いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

この世界を知るための原理 追加文

2006-01-22 02:42:31 | 創造主である神+自然法則+エネルギー
 以下の文は、「この世界を知るための原理」中の、次の文の間に挿入する文です。
「○この世界を知り理解するのにノーベル賞級の頭脳でなくても済む」と「○創造主であ
る神の存在を人の心で知るための条件がある───悟りの経験」という文の間。

○この世界の見方・考え方が歪んでいる例
 世の多くの人たちは、自分自身と自分が生きているこの世界を、それが在るが儘の姿で
見ているのではありません。
 これを、仏教では、無明、煩悩、魔境の世界の中にある、と言います。

 具体例を挙げると────
 多くの人たちが、例えば「汚い豚」が実在していると思い込んでいます。
 中には、汚いから「豚」と呼ぶのだとさへ思っている人がいたりします。
 しかし、実際の豚は綺麗好きで、決して汚い訳ではありませんし、汚いから「ブタ」と
名付けて呼んだのでもありません。
 正確に言えば、「ブタ(と名付けた動物)が実在する。この動物について、同時に、一
部の人たちは、汚いと言う。」ということになります。

○悟りの瞬間に知ること───世界観と人間観の単純化
 「汚い豚」が実在しているのではない!
 実在しているのは、ブタと呼ぶことにした動物だ!
 この種の間違った思い込み、事実・実体とは全く掛け離れ、全く関係の無い、諸々の偏
見や妄想を、もう凡ゆる事について、自分はこれまでして来たのだ!
 ────と悟りの体験/覚醒体験では一瞬にして深く深く深く理解するのです。
 この瞬間は、「生まれて初めてブタ(そのもの)を見た!」と思わず言う位に、新鮮な
驚きと深い感動が伴います。
 この結果は、自分が生きているこの世界全体が一瞬にして全く新しい世界になります。

○新しい世界に生まれ変わる体験
 悟りの体験。
 本当に、その瞬間、全く新しい世界に自分は生まれ変わった、と思います。
 これは、迷いの世界、煩悩の世界、魔境の世界を突き抜けて、悟りの世界に到達した、
という事を意味します。

○人の生活基盤としての大自然の世界=神の国=地上の天国の発見
 悟りの世界に到達するとは、創造主である神が造った大自然の世界=神の国そのもの
の世界を発見することです。
 言い換えると、来世ではなくて、現世に神の国=地上の天国を発見することです。
 即ち、来世ではなくて、この現世こそが人が生きるための本来の地です。
 そして、人(宇宙人一般)は、自分が創造主である神の化身/分身の存在として、最初
からこの神の国の住人として生まれていると知るのです。
 また、この神の国においては、何も彼も完全完璧に良く造られていると知るのです。
 更に、この神の国が、人(宇宙人一般)が、創造主である神の化身/分身として生きる
ために必要不可欠な生活基盤/インフラになるものとして、創造主である神が用意してく
れたものだと分かるのです。
 こうだと気が付きます。

○創造主である神+自然法則+エネルギーのみで出来た単純な世界の発見
 余計な妄想や虚飾が取れて見えて来たこの世界は、創造主である神+自然法則+エネル
ギー一体不可分の働きだけで出来ている、とても単純で明快な世界だ、と分かります。

○一般意味論での説明
 一般意味論では、「汚い豚がいる」は、「豚がいる」という事実の認識が先にあって、
次にこの事実について、「汚い」と主観的な断定をしたものであり、自分が(勝手に)こ
う断定している事実を意識化し自覚することが必要で大切だ、と説明します。
 そして、人同士が話し合い協同して何かの仕事を一緒にするの為のコミュニケーション
では、「汚い豚がいる」ではなくて、「豚がいる」という事実に基づいてする必要がある
ものだ、と言います。
 この点で、一般意味論は、悟った人がするこの世界の見方・考え方を、言葉の使い方の
面から説明している、と言われる所以です。
 なお、一般意味論を知るには、先にも掲げたことがある次の本が、良い参考書。
S・I ・ハヤカワ 大久保忠利訳 思考と行動における言語 岩波書店 1951年(旧版)

○創造主である神+自然法則+エネルギーの働きで造られた世界
 悟りの体験をすると、次の2つのことを明確に知ります。一般法則論の見解です。
・この世界は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在の働きで全て造
 られている
 そこで────
・創造主である神が造ったこの世界は、創造主である神+自然法則+エネルギーというた
 った3つの基本的な概念を元にして、全て説明できるし理解できる

