者や研究者を受け入れて養成しています。
即ち、アメリカは、自国の国益だけを考えている国では無い、ということです。
月探査も火星探査も、アメリカ一国の為ではなくて、全人類的な利益をもたらすものです。
そこで、一民間企業のABC放送でも、全世界的な視野で、地球上で起こることを見ています。
こうであることがまた、大国を自任する国とその国民の責任でもあるはずです。
しかし、今現在の中国には、大国を名乗るのに相応しい、全地球的、全人類的な福祉を考える視野がなく、自国の国益に反すると判断することはことごとく国連の議場で反対を唱えるなど、その「小」国振りを発揮しています。
報道によれば、石油などの資源獲得に行った国で地元民と摩擦を引き起こしているようです。
経済に勢いがあるから21世紀は、アメリカに代わって中国がリーダーになる時代だという人たちがいます。
しかし、人類全体の福祉の向上には関心の無い自民族中心の中国が世界を支配するのは、人類にとっては悪夢です。
世界は、アメリカ中心から多極化することが望ましいという人たちがいます。
これは、Ω神が定めている「人類は一つ」から食み出す、日本の戦国時代のように群雄割拠になり、世界全体の秩序が乱れることを意味します。
しかし、漢民族も、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトたちであることにはいささかも変わりはありません。
先日のNHKのテレビ番組「クローズアップ現代」で報道していましたが、「新人類」と呼ばれる人たちがいて、今現在の中国政府のあり方は変だ! という発言をインターネットでしていることを知りました。
また、日本に来て住んでいる人たちや観光旅行で日本を訪れた人たちの中に、社会秩序が良くて平穏な市民生活が出来る日本と比較して中国社会のあり方はこのままではいけないと気付いた人たちがいます。
四川大地震のあと、ボランティア活動をする若者が生まれたそうです。
反対に、日本で子供の教育を行なうと他人を安易に信じる習慣ができて、本国に帰ってから困ることになると心配する中国人もいます。
おりしも、上海で万国博覧会/万博が開かれています
そこで、今、中国政府も含めて中国人が気にしていることは、世界から中国がどう見られているのか? だそうです。
こういうことも含めて、漢民族の中国もΩ神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中に否応無しに組み込まれていくことになるでしょう。
隣国の朝鮮半島の人たちも同じです。
全地球人が全てΩ神の天地創造の目的の中に存在していることを確認する祈りをするのみ。
以上
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。
○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) Ω人 人・生・孫・化史 ↓
唯一絶対
○鎌倉で歴史散歩の会に参加してきました
一昨日の五月一日は、ある大学の史学会主催の歴史散歩の会に参加してきました。
新緑と木漏れ日が美しい爽やかな初夏の一日でした。
○科学的な犯罪捜査と同じ歴史研究 千三百余年前の浄光明寺の敷地絵図を科学的学問の力で読み解く
建武元年(1334年)頃に描かれたと推測できるという、鎌倉市の重要文化財 紙本墨書「浄光明寺敷地絵図」を元にして、現在の浄光明寺の境内の発掘(これはまだ一部しか行なわれていないそうです)と実証的研究の成果を踏まえて、その当時とはすっかり変わってしまっている今、現在の浄光明寺の敷地の地形の中に、千三百年余前の浄光明寺の敷地の姿を、私たちの心の中に再現する、というのが、一昨日の会の主題でした。
紙本墨書「浄光明寺敷地絵図」に何が描かれているかを確定することは、現地の発掘と別の歴史的な資料で明らかになっている当時の歴史的な事実等を総合し、推理力を働かせた科学的な学問研究によって初めて明らかにできるものです。
資料として頂いた絵図のカラー・コピーとこれを基にした略図を見ても、これだけでは何がどうなっているのかを読み解くのは難しいと直ぐに分かりました。
この上で、浄光明寺の当時の姿を、当時とはすっかり変わってしまった現在の地形の中に観る、というわけです。
現在の浄光明寺の敷地は、千三百余年当時よりも狭く、残りの部分は、数軒の鎌倉らしい豪邸の敷地になっていました。
それにしても、千三百余年前の絵図がよく残っていました。
これをその真偽の検証が可能な形で確実に読み解ける学者/研究者が、今の日本国にいることは、とても素晴らしい!!!!!
全ての学者/研究者に神のご加護と幸あれ!!!
○過去の歴史を知る意味 その一 知的好奇心の働きとこの世界の成り立ちと仕組みの解明
過去の歴史を知って何の役に立つのか!?
こうお考えになる方もいるかもしれません。
そこで、ここで、筆者の考えを述べてみます。
世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みについて、何か新しいことを知ることは、これ自体でとても楽しいものです。これに目覚めた人達は、人生がとても楽しくなります。
知る事柄が、仮令遥か昔のことであっても、です。これに目覚めた「歴女」なる人たちがいるとか・・・。
Ω神の化身かつ分身の存在のヒトにとって、自分が生まれ住んでいる世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みをよく解明して理解することが、実際にヒトの生き方の原理を活用して生きるのに必要不可欠です。
生きている環境について知る能力は、生物一般に共通する能力です。
ヒトの場合、自然科学的な学問が、これをよくしています。
但し、天然自然の存在のΩ神の発見には、この世界の成り立ちと仕組みを、確率的な偶然の働き+自然法則+エネルギー一の3語で説明し尽くそうとする自然科学的な学問は無力です。
しかし、物質化しているこの世界の成り立ちと仕組みは、Ω神の存在を知らなくても、物質を直接支配している自然法則+エネルギーの働きを解明してこの知識を利用するだけで、科学技術的な製品を作ることができます。
これによって、今現在、私たちが日常的に享受している文化・文明的な生活が成り立っています。
例えば、天気予報、台風予報、津波予報など。
またこうできるように、創造主であるΩ神は、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトに好奇心+知識欲という心の働き/能力を、ヒトに備えさせています。
しかも、何が実際に役に立つのか、簡単には判断できませんから/自明ではありませんから、とにかく好奇心+知識欲という心の働きは、この世界の成り立ちと仕組みに関して役立ちそうな知識をどんどん仕入れるのに役立ちます。
このことに関して視点を変えて観ると、ヒトとしてより良い生き方を可能にする一般原理の発見のために、全人類総掛かりの探求をしてきたのだ、ということができます。
ヒトとしてより良い生き方の一般原理は、Ω神とΩ神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中にその答の全てがあります。
そこで、この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の発見に始まり、この世界の成り立ちと仕組みの解明、ヒトの存在目的と存在理由の発見、この目的を実現するヒトの生き方の原理の発見、ヒトとこの世界の成り立ちと仕組みとの関係等の解明に、全人類総掛かりの試行錯誤が行なわれてきた、と言って良いでしょう。
実際には、自然科学上/学問上の大発見や全人類の福祉の向上に役立つ大発明の例と同じように、多くの人達の無意識/潜在意識の期待が生んだ宗教的な天才が時々現れて、天然自然の存在のΩ神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの解明に大きく貢献する、ということが繰返されてきた、ということができます。
○過去の歴史を知る意味 その二 殆ど無我夢中で生きてきた人類の歴史から学ぶこと
世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなる全世界の歴史(自然史+人類史)において、これまで地球人であるヒト/人類は、この世界の成り立ちと仕組みも、ヒトの存在目的や存在理由も、ヒトの生き方の原理も、全世界の歴史のゴール/最終到達点についても殆ど何も知らずに、また、これらの事を解明して自覚的な知識にすることの必要性と大切さも多くの人たちは知らずに、目先の事だけに心を奪われて、殆ど無我夢中で生きてきた、ということができます。
この中で、ヒトは、その時々で、正義のために、何かの大義名分のために、一族郎党のために、民族のために、国家のために、ある時には善意で、またある時には悪意で、またある時には羨望と嫉妬に駆られて、それが自他にとって/少なくとも自分自身/自民族/自国にとっては良い事だと信じて、自らが出来る、しばしば命懸けの精一杯の誠実さと努力を傾けて生きてきた、ということができます。
一般法則論的な世界観、歴史観で言えば、過去の人類の歴史は、地上に神の国を築く方向へまっすぐには向かわずに、迷走行動の繰り返しだった、と言って良いと思います。