○一般法則論は日本文明の申し子
 もちろん、これまで多くの人たちが悟りの体験をしましたが、一般法則論のように、こ
こまでこの世界を単純化して理解し説明している訳ではありません。
 悟りの体験と言えば、宗教の世界の中の話に終始してしまうのが普通です。
 筆者がこうならずに済んだ理由はなにか?
 もちろん、筆者が偉くて特別の人間であるからではありません。
 筆者と、筆者以前の人たちの間にある大きな違いは、19世紀から20世紀にかけて起
こった、人と人が住むこの世界に関する科学的な知識の爆発的な増大の恩恵を知って利用
出来たかどうかにある、と言えます。
 しかも、この点で、その知識の獲得と利用が子供にもできる、日本という超一級の科学
的な文明国に、丁度上手い具合の時期に筆者が生まれたことです。
 更に、古今東西の学問的、文化的、宗教的な遺産を知り、これを国語を読み書き出来る
だけで利用することが可能な国としても、日本は超一級の文化文明大国です。
 また、「神道」という精神的に成熟し自立した大人のための高等宗教の下で、宗教的なタブー
が殆ど全く無いことも、幸いしています。
 しかも、日本国内は平和がずっと続いて、戦後の日本の奇蹟的な経済成長のお陰で経済
的にもそれなりの余裕があって、個人的にはこの種の事に専任できる条件もありました。

○日本文明の評価
 現在の世界を見渡して、日本以外にこんな凄い文化文明国は、他にはありません。
 筆者が、隣国の韓国や中国、また精神世界の国インドに生まれていたら、一般法則論は
作り得なかった、と断言しても間違いは無いでしょう。
 もちろん、アメリカやイギリス、また、ドイツ、フランスなどの欧州の国の何処かに生
まれても、宗教的/思想的/哲学的な縛りによって、一般法則論を作ることは駄目だったで
しょう。

○日本文明を否定する人達を何とかできないか!
 「大中華文明の中国こそ世界一の国で、日本などとてもかなわない」と言って、早く日
本を中国の一部に組み込むのが自分の使命だと考えているお役人が、外務省の中にいる、
という話しです。
 政府の政策決定を握っているお役人が妄想的な思想信条/信念で、国民/民族の利益に
反する方向に暴走するのを、国民が止める手段が無い日本は、本当に困ったことです。
 日本民族の一人に生まれながら、日本が如何なる国か、全く知らない人達が、国の最高
学府を出た人達の中にもいます。日本に於ける教育の土台/大前提となる世界観と人間観
が、これまで根本的に間違っていた、と言わざるを得ません。
 一般法則論が、このお役に立つでしょうか・・・。

○日本の文化文明力
 中国政府が、最近も事故続きの炭鉱の安全性を確保する技術を、これを持つ日本に求め
ていると、先日、新聞で読みました。
 世界最高の中華文明を自ら誇る中国五千年の歴史は、そのような技術を独自に創り出さ
なかった訳です。

 もう25年位前の話になりますが、アフリカで旱魃の被害にあった人達のニュースの中
で、テレビ画面のテロップによると、民族衣装を着て踊っている人達は、「次はお前らの
番だ」と歌っていると言います。これは、他人に呪いを掛ける行為です。
 しかし、話が日本ならば、呪いの歌を歌いながら踊ってなどいないで、旱魃を科学技術
的に何とかしようと、何人もの学者や農業技術者が、直ちに立ち上がる所です。

○豚を豚にする自然の仕組み
 ここで簡単に、豚を豚にする自然の仕組みについて、説明しておきます。
 ブタをブタにしているのは、ブタを造ろうと意図した自然(創造主である神)です。
 この創造主である神の意図を唯一絶対普遍かつ不変の原因として、形のある具体的な存
在(ブタ)に実現(結果)するのは、何の働きか?
 この働きは、創造主である神の天地創造の原理である、原因=結果の因果必然の法則で
ある自然法則の働きです。
 自然法則の実際の働き方の原理は、ブタを他の如何なる存在でも無いブタという存在に
する「ブタの原理的仕組み」(プラトンの言葉で言えばブタのイデア)に則って、創造主
である神の無限大の心身をその本質とするエネルギーを唯一絶対普遍の素材にして、ブタ
の形(ブタの心身)を造るのに必要不可欠な量だけ(エネルギーを)「量子化」(し質量化)
する方法(技術としての自然法則)で(豚を)造ります。