そこで、これを後知恵で判断して、日本民族が生きたこの国は、隣国に対しても悪さばかりしてきた国で、絶対に日本国の存在を認めないし、この象徴の国歌も国旗も日本国と日本国民の象徴の天皇の存在も絶対に認めない、という日本人、正しくは朝鮮半島か中国大陸に本籍/出自がある人たちがいるようです。この人たちが、自民族の国歌でも国旗でも自民族の出自でも無い天皇を認めない、というのは当然かもしれませんが、何か根本的に間違っていると言う事ができます。
こういう人たちが小・中・高の教師になっているようで、多くの元もとの日本人の人までもが、こう教えられた通りに信じていて、例えば高校生や大学生が中国や韓国の高校生や大学生と対話をするときには、彼らに何か常に後ろめたい感じでいる節が見受けられることがあります。
しかし、日本民族も、他民族と同様に、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトです。
全ての日本人の心の奥底=無意識/潜在意識の心には、こうだという情報が生得的に書き込まれています。
無意識/潜在意識の心の中にΩ神が直接書き込んだことや、後からヒトが自ら書き込んだことは、やがて必ずそのヒト/民族/人類の体験になってあらわれる、という絶対的な因果必然の自然法則の働きがあります。
しかも、他民族/異民族から侵略されず、異民族による過酷な支配を経験することなく、一万四千年以上を日本列島の豊かな大自然相手に穏やかに暮らした縄文人という日本民族は、心の奥底に書き込まれているΩ神の化身かつ分身の存在のヒトらしさを自然に素直に解発して体得することになったようです。
このことは、神道の形になっているし、また、これまでの普通の日本人ならば、仮令山の中の村に住むヒトでも、まるで本物の悟りの体験をした人のように謙虚で穏やかで物事の是非がよく分かり、自らを絶対的に超越して存在する神仏を畏れ敬い、神仏の前で常に正しくありたいという感覚があり(昨年のことですが、目の前で大事な物を盗まれた人に対して「お天道様がちゃんと見ている」と言って慰めたのは、どこにでもいそうな普通の三十代の女性でした)、自らの存在や物の見方や考え方に絶対的な正しさや正当性の根拠を置かず、また、人の所為で生きているのではなくて自己責任で自助自立して生きるべき事を知っているし、異民族に対しても偏見がなく、対等感、ヒトとして平等の感覚を持っていることによく現れているように思います。
鎌倉時代か室町時代か、記憶が曖昧ですが、確か武家法度を決めるに当って、話に聞いて知った外国の神様を含めて、全ての神仏に誓って、これを定めた自らも絶対にこの法度を守る、という起請文を書いたヒトがいます。
これを、日本民族の歴史的な事実として知ることが出来るわけです。
話に聞いて知っただけの外国の神様にまで誓いを立てるなんて、不合理で変だというのは間違いです。
その当時、そして今でも、多くのヒトにとって、神仏の実在の証明は行なわれていないと考えているし、そもそも神仏とは如何なる存在であるのかも分からない中では、その実在を信じたヒトは、神仏の名で呼ばれる存在の全てに誓いを立てるのは、自らの存在や自らが持つ権力を絶対化しない謙虚さと真摯さを表明した、とても筋の通った合理的な考え方です。
教育勅語でも、天皇自らがこれを大切にして守ることを誓っています。
これらの点では、日本民族は、世界に類を見ない珍しい民族のようです。
そして、この素質は、今の日本人の心情と立居振舞い方になって繋がっています。
こうだ、と分かります。
その昔、ヒト/自分の存在を超える絶対的な存在の前で真摯に正しくあろうとした人たちがいたことを知りました。
しかし、今、国民の多くが変だと思っている政治資金疑惑に対して真面目に答えようとしない民主党の小沢幹事長が、検察庁の判断で不起訴になった件について、検察審査会が起訴相当の決議を行なったことに対して、直ちに、小沢氏を支持する国会議員たちが、検察審査会が検察庁の不起訴を覆すことを制限する改革をすると言い出しました。何とも尊大な人たちです。
○過去の歴史を知る意味 その3 色々あるけれども神の国の実現に向けて進んでいることの確認
人類の歴史は、それでも間違いなく、地上に神の国を建設することに向かっている、と過去の歴史を知るとわかります。
例えば、奴隷制度。
これが存在した時代は、これが非人道的だとは誰も思わなかったそうです。→ジェームズ・ウォルヴィン著 池田年穂訳 奴隷制を生きた男たち 水声社 書評が読売新聞 2010年5月2日の朝刊に載っています。
しかし、歴史的事実は、やがて奴隷制度は反人道的ということになり、奴隷制度の廃止に繋がります。
これは、間違いなく、地上に神の国を築くのがヒト/人類の使命であることが、一つ実現した例になる、ということができます。