(ここに追加文掲載予定)

○神道についての一般法則論的な簡単な説明
 神道以外の宗教の多くは、出自/素性がはっきりしている始祖がおり、よく纏められた
教典があり、教義/教理の体系があり、教団の組織もよく整っているので、一見すると組
織的な高等な宗教に見えます。
 しかし、その実体は、神が未だ未熟で無知な子供を相手にしているような宗教です。
 そこで、人間の日常生活の隅々まで、神様は「ああせい、こうせい。ああするな、こう
するな」という命令を下して干渉します。
 神道は、精神的に成熟し自立した大人用の高等宗教です。
 だから、神道の神様は、人の生活に、こんな干渉は一切しません。
 自分以外の神を認めず排除せよ、とも言いません。
  神道の神話では、我々日本民族の一人一人は、地上に降りた神の直系の子孫の天皇と、
天皇の直系の子供(天孫)(親子)という関係にあります。
 つまり、我々日本民族の一人一人は、一般法則論でいう神の化身/分身の存在です。
 天皇は、従って、日本民族の支配者ではなくて、日本民族を代表して、大祖先の神を祭
る「祭祀王」だ、と言われます。
 実際、例えば昨年の11月20日日曜日、天皇皇后両陛下御臨席の下、横浜で開かれた
「第25回全国豊かな海づくり大会」神奈川大会をテレビ中継で見ましたが、天皇陛下と
陛下に従われる皇后陛下は、正に民族を代表する祭祀王として振る舞われていました。
 また、その行事に参加している人たち=国民に対して、両陛下は、少しも支配的でも威
圧的ではありませんし、威張っている印象も全くありませんでした。
 先の大戦で日本の占領軍の司令官のマッカーサー元帥と会見された昭和天皇が、ご自分
の命はどうなっても良いから国民を救って欲しいと言われたと伝えられていますが、これ
は、天皇と国民の間を、陛下がどうお考えになられていたかを、端的に示しています。

 それでも、神道では、信者になるならないは、各人の自由です。
 また、信者として如何に在るべきかは、神は、信者自身の考えに全て任せています。
 そこで、信者は恣意的な何でも有りの生き方に走るのかといえば全くこの正反対で、常
に神の前で正しく在ろうとして、自らの人間性/人格の向上・陶冶に自ら進んで励むので
す。
 そこで、もう何をしても、例えば刀を持って戦い命をやりとりする為の訓練の場でさへ
も剣の「道」にして、それを自らの人格を磨く為の「場」にしてしまいます。
 この結果は、まるで悟りの開いた人のように、仮令人の監視の下になくても盗みなど悪
いことをしないし、穏やかでとても謙虚な人達で日本国中が溢れることになっています。

○日本文明の中に生まれ育った筆者の体験
 もう数年前になりますが、都内のJRのある駅の夕方の非常に混んだ時刻に、筆者は
自動販売機で切符を買って、釣銭を取らずに駅の改札口前まで行ってしまってから、
釣銭を取り忘れたと、切符の自動販売機の前に戻ったら、そのお金が、ちゃんと自動販売
機の前の台の上に置いてありました。
 こんなことは珍しいことですか?
 そうではない、と思います。
 ある方は、講演をした後、車代として頂いたお金の中から実際に使った残りのお金を、
領収書を付けてわざわざその講演の主催者に送り返した、という話を知りました。
 暫く前の話しですが、家の近くのコンビニで、コピー機を使かおうとしていた若い女性
が、店のレジに、前の人がお釣りを忘れて行ったようですと、お金を差し出しているのを
目撃しました。
 数日前は、筆者も、前の人がコピー機を使った後忘れて行った二百円余りのお釣りを店
のレジに届けました。
 日本の文化の中で普通に育った人ならば、こんなことはもう当たり前の行為でしょう。

○日本文明は一つの国で一つの独立した独自の文明
 しかし,これは、地球世界の古今東西の諸々の文化文明の中で、日本以外では観察する
のが難しいことだ、と言っても良いかも知れません。
 あなたは、どう判断されますか?
 事実、「文明の衝突」という本で知られている、サミュエル・ハンチントンは、日本文
明は、一つの国で一つの独立した独自の大文明だ、と言っています。
 サミュエル・ハンチントン 文明の衝突と21世紀の日本 集英社新書 2000年

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