ヒト/人類は、試行錯誤を繰り返しながら、いつか必ず、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトらしくない間違ったことを止めて、正しくΩ神の化身かつ分身の存在のヒトとして生きるようになる、ということです、その無意識/潜在意識の心に書き込まれているΩ神の天地創造の目的に沿う形で。
今、沖縄の米軍基地問題で、鳩山政権は、迷走気味です。
歴史的な事実が教えてくれることによれば、沖縄に米軍の基地が不要になる時が訪れれば、自然にそれがなくなる、ということができます。
現在、「昭和記念公園」になっている所には、私が学生時代の50年前には、米軍基地がありました。
この撤去を巡って、砂川基地闘争という左翼勢力が大騒ぎをした事件がありました。
しかし、時代と共に、世界の軍事情勢が変わり、アメリカの戦略目標も変わると、自然にその基地の役割が終りました。
こうであることが、過去の歴史をみれば分かります。
沖縄は、今、現在、軍事大国化しアジア全体(日本国もこの一部)を支配下に置くつもりらしい、自民族絶対中心主義の共産党一党独裁の中国と、非常に好戦的な北朝鮮に睨みを利かせるために、アメリカにとっては手放したくても手放せない地政学的な位置に置かれています。
これでは、沖縄の反基地闘争を支援するつもりの左翼の鳩山政権がどんなに頑張っても、今すぐにはどうにもならない、ということができます。
しかも、反米で親中国の売国奴的な鳩山政権が、全人類にとって厄介者のすれっからしの自己中心的な漢民族を、普通の出来のヒト/民族にするために人類史的な使命を果たすことは、期待できません。
また、アメリカは、大東亜戦争/太平洋戦争の中で、南の島々で日本軍との烈しい戦いをして北上し、最後に沖縄を激戦の末に多大の犠牲を払って手に入れた、という歴史的な記憶を持っているそうです。
この点でも、アメリカにとっての沖縄は、特別の思い入れがあるようです。それにしても、アメリカはよく沖縄を日本に返してくれました。
こういう過去のことや現在の地政学的な状況に変化があれば、暴力を伴う反基地闘争をしなくても、自然に沖縄には米軍基地がなくなることになると、過去の歴史を教訓にして、誰にでもいえるようになります。
とにかく、人類の歴史は、間違いなく、地上に神の国を実現する方向に向かっています。
沖縄も、神の国の一部に入っているのは、間違いありません。
歴史について、私見を簡単に述べました。
この意図は、歴史の見方について、一般法則論における例により、一つの叩き台を提供することです。
誰かが最初に的に向かって矢を射れば、この結果を参考に、次に矢を射るヒトは、自分の射方を調整できます。
○鶴岡八幡宮神社の大イチョウのこと
鶴岡八幡宮神社の有名な大イチョウが、強い風で根元から倒れた事件は、皆さんもご存知でしょう。
この当日のことを、宿直だったという南 権禰宜から伺いました。
お話を聴いていて、大イチョウは(心)正しく倒れたのだ、と思い、こうそこで申し上げました。
倒れる時刻が午前四時過ぎではなくて、参拝客が訪れる午前六時すぎならば、倒れたイチョウの木の下敷きになるヒトが出る可能性があったそうです。
また、イチョウの木が倒れる角度がちょっと違えば、木の前にある「舞殿」(下拝殿)の屋根を直撃してこれを壊していた可能性があったのです。
しかし、こうはならなかった。
注連縄が張られていた大イチョウは、心正しく、自らが倒れること以外の事故を起こさないように倒れたのでした。
大イチョウが強風で倒れたのは、運や偶然ではなくて、因果必然の自然法則に支配されて因果必然的に倒れるべくして倒れたのでした。
ここに、何の不思議もありません。
帰宅してからこの事実を再考しました。
これで気がついたのは、鶴岡八幡宮の境内は、神域であり、聖域である、ということです。
言い換えると、鶴岡八幡宮の神職を始めとする関係者によって、境内では絶対に事故や違い等が起こらないように強く念じられている場所、祈りで満たされている場所だ、ということです。
こうだと気付いて、有り難さで胸が熱くなりました。
なお、根元から倒れた後、埋め戻された大イチョウからは、若葉が芽生えていました。
南 権禰宜による大イチョウの話を伺ったあと、同氏の先導で、鶴岡八幡宮に「正式参拝」しました。
○余談
当日の参加者に、学部を卒業後、大学院に進んで、今はある博物館で学芸員をしているというお嬢さんがおりました。
そこで、一般法則論で言う「恋し愛する相手との間でだけ子孫を残すためにある性と結婚の原理」の話を手短にして、恋し愛して結婚する相手との間での子孫を残すのだと予め自覚的に意図的に決めて、これを堅持することの必要性と大切さを、歩きながらしました。
女性が子供を産む相手の男をよく選ばないと、これからの人類の未来は無い! とまで言い切りました。
しかし、これは本当のことです。
彼女と学部の学生たちには、源氏山の急なかつ段差のある山道を、走るように降りたものですから、足を取られて何度か滑って転んだ時に、手を取って支えて頂きました。
ここで、改めてお礼を述べたい。
○追記 漢民族もΩ神の化身かつ分身の存在のヒトたち(5月4日)
自己中心の自民族絶対主義の「すれっからしの漢民族」と、上の文の中でいいました。
言い換えると、「Ω神の化身かつ分身の存在のヒト」とは言わないまでも、普通の人間として育って無い、ということです。
昨日のNHKのBS放送で、日本と中国のジャーナリストが討論する番組の終わりの部分を見ましたが、自ら「大国の中国は・・・」という中国側のジャーナリストの発言があって、今、まだ、この段階なのだ、と思いました。
話が飛びますが、アメリカのABC放送は、多数のニュースの中から何が放送で伝えるべき重要なニュースかを決める基準を次のようにしているそうです。→木村太郎 編著 テレビはニュースだ NHKニュースセンター9時の24時間 太郎次郎社 1985年
NHKニュースセンター9時は、もう知らない方々が少なくはないかもしれません。個人的には懐かしさで一杯になりますが・・・。
一、世界は安全か
一、この社会は安全か
一、家族は安全か
アメリカも、自国の国益を追求している点では、他の国と少しも変わりません。
領土や国益を守ることは、自国民の生存を守ることに直結しているのですから。→中国に侵略されて国土を奪われたチベットの悲劇を見よ!!!
また、アメリカ帝国主義の大国であるが故に、他国以上に自国の国益を追求している、と一部の人たちは言います。
しかし、アメリカの大統領は世界の大統領である、という自負がアメリカ国民の間にあって、世界の秩序の維持のために自分達の汗と血を流す覚悟が出来ている人たちがいる国です。
本当に大した人たちです。
世界政治の中核となる国連の本部もアメリカにあります。
学問や科学技術分野でも、アメリカは、世界中から学者や研究者を受け入れて養成しています。
即ち、アメリカは、自国の国益だけを考えている国では無い、ということです。
月探査も火星探査も、アメリカ一国の為ではなくて、全人類的な利益をもたらすものです。
そこで、一民間企業のABC放送でも、全世界的な視野で、地球上で起こることを見ています。
こうであることがまた、大国を自任する国とその国民の責任でもあるはずです。
しかし、今現在の中国には、大国を名乗るのに相応しい、全地球的、全人類的な福祉を考える視野がなく、自国の国益に反すると判断することはことごとく国連の議場で反対を唱えるなど、その「小」国振りを発揮しています。
報道によれば、石油などの資源獲得に行った国で地元民と摩擦を引き起こしているようです。
経済に勢いがあるから21世紀は、アメリカに代わって中国がリーダーになる時代だという人たちがいます。
しかし、人類全体の福祉の向上には関心の無い自民族中心の中国が世界を支配するのは、人類にとっては悪夢です。
世界は、アメリカ中心から多極化することが望ましいという人たちがいます。
これは、Ω神が定めている「人類は一つ」から食み出す、日本の戦国時代のように群雄割拠になり、世界全体の秩序が乱れることを意味します。
しかし、漢民族も、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトたちであることにはいささかも変わりはありません。
先日のNHKのテレビ番組「クローズアップ現代」で報道していましたが、「新人類」と呼ばれる人たちがいて、今現在の中国政府のあり方は変だ! という発言をインターネットでしていることを知りました。
また、日本に来て住んでいる人たちや観光旅行で日本を訪れた人たちの中に、社会秩序が良くて平穏な市民生活が出来る日本と比較して中国社会のあり方はこのままではいけないと気付いた人たちがいます。
四川大地震のあと、ボランティア活動をする若者が生まれたそうです。
反対に、日本で子供の教育を行なうと他人を安易に信じる習慣ができて、本国に帰ってから困ることになると心配する中国人もいます。
おりしも、上海で万国博覧会/万博が開かれています
そこで、今、中国政府も含めて中国人が気にしていることは、世界から中国がどう見られているのか? だそうです。
こういうことも含めて、漢民族の中国もΩ神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中に否応無しに組み込まれていくことになるでしょう。
隣国の朝鮮半島の人たちも同じです。
全地球人が全てΩ神の天地創造の目的の中に存在していることを確認する祈りをするのみ。
以上
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